蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

蓼科農園の想い出  (bon)

2019-12-30 | 日々雑感、散策、旅行

 還暦を過ぎてしばらくして、企業人生も少し薄くなってきた頃、蓼科高原に別荘を持つ、
高校時代の同級のKさんの周りに同窓生が一人、また一人と集まってきました。 最初は
K邸の広い庭を花壇とするべく、そのお手伝いを兼ねて高原の四季を楽しもうと、2000年頃
に仲間が形成されて来たのです。

   K邸の花壇(2006年ころ)          花壇作り 
         

  そうした折に、“畑を借りて野菜作りをしよう!”という話が出て、地元の人の紹介で、
1反(1000㎡)の畑を借りて、これまでビジネスマンをやっていた連中がにわかに農作業を
始めることになったのです。 このころ、仲間は東京6名、大阪4名の常勤メンバーが構成
され、軽トラックや耕運機、草刈り機などの農機具も揃えて本格的な体制が出来上がって
いたのです。

       軽トラ、耕運機、草刈り機などの農機具も揃う
                   

 自己流でジャガイモやイチゴなどを作ったりして2年近く経った頃、高台にある素晴らし
い展望が開けた畑に移ることになりました。 360度の見晴らし、常に八ヶ岳に見守られて
いるような落ち着いた絶好の環境で、ほんのちょっと移動すれば、晴れた日には北、中央、
南アルプスを望むことができる そんな畑(1000㎡強)で15年も楽しんできたのでした。   

 地形もよく、広々と開けた農地はもちろん無農薬、有機栽培に徹し、長い歳月を気の合
う仲間とともに過ごし農業の腕前も上がってきていました。

   蓼科農園(畑) と 八ヶ岳の雄姿    (夕陽に染まる八ヶ岳)
      

 

 春は、4月下旬に「畑開き」をして、耕運機で土を掘り返し肥料を入れ、マルチ掛けなど
をし、ジャガイモ、サトイモ等の球根を植え付け、葉物やその他は5月の「大合宿」で・・
という具合に、年7~8回の定期的、本格的な農作業は、自然に役割分担もでき、手慣れた
“お百姓さん”らしくなっていました。

 しかし、私たちの畑作業は、月1回のペースでしたから畑に来ると、朝からおにぎり持参
で夕方まで、一日中畑にいるというスタイルでした。時に、軽トラのほか、乗用車が7~8
台も並ぶことがあったりで、地元の人たちの注目の的であったかもしれません。

 こんな時もありました。霧の畑開き(2012/4) 小雪ちらつく畑じまい(2010/11)
           

 

  農作業あれこれ
        

 

 収穫物は、ジャガイモ、ピーマン、サツマイモ、サトイモ、黒豆、タマネギ、ニンニク、
カボチャ、ダイコン、ナス、ネギ、レタスなどなど30種類以上、興味と実益からどんどん
増えてゆくのでした。中でも、市販品に勝るとも劣らないと自負しているのがあります。
ピーマン、サトイモ、黒豆、ジャガイモは質・量ともに満足でした。

    収穫した野菜たち
      

 

 ジャガイモや葉物などを、その都度収穫し、その時季時季の植え付けを繰り返しながら、
晩秋には一年の収穫の締めくくりとしてサトイモ、サツマイモ等の収穫をメインとした
「大収穫祭」を、常勤メンバー以外に同窓生が参加したり、あるいは、後輩グループ等と
の交流や近隣の人たちも参加して大いに賑わい楽しみました。 お昼は畑で芋煮なべ、夜
はK邸でのBBQ、そして焚火を囲んで声高らかに歌う、高校時代の懐かしい「ファイアー
ストーム」に、再び青春を味わう 楽しいイベントだったのです。 収穫祭では、畑行事の
翌日には、ゴルフや近場の散策を楽しみ、蓼科高原を満喫してきたのでした。

 

       毎年のお楽しみ、大収穫祭
    

 

   収穫祭夜の部  BBQとファイアーストーム
         

 

  収穫祭翌日のお楽しみ
    

 

 2016年には、諏訪大社の「御柱祭」に、地元“氏子”として御柱曳きに参加しました。 
このほか、夏には、霧ケ峰高原、八島湿原、ピラタスの丘さらには八ヶ岳の硫黄岳登山
などたくさんの想い出が残っています。

         

        御柱祭など
        

 

 あっという間に過ぎた気もしますが、このように振り返ってみると様々な時を過ごして
来たと改めて、しみじみとその歳月を感じるのでした。 仲間は、高校時代の同級生です
が、高校時代に“仲良し”だった人は少なく、どちらかといえば、話をしたこともない、
ただその人の存在は記憶している‥といった程度で、あの青春時代に、わずか3年の間、同
窓であったというだけの縁ですが、畑作業や夜の語らい、だんらんを通じて、長期間に育ま
れた友情は、これを味わった者の特権として、いつまでも温かく深く胸に残るのでしょう。

          数々の想い出

 

 蓼科浪漫倶楽部は、今年、11月14~17日の「畑じまい」をもって、16年の蓼科農園での
畑作業に幕を下ろしましたが、蓼科浪漫倶楽部は、これからも折に触れ、集まったり旅行
したりしながら語らいを深め、その活動を継続することを誓いあったのでした。

 蓼科農園の活動を終えて、いくばくかの寂しさは残りましたが、元気なうちに無事キレ
イに終わることができた喜びをかみしめています。 感謝!

          

 いよいよ今年も、あと1日を残すばかりとなりました。今年1年、当ブログにお越しいた
だきました皆様、そしてコメントをくださいました皆様には心より厚く感謝申し上げます。
 皆様のご健康とご多幸をお祈りして、くる年が明るく良い年でありますよう念じていま
す。 ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖火ランナー はずれ!  (bon)

2019-12-28 | 日々雑感、散策、旅行

  どうも落選したようです。
 なにネ、聖火ランナーに応募したんです。 当然落選ですよね。

  たまたま、広報か何かの募集広告(7月?)が目に留まったので、応募してみたのです。

 先日12/17に聖火ランナーが決定し、なんと! 2011年のサッカー女子W杯優勝のなでしこ
ジャパンメンバーが3/26に福島県 Jヴィレッジを日本国内第1走者としてスタートするの
です。 このほか、ランナーには、増田明美、石川さゆり、原辰徳、小林幸子、五木ひろし、
藤井聡太、天野浩、武豊、さかなクン(敬称略)・・の そうそうたる有名人が選ばれて
いますから、一般公募でも、おそらく知名度が高く人気者が選ばれているのでしょう。

      聖火トーチ
      (ネット画像より)

 埼玉県内で、およそ260人が走るそうですが、すでに74人が決まっていて、その他は順次
通知する・・とありますが、落選者には何も通知されないとのことで、私なんぞは、端から
選外なのでしょう。

