蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

平成時代  (bon)

2019-04-30 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、4月30日に天皇陛下は退位されます。 天皇の退位は、江戸時代の光格天皇以来
約200年ぶり、憲政史で初めてということなんです。

 平成の時代が終わるにあたって、この30年を振り返って見ました。 ここでは、新聞・
テレビと違って、もっと身近な生活レベルの実感を私なりに列記してみました。

       

 私の会社時代で、初めて営業部門に配属された翌年に「平成」となり、業務上にも少し
変化がありましたので、この時の記憶は鮮明に残っています。 会社人生は既に20数年を
過ぎていましたが、まだまだ大いに羽ばたいていたようで、その5年後には退職して、子
会社に勤務した後も、新しい内容の仕事を自由に推進したり、なんの、現役そのもので
あったようでした。

 平成12年には、系列の会社から離れて、独自に選択した商社と外資系の会社で新しい
経験を少しして、その後は、ネット社会を見据えてセキュリティ関連のベンチャ企業で
悪戦苦闘したりしていましたが、五木寛之の『下山の思想』に似た日常を辿っていたよう
な感じがしています。

 完全に会社というか、業務的に社会と繋がることは無くなって、既に10年が過ぎてしま
いました。 平成の30年は、10年が元の会社関連、 次の10年は1人舞台、 残る10年はサン
デー毎日で後期高齢進行中です。

     
           


 つまらぬ話で申し訳ありませんでした。
 生活レベルの平成時代推移を思いつくまま列記してみました。(H元年 →H31年)

・人口:1億2361万人(H2) →1億2623万人(H31) H20頃がピークで1億2810万人

・高齢化率(65才以上割合) 12.1% →28.9%(高齢化が急速に進む)

・平均寿命 男75.9才、女81.9才 →男81.3才、女87.6才(大幅に伸びる)

・消費者物価指数 105~110ポイント →105~110ポイント(あまり変化なし)

・為替(ドル円レート)プラザ合意(1985年)直前240円 H7年4月79円75銭→107~110円

・株価(日経平均) 3万8900円 →1万9561円(H31.1.4) 現在2万2258円(終値)

・大学初任給(男性)16万900円 →21万100円

・電車代(山手線1区間)130円 →140円

・タクシー(初乗り) 470円 (H26 730円) →410円

・百貨店売上高(衣料品)6兆円 →3.8兆円 (別の店、通販にながれる?)

・郵便料金 封書62円 →82円  ハガキ41円 →62円

・電話料金 東京大阪3分間 330円 →80円

・電気料金 (~120kwh 1kwhあたり)17.8円 →19.52円

・非正規社員 20% →40%

 世界時価総額ランキング比較(ネットより) 現在では、トヨタ自動車が35位で1社のみ)

 (ピンク色が日本企業です。平成元年当時の日本は凄かったんですね。)

 

 平成という時代は、日本が参戦する戦争はありませんでしたが、未曽有の自然災害が
多発し、中でも巨大地震による災害が列島各地で発生しました。ゲリラ豪雨による被害も
頻発するようになった気がします。地下鉄サリン事件もありました。
 経済面では、バブル経済の崩壊やリーマンショックなどなどの大きな試練もありました。
一方ICTの急激な進展により、インターネット、スマホなどにより生活環境が大きく変わっ
てきました。

 この先、あすから『令和』に入りますが、地球的には何も変わるところはありませんが、
どうぞ安定した、平穏な地球でありますことを願ってやみません。そのためには何を成す
べきか? が真に問われる時代となるでしょう。

 

 

 

 

 

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しがむ  (bon)

2019-04-28 | 日々雑感、散策、旅行

  まぁ、どうでも良いことですが、ものを食べたり飲んだりする時の食べ方、飲み方?に
色々とその状況に応じた言葉があります。    普通は、「噛む」、「飲む」、「吸う」、
「舐める」でそれらが表されますが、同じ噛む でも噛み方の違いを表現して、「しがむ」
などがあります。

 Goo辞典などを参考に見てみました。

 ・しが・む×噛む】 [動マ五(四)]くりかえし強くかむ。かみしめる。
  「酒の肴にスルメをーむ」 「さとうきびをーむ」

 とありましたが、ウイキペディアで「かむ」を引いてみますと、嚙む噛む咬む
嚼む咀む など(かむ)。ただし「噛」は「嚙」の俗字。なお「嚙 (噛)」の本来の訓は
「かじる」。
   ・咬合 - 上下の歯を合わせること。
   ・咀嚼 - 食べ物を噛み砕くこと。
と解説されていました。

       (ネット画像より)

  漢字で書くと、しがむ も かむ も同じなんですね。 そして、本来の訓読みでは、
かじる だと言いますから、ちょっとややこしいですね。

 しかし、元の意味にあるように、「繰り返し強くかむ」や「かみしめる」では「しがむ
の雰囲気は出てこないですね。
 ネットでは、「しがむ」は、方言で、特に関西方言、京ことば などが出てきましたが、
中には北海道方言だという説もありました。「しがむ」を、標準語でどのように言うので
しょう?

