ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



田端屋。中央区日本橋堀留町2-5
1987(昭和62)年頃

大門通りの日本橋税務署の並び。写真左端にわずかに写っている黒いビルが日本橋税務署。3棟のビルが並んでいるように見えるが、撮影時の住宅地図ではまとめて「田端屋㈱」。田端屋は昭和30年頃の火保図にも「田端屋商店」で記載されている。現在は廃業したのか、ネット上ではさがせなかった。3棟の建物は「クレストフォルム日本橋(2000年9月築、13階建60戸)」というマンションに建て替わった。
写真中央のクラシックな外観のビルは昭和16年の火保図に「青木五兵衛商店(コンクリート造四階建)」とある建物だろう。『大正元年日本橋地区地籍地図』にこのビルと同じ位置、当時の田所町に「青木商店」があり、そこから北へ横丁をひとつ越えれば通旅籠町(とおりはたごちょう)で、本町通りとの角に大丸呉服店があった。
『織物問屋群生の史的背景と特徴―明治・大正の人形町通り界隈―』(白石孝「三田商学研究2003年6月」)をざっと眺めた印象では、青木五兵衛(という人あるいは店)は、堀留町界隈の織門問屋街のリーダー、あるいはまとめ役の一人だったようだ。

田端屋と日本橋税務署の間の通りを「織物中央通り」という。その通りの人形通りのほうに、金巾(かなきん)の薩摩治兵衛の店があったようだ。二代治兵衛の長男治八郎という人がとんでもない人で、パリで芸術家のパトロンになり、店の資産をすっかり散じてしまった。「バロン薩摩」の名前で有名だ。

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