 さいたまでは、7/7~9の3日間のコースで、40市町、74㎞をこの260人で走る予定になって
おり、私の住む市では3人程度のようですが詳しいことは不明です。

 一般公募でも、主催者側やスポンサー企業筋が優先的に選出されて、改めて出走可否を
確認しながら 順次優先度を下げてゆく・・という選出方法と推測できますから、私などは、
やはりヒヤカシの部類に入るのでしょう。

           (ネット画像より)

 それほど期待して応募したわけでもなく、傘寿の記念に走ってみようか・・と思った次第
です。 ですが、一人当たり200mといいますから、これすら息切れせずに完走できるかどう
か危ないところです。

 でも、もし、万が一にも、当選したならば、何万人も受け継いでゆくトーチを手にしたら、
それはもう大きな感動でしょうね。

             

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も神楽坂で’19  (bon)

2019-12-26 | 日々雑感、散策、旅行

  まるまる1年ぶりのメンバー4人が、昨夜 神楽坂に集いました。 懐かしい、あるいは
今様の話題に盛り上がり、中でも四半世紀も過ぎた当時のあれこれにタイムスリップし、
またしても“独立遊撃隊”よろしく、勝手気ままに過ごしながら成約金額、新規領域開拓
ともに破格のビジネス成果を上げていた頃の手応えが忘れられないのでした。

     にぎわう神楽坂
       

 お店の設定は、あの神楽坂に詳しい “若さん” の馴染みの一つ、老舗のイタリアンで、
始まった時には、もうお客さんたちが結構いい雰囲気でやっていました。 
“若さん”は、当ブログで、「神楽坂研究」や「アメリカ事情」などを記事アップしていた、
あの若さんですが、最近はちょっとお見限り・・でしたので、この際、催促ではありません
が、期待を告げておきました。

      小路のお店、イタリアン
       

 このメンバーのユニークなところは、自ら所属する部署の仕事は当然やりながら、組織を
超えた既成概念に捕らわれない新規領域のビジネスに、どうも魅力を感じてやっていたので
すね。
 最近の秩序正しい? 会社人間の方々には、おそらく全く無関心と思えるような行動をして
いたようでした。 もちろん、このような行動は、当時といえども、規定に則った評価はさ
れていなかったかもしれませんが、おそらく評価者もむしろ羨ましい気分でいたのではない
かと思います。

 いま時も、このような経験をしている人たちがいるかもしれませんが、四半世紀前では、
こんなこともできた時代だったんですね。
 職を離れて久しい身から、斜めに見ていますと、どうも最近のビジネスマンは、もしや、
幕の内弁当みたいに細かく仕切られた中で、均一的な仕事に明け暮れているのではないか、
と勝手に思い、私たちが味わってきた、自発的企画・実行を成し遂げた達成感や喜びを体得
している人はどれほどいるのでしょうか? 
 ・・アルコールの勢いで、ちょっとはみ出してしまいました。

      独立遊撃隊だった人たち
       

 ホワイトクリスマスをどうぞ。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カイコ (bon)  

2019-12-24 | 日々雑感、散策、旅行

 突然ですが、あの“カイコ”なんです。 養蚕業は、そのむかし、日本の主要産業でした。
桑畑も、国が管理していたり、先ごろ世界遺産に登録された、群馬県の富岡製糸工場も国営
工場でした。地方に旅行したりして、古民家風の大きな家を見学すると、屋根裏?のような
ところ一面にカイコを飼っていた名残があるのを見たことがありました。

 ずっと、カイコは絹糸を得るための「産業動物(昆虫)」とばかり思っていましたが、
そうではなく、絹糸以外のカイコの重要な利用法が開発されえているというのです。 手元
の会報に「カイコ昆虫工場でのワクチン生産」(日下部亘宏(たかひろ)氏、九州大学
大学院教授)なる記事をみて、これに触発されて、ネットのカイコを検索してまましたら、
いろいろな面にカイコが活躍していることを発見?しました。 難しい内容もありますが、
そのさわりをまとめてみました。

      子供のころ飼っていたこともあるカイコ
         (ネット画像より)
 

 農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構、2001年に独立行政法人
として発足、職員3300人)が提供している「カイコってすごい!」ページには、わかり易
く紹介されていましたので、そのうち、利用、応用分野について引用しました。
 

 『 21世紀になって、 カイコが新たな可能性を持つ虫として注目されています。 一つは
遺伝子組換えカイコの利用です。これまで他の方法では生産が難しいとされていた抗体、ワ
クチンなどの医薬品を、遺伝子組換えカイコを用いて作ることができるようになりました。
もう一つはシルク新素材の開発です。絹糸を絹織物を作るためだけでなく、粉末やスポンジ
に加工することで、医療用素材や電子部品の材料として利用できることが分かりました。』

 

 で、一番目に言われている「ワクチン」に関する記事が、先の会報に詳しく述べられて
いたのです。
 ワクチンの歴史は、あのジェンナーの種痘に始まるのですが、人には症状を表さないウイ
ルスを事前接種することによって恐ろしい天然痘から守られるという概念で、この接種する
ウイルスの人工大量培養へと発展してきました。 現在では、安全な「不活化ワクチン」
および「弱毒性ワクチン」が主流で、さらにこれが発展して「遺伝子組み換えサブユニット
ワクチン」の開発へと繋がってくるのだそうです。 B型肝炎ウイルスや子宮頸がんウイルス
への適用などが実用化されているのです。

 そしてこの、遺伝子組み換えサブユニットワクチンの生産に、カイコを活用しようという
のです。 チョッと難しいですが我慢してください。 
 “ 病原ウイルス由来の遺伝子(ワクチン抗原)を組み替え昆虫ウイルスとして作成し、そ
れを昆虫細胞へ遺伝子導入して、ワクチン抗原を発現する組み換えバキュロウイルスを取り
出し、それをカイコに感染・増殖させて、効果の強いワクチンであるウイルス様粒子を作る”。
 これが、『カイコバキュロウイルス発現系を用いたウイルス様粒子(ワクチン)の生産』
と呼ばれているのです。

 つまり、カイコにとってみれば、自らが育つ上で不都合なウイルスに感染したため、これに
抗原する強い生理活性を持つタンパク質を作る・・ということなんですね。

 九州大学には、過去100年間のカイコの交配記録が管理されていて、タンパク質生産を行う
場合にも安定生産ができるとされているのです。

         

 もう一つの「シルク新素材の開発」は、農研機構の提供ページから要約させていただきました。 

医療用素材の開発(医療用ガーゼ、人工血管など)
   絹糸は生体に良くなじみ、無害であるため、昔から手術用 縫合糸 の材料として用いら
れていますが、その生体適合性を活かして、平面やチューブ状に加工して、医療用ガーゼや
人工血管として利用する研究が進められている。また、シルクを粉末、ゲル状、スポンジ状
の材料に加工し、新たな素材として活用し、シルクスポンジは、軟骨再生医療や床ずれ防止
材の開発など、医療保健分野での活用が期待されている。