 ・すす・る [×啜る][動ラ五(四)]
  1 液状のものを吸い込むようにして口の中に入れる。「かゆを―・る」「茶を―・る」  
  2 垂れた涙や鼻汁を息とともに吸い込む。「洟 (はな) を―・る」

 お茶を「飲む」のではなく「すする」は、何ともその情景が表されているように感じま
すね。ジュースなどは、すすることはありませんから、おかゆ とか お茶などの熱いもの
を飲むような時の仕草なのかもしれません。

         (ネット画像より)

 ・しゃぶ・る [動ラ五(四)] 口の中に入れて舐めたり、吸ったりする。 
  「飴(あめ)をー・る」 「指をー・る」

 「なめる」は、舌先でちょっとさわって 物の表面をぬらしたり、味わったりしてみる
意味。 また、「辛酸をなめる(=つらい思いを味わう)」「相手をなめる(=相手をみく
びる)」「猛火が地をなめる(=火が一面にはう)」のような、比喩(ひゆ)的用法も多い。
「嘗める」とも書く。
 一方、「しゃぶる」は、口の中に物を入れてなめたり、吸ったりを繰り返す動作をいう。
とあり、ちょっとニュアンスが異なっているんですね。

 そして、なめる、しゃぶる を対比した面白い記述がありました。

 

指を…

砂糖を…

あめ玉を…

骨まで…

なめる

しゃぶる

  

 また、「食べる」「飲む」「舐める」などの擬態語、擬音語をひろってみましたら、
結構いろいろと面白い表現があることがわかります。

 パクパク がつがつ もりもり むしゃむしゃ もぐもぐ がりがり ポリポリ 
バリバリ ちびちび グイグイ ごくごく がぶがぶ ぺろぺろ つるつる・・


 外国語などでは、これらの表現はおそらく、~のように食べる とか ~のように飲む
などと、その状況に似た形容を使って言い表すのかもしれませんが、日本語の言い表し方
の多彩で奥深さの一面を見たような気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

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畑開き’19  (bon)

2019-04-26 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年、16回目の「畑開き」でした。 4月22~25日のお天気は、変化の激しい4日間でし
た。初日~2日目は初夏の陽気で暑く、沿道の桜は今が満開、畑の梅も同時に咲いていま
した。 3日目は。小雨から本降りになり冬逆戻り、帰る日も愚図ついて、やや寒い朝か
ら午後には気温も上がり蒸し暑い・・そんな状態でした。

八ヶ岳(赤岳を見る角度から)       畑でのテント張り
 

マルチ剥がしなど            芋がら枯れ枝の焼却
 

 前回(4/10~13)は、大雪で積雪のため、畑開きの準備・・マルチ剥がし、防草シート
の除去、芋がら・枯れ枝の焼却等の作業が出来なかったため、今回の日程の中で、大急ぎ
で済ませる必要がありました。
 つまり、2日目の午後4時に、大型トラクターによる畑の
掘り返し、整地の作業を依頼していたからです。

灰・糠の散布                           お茶タイム 
 


 ホッと一息ついて、お茶タイムしていた時、ドッ・ドッ・ドッと低いエンジンの音が
遠くに聞こえ、ほどなく大きな赤い顔が出てきました。 うまい具合に間に合いました。
 みるみる畑は、見違えるようにきれいに掘り返され黒々としたフカフカの状態になって
行くのでした。

         大型トラクターの掘り返し         
  

               見事に整地されました
                 

 いつもお世話になっている温泉「縄文の湯」は、今週一杯休業でしたので、少し離れた
芹が沢にある「河童の湯」に行きました。 途中、大きな満開の桜を眺め、少し熱めの
お湯に浸かる時、汗した身体が、じわ~とほぐれてくる瞬間を味わうのでした。


 翌朝(3日目)は、朝いち、畝間隔の設定、手押し耕運機による畝つくり、施肥・・と
一連の作業を終えていよいよマルチ掛け、防草シートの敷設をして、今回の最終目標で
あるジャガイモ、サトイモの植え付けを完了しなければなりません。

手押し耕運機で畝つくり始まる       ジャガイモの芽分割 
 

 小雨が降ったり止んだりの中、急ぐ気持ちを抑えながら、マルチ、防草シートのセット
敷設は、結構難しい、幅調整があったり、風にあおられ 難航しながらの作業でした。 
 ジャガイモ(200個)、サトイモ(100個)を植え付ける時には、本降り状態での作業と
なり、簡易な雨具では中まで沁み通ってしまいました。 懐かしい“どろんこ遊び”の
感覚でした。

        雨の中の植え付け

         

 それでも、無事 予定の作業(イモ類を植え付ける)を終えることが出来ました。もう、
6時が来ていました。
 身体は濡れて冷えていましたが、“どろんこ”では、温泉には行けず、そのままK邸で
シャワーを浴びてスッキリし、ようやく達成感が湧いてきました。 それでも。テントや
農機具などの片付けは、最終日回しとなりました。

完成した蓼科農園            頑張りました
 

 密な作業の「畑開き」でしたが、無事に終わり、今シーズンの実質スタートが切れま
した。 次回、5月下旬の「大合宿」には、黒マルチから、ジャガイモ、サトイモの若い
芽が、顔を覗かせていることを期待して、蓼科農園を後にしました。

 

 お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。( 3‛15”)




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アザレア  (bon)

2019-04-22 | 日々雑感、散策、旅行

 昼間、少し動くと汗ばむ陽気になりました。
  ベランダの花置きの小さな鉢植えですが、いっぱいに、窮屈なくらいに咲いているアザ
レアを取り上げてみました。何ということは無く、ただありふれた花なんですが・・

