2018.8.23. Thu. 『まこわやさしいか』
朝: 私はコーヒーと乳酸菌飲料。
コーヒー
ヨーグルト 自家製青梅ジャム ㋕
林檎
バナナ
昼:
蒟蒻と椎茸、豆の煮物 ㋑㋻㋛㋮
稲庭うどん 子持ちきくらげ、海苔、胡麻ダレ ㋛㋻㋙
アサリのお味噌汁 葱 ㋚㋳㋮
おやつ:
夜: N夫妻と『カシェット』さんで。 ワインを持ち込ませてもらう。 ㋮㋙㋳㋚㋛㋑㋕
連れ
私
連れ
私
連れ
私
CHARLES HEIDSIECK BLANC DES MILLENAIRES 1995 ←間違えて持って行かず、お店のものをご用意いただく。
Michel Arnould Champagne Grand Cru Verzennay Brut Tradition (シャンパーニュ地方/モンターニュ・ド・ランス地区/ヴェルズネイ村) PN100%
「ミッシェル・アルノー家は、アイ、ブジー、アンボネイにも引けをとらない個性を十分に引き出す、情熱的な造り手の一人です。
こちらのキュヴェは、「ヴェルズネイは昔からどの畑よりも優れたピノ・ノワール産地としての伝統(Tradition) があり、当たり前のことだから」という理由から、ピノ・ノワールを100%使用していながらも、あえてブラン・ド・ノワールと表記していません。ドン・ペリニヨンも多くのピノ・ノワールをヴェルズネイ村から求めています。
チェリーのような香りと、柔らかくも深い味わいは、ブドウのポテンシャルの高さをしっかりと感じさせます。ゆっくり飲み進めていくと、どんどん果実のボリューム感が増していくのが感じられます。蜜のような香りと繊細な酸も印象的です。」
サントネー・プルミエ・クリュ ’レ・グラヴィエール・ブラン’ 2006 ラ・プス・ドール
「ヴォルネイのクロ・デ・スワッサント・ヴーヴレやコルトンのクロ・デ・ロワで有名なプス・ドール。このサントネ・グラヴィエールはドメーヌが最初に手かげた白です。
ミネラルを感じさせる構成のしっかりした味わいは、赤に勝るとも劣らぬもの。 僅か0.2Haの区画で年間生産量700~800本ととても少ないため、非常に珍しく稀少なものです。
かつてロマネ・コンティのオーナーであったデュヴォー・ブロシェ家の所有地の一部が、ドメーヌ・ド・ラ・プス・ドール。
1964年、投資家たちにより再構築され、その時に醸造長となったのがジェラール・ポテルであった。
やがて、ポテルが株式の半分を取得し、もう半分をオーストラリアの投資家たちが所有していたが、1997年にポテルが急死。
ドメーヌは売りに出され、これを購入したのが現オーナーのパトリック・ランダンジェである。
彼は医療機械、とくに整形外科のビジネスで成功した人物だがヴォーヌ・ロマネに別荘をもっており、いつかは畑を買い、この別荘をドメーヌにしたいと夢想していた。そんな折、プス・ドール売却の話を耳にしたという。
手に入れるや否や、200万〜300万ユーロの資金を投じて、醸造施設や発酵用の木桶、他の設備も一新。1999年に完成した醸造施設は6層構造になっており、収穫から醸造、樽熟成、瓶詰めまで、ポンプを一切使わず重力でブドウ果汁やワインが流れる仕組みになっている。
ランダンジェが投資したのは設備だけに止まらず、ブドウ畑の拡張も盛んに行われている。
1998年にコルトン・クロ・デュ・ロワ(1.45ha)とコルトン・ブレッサンド(0.48ha)を手に入れ、2004年にピュリニー・モンラッシェ1級カイユレ(0.73ha)。
そして2008年にはシャンボール・ミュジニーのドメーヌ・モワンヌ・ユドロを買い取り、村名シャンボール・ミュジニー(1.41ha)、1級のグロゼイユ(0.52ha)、フースロット(0.42ha)、シャルム(0.19ha)、レ・ザムルーズ(0.20ha)、そして特級ボンヌ・マール(0.17ha)をラインナップに収めた。
その代わり、2009年にサントネイ1級のグラヴィエールは売却。
ブドウ栽培はすべてビオロジック農法がとられている。
赤ワインの醸造では木桶とステンレスタンクを併用し、7日間の低温マセレーションの後、日に2回のピジャージュをしながら長いキュヴェゾンを施す。樽熟成は1級で1/3、特級で40%前後。トータルで15ヶ月間。
白ワインは圧搾後、24時間のデブルバージュを経て、樽発酵、樽熟成。ただしただの小樽ではなく350リットルの中樽を用いる。新樽比率は50%。