化粧品素材の開発
 セリシン含有率が98%以上の繭糸を吐くカイコ品種「セリシンホープ」を利用し、セリシ
ンを分解せずに溶液化できる技術により化粧品素材の開発・実用化されています。

  <訳注>【繭糸を構成するフィブロイ ン(絹糸になる層)とセリシン(2本のフィブロ
       インをくっつける ノリの層があります。】

創傷保護材の開発
 フィブロインやセリシンを加工することで、湿潤状態で強度に優れた絹タンパク質のフィ
ルムを作ることができる。人体に有害な物質を使用せずに作製することができ、柔軟性や透
明性、含水性に優れていることから、床ずれや火傷などの創傷保護材としての応用が期待さ
れている。

電子素材の開発
 フィブロイン粉末を高温・高圧で処理することにより、誘電特性に優れた素材を作ること
ができ、この素材によりICチップやコンデンサー、プリント基板など、電子部品への利用が
期待されている。また、自然界で分解する性質を持つため、廃棄した後の環境への負荷も小
さくて済む。

遺伝子組換えバキュロウイルスの利用
 これは、一番目に述べた利用法で、カイコに直接遺伝子を導入する手法ではなく、カイコ
の病原ウイルスの一種であるバキュロウイルスに、有用なタンパク質を作る遺伝子を導入し、
それをカイコに感染・増殖させて、大量の有用タンパク質を得る技術です。 

      人工飼育で養蚕(工場)
      (ネット画像より)

 カイコというのは、もはやもっとも家畜化が進んだ生物で、人が世話をしなければ、自然
界では生きてゆけない動物(昆虫)なのだそうです。生後25日程度で体重が1万倍に急成長し
大量のタンパク質生産の潜在性を有しているのです。 昔は、桑の葉しか食べないといわれ、
一日中世話に追われる重労働だったのですが、今では、人工飼料が開発され、一年中 自動
飼育も可能なのだそうです。

 カイコは逃げたりできない。大量飼育技術が確立されている。無菌飼育も可能で、高い
生産性と安全性が確保され、産業用、医療用タンパク質生産に適している・・とあるのです。 

 驚きでした。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入試改革  (bon)

2019-12-22 | 日々雑感、散策、旅行

     今日は二十四節季の冬至です。 古い習わしでは、カボチャを食べてゆず湯に入る・・
    などと言われますが、時代は変わりました。 でも、ゆず湯はほんのりといい香りがして、
    ひと時穏やかな気分にさせてくれますね。 高校生は都大路を走ります。中山では有馬記念。
    いよいよ今年も余すところわずかとなりました。

 

 このところの文科省は失点が続いています。先の英語民間試験でも、地域の格差や経済的
視点から見送られましたが、今度は、読解力や表現力を判定するため国語、数学について
記述式問題を導入するとの方針が白紙に戻りました。

         (ネット画像より)

 2013年から6年間にわたって検討・審議されてきた大学入試改革の2本柱がとん挫したこと
になります。

 暗記主体の試験を見直し、要点をつかむ読解力や考える力など応用力を育む教育を目指し
た一つのターゲットとして、入試問題があると思いますから、この取り組みはしかるべきか
と納得しますが、その方法論が、今聞けばまったくお粗末極まりないのですね。このような
結論にたどり着くのに、なぜ 6年もの長い期間が必要だったのか疑問すら覚えます。

 記述式は、最大120語程度の文章で回答するのだそうですが、50万人の回答を短期間のうち
に採点できるか? がポイントで、民間の教育会社がそれを請け負うとのことで、アルバイト
に採点をさせざるを得ないという、ズサン極まりないものだったのですね。 正確性、公平性
など入試の最重要事項が、一把ひとからげの “作業” とみなされたに等しいのです。

 民間の教育会社からの提案がそのベース(リード)となって、延々と枝葉末節の議論ばかり
に時間が費やされ、本質的な議論のない結果であるとみなされ、まったくやりきれない思いです。

         (ネット画像より)

 回答自体がマークシートや選択式であっても、読解力を問う問題は作成できるのではないか? 
丸暗記による回答選びではなく、内容や状況などを読み取らなければ正解にたどり着け
ない・・ような問題で、ある程度代替えできるのではないか?

 

 先に見送られた英語の民間検定の場合でも、民間検定は、自らの英語力を評価してもらい
たい人が進んで受けるというのが本来の趣旨で、これを一律パーに入試に取り込もうとする
安易な、あるいは企業寄りの発想があったのかもしれないとしたら、何をかいわんやです。

           

 6年間も何をしていたのか! こんな連中が、多くのまじめな受験生を揺さぶっていると
したらお寒い限りです。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

COP25閉幕  (bon)

2019-12-20 | 日々雑感、散策、旅行

 この15日に、COP25は、会期を2日間延長して、『疲れ果てた各国代表団は、温室効果ガス
削減への取り組みを強化することで合意に達した。』(BBCジャパン)とあります。

 開催前から、大国アメリカは脱会するし、中国、ロシアなども消極姿勢であり、パリ協定
の来年からの実行も、その内容がおぼつかないばかりか、大国の腰が引けた、条約に加盟
する約190の国と地域だけでは、成果も得られない?・・との状況の中で進められた会合だっ
たのでしょう。
 

  COP25の結果について、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、「 国際社会は気候
危機の緩和や適応、財政支援において一層の野心を見せる大事な機会を逃した」とAFP通信
に語り、落胆を表明した・・ とありますように、今や地球的な危機を目の前にして、その
予兆は各国、各地で実感しているにもかかわらず、まだ “先のこと”として、大国の為政
者の利益が優先される形で、推移している現状は憂えるばかりです。

 190の国と地域の中には、小国ではありますが、こぞって声を上げ、グレタさん率いる
個人個人が増えて、やがて地球規模となれば、為政者も黙って自己利益ばかり追求するわけ
には行かなくなるかもしれませんね。

 ちょっと前のデータですが、世界のCO2排出量 324億トン/年の国別割合は下図のように
なっていて、中国、アメリカ、EU、インド、ロシア、日本の順に多いのですね。
  
                                  (環境省HPより)

 

 パリ協定が2020年から本格始動することを受けて、発展途上国や温暖化対策に積極的な
国は、より大胆な削減目標を各国が打ち出すことが重要だと主張しましたが、これに対して
ブラジル、中国、オーストラリア、サウジアラビア、米国などは反発したとあります。

 温室効果ガスの排出量国際取引のルールを巡っても、対立が浮き彫りになったそうです。
排出量削減コストを抑えたい先進国などは排出量取引に前向きですが、ここでもブラジルや
オーストラリアが反対したとありました。 2年越しということで、来年イギリス・グラス
ゴーで開かれるCOP26に持ち越しとなりました。