  ウイキペディアには、アザレア(Azalea)は、ツツジ科ツツジ属に分類されるツツジだと
あります。 もともと、台湾のタイワンツツジをベルギーで、ケラマツツジ、サツキの園芸
品種などと複雑に交雑させて園芸品種として出来たものだそうです。これが明治頃に日本に
輸入されて通称「アザレア」と呼んでいるのだそうです。

 海外では、元来ツツジ類を単にAzaleaと呼んでいるので、ここで取り上げたアザレアは、
厳密に言えば、ベルギー・アザレア(Belgian Hybrid Azalea)となるのだそうです。

      花置きの、真っ赤なアザレア
       

 

『 常緑性の低木で、葉は厚みを持ち、毛がある。形は倒披針形で両端が尖る(先端は はっ
きりとは尖らない)。花は5弁の合弁花で、花色はピンク・赤・白などさまざまで八重咲き
も多い。開花は春(4~5月頃)。』とありました。

 

 小振りな株の割に、大きな花をつけるアザレアは、ラテン語のazaleosアザロスから来て
いて、これは「乾燥した」が語源で、アザレアは、乾燥した土地を好むことに由来している
という。 別名として、ベルジアンアザレア、オランダツツジ、西洋ツツジなどが挙げられ
ています。

 花言葉は、赤:節制、禁酒、白:あなたに愛されて幸せ、充足、満ち足りた心、ピンク:
青春の喜び など、で、贈り物には、白が良いとか・・。

 

 ついでに、今の季節、ベランダでは、第1弾のスイセン、レンギョウ、ボケ、陽光ざくら
・・に続いて、第2弾で、ムスカリ全開、ハナモモ、クンシラン、ソメイヨシノ(公園)
などの後に、ベランダでは、上のアザレアの他、白いハナミズキ、カピタンとジュウニヒト
エなどが出揃ってきました。

 ハナミズキ                カピタン
 

 ハナミズキは、赤い花の方が、今年は、新芽が出て来るだけで、花は、お休みのようです。 

ジュウニヒトエ                  フリージア
 

 

 春本番はあっという間に過ぎて、いよいよ初夏に入るのでしょう。

 今日この後、今年2度目の蓼科農園に行ってきます。 前回は、積雪で殆ど畑に手が入って
いませんので、大忙しの畑開きとなりそうです。 頑張って来ま~す!


The Unchained Melody - London Symphony Orchestra

 

 

 

 

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戦友との飲み会’19

2019-04-20 | 日々雑感、散策、旅行

 もうこれで、10年も続いている、懐かしい会の一つが、今年も昨日(4/19)、1年ぶりに、
いつもの会場(有楽町、過門香 點 )でありました。

 平成2年に、当時の会社営業の組織として新しく発足した SI(システムインテグレーショ
ン)技術部のチャーターメンバーの集まりなんです。
 メンバーは、それまで営業には殆ど未経験ではありましたが、当時の会社営業の重要な
役割を果たす“先兵”として、試行錯誤しながら日本を代表する起業群への情報システム化
移行への重大な任務を背負っているとの自覚を持って取り組んでいたようでした。
 自発的、積極的な企業情報の収集と分析にチャレンジし、新しい発想で客先に対応する
ことが、当時、かえって新鮮な提案としてお客様にも好意的に受け入れられていたように
思います。

 JR有楽町駅               交通会館
 


 メンバーは、誰もが真っ白なカンヴァスに、自らが道を作りながら進行する日常は、これ
までの会社文化とは異質の体験で、苦労、失敗はありましたが、その分やりがい、達成感を
得ながら、充実した日々であったとの想い出が残っています。

 今年もこの会に、遠く 札幌、岩手、和歌山からの参加の他、現在も現役で多忙を究めて
いる人たちが一堂に会し、ひととき、相互になつかしみ とともに新しい息吹を交換し合っ
たのでした。

 楽しい懇談 
             

        全員で
               


 当時から、年齢は平等に30年プラスされている今も、そんなことは全く感じることなく、
昔のまゝにタイムスリップしていました。
 ただ、やはり体調的には、相応の衰えは否めませんが、リタイヤ組も、各々趣味の世界で
リーダ的存在で活躍されているのです。

 楽しい時間は、瞬く間に過ぎてしまいます。
 幹事さんのお声掛けに感謝して、心を残しながら、お開きとなりました。 
 今年もありがとうございました。


        有明けの満月(翌日朝5時頃南西の空に・・)
               


 メンバーのYさんが、投稿した、NHKラジオ第1(8:05~9;55)の「石丸謙二郎の山カフェ」を聞いていた時、
9:30頃に一瞬、“・・山形地方の機関車のバックの山々、これをカムロ連峰という・・”がそうだったか? 
と思いましたが、投稿者の名前を聞き漏らしてしまいました。「らじるらじる」の、再放送(過去の放送)で
確認することとしました。

 

 

クワイ河マーチ (ミッチ・ミラー楽団)

 

 

 

 

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新宿御苑  (bon)

2019-04-18 | 科学・生物

 ちょっと前のソメイヨシノに代わって、街は雲のようにふんわり浮かんでいるような
ハナミズキの紅、白の美しい花々で演出されました。

 そんな爽やかな季節の新宿御苑に、ランチの会は来ました(昨日4/17)。
 このメンバーで集まるのは、昨年12月初でしたから、足掛け5か月ぶりとなりました。 
お昼少し前に、地下鉄新宿御苑前駅の待ち合わせで、近くのホテルにてランチを済ませて、
御苑の散策へと行動を移し、ランチョントークの続きをしながら苑内巡りとなりました。
 水曜日でしたが人出は、さすが・・という感じで、外国の人達も多く見かけました。

