蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

若者の活力  (bon)

2017-10-06 | 科学・生物

 ドタバタ劇のような解散・総選挙がもうすぐ始まります。これでは、投票しようという
強い関心も生まれないのではないか・・それでなくても国民の政治離れがじわじわと増大
しているのではないでしょうか。 選挙権が18歳以上に引き下げられ、すこしはその効果
もあるのかもしれませんが、はて、投票率はどのようになるでしょうか? それとも新党の
旗揚げで投票率は上昇するのでしょうか?

 選挙の話をしようとしているのではありません。先ごろの読売新聞(2017.9.17)一面の
「地球を読む」で、“過激思想の台頭”“独立の精神を保つ風土”を論じた 猪木武徳氏
(大阪大学名誉教授)の記事を読んで、少なからず共鳴するところがありました。
 それで、浅学菲才を顧みず、これまでにいくつか断片的な自身の体験にも思いを寄せな
がら、少しご紹介をさせていただきました。

      一昨日の 中秋の名月(本題と関係ありません。)
  

                  (10月4日午後8時頃ベランダより)


 昔は、歳若くして立派な偉人を輩出していました。今日ほど、教育も徹底していなかっ
た(と思う)時代なのに・・。

 たとえば、坂本龍馬を始めとした尊王の志士たち。龍馬は25~6歳で既に勤王党で活躍
していますし、維新に向けた高杉(晋作)、そして伊藤博文、山形有朋など松下村塾門下
生は当時まだ10代か20歳そこそこの若さですし、開塾した松陰もまだ27歳という若さで
した。
 かって、岩手県に旅行した時、原敬記念館で見た「原敬日記」の開かれたそのページは、
御年27歳での国を憂いた内容で、その文章が圧力に満ちていたような印象が残っています。
この人は、後に平民宰相と呼ばれるに至るのです。

 

 新聞記事筆者の猪木氏の記事冒頭部分に、『学部学生は概して繊細で真面目だが、教室
でも進んで質問をしようとはしない 控えめな態度の若者たちであった。』とあり、『高校
生にはまだ、知的エネルギーを感じる』と書かれていますが、私の感じでは、もはや高校
生でさえ積極的な発言をする人たちが大変少ないように思えるのです。 昔では、腕白な
中学生でさえ、今は何やら大人びているように感じます。
 また、スポーツ選手は、抜きんでている人は別として、その種類を問わず、公では大体
無口で、そのスポーツ以外にはまったく無関心を装うのです。彼らを前に話しても、ただ
シラケルこともあった経験があります。

 氏は、教育にも問題があるのではとの指摘があり、『むしろ、学生を実社会ですぐ役に
立つようにと 同じ型にはめ、自由な問や考えを閉ざそうとする実用重視の傾向に一因が
あるように思う』、『すぐに役立つことは、やがて役に立たなくなる。考えさせると言っ
ても、結局同じように考えさせるための鋳型にはめてしまおうとして、若者の活力を奪っ
てはいないか』、『多数の人から逸脱することを恐れさせるような教育が、暗黙の裡に
行われているのではないか?』

 頷けるところです。自分が発言したり質問したりした時、その内容が皆に受け入れられ
るだろうか? 受け入れられなかったらどうしよう。マズイ結果になるのではないか?
そんな思いが足を引っ張って、穏やかな(リスクの無い)何もしないことを選んでしまう
のかもしれません。

 蓼科農園での談話の中である時 誰かが言いていた、“サッカーで、シュートをすれば
よいポジションにいながらシュートをしないで誰かにパスしてしまう選手がいる。とんで
もないことだ。”  これなども、自分がシュートして、もし外したらどうしよう・・と
いうような目立たない消極的な選択をしているのかもしれませんね。チームで試合してい
るのに・・。

      ホトトギスが咲いてきました。
        

          (こちらも本題と関係ありません。)

 

 とにかく気概のある独自・独立の精神に支えられた言動・行動する若者がもっと増えて
ほしい。 そうでないとしたら、このままどんどんと付和雷同?型が増え、大きなミスは
無いかもしれないが、つまるところみんな同じようなツルツルの社会になって、何かの、
誰かの極端なイデオロギーが出て来ると瞬く間に染まってしまうのではないかと危惧する
のです。

 近年、あちこちに見られる“ポピュリズム”の台頭も、つまるところ経済不況下で既成
政党の無力さが明らかになると、それに対する批判の集団が形成され大衆化してしまうの
でしょう。
 氏が総括しているように『その社会に、言論・思想の自由を実践できる気概があるかど
うかが重要だ』、『独立した精神を保持しようとする風土があるかどうかだ。』と。

 教育の無償化、全世代型社会保障等のスローガンは、未来の日本に向けて全く本質では
ないのですね。

 

 

 

 

 

 

 


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