 日本から、小泉環境相のスピーチ(取り組み)を期待しましたが、抽象的で歯切れの悪い
期待外れの内容で迫力がありませんでした。 日本国内での取り組みが、もともとそうで
あったからなのでしょうが、それにしても、日本の省エネに対する取り組みによるCO2削減の
成果や石炭火力発電におけるイノベーション、テクノロジーなどの先進性には触れておらず、
もっと具体的な視点からの迫力あるスピーチが期待されたのです。

 小泉環境相のスピーチが、環境省の関連HPにありましたので、URLを下記にコピペしました。 

http://www.env.go.jp/earth/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88_1912111115_clean.pdf

 
 各国からは、石炭火力発電抑制(脱石炭)発言がなかったなどの批判が出たそうですが、
先の大震災による原発不稼働などの事情があり、総発電量の35%程度を占める石炭火力発電
も新技術によりCO2排出量は石油並みに抑えていることや、もしこの技術を世界の石炭火力
に適用すれば、12億トン/年のCO2削減効果が得られるとの試算もあるようですから、もう
少し前向きにとらえてもよかったのではと思います。

   電源別発電量(jccca HPより)
   


 だからいいんだ・・ということではなく、現状の問題を抱えながら、なお必死に取り組む
姿勢、イノベーションなどを強調する姿勢が求められているのではないでしょうか?

 

 ちょっと調べてみましたが、この問題は、大変奥が深く難しいことがわかりました。
なので、深読みはできませんが、そのサワリだけ触れてみたいと思います。

 日本における、温室効果ガス排出量の推移、および部門別CO2排出の推移を下図に示します。

       (jccca HPより)

  

        (jccca HPより)


      (jccca HPより)
  
 

 図より、日本では、2013年がその排出量のピークで、以降削減傾向にあり、2017年で、
年間12億トンとなっています。 で、これを排出部門別で見ますと、やはり産業分門が
35%を占めてダントツで、運輸、業務、家庭と続いています。 これらの内 産業、運輸
部門は、2005年比でそれぞれ10%、12%減少していますが、家庭部門は8%増加、業務
部門では横ばい状態
にあります。 家庭、業務部門の削減努力も大事なんですね。

 この部分について、環境省HPにさらに詳しい部門別内訳の図がありました。

   日本のCO2排出量内訳 (環境省HPより)


 経団連は、CO2の実質的な排出ゼロに向けて、経済界の積極的な活動を促す構想を策定
したそうです。「チャレンジ・ゼロ」と名付けて、技術革新や環境事業への投資に挑戦
することを宣言し、来夏に公表するそうです。(読売新聞 12/16朝刊 4面)

 長くなりました。
電力の需給バランスを保持するため、発電量の調整力に優れた火力発電を直ちになくす
ことは現実無理ですが、なるべくCO2発生量が少なくなる燃料(天然ガスなど)に切り替え
ながら、再エネ投資を加速するとともに、大容量蓄電池の開発など強力な並行促進が望ま
れるのでしょう。そのような展望は描けないのでしょうか?

 

聖者の行進  

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙は混雑  (bon)

2019-12-18 | 日々雑感、散策、旅行

 今年の私の選んだ10大ニュースの一つに“探査機はやぶさ2”の 小惑星りゅうぐう に
着陸成功(2月)があります。 はるか遠い2億28000万㎞彼方の小さな惑星に無事着陸して、
鉄球を打ち込んで、惑星内部の資料を採集して来年の12月頃に帰還する予定で現在宇宙
空間を飛行しているのですね。

 こんな宇宙も、今は人工衛星で混雑状態にあると、新聞の解説記事(読売新聞2019.10.18)
に取り上げられていました。 あ~、そうかもしれないナと思いながら、この記事に触発
されてネットをあちこち検索し、おおよその状況が分かりましたので、一部記事アップして
みました。

          小惑星 りゅうぐう
        (ウイキペディアより)
 

 一口に人工衛星といっても、目的や大きさ、軌道、高度などによって区分されています。
目的では、軍事、科学、観測、通信、放送などがあげられ、大きさなどでは小型衛星、宇宙
ステーションなどがあり、軌道による区分では、低軌道(2000㎞以下の地球周回軌道。国際
宇宙ステーションなどはこの軌道に存在)、中軌道(高度2,000kmから地球同期軌道
(35,786km)までの地球周回軌道)、高軌道( 地球同期軌道より外の地球周回軌道)が
あります。 その他、周期性、軌道系射角などの分類もありますが専門的過ぎますので割愛
します。

 静止衛星は、中軌道の一番遠くの高度約36000㎞の周回軌道を約 3.1 km/sのスピードで
回っているのですが、地球の自転と同じなので、静止しているように見えるのですね。放送
衛星、通信衛星、気象衛星などが利用していますが、静止軌道上は、静止衛星が世界各国で
打ち上げられて同じ軌道上に並ぶ為に、人工衛星の過密地帯になっています。 以前は衛星
ごとに経度2度分の間隔を空けることになっていましたが、現在は同一経度に複数の衛星が
投入されて運用されるようになっていることから、軌道投入時には特に注意が必要です。

  静止軌道ポジショニング (ボーイング社より)
  
           (時計の10時あたりが,東経135度です。)

 このほか、低軌道の小型衛星が昨今急激に増加して、混雑しているそうです。低軌道へ
衛星を投入するのは、そのエネルギーが少なくて済むほか、リモートセンシングでは、地球
との距離が近いので画像の解像度が高い利点がある、通信衛星では送受信電力が少なくて
済むなどの利点がありますが、常に移動しているため、安定した通信を行うためには多数
の衛星を組み合わせて構成するなど、多くの投入が見られ、スペースX社(アメリカ)は、
今年5月に一挙に60基もの小型衛星を打ち上げたとあり、2027年までに1万2000基を打ち上げ
る計画を発表しているとか、さらに他の企業も打ち上げが計画されているそうです。

 これまでに打ち上げられた衛星は、下図のように年々増加しており、ここ数年で急激に
増加しているのですね。 3000~5000基ともいわれていますが、ネット検索では、どれが
正確な数字なのか判別できませんでした。

      世界小型衛星打ち上げ数推移 (総務省研究室HPより)
   
      (横軸スケールは、左端が1956年、右端は、2017年です。)

 まあ、このような状況にある宇宙は、今、大変混雑しつつあり、“渋滞?”を起こしそう
というよりは、衝突しかねない状況にあるといいます。 この9月には、高度300㎞超の宇宙
空間で、あわや衝突? の非常事態が発生したそうです。 欧州宇宙機関の地球観測衛星と
米宇宙企業スペースX 社の通信衛星が衝突する恐れが生じたというのです。 衛星の軌道を
変えて緊急回避し大惨事に至らずに済んだそうですが、今後もこのような危険が発生する
可能性が十分あるのです。 そして、宇宙産業は2045年までに300兆円に達するとの試算が
あるそうです。