 ランチも済んで・・            酸素飽和度測定
  

 

 酸素飽和度測定とは、メンバーの一人が、最近、医者からの処置を受けていて、簡易測
定器(パルスオキシメータ)を持参していて、指に当てて1分ほどの測定。 血液中にどの
程度の酸素が含まれているかを、指の動脈中のヘモグロビンの何%が酸素を運んでいるか
の測定により判断しているのだとか。96%以上が正常値だそうですが、私は丁度96で、危
ないところでした。 他のメンバーには、98の人が2人いました。

 八重桜の下で・・             新緑の苑内
 

 

        中央休憩所にて 
 

     

       八重桜
       

 休憩所でお茶しながら、最近、ドバイに旅行した人、エジプトに旅行した人からのみやげ
話に花が咲き、2時間近く話題が続いたのでした。 50年前にオイルが出て、変身を遂げて
いるドバイと、5000年も前に国家を形成し、高度な文明を発達させたエジプトとの好対称の
2国をお盆に載せた話題は、とても限が見えない感じで、気がつくと周りの人影が少なくなっ
ていたのでした。

 さらに、ノートルダム大聖堂火災、ドコモの通信料金割引、4Kテレビなどの同時録画機構、
カメラ談義・・と、いつものように、話題は広がり、興味ある知識の伝授もあり、今回も
楽しい時間であったことに納得し、幹事さんの企画に改めて感謝して、お別れとなりました。

 

 

 

 

 

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英語  (bon)

2019-04-16 | 日々雑感、散策、旅行

      パリのノートルダム大聖堂の燃え盛る映像が流れました。今から800ほど前に
       建てられた、世界文化遺産でもあるあの有名な寺院が燃えている。 鎌倉時代の
       初め頃に建てられた文化遺産が無くなってしまいました。
       Notre-Dame(私たちの貴婦人)は、聖母マリアのことを指しているのですね。


 来年(2020年)から、小学5~6年生で英語が“教科”として導入され、成績が付くよう
になるとかで、中学での英語授業は“オール英語”つまり日本語なしとなるそうです。
 これを受けて、すでに、小学校5~6年を対象に、体験型英語教育が実施されているとこ
ろもあるとか。 結構なことですが、先生やその他の環境づくりは大丈夫なんでしょうか?

 

 私らの時は、中学からで、教科書は“Jack and Betty”でした。
今更、私の過去がどうのって、全く意味がありませんし、書くことも憚られますが、長年
チャレンジしてきた割には、英語というか外国語にいつも振り落されて来たことが想い出
されてきました。

      こんな教科書だったかな~?
       (ネット画像より)

 高校1年の最初の試験(中間試験)だったと思いますが、風邪を引いて何もしないまま
テストを受けましたので、この時の英語のテストの結果が、確か、36点だったとかで、
父兄参観の時、おふくろに、当時の担任O先生から、注意されたのでした。

 早速、英語の家庭教師が週2日、来るようになって、教科書には触れず、もっぱら英作文
中心でしたね。 それも、2年生になって家庭教師は来なくなりました。代わって、毎日、
夜の11時からのラジオ英語講座(三省堂提供、朝日放送だった?)を、2年、3年と続け、
講師の先生がたが妙に親しく感じられた思いがあります。 そんなこんなで、いわゆる
受験英語は、苦手ではなくなっていました。

 大学では、ドイツ語を選択し、教科書、副読本など授業をこなす程度で、何事もなく
終わりましたが、ドイツ語が殆ど身に付いた感じはありませんでしたね。  それより、
せめて英語! などと思っていたのでしょう、街の、英会話教室には、何度かチャレンジ
しては 挫折を繰り返していたようです。
 友達と誘い合わせて購入した、100回受講できる割引回数券も、半分もこなさないうちに
頓挫している有様でした。 その国に行けば、小さな子供だって普通にしゃべっているの
に・・。

 入社直後は、いわゆる残業などの意識は全くなく、学生気質がまだ残っていたようです。
終業後、御茶ノ水にある「アテネ・フランセ」に週3回通いましたね。今度はフランス語
にしました。教室では、日本語なしの授業で、講師の中でニットウエアの“マダム・コル
テス”(コルテス婦人)の授業が一番気に入っていましたが、“Venez ici, s’il vous
plait !”とよく呼び出されていました。その内仕事の方もわかって来て、フランス語の
方は半年くらいで止めてしまいました。

      アテネ・フランセ
       (HPより)

 

 何年かが過ぎて、会社では、開発の仕事の責任者として、かなり入れ込んでいて、語学
などとはすっかり縁が無くなっていた頃、会社から、“日米会話学院”に行かないか・・
と指名され、週5日(毎日)夕方6時から3時間の英会話学校に入りました(費用は会社)。

 費用負担なしで、ナントありがたいことか・・と見えますが、本人にしてみれば、今頃、
忘れていた頃に、そして、仕事面で、英語どころではない大事な局面でしたから、困った
状態のまゝ、四谷会話い に通うことになりました。 会社では、夕方6時は、席を空ける
にも憚れる時間帯ですし、おまけに毎日ですから・・結局は、会話の方も欠席がちになるし、
仕事メンバーにも迷惑がかかるし、どっちつかずのまゝ・・それでも半年が過ぎました。

      日米会話学院
       (HPより)

 