ドメーヌ・ド・ラ・プス・ドールのワインはピュアで洗練されている。
果実味、酸、そしてタンニン、それぞれの要素が高次元でバランスよくまとまり、若いうちから十分に楽しめ、熟成にも耐え得るタイプだ。
とくにブルゴーニュ大公家が所有し、その後フランス王家のものとなったとされる、このドメーヌのモノポール「クロ・ド・ラ・ブス・ドール」は、力強さとエレガンスのせめぎ合いが面白いワインである。
さまざまなアペラシオンが増えたとはいえ、ヴォルネイを語る上で欠くべからざるドメーヌのひとつだ。」
Chateau Beychevelle 2005 (AOC Saint-Jullien 第四級)
Score: 89. When to drink: 2008 to 2030
Critic |
Score |
When to drink |
Jamie Goode |
94/100 |
|
Wine Enthusiast |
93/100 |
|
CellarTracker |
91/100 (44 notes from 41 users ) |
|
Stephen Tanzer |
90/100 |
|
Jean-Marc Quarin |
89/100 |
2015 to 2030 |
Wine Spectator |
89/100 |
|
Bettane et Desseauve |
17.5/20 |
2015 to 2030 |
Gault & Millau |
17.5/20 |
|
Jancis Robinson |
16.5/20 |
2015 to 2025 |
Vinum Wine Magazine |
16/20 |
2010 to 2020 |
Decanter |
15.5/20 |
2008 to 2016 |
La Revue du Vin de France |
15/20 |
Chateau Beychevelle について
一目見たら忘れられない古代帆船のラベルは、このシャトーの名前「ベイシュヴィル」と深く結びついています。日本では豊臣秀吉が天下統一した頃(16世紀末)、フランス海軍提督であったエペルノン公ジャン・ルイ・ヴァレット(Duc d' Epernon, Jean-Louis Nogaret dela Valette)という人物が、このシャトーのオーナーになりました。このシャトーの前を通ってジロンド河でボルドーへ行き来する船は、提督に敬意を表して、ガスコーニュ方言でbaisse-voile(ベセ・ヴォア:帆をさげろ!)という掛け声と共に、船の敬礼である「帆下げ」をしたそうです。このbaisse-voirが時代を経てBeychevelleという現在のシャトー名になりました。 因みにラベルの帆船の船首についているのはグリフィン(griffin)と呼ばれるギリシャ神話の鳥獣で、酒の神ディオニソス[Dionysus,ローマ神話ではバッカス(Bacchus)と呼ばれる]の護衛役とされています。
1757年に「ベイシュヴィル」はブラシェ・ド・ビュド侯爵(Marquis Bassier de Budot)という人の手に渡り、現在の素晴らしいシャトーになりましたが、その子孫はあまりワインの仕事に精を出さなかったため、1885年のナポレオン三世が音頭を取った格付けでは4級にしか評価されませんでした。さらに1874年相続問題で「ベイシュヴィル」は銀行家の手に移り、その後に保険会社のGMFが筆頭株主となりました。1986年には日本のサントリーが出資者に加わり、40%の株式を占めるようになりました。」
8/24 Fri. 『まこわやさしいか』
朝: 私はコーヒーだけ。
コーヒー
ヨーグルト 自家製青梅ジャム ㋕
林檎
バナナ
昼:
茄子の煮浸し ㋳
おにぎらず(雑穀米) 海苔、雑魚椎茸昆布、明太子、胡麻おかか、一休寺納豆 ㋻㋚㋕㋛㋙㋮ ㋑
香の物 胡瓜の浅漬、沢庵、メロン漬 ㋳
アサリのお味噌汁 葱 ㋚㋮㋳
おやつ:
新潟の桃
黄味餡饅頭「天平の香」 ㋮
お薄
パピヨ
アイス・オー・レ ㋕
夜: 休肝日。
南瓜のポタージュ 玉葱、豆乳、根昆布粉 ㋑㋳㋮㋻
海老蒸し餃子 ㋚㋳
炒飯 叉焼、玉葱、エノキ、卵 ㋳㋛
山梨産 シャイン・マスカット ()
藤稔 ()