 宇宙の交通ルールが必要です。 ということで、アメリカはじめ各国で検討が進められる
とのことですが、果たして、ここにも米、中、ロなど宇宙覇権?を目指している国間でうま
く進められるか難航が予想されるところです。

 低軌道の環境は、人工衛星だけでなく、打ち上げたロケットや故障したり、寿命が来たり
した いわゆる宇宙ゴミ(スペースデブリ)で混雑が進みつつあり、大きさ直径10㎝以上の
ものだけでも約2万個も 秒速数㎞の猛スピードで地球を回っているというのです。
 アメリカ航空宇宙防衛司令部は、直径10 cm以上ある低軌道上の物体を8000以上も追跡し
ているとありました。

 日本では、宇宙ゴミを排除する独自技術でこの問題の解決に挑んでいるそうで、ロボット
アームでゴミをつかんで取り除く「掃除衛星」を開発中とか。また、強力な磁石でゴミを
除去する衛星の実証機を近く打ち上げる予定だともありました。ちょっとちまちましい感じ
もしますが、これら宇宙問題の解決に貢献出来るよう期待したいところです。

 こんな感じなんですが、あのファッブル宇宙望遠鏡は、地上約600km上空の軌道上を周回
する衛星なんですね。

 宇宙も問題だらけ・・!

 

  

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいPCが来ました。  (bon)

2019-12-16 | 日々雑感、散策、旅行

 3日前に、新しいPCが来ました。(ローカルな話ですみません。)

 ウインドウズ7のサポートが来年1月に終了するので、使用中のPCにWin10のOSを入れ替
えるか、あるいは、Win10搭載の新しいPCを購入するか 迷っていました。 迷いの主な点は、
費用と作業、そして性能です。

 現在使用中のPCは、2010年製で、すでに10年経ち、反応が遅いうえに、広告のポップアッ
プ等が画面右下に頻繁に現われるようになったりしていますが、データやアプリの引っ越し
が不要で費用も助かる・・新PCだと反応も早いし、不要な画面も出てこずスッキリしますが、
費用が掛かるのとセットアップの不安、アプリ、データの引っ越しも壁になっていたのでした。

         

 先日の飲み会で、若い人たち(10歳くらい若い)に相談を持ち掛けてみたら、“まだ、
を使っているんですか!”と驚いたように言われたり、周りの人たちもすでにWin10に乗り
換えているようで、今頃、これに悩んでいる人はいませんでした。 それで、みんなの意見
は、“PCを新しくしたほうが良い!” ということでしたので、方針が決まりました。

 12日にネット注文しましたら、翌日13日にもう届きました。 箱から出してはみたものの、
そのまま1日寝かせてこれまでのPCで思いつくデータのバックアップをしたり、その他の作業
をしたりしました。 新しいPCは、インテルi7、ストレージはSSDです。

      新しく来たPC
       

 14日午後、意を決して(大げさ)新PCの電源を入れました。
 マニュアルに沿ってセットアップを完了し、インターネット、メール等の基本的なメニュー
は一通り完了しました。まだ、引っ越したデータを戻したり、メールのアドレス帳もまだですが、
一応ホッとしたのと 何となくこれまでのPCが懐かしい感じがしてきました。初めて訪れた他人の
家に上がったようで、落ち着かない思いです。

 これからデータの引っ越しや写真の処理などのアプリ設定が残っていますが、ここまで、そ
れでも3時間くらいかかりました。 マニュアル(添付されている)は、かなり良くできて
いる方だと思いますが、それでも手順の途中で、マニュアルに書かれている通りの画面になら
なかったり、順序がちがっていたり、不安はぬぐえないまま、ああだ、こうだで前に進めながら、
これまでもそうでしたが、新しいPCの立ち上げ、使い始めはいつもこんな気分なんですね。

 この記事は、新PCで作成・アップしましたが、キーのタッチも新鮮で、何より、反応がサク
サクして快適です。他人の家に間借りしているような気分のままですが・・。
 これまでのPCも、ネットにつながないで、データや写真など、そのままにして使ってみよう
と思っています。

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和様  (bon)

2019-12-14 | 日々雑感、散策、旅行

 ちょっと変わった視点から記事アップしてみました。 「和様」についてです。

 ウイキペディアによれば、『和様(わよう)とは、日本風あるいは、日本様式の事物を
意味し、中国風・中国様式を意味する唐様に対して用いられる。書道をはじめとして絵画や
彫刻など、日本美術史において日本風が顕著になった平安時代中期から後期にかけての作品
に対して広く用いられる用語である。 ただし、和様とされるものの多くは純粋な意味での
日本古来のものではなく、その原形は飛鳥・奈良時代に唐から受容された文物を日本の風土
と日本人の感性に合わせる形で改良することによって成立した文化様式である。』と。

 難しい表現ですが、つまるところ、それまで、唐(中国)の影響を強く受けていましたが、
唐は 9世紀末頃から国力が衰え、10世紀には崩壊してしまうのです。そして、894年には、
遣唐使が中止されたこともあって、自国意識の高まりとともに「国風文化」が栄えるように
なり、平安時代中・後期(摂関時代)に、ひらがな が考案され、和様書道が生まれ、大和絵
なども出現してくるのです。
 彫刻、建築の世界でも、それまでの唐様(からよう)から和様へと独自の様式へと発展し
て行くのです。

 根立研介氏(京都大学大学院教授)は、仏教美術の研究をされていて、彫刻における和様
の形成について述べられていました。  氏によれば、彫刻における『 和様とは、1053年、
仏師、定朝(じょうちょう)らによって制作された平等院鳳凰堂阿弥陀如来像によって大成
されたとされる、彫刻様式である』と述べられています。
 和様彫刻の特徴は、平面性、平明性、優美性に要約されるとあり、上述の阿弥陀様は、
丸顔で伏し目がち、体つきはボリュームが無く平面的、衣の彫りは浅く、表面の起伏が緩や
かで、柔らかい質感が、見る物に優美さと穏やかさの印象を与えていると。

   平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(いずれもネット画像より)
       

 

 これに対して 7世紀ころの仏像と比較してみると、そこには大きな違いが読み取れるとい
うのです。すなわち、顔だち、伏し目、体つきのボリューム感など、がっちりした立体感が
あるというのですね。 いわれてみれば・・という感じですが、いままで、そのような視点
で仏像を見てこなかったので、このような視点は大変興味のあるところです。

     薬師寺金堂薬師如来像
            (ネット画像より)


 寺院建築における様式も、もともとは中国から伝わってきたものが、平安時代の国風文化
の時代に 日本人好みに洗練されてきたのだそうです。大寺院では規模の大きな仏堂もありま
すが、住宅風に柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂も造られたのです。
 時代が進んで、鎌倉時代に再び中国から新たな様式が伝わってくると、従来の様式との違
いが意識されるようになり、和様という様式でよばれるようになったそうです。