 会話教室は30人ほどのクラスでしたが、私は、年齢がかなり上でしたので、“クラス委
員”に指名されたりして、それなりに、頑張っていたようでした。 会話の勉強のほうは、
いまいちでしたが、学校が終ると、数人で、四谷界隈のお店に行ったり、ある時は、横浜
にある会社の宿泊施設で、1泊学外 英語教室を企画して、先生初め10数人で出かけたこと
があったり、楽しんでいたのかもしれません。

 欠席がちのまゝ、半年で、ここも止めることになりましたが、直前に会社から、2週間の
“アメリカに技術調査に行け”との命が下りました。
 会話学校のネイティブ先生に、この話をした時の回答を今でもはっきりと覚えています。
『仕事以外で、人とトラブルにあった場合、20ドル紙幣をたたきつけて、さっさと逃げる
ことだ!』

 1ドル300円位の時でした。始めての外国でしたが、日米会話学校でのネイティブ先生など
との経験が、言葉以上に勇気と(くそ)度胸となって役だったように思います。
 その後、3~4年経って、また別の先端技術の開発を担当している頃に、今度はヨーロッパ
の技術調査やドイツとの技術交流などに何度か出かけたり、その内、担当する技術の国際
標準規約制定にジュネーブでの会議にも何度か行くことになりました。

 国際会議では、討論や検討は会議室でしますが、資料交換箱(pigeon-box)に入る膨大な
量の資料を検討して、すぐさま意見表明をペーパーにして投函する・・こんな作業に追われ
どうしで疲れますが、これらは、読んだり書いたりですから良いのですが、やはり発言と
なるとかなり見劣りしますし、迫力もないと思います。 で、いわゆるロビー活動?よろ
しく、同じ意見の英語圏の出席者と十分議論して、その時の助っ人になってもらうべく、
対応したりしました。

 会議で、発言のために手を挙げて、意見を述べます。たどたどしながら、趣旨を説明して
いると、しかるべき助っ人が、“彼が言いたいのは、これこれしかじか・・”と、雄弁に
まくし立ててくれたりして大いに助かったのでした。

 仕事面では、技術用語など、英語がそのものであることが多く、討論の中身も大体想像
できるので何とかなってきた(と思っている)のですが、ある時、調査で企業訪問した時、
ディナーに招待されて、先方は夫人同伴でこられ、隣席の夫人との会話に並行したことが
ありました。
 恐らく先方ご婦人も、閉口されたのではと思いますが、会話の中身が、まるで、弾まな
い・・というか、日常の生活や文化、歴史など、皆目会話にならなかったのです。
 目の前の、魚や野菜、果物の類も、うまく言えないし、日本のことを聞かれても、満足
に応えられなかたのでした。 まるきり、小学生みたいだったのでしょうね。

 

  

 高校3年の音楽で私が選んで、先生のピアノ伴奏で歌った曲

Pretend Nat King Cole

 

 

 

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雪の蓼科農園  (bon)

2019-04-14 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年初めての蓼科農園「畑開き準備」は、4月10日~13日でした。 10日の朝、東京を
出発時点では、夜来の雨で、しっかりと降っていましたが、中央道、八王子を過ぎたあた
りから雪に変わり、視界が閉ざされ、一面冬景色の中を、一路蓼科に向かいました。

       雪の中央道
        

 

  いつもは、平地ではこの時期、すでに雪などはなく、遅めの桜が歓迎してくれているの
ですが、今回は、思はぬ雪の中で、K邸も雪に埋もれた格好で、ピリッと頬をさす冷気は、
まるでスキー場にいるような錯覚で、美しい雪景色を眺めていました。

       K邸も雪の中
        

 

 雪は、30㎝ほど積もっていて、さわるとふわっと新雪で、昨夜あたりから降り積もった、
突然の“冬戻り”の仕業だとすぐにわかりました。 様変わりの景色は、ある面、楽しみ
もありましたが、肝心の予定の作業は出来ませんでした。
 雨なら、止めば作業可能ですが、雪は、影響が後まで継続するので、全くのお手上げ
状態でした。

 雪の中でも足場を気にしながら出来る、K邸の木の枝掃いや 枯れかけた白樺などを伐採
したりの作業と、畑では、タマネギ、ニンニクに 液肥を散布する程度で、いつもよりゆっ
たりと温泉(縄文の湯)三昧となってしまい、イマイチ達成感には至りませんでした。

K邸での作業               畑での肥料散布
 


 そんな状況でしたが、慣れない雪の中の作業などで、疲れを覚え、帰宅後は早々に横に
なり眠ってしまいました。

      蓼科農園(いつもの角度から撮影)
        

 

 道中は車移動でしたから、視界の悪い雪の高速道の走行、タイヤは、まさか冬タイヤ
ではないので、高速道を出てから、畑への一般道の道路状態を気にしながらの走行でした。
 幸い、別荘地内道路も除雪が行き届いていて、結果的には大丈夫でしたが、K邸内への
エントランスでは、チェーンを巻く必要がありました。 そのような状況の中でもベテラン
Sさんの運転はみんなに安心感を与えていました。

       帰る日は晴れました。美しい冠雪の八ヶ岳と一緒に・・
        


 お待たせしました。雪景色の蓼科農園のオートスライドです。(約4分)




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脳を活性化する  (bon)

2019-04-10 | 日々雑感、散策、旅行

 脳を活性化する・・などと、構えていますが、なんの、元より医学的知識のない身です
から、健康冊子などからの受け売りですが、“ぼーっと生きて叱られないために”少しでも
前向きにということで、いまさら ですが、身近なところを拾ってみました。

