ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中央区立城東小学校。中央区八重洲2-2。1987(昭和62)年12月20日(6枚とも)

東京駅八重洲口から外堀通りの向かい側、すぐ裏手にある城東小学校がいよいよ取り壊しになる。東京駅前の再開発(八重洲二丁目北地区再開発)によるもので、44階建ての超高層ビルが2022年8月の竣工という計画。総事業費は約2400億円という。
城東小学校は、この夏休み中に坂本町公園(日本橋兜町)の仮校舎に移る。44階建てビルの1~4階部分に新校舎が造られる予定だ(『日刊建設工業新聞>八重洲二丁目北地区再開発(2017年4月19日)』。

右写真右端の木造の建物は、1986年の住宅地図に「京橋消防団第二分団/昭和小学校少年消防クラブ」とある。



城東小学校。左:玄関ホール。右:校舎はコの字型の平面でその北側校舎、その後ろの八重洲2-1にあるビルは、左から、ヤンマー東京ビル、八重洲GMビル、八重洲ビル、東京駅前ビル

写真の校舎は『日本近代建築総覧』では「区立城東小学校・昭和幼稚園(旧東京市城東尋常小学校)、八重洲4-3〈旧住所〉、建設年=昭和4年、構造=RC3階建、設計=東京市、施工=竹田組、備考=廊下にガス灯の跡あり。「東京市教育施設復興図集」による」。
外観には復興小学校に見られる特徴が表れている。『東京都中央区に現存する復興小学校7校舎についての見解』(日本建築学会関東支部、山崎鯛介、2010 年2月3日)には「この校舎は、柱形を外に出し、道路側ではその柱形上端を壁面から突出させるが、校庭側では上階窓上に庇を付けて、表情が変えられている。正面玄関上に設けられた深い庇、その下の持ち送りや門柱等により整えられた南側立面は、設計者が意を注いだところである。また、階段室や体育館の壁面に半円形の開口部を付けたり、シャワー室の東側を半円形平面とするなど、随所 にカーブを用いる点に表現主義的な特徴がよく見られる。」と書かれている。

「城東小学校」の名称は元々は日本橋2-3にある「日本橋プラザ」の場所にあった「日本橋城東小学校」から採られている。火保図では単に「城東小学校」の記載である。あるいは「日本橋区立城東小学校」ではなかったか、とぼくは疑っている。現在の八重洲の城東小学校は「京橋昭和小学校」だったが、昭和37年に両校が併合されて現・城東小学校が誕生した。実際は日本橋城東小学校は廃止され、京橋昭和小学校が城東小学校に改名したのである。



城東小学校。左:西側校舎、後ろは「住友生命八重洲ビル」(1966年5月築、9階地下4階建、再開発の対象)。右:北側校舎

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