あずま床。台東区浅草橋2-23。1987(昭和62)年8月2日
「浅草鳥越あずま床」は井上ひさしの小説の題名そのままだ。1975(昭和50)年の刊行だが、写真の床屋のほうはかなり最近(撮影時の)の開店ではないかと思う。小説のほうの店は鳥越のおかず横丁にあるような印象だ。店名もすごいが「商い中」の表札も職人の腕を売る商売には合わないような気がする。「営業中」でも店名と合わないか?
山口ペニーサイクル。浅草橋2-19(推定)。1992(平成4)年6月6日
3軒長屋か、4軒長屋だったのものを右側の1軒を取り壊したものかもしれない。
撮影時には、この辺りには長屋や出桁造りの商家、簡素な看板建築などがまだけっこう見られた。商売は廃業してしまった家が多いから看板もなく、今になって写真を眺めてもどこの家だか分からない。
山路製帽。浅草橋2-24。1992(平成4)年5月2日
東京帽子倶楽部というサイトをざっと眺めただけだが、「東京帽子協会」の会員135社のうち浅草橋にある会社が多い。鳥越・小島・三筋を含めると約半分になる。協会も浅草橋5丁目にある。浅草に集まっていた馬具製造職人が、明治以後、帽子へ移行していったからだという。
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私は忍岡高校の演劇部におりましたが、小道具の紙の接着用に「フノリ」をこの近所で買ってきた覚えがあります。「フノリ・布糊」をWikipediaで調べると、「織物の仕上げの糊付けに用いられる」と書いてあるので、そういう需要のある地域だったのかもしれません。フノリを売ってる店はこの地域にしかなかったと思います。
ところで忍岡高校なら徒歩通学だったのでしょうか。浅草橋や鳥越の辺りはそれこそ活動範囲ですね。
実は私は白鴎高校の出身ですが、40歳くらいになって古い建物の写真を撮り歩くようになるまで台東区は上野くらいしか知りませんでした。