 冊子記事は、築山節(つきやまたかし)氏(公益財団法人河野臨床医学研究所付属北品川
クリニック・予防医学センター所長、医学博士)の解説がまとめられたもので、これからの
引用と、ネット記事などを参考としました。

 もの忘れ と ボケ(認知症)が、よく気になる事があります。 物忘れがひどくなって
きた・・ひょっとして認知症の始まりかも? と心配になる事があります。 確かに脳は、
40歳あたりをピークに、加齢とともに衰えて来るようですが、もの忘れの原因は、これら
脳の衰えだけではなく、脳の一つの働きから来ているともいえるとあります。

       (ネット画像より)

 例えば、俳優の名前がすぐに出てこなくなった・・でもこれは、生活に何の支障もない
から、脳は 必要のないことだと判断しているのですね。 また、最近では、電話番号は、
ケイタイが覚えているし、パソコンでは漢字変換してくれるし、インターネットで何でも
分かる・・から、脳を使う機会が奪われているのです。 脳は、いろんなことをさせられる
方が、働きが良くなるのだとあります。 面倒くさい・・と思うことほど脳は若がえるのだ
そうです。

 偏食や、睡眠不足など不摂生案生活や過度のストレスが続くと脳はフリーズしてしまう
そうですから、やはり良い習慣というのは、何物にも良いのですね。

 人生を長く続けていると、さまざまな情報を脳に蓄積していますから、脳の記憶容量が
満タンになり、すぐに思い出せないことがあったり、用があって移動したのに、“あれ?
何しに来たのか?”ということもありますが、移動の途中にもっと大事なことを考えたのが
その理由の一つであるようです。

        (ネット画像より)


 「ボケ」と「もの忘れ」の違いは、“やったこと自体を覚えているかどうか”だそうで
す。 昨晩のご飯は、何を食べたか?を忘れるのは「もの忘れ」。 食べたこと自体を
忘れるのは「ボケ」だそうです。

        

 冊子の最後に、『ま、ご、た、ち、は、や、さ、し、い』とありました。ま=豆類、
ご=ごま、た=卵。ち=乳製品、は=ワカメなど海藻類、や=野菜、さ=魚、し=シイタケ
などキノコ類、い=イモ類  で、脳を活性化し元気にする食材とありました。

 安心して、正しい生活を楽しみましょう。

        (ネット画像より)

 

  今日はこの後すぐに、今年最初の蓼科農園に行ってきま~す。
   蓼科は寒いでしょうね。


youtubeにこんなのがありました。

 

 

 

 

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春のベランダ '19 つづき  (bon)

2019-04-08 | 日々雑感、散策、旅行

           統一地方選挙前半の結果が出ました。 それぞれの地域で、悲喜こもごもの
            ようですが、大阪都構想を掲げたダブル選挙は、反対派の追随を振り切った形に
            終わりました。 
この後どのように展開されるか注目されるところです。
      関東での投票率は過去最低だったようです。

 

 よそのベランダのことなんか“知っちゃいない”ですけど、前回(3/27)にアップし
て、まだ2週間と経たないのに、春の“足早や”が、花たちによって実感として刻まれま
した。 陽光ざくら はすでに散ってしまいました。

 10日前にはまだつぼみだった ハナモモ は、今を盛りと純白の花がこぼれそうです。

       ハナモモ
        

 

 あのムスカリは、背が伸びて小さなツボを逆さにしたような花が連なって、ひょうきん
な感じでかわいいです。 ムスカリは、ツルボ亜科ムスカリ属の植物で種類は多いとあり
ました。花言葉
は、寛大なる愛、明るい未来。

       ムスカリ
        

 

 盆栽仕立てのツツジは、花や蕾が付きすぎて、かえってグロテスクな感じになり、花も
ほどほどが良いようです。 前回の 出猩々 は、紅い葉っぱがいっぱいに広がっています。

       花置きの ツツジ
        

 

 秋になって甘い香りを振りまくキンモクセイには、新芽が伸びてきています。

       キンモクセイ
              
              

 

 クンシランの花も揃いました。株は大きく複数育って元気ですが、花は一房だけでした。 
このクンシランは、蓼科仲間だった 今は亡き Hさんから8年前にいただいたものです。

       クンシラン
              

 

 前回のヒヤシンスは枯れましたが、スイセンは、まだ元気に咲いています。 モミジは、
冬の間枯れていたようでしたが、その枝にたくさんの淡い緑色の新芽が初々しく伸びて
います。 言葉も動作もない植物もちゃんと季節を理解しているのですね。

 

       窓から見る公園のさくら
              

 この公園の手前は、昨年まで市民農園として、私もその1区画を借りていましたが、
今は整地され、ここに集合住宅が建設されるため、来年は、我が家の窓からこの写真の
ような桜を見ることはできなくなります。

 

 

Landing Tokyo | B777 Cockpit View 4K

 

 

 

 

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岩  (bon)

2019-04-06 | 日々雑感、散策、旅行

 いきなり「岩」で恐縮ですが・・「岩」なんですね~。 

 昨日(4/5)、はやぶさ2は、小惑星リュウグウに金属塊を衝突させて、人工クレーター
を作るのに成功したと発表がありました。小惑星の地表内面からの試料を採取して、地球
よりはるかに若い惑星の地表内部を分析して、太陽系の成り立ちに迫る・・としています。


