ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧東京銀行人形町支店、人形町ビル。中央区日本橋人形町3-8。1983(昭和58)年1月

人形町通りと芳町通り(中央区は愛称として認定していないが、地元の人はけっこう使っている)が交差する人形町交差点から浜町方向を見た昭和の景観である。大通り側の人形町3丁目8番地の範囲がほぼ入っている。下の写真で左に写っているビルが伊藤ビル(伊勢龍陶器店)で、このビルが建ったのが1986(昭和61)年4月。そして写真の古い3棟のビルと裏側の木造家屋とが建て替わった現在のTT-2ビルの竣工が1990(平成2)年8月なので、昭和の時代なら見られた景観ではなかったかと思う。
交差点角の4階建てのビルは東京銀行人形町支店だった建物。撮影時には東京銀行は人形町1丁目の日土地人形町ビルに移っていた。そのビルは人形町松竹が建て替わったもので、1972(昭和47)年の竣工なので、その時点で移転したかと思う。写真のビルは昭和8年の火保図に「住吉ビル(コンクリート造4階建て)」となっているビルと思われる。昭和7年に町名を改称する前は「住吉町」だった場所だ。戦後の昭和25年頃の火保図では「東京銀行/ミソノビル」。東京銀行は1946(昭和21)年に設立されたが、人形町支店は同時期の出店かもしれない。
旧東京銀行の右の6階建てタイル張りの壁のビルが「人形町ビル」。昭和8年の火保図では「稲垣ビルヂング(コンクリート造6階建て)」。戦後の火保図では「人形町ビル/日東重機KK」。写真では「ミヤギ事務機」。



旧東京銀行人形町支店、人形町ビル。日本橋人形町3-8。1988(昭和63)年1月24日



旧東京ガス日本橋サービスステーション。日本橋人形町3-8。1987(昭和62)年3月8日

1・2枚目写真の右奥のビル。大正時代の建物かと思えるような古めかしい外観のビルだ。東京ガスの営業所だったビル。昭和8年の火保図では「瓦斯会社日本橋出張所」。『人形町全町詳細図(昭和25年10月中旬)』という地図では「東京ガス日本橋派出所」。写真ではカバンの「ペルシャン」という店が出店している。ビルの横が分かる写真を撮っていなかった。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (伊藤)
2016-07-15 11:44:12
非常に懐かしい風景です。

人形町ビルの2階は古本やカセットテープなど、
雑多なものが売られていました。
店内が薄暗かったのを記憶しています。

1984年か1985年頃の出来事です。
 
 
 
>伊藤様 (流一)
2016-07-17 12:17:39
芳町通りに並んでいた古いビルがまとめて今のビルに建て替わってしまってから、そろそろ30年が経つわけですね。その風景が「懐かしい」という人はすでに50歳を超えていると思われますが、いかがでしょうか?
ビルの取り壊しが決まってそこの主体が出た後、取り壊しが始まるまで、短期で出店することはよくあるようです。同じ構図なので載せませんでしたが1987年3月に撮った写真では、人形町ビルは「ディスカウントショップ エレガント」の看板を挙げています。旧東京銀行で出店してる靴屋と同じ会社かもしれません。ビルの壁に垂らした反物?には「総合雑貨 食品・雑貨・家庭用品・その他」「スポーツ・カジュアル靴」とあります。
 
 
 
Unknown (伊藤)
2016-07-17 14:08:33
1971年の生まれで、今年で45歳になります。

箱崎町(北新堀町)で育ち、
小学校が有馬、中学校が四中(現日本橋中)だった為、
一番近い繁華街が人形町なのです。

中学の頃に安いカセットテープを買いに行きました。
 
 
 
Unknown (伊藤)
2016-07-17 14:10:44
垂れ幕のような看板に書いてある、
【浅草より安い】と言う売り文句は、
花川戸辺りの靴問屋の価格を意識しているんですかね。

当時安い靴=浅草と言う認識はありませんでしたが、
それはまだ中学生くらいだったからかもしれません。
 
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