     平等院鳳凰堂
      (ウイキペディアより)

 和様建築の特徴は、以下のようにありました(ウイキペディア)が、かなり専門的です
ので詳細は割愛しました。

  • 柱の上部同士を補強するため、長押を打つ
  • 組物の間に蟇股(かえるまた)または間斗束(けんとづか)という部材を置く
  • 柱は太く、天井を低めにしたものが多い
  • 床を張り、縁側を造る
  • 床下に亀原を築

 

 こちらは和様ではありませんが・・


 4

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レッド・サン  (bon)

2019-12-12 | 日々雑感、散策、旅行

 先週(12/3)BSで、映画を観ました。 ご存じの方もおられると思いますが、私は初め
てでした。『レッド・サン』 赤い太陽です。

 1971年公開のフランス・イタリア・スペイン共作の映画(配給はパラマウント)です。
ウイキペディアによれば、太陽は、欧米では黄色が多いそうですが、日本人は赤色で描く
ことが多いことから、レッド・サンは、日本人を意味しているとありました。

             (ネット画像より)

 舞台は、アーリーアメリカンの西部で、金貨を輸送する郵便貨車に一輌だけ豪華風な客車
が連結されていて、途中、強盗団に襲撃されるところから物語が始まるのです。
 主役が3人いますが、三船敏郎、チャールズ・ブロンソンそしてアラン・ドロンの 3大
スターの夢の競演で、三船はチョンマゲ、羽織袴に長ものをさしているし、ブロンソンは、
当時の西部姿で、ドロンは、騎士のようなおしゃれモード。 この3人が、ピストル、ライ
フル、刀、を振り回したり、広い西部荒野を馬で駆け巡る ストーリーは単純ですが、大変
面白い娯楽映画でした。
 日本人の、外国から見ると、やや異質に思える、主君に仕える忠誠心や精神性に価値を
置くなど、日本人をフィーチャーした構図になっています。

 ウイキペディアに、『 三船プロがパラマウント映画、に対し三船敏郎主演の侍を主役に
した西部劇の企画を持ちかけたのが1965年の事であった。製作者は、この企画に賛同したが、
当時アメリカ本国やイギリスでは007を中心にしたスパイ映画ブームが起きており、西部
劇(しかも侍が主演の)に興味を持つものは少なかった。しかし、製作者は諦めず、遂に
フランスの製作者と合意して実現した。(一部割愛)』とありました。

 日米修好の任務を受けた坂口備前守日本全権大使一行が、この郵便貨車の客車に乗って
いたところに、強盗団が金貨を略奪しその余波を受け、家臣が一人撃ち殺されたほか、帝
から大統領へ贈呈すべき宝刀が奪われてしまうのです。三船は、一行の家臣、黒田重兵衛役
で、無口ながら英語をしゃべりまた理解できるのです。 強盗団のトップが、ドロンで、
仲間割れしたブロンソンと三船がギスギスしながら共に、トップ(ドロン)を追ううち、
二人は次第に気心が通じ合ってきて、二人してドロンを追い詰めるという筋書きですね。

       (ネット画像より)

 三船は、最後、ドロンとやり合って、打たれて死ぬんですが、取り返した宝刀は、ブロン
ソンが守って、信号架線に括り付けて、ぶらぶらぶら下がっているところで落ちとなる。

 たまにはこのような映画もいいもんですね。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も渋谷で’19   (bon)

2019-12-10 | 科学・生物

 毎年 変貌発展しているシブヤは、先月オープンした「スクランブルスクエア」が、明々と
夜空に聳えていました。 そんな渋谷で、今年もこの時期が来ました。


 今や、メンバーは増えることのないこの会は、もう20年以上続いていて、約40年前に画像・
映像を中心とした新技術・サービスの開発に明け暮れていた仲間の集まりです。
 当時目指していた、技術・サービスは殆ど実用され、あるいはそれ以上に凌駕しているこ
とに、時間の威力の凄さに驚嘆するとともに、当時の開発の方向が妥当であったことの証で
あると思い、なぐさめの一つとなっているのかもしれません。
 当時は、一企業の活動の一つというよりは、大げさに言えば、この国を代表して、世界の
技術・サービスに貢献するのだとの自負に支えられていたように思います。

 当時エネルギーの塊 みたいだった若者も、今は、大地の養分を十分吸い取った、どっしり
と落ち着いた年配者として成長し、なおも重職を務めている人もいるのです。
 そんな仲間も一堂に会すれば、たちどころに当時の雰囲気に引き戻され、必ずしも当時の
話題ばかりではなくても、愉快に盛り上がってしまうのでした。 地域ボランティアの活動、
趣味の世界、旅行など・・話題は尽きませんが、健康に関した話題もあれこれと広がる年頃
になりました。

 

 楽しい会は、元気の源です。今年もありがとうございました。

 いつも幹事を務めていただいている、大会社の役員は、体調を崩されアルコールは控えて
おられ、早く回復されることを祈るばかりですが、そんな中でも会を企画していただいて
感謝に堪えません。

 スクランブルスクエアの展望台(47階)に上ってみようと、早めに現地に来ましたが、
この時期の夕暮れは早く、5時前にはもう暗くなって、どんよりと曇り空もあり、展望台は
諦めて、14階あたりまでの、ショッピング、レストランフロアをエスカレーターで通り
過ぎ、ちょっぴりの雰囲気だけ味わってきました。
 展望台は またの機会として、全貌をパチリとしました。

スクランブルスクエア(右)        宮益坂のイルミネーション
 

 会が終り、数人で近くでお茶を楽しんでサヨナラとなりました。小雨が降っていました。


 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水無瀬神宮  (bon)

2019-12-08 | 日々雑感、散策、旅行

  大阪唯一の神宮、水無瀬神宮は、阪急電鉄京都線の水無瀬駅近く、三島郡島本町にあり、
後鳥羽天皇(第82代天皇)、土御門天皇(第83代)、順徳天皇(第84代)の親子3人が祀られ
ています。 
  江戸時代まで仏式で祀られていましたが、明治時代に神式に改められ、水無瀨宮に改称し、
それぞれ承久の乱により流刑され崩御した土御門天皇、順徳天皇の神霊を配流地から迎えて
合祀したとあります。その後、昭和14年(1939年)に官幣大社に列格し、水無瀬神宮と改称
されたのだそうです。 昨日、12月7日には例祭が行われました。

                    本殿 (いずれも 山崎観光HPより)

 

 後鳥羽天皇はじめ、この親子3代にわたる天皇は、鎌倉幕府に反発し、倒幕を企て、「承久
の乱」(1221年)を起こしますが、時の執権 北条義時に敗れ、それぞれ隠岐、佐渡、土佐に
流されてその地で崩御した天皇たちです。

        後鳥羽院
        (ネット画像より)