 25億年前の岩について、少し前の読売新聞(2019.3.26) 社会面に取り上げられていま
して、興味がありましたので記事を保存していました。 また、yahooニュースにも掲載
されていました。

 記事では、『国内最古25億年前の岩』とあり、広島大理学研究科、早坂康隆准教授らの
研究グループが発表したもので、島根県津和野町で発見されたのです。
 これは、中国大陸付近にある17億~36億年前の地殻から断層の活動によって移動して来た
と見られています。 つまり、日本列島が今の形になる過程を解明する上で貴重な資料だと
いうのです。

      日本最古25億年前の岩
        (jiji.comより)

 この岩は、マグマが地下深く冷えて固まった後、熱などで変成してできた『花崗片麻岩』
というそうです。 で、2017年に、岩の一部を採取して微量に含まれるウランや鉛などの
成分比率から年代を測定したのだそうです。
 グループは以前から、京都府から岡山、広島を通り島根県津和野町を先端とする地層の
連なり「舞鶴帯」(紀伊半島、四国を横断する中央構造線と並行)で、大規模な横ずれ断層
の運動があったと仮説を立てて10年以上調査を続けてきたという。すごいことなんですね!

 これまでは、同県・隠岐島で見つかった18億5000万年前の岩が最古とされてきて
いました。

 

 かって、当ブログにも、「この地球」(2016.1.20)や「生物の歴史」(2016.2.17)に
地球の成り立ちみたいな側面について記事アップしています。
 ここでは、宇宙が出来て(137億年前)90億年ほど経った46億年前に地球が出来、その後
40億年後にはゴンドワナ超大陸が出来ていて、さらに、これらが分離・集合を繰り返して
2.5億年前には、パンゲア超大陸になり、5000万年かけて現在の地球の大陸の形が出来たと
ありました。

       パンゲア超大陸 
       (ウイキペディアより)

 

 日本列島は、中国大陸から断層活動などによって、次第にズレて形成されてきたと考え
られるのですね。いずれにしても、パンゲア超大陸よりもはるかに昔の「岩」が、日本の
島根県で発見されたのですから、これはもう超大陸の一部であったということなんでしょう。

     生物の歴史より    
      

      

 テレビの「ぶらタモリ」では、よく断層や地層の話しが出て、その地がなぜ現在その
ような形で発展して来たか、地形がその役割をはたしてきたか等、興味深く解説されて
いますが、地形というのは、このように常に変化し続けて長い年月をかけて形成されて
いるとの実感が湧いてきます。

  はやぶさ2については、当ブログ2019.2.13に記事アップしています。以下のURLです。
https://blog.goo.ne.jp/romantics2010/e/fec25f52b24412bfb14a0f7309f937f6


 


 ちょっと硬いお話でしたので、本題とは無関係ですが・・

 

 

 

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哲学堂  (bon)

2019-04-04 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(4/2)は、友人の案内で中野区立哲学堂公園に行ってきました。
 今年初めてのランチの会でしたが、肌寒い日で、ランチはJR中野駅近くのインド料理店で
軽く済ませ、駅前からバスで哲学堂公園に。 駅前から、中野通りを少し走り、すぐに右折
した道をバスは走りましたが、帰りは、哲学堂からずっと中野通りを駅前まで、さくら並木
の中の綺麗なコースでした。 途中、新井薬師がありますが、ここも桜の見どころで、一面、
さくらさくらしていました。

 哲学堂公園は、妙正寺川のある入り口から、公園内を上るような形で入りました。
 友人は、この2月あたりから、酸素補給のための器具を付けての歩行でしたから、やはり
上り坂は十分に気を配りながらの行動でしたが、なんの! 
元気な姿で言葉数も多く、要領を
得た案内で、ゆっくりと園内を散策しました。

      妙正寺川に沿った施策的な道
          

 園内の広場               なごやかお花見
   


 ここ、哲学堂は、明治37年(1904年)に、哲学者 井上円了(1858~1919年)が、この地に
「四聖堂」を創設し、当初はこれを「哲学堂」と呼んでいたのですが、10年余りかけて次々
と建築物などを整備して今日のような公園を創り上げたというのです。

 井上円了という人は、これより先、大学を卒業後29歳という若さで、本郷に「哲学館」を
創設(1887年)し、『諸学の基礎は哲学にあり』という教育理念を掲げ、後に私立哲学館大
学として、そして1928年には、現在の東洋大学創設に至るのです。

 

 哲学堂公園は、1975年に中野区に移管されましたが、井上円了の『教育的、倫理的、哲学
的精神修養』の場として構成され、数々の聖賢に接することによって、人々に精神修養を促
すことを目的としたと言われています。

 四聖堂は、公園の中心的な建物で、中には、孔子、釈迦、ソクラテス、カントが奉祀され
ているそうです。

      四聖堂(四面とも正面つくり)
       

 六賢台は、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の六賢者が奉られていると
あります。

          六賢台(赤い建物・・その奥は、四聖堂)
       

 その他、哲学的な言葉を付した建物や部分が随所にあり、図書館の「絶対城」、哲学の道
との境の「理外門」などなど 77場が整備されているとあります。

        概念橋
           

 概念とは、一口に“思考対象を客観的に捉えた内容”と言えるかもしれませんが、ここで
の解説に『 思考の大賞についてある判断を形成する際に、その判断に置いて結合されるとこ
ろの意識に顕れるその対象の像、すなわち表象を、主観における表象作用から切り離して捉
える時、その内容を概念という』とありました。

