ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:伊勢龍倉庫。中央区人形町3-8。1983(昭和58)年10月
右:橘稲荷神社。人形町3-8。1986(昭和61)年8月24日

旧伊勢龍ビル(現・人形町ミハマビル)の横の路地は歌舞伎、あるいは「お富さん」で知られる玄冶店(げんやだな)があったところとされ、人形町通りの歩道の車道際に「史跡 玄冶店」の碑が置かれている。寄席の人形町末広の後に次田株式会社東京支店のビルが建つ以前、昭和45年までは、この路地の両側とも戦前に建った木造の家が並んでいたと思われる。
現在は玄冶店の路地の人形町通り側の入口の北側は次田ビルが建て替わった読売ISの本社ビルで、その後ろはGoogle地図では空き地だが2016年2月のストリートビューではオフィスビルが建っている。空き地の北側の「スペース」という会社のビルが増築したのかもしれない。というわけで、今や玄冶店跡はビルに挟まれた普通の都心の路地になってしまった。
左写真のタイル貼りの家は伊勢龍の倉庫。その左に長屋風の家で、写真では麻雀禧味(きみ)。
右写真は路地を出た裏通りとの角にある橘稲荷。TT-2ビル(1990年8月竣工)の建設に合わせて造り直されたが同じ位置に今もある。昔の橘稲荷などはだれも写真に撮っていないだろうと、へたくそな写真を載せたわけだが、『昭和の風景写真日本橋人形町・兜町』に1960年代前半の頃と思える写真が載っている。それには祠がちゃんと写っている。



越路。人形町3-9。1985(昭和60)年4月14日

玄冶店の路地の北側にあった喫茶店。『東京カフェ案内>越路』によると、昭和31年の開店という。そして『純喫茶コレクション>越路』によると、2008年6月27日で閉店している。わりと最近まであった店だ。1970年頃には人形町通りの向かいにも店を出していたように覚えているが正確な場所は分からない。

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