 それからおよそ100年が経ち、再び武家から朝廷に政権を取り戻すため、後醍醐天皇が立ち
上がり、新田義貞、らの寝返りもあり ここに鎌倉幕府は滅びる(1336年)こととなるのです。
 いわゆる「建武の中興(新政)」に至るわけですが、これまで当ブログに、「後醍醐
天皇」(ブログ2015.9.28)、「児島高徳」(2016.3.5)、「吉野神宮大祭」(2017.9.26)
の関連記事をアップしていました。 そして5年前に、この水無瀬にゆかりが深い「楠公祭」
(2014.5.22)を記事アップしているのですが、100年を経てなおこの水無瀬が舞台となる
縁を改めて感じているのです。
 

 河内の武士 楠正成が、決死の覚悟で兵庫へ向かって出陣する途中、「桜井の駅」(今の
水無瀬駅付近)で、御子の正行(まさつら)に後事を託して別れをする、太平記に出てくる、
あの有名な “桜井の分かれ” があったところなんですね。『 ♪青葉繁れる桜井の~』、
の唱歌はもうあまり歌われないですね。

 4年前のブログ記事「後醍醐天皇」の最後の感想を、もう一度ここにコピペしました。

 『いつの世も、権力を求めての争いは、その形は違え、世界中どこも同じ構造を繰り返して
いるのですね。そして、その根源には、権欲、財欲に対する人間の本質があり、時代の流れ
と共に 手段、構図は変わっていますが、つまるところは同じで、如何に租税を確保するか
なんですね。 ごく最近の政治の世界でも、政権奪還騒動で混乱をきたしましたが、ちょうど、
建武の中興を成し遂げた 時代背景の読みは正しかったが、それを樹立したあかつきの 新政
の焦りの禍と、新組織体の基盤の脆弱さなどから長期政権は望めないのでした。

 今や、盤石の基盤を誇る政権は、留まるところを知らないほどの勢いで新政が繰り広げられ
ていますが、急ぐあまり消化不良とならないことを願うばかりです。』

 三島郡島本町の水無瀬は、付近にサントリー、アサヒなどの醸造所があり、大山崎、天王山
トンネルなどで知られる、名水の里でも有名です。
 水無瀬神宮境内には、環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」があるそうです。

 淀川を挟んだ対岸には、樟葉パブリックがあり、以前は国際トーナメントも行われた草分け
的なゴルフ場として知られています。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森の美術館  (bon)

2019-12-06 | 日々雑感、散策、旅行

 3年前に千葉県流山市にオープンした「森の美術館」では、この秋の企画展、松下久信画伯
による『 画業60年~北の大地を描く~』が開催(10/2~12/22)されています。

 松下画伯は、私の友人(会社同期)、T氏と同じ金沢のご出身で、小学校同窓とのご縁から、
この企画展が開催されるに至ったそうです。 T氏からは、早くにご案内をいただきながら、
蓼科農園の収穫祭がらみなどで、訪問が延び延びとなっていまして、ようやく昨日(12/5)
行ってきました。

  つくばエクスプレス 流山おおたかの森駅 からタクシーで5分くらいのところに、森に囲ま
れたような感じの静かなたたずまいの中に、美術館がありました。 しかし、この周辺地域
は、今が住宅開発の始まりのようで、広い 中央分離帯もある真新しい道路は既に完成して
いて、周辺エリアは活発な工事が行われていました。 近い将来、巨大都市が出現するので
は・・と思わせる光景でした。

森の美術館                 受付横
 


 松下画伯は、1941年の生まれで、1967年全国一水会展初入選、85年には日展初入選、2003
年、2008年には日展特選受賞の輝かしい経歴で、日展、一水会の審査員も務められ、昨年、
石川県文化功労賞を受賞されています。現在、日展会員、一水会常任委員とありました。

 企画展『 画業60年~北の大地を描く~』は、主に、北海道美瑛の丘を100号以上のカンバ
スに、豪快な力強いタッチの中に、刈り取られた牧草の集積や雪面のわだちの跡などに繊細
な心遣いが加味され、見晴るかす大地に営々と続く人々の営みの姿が、むしろくっきりと
浮彫されているのでした。
 美しいラベンダーなどの“パッチワーク”の、お馴染みの光景も描かれていましたが、
画伯の今回の展示は晩秋の風景が多く、遠く大雪山系(十勝岳?)らしい雪を頂く山並も
素晴らしい感動でした。

        清穏の丘  日展2012年    (写真撮影許可でしたので)
     

     

     

     


 私は、かってこの地を訪れたのは、夏の盛りで、パッチワーク、緑の丘の遠望、大雪も
すべて夏模様でしたが、この企画展での晩秋の景色は、大地と人とのコラボレーションが
一層密に凝固しているようでした。

     館内
     

 すばらしい迫力満点の油彩に囲まれて、しばし圧倒されましたが、 ロビーで美味しい
コーヒーとクッキーをご馳走になり、買い求めた絵葉書を数枚繰り返し見とれているうちに、
とてもリラックスした爽やかな気分になり、美術館を後にしました。

     ロビーからの眺め
     

 

 『森の美術館』は、森に囲まれた美術館でもありますが、開設され館長であるご本人は、
森忠行さんとおっしゃるので、“森さんの美術館”なんですね。

 この日は、日中良いお天気でとても暖かでした。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

COP25  (bon)

2019-12-04 | 日々雑感、散策、旅行

 12月2日にCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)がスペイン・マドリード
で開幕しました。(会期は13日まで。)

 思えば気候変動に関する議題が世界の俎上に上ってから、四半世紀を迎える長丁場の
議論で、当初は先進国だけの取り組みでしたが、この問題は地球規模で取り組むべきとの
ことで、途上国もすべて包含した取り組みとなりました。
 COP11(2005年)京都議定書発効に続き、2016年のパリ協定(COP21 )発効を受けて、
いよいよ来年2020年1月からパリ協定がスタートする、最後の詰めが行われるのです。

      (ネット画像より) 

 すなわち、条約に加盟する約190の国と地域が、協定の下で温室効果ガス削減を進める
ための詳細ルールに最終的に合意が形成されて、温暖化対策強化の基盤を作ることが目的
なんです。

 温室効果ガス削減量が、国際間で移転・取引する仕組み「市場メカニズム」について、
ルール作りによっては、各国の削減目標に抜け穴が生じるため 厳しく決めておく必要が
あり、その他にも、温暖化の影響が、社会の適応できる範囲を超えた時に発生する「損失
と被害」への対応をパリ協定の下でどう扱っていくかなどの論点があるのだそうです。

      (ネット画像より)

 昨今の豪雨・洪水や強風、異常高温などは、身近に起きている問題で、日本でも先の
台風、水害による被害は今もまだ回復していない状況にあり、世界でも、大型ハリケーン
やベネチアの大部分が浸水したり、ブラジル、オーストラリアの森林火災などなど各地で
大きな被害が続出し、気候の異常には感覚的にも理解できるほどになって来ています。