 

 七分咲きの桜を仰ぎ、しっとりとした森に似た 哲学賢人に囲まれた公園を散策するのも、
どこか世情を忘れる瞬間を感じ、落ち着いたひと時を過ごしたのでした。
 華やかなボンボリが付けられた満開近い桜並木の 中野通りをバスでJR中野駅まで戻り、
お茶して本日のお開きとなりました。

 

 

哲学堂七十七場場紹介映像作品(5)

 

 

 

 

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札幌市  (bon)

2019-04-02 | 日々雑感、散策、旅行

        今年も、もう1/4が過ぎ、早や4月に入りました。 新学年、新社会人として、
        イキイキとした若者に、さくら、新緑が歓迎しているようです。
         新しい元号「令和」が発表されました。思えば、昭和、平成で90年以上を
        過ごしたのでした。

 

 突然、「札幌市」ですが、かって若い頃(20代)に住んでいた懐かしさもありましたが、
先ごろ手元に届いた会報別冊に「札幌市の地方創生」(札幌市長 秋元克広氏)と題して、
昨年10月に講演された記録が掲載されていましたので、改めて当時の思いも交えながら、
講演録から俯瞰してみたいと思いました。

 

 明治2年(1869年)に開拓使が設置され「北海道」と命名されて150年になりますが、
1876年(明治9年)に 札幌農学校が開校され、その10年後に北海道庁が設定され、1922年
には札幌市制が施行され、以降 着々と発展してきたのです。

 とくに、昭和30~40年代、石炭産業の衰退で炭鉱閉鎖が相次ぎ、全道から札幌市へ人口
流入し、併せて市町村合併もあり市域が拡大して、昭和45年(1970年)には札幌市の人口
は 100万人を超えたとあります。

     ライラックまつり(5月頃)
      (ネット画像より)

 私が、札幌に転勤しましたのは、昭和41年~3年で、この当時の人口は80~90万人でした
から、人口急増時期だったのですね。 蓼科農園の仲間、Kさんも、この時期に札幌に勤務
されていたそうですので、札幌は道内からの流入だけでなく、“内地”からの転入者も多
かったのかもしれません。

 先のブログ、「さっぽろ雪まつり」(2019.2.3)にも、述べましたが、当時の借り上げ
社宅があった幅広の道路(南郷通り)は未舗装でしたし、暖房は石炭でした。  札幌の
2年目の冬に、同じ職場の年配者にスキーの指導員資格を持つ先輩がおられ、勧められて、
初めてスキー用具一式を購入し、以降、近くの荒井山スキー場で指導を受け、手稲オリン
ピアやニセコひらふスキー場などで楽しめるまでになりましたが、なだらかなゲレンデで
不用意に脚をねじって、右ひざ靭帯損傷で1か月の入院生活も経験しました。

 

 札幌を離れても、入社後最初の現場勤務でしたし、先輩、同僚の皆さんとの想いも印象
深く残り、第2の故郷みたいな感覚でいたのかもしれません。
 1972年(昭和47年)には、冬季オリンピックが開催されましたし、4月には政令指定都市
に移行し、地下鉄が開通するなど 発展の一途をたどり、今では、札幌市の人口は、196.5万
人(平成31.3.1)で、私の勤務していた頃の2倍以上になっているのです。
 北海道全道の人口は、当時 517~8万人で、現在540万人程ですから、全道の人口増加30万
人弱に対して、札幌市のそれは、100万人以上ですから、かなりの集中度であることが分か
ります。

     最近の札幌駅(当時の面影を偲ぶ術はありません)
      (ネット画像より)

 講演録から、『 札幌市の市内総生産は、6.5兆円で、全道に対するシェアは35%超であり、
一方、面積的には北海道の1%ながら、人口と名目総生産では3分の1以上です。』 しかし、
今後、『生産年齢人口が減り、老年人口が増えるので、超高齢社会に対応したまちづくりが
必要です。』と述べられ、地域ブランド力を生かした第3次産業(観光)にも力を入れて行
きたいとされています。
『平成29年の外国人宿泊者数は、北海道全体で270万人超で、うち250万人は札幌市です。』 
『外国人観光客 8人の消費額と、定住者1人の消費額が同じとみなされるので、外国人観光
客が80万人来れば、人口が10万人増えたのと同じです。』 など、面白い側面から捉えら
れています。

 市長は、2つの札幌を目指しているとし、1つは、『世界都市としての魅力と活力を創造
し続ける街』として、観光事業を活性化し、税収と雇用を確保し福祉を充実させるとし、
もう一つの目標は、『誰もが安心して暮らし、生涯現役として輝き続ける街』と述べられ
ていました。

 北海道新幹線が、2030年には札幌まで延びると、ニセコとは30分、函館とは1時間で結ば
れ、観光客も含め 人の流れが大きく変わると予想され、駅周辺の再開発もさらに計画され、
新しい街として新技術も導入しながら、文化・スポーツを通じてクリエイティブな若者が
産官学の枠を超えて集い 和える街として創り上げて行きたいと抱負が述べられていました。

 また、『小樽市、岩見沢市など周辺11町村と「連携中核都市圏」を形成する構想から、
観光や食や農業などの分野で連携し、都市圏の魅力を向上させ 経済効果を波及させたい.』
と締めくくられています。

 

 

2018中心市街地探訪132前編・・北海道札幌市(札幌駅周辺〜官庁街〜時計台)

 

 

 

 

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