 ベネチアの洪水            パリの熱波(共に、ネット画像より)
   

 開会式に出席した国連のグテーレス事務総長は『 2050年に温室効果ガスの排出量を
実質ゼロにすることが、世界全体の平均気温の上昇を1.5度に抑える唯一の道筋だ。1.5度
を超えることは壊滅的な災害につながることを科学は示している』と指摘したうえで、
『 世界中の多くの人たちが、いま直面する気候変動の危機にもっと取り組むべきだと声を
あげている。私たちは明日ではなく、きょう、正しい道に向かわないといけない。私たち
は重要な決定を下す必要があり、COP25がその機会だ』と述べたそうですが、排出量の
多いアメリカはトランプ政権が先月、パリ協定からの離脱を正式に通告したほか、中国や
インド、日本などの主要な排出国はこの初会合には参加していないそうです。

 小泉環境相は、後半会議で演説する予定だそうですが、自身はどのような主旨の発表を
するのか興味がありますが、そもそも、発表するための場としてCOP25があるのではなく、
気候変動問題をどうするかの世界揃っての会議であるわけで、このあたり少し認識が違って
いるのではないかと心配です。

 昨日の新聞(読売新聞)などでも、「さくらを観る会」などの記事は大々的に扱って
おり、それはそれでいいとしても、この世界的な大きな問題に対する記事は、20面以降に
取り上げられて、その内容も何だか他人事のような記事に思えました。

 政府も、マスコミも、通り一遍の取り組み話をされているようで、もっと力を入れるべ
きではないか? と思います。 しかし、先の地震で原発が停止し、火力発電を主力とし
た対応がとられており、自己矛盾を来す恐れから腰が引けているのではないかと思うのです。
 
 電気が無いと、それは困るわけですが、不要な電気まで野放しになっている、誰もそれ
を気にしない、気づかない国民ばかりで良いのか?とも思うのです。 例えば、もう少し
キャンペーなどを大々的にやるとか、具体的な問題、取り組みなどをことあるごとに示す
などして国民に浸透を図る工夫に努力すべきではないかと思うのです。

 個人が出来ることは、本当に“これで良いのか!”みたいなことなんですね。

たとえば、WWFなどによれば、

  • 公共交通機関を利用しよう
  • ヒートポンプや家庭用コージェネレーションを入れよう
  • 使っていないコンセントを抜こう
  • 買い替え時は省エネ製品を選ぼう
  • 冷暖房は冷やしすぎ、温めすぎ、つけっ放しをさけよう
  • 電力会社を再生可能エネルギー重視の会社に切り替えよう/グリーン電力を買おう
  • 太陽光発電などの導入を検討してみよう

で、特に、電気の消費を減らす「省エネ」を進めることが有効だとあります。 家庭の
消費電力は、主に冷蔵庫・照明器具・テレビ・エアコンの使用によって占められていて、
それらの使用を注意することなんですね。

 あの、国連サミットで渾身の演説をしたスエーデンの16歳の少女、グレタさんは、COP25
参加のため、もともとチリが開催予定国だったため、ヨットで渡米し、そこから陸路で
チリに向かっている途中から、再び大西洋を横断して、リスボンから夜行列車でマドリード
に向かう予定だとか。

 大国の天罰は、自分だけに降りかかるのではなくみんなに影響するのですね。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板混クリスマスコンサート’19 (bon)

2019-12-02 | 日々雑感、散策、旅行

 12月に入って冬らしい寒さの日曜日(1日)に、恒例の板橋区混声合唱団(板混)クリス
マスコンサートに行ってきました。 開場14:15の案内でしたが、14時には開場され、寒い
屋外で並ぶのを緩和してくれる心遣いがありました。

 15時開演に先立って、ステージでは、こちらも恒例のハンドベルによるクリスマス曲の
演奏が迎えてくれました。

         

                        

 プログラムは、テーマ曲「愛するふるさと」(板橋区制50周年記念歌)の元気な合唱で
始まりました。 続いて「木に寄せる5つの歌」(この曲は、今年 板橋区混成合唱だ創立40
周年を記念した委嘱作品で、7月の定期演奏会で初演されました。)の部分「木は旅が好き」
の静かな調べへと進んで行きました。

 プロローグが終りステージには、クラリネット、チェロの器楽が加わり、宮沢賢治の詩に
よる「岩手軽便鉄道の一月」より 数編の曲が、穏やかにそして軽快なテンポで繰り広げら
れました。 ピアノ伴奏に、クラリネット、チェロの優雅な優しいメロディ―が融け込んで、
曲のイメージが一層鮮明に展開され、時にのどかな、広々とした田園風景に誘うのでした。

             

 この曲の導入部の「序詞」部分を手持ちカメラで動画撮影しましたので、ほんの一部です
がお楽しみください。 また、最後の「星めぐり歌」は、宮沢賢治の作曲だそうですが、メ
ロディーに聞き覚えがあるので、過去にどこかで聞いたことがあったのでした 。

 今回の新企画で、クラリネット、チェロ、ピアノの三重奏の演奏がありました。
 三重奏に入る前に、それぞれのソロ(ピアノ伴奏で)が演奏されましたが、いずれも素晴
らしい演奏でした。クラリネットのあの丸い音色で「ファンタジア」の東洋的なメロディー
そして軽快なリズム・・、続いてチェロの激しいテンポの「タランテラ」は、あのチェロが
と思わせる面白さとともに明るい“運河を行く陽気な舟”をイメージさせる 共に素晴らしい
演奏が披露されました。一段と大きな拍手が館内に響いたようでした。 

             

 休憩を挟んだ後半は、会場全員で「聖夜」を二部合唱した後、ステージでは、クリスマス
色にお色直しされた団員の皆さんによるクリスマスにちなんだ曲「降誕のキャロル」「この
うるわしき大地に」の演奏、そして最後に、お馴染みの「サンタが街にやってくる」などの
楽しい曲が続いて、最後にクリスマスファンタジーメドレーで盛り上がり、大きな拍手で
終了しました。

            

  アンコールは、指揮者が、赤い毛糸の帽子をかぶり、雰囲気を盛り上げる中、ピアノ連弾
もされて「ホワイトクリスマス」を、ステージの照明を消して、団員の皆さんが手に手にキャ
ンドルをかざしながらの演奏は、素晴らしい演出と歌声に包まれたフィナーレとなりました。
 割れんばかりの拍手が続く中、今年も楽しいそして格調高いコンサートが終わりました。 
団長であり友人のW氏も元気にバスパートを務められていました。
 ありがとうございました。

             

 

宮沢賢治詩、林光曲「岩手軽便鉄道の一月」より「序詞」

 

板橋区混声合唱団 赤鼻のトナカイ 2019.12.1

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする