蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

秋波を送る  (bon)

2019-10-31 | 日々雑感、散策、旅行

    10月も最終日となりました。10月は雨が多く、台風・大雨で深刻な被害が出ていますが、
    昨日は穏やかな暖かい日で、友人とJR中野駅近くでランチをし、その後しばらく談笑に
    ふけってしまいました。
    帰宅後、まだ日が高かったので、ツタンカーメンのえんどう豆の種を植えました。


 秋波、秋波を送る というのは、相手の関心を引こうとする、色目を使う の意味ですが、
もともとは、秋の澄み切った水の波をいい、これが「美人の涼しい目もと」を指すように
なり、さらに転じて 女性が異性の気を引くためにする色っぽい目つき を表すようになっ
たとありました。 今では、性別に関係なく、相手の関心を引くそぶりをすることを指して
いるようです。

 最近、政治の世界で、この秋波があちこちで送りあっているようです。
 先だっては、自民党次期総裁を巡る人脈に、秋波を
送り合っていたかと思うと、この
日曜日(10/27)の、参議院埼玉補選で、埼玉県知事を4期務めた上田清司氏が大差で当選
しましたが、上田氏に対して自民党筋から、はたまた野党(立民、国民)からそれぞれ秋波
が送られているというのです。

 上田氏は、憲法改正に前向きだとかで、この補選には自民党からの対抗馬の出馬を控え、
いつでも入党歓迎の構えである一方、野党側では、もともと上田氏は、民主党衆議院議員で
もあったわけで、当然のごとく野党からの秋波が送られているのです。

 当の上田氏は野党共同会派には入らず、当面は「完全無所属」を通す考えとしているもの
の、28日の記者会見では「ずっと無所属というのは基本的にはありえない。自分の立つ
位置がどこが一番ふさわしいのかと見定める必要がある。」 などとの発言があったそう
です。

  

 女優、八千草薫が88歳で惜しまれて亡くなりました。 40数年前、原付自転車のCMに、
ソフィアローレンを起用したホンダに対抗して、ヤマハは、ヤマハセンターで免許取得した
八千草に白羽の矢を立て「パッソル」の広告で共に大ブレークし販売競争が続いたそうです。
 八千草は、多くの秋波を集めていたでしょうに、26歳くらいの絶頂期に、親子ほど年の
違う監督と結婚してしまうのですね。

 

      ツバキの花芽 5つくらいあります。(4年前にKaさんが挿し木したもの)
        
(10月30日)
         (記事内容とは関係ありません。)


         *秋波もいいですが、大臣任用人事の際は、あらかじめ週刊文春にお伺いを立てた
          方が良い??

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高裁判所  (bon)

2019-10-29 | 日々雑感、散策、旅行

 突然硬いタイトルで恐縮です。

 手元の会報に、一昨年(2017年)に退官されたという、櫻井龍子氏(元最高裁判事)の
在職8年を振り返った講演記録が目に留まりました。
 最高裁なんて初めて扉を開くような感じですが、かいつまんで紹介したいと思いました。

     最高裁判所
      (最高裁判所HPより) 

 「悲しい程に知られていない最高裁」と言われるほど、一般に知られていないこともあって、
司法制度改革が行われたとも言えるかもしれないと。 21世紀の変化の激しい国際社会に
追随できないことから、2000年頃から日本社会全体の構造改革の一環として司法制度改革が
行われたのです。
 櫻井氏が最高裁判事に就任した頃(2008年)は、すでに改革は進んでおり、裁判員制度
導入の直前であったそうです。

 確かに、私なども、裁判員裁判の導入には驚いた感覚が残っています。素人が、にわか
勉強して、うまく行くのか? 裁判官とのやり取りもかえって時間がかかり、お荷物?にな
るのでは・・? しかし、現実にはうまくいっているそうです。


 司法制度改革は、大きく3つの柱で構成されているとあり、①国民に寄り添った制度として、
・裁判の迅速化、・法テラスの導入(法テラスについては、当ブログ 2019.9.13 ご参照)、
・労働審判制度の導入(労働者と事業主との間の紛争を簡易迅速に解決する)、二つ目は
②法曹の在り方の改革として、・ロースクールの導入、・判事補の弁護士職務経験制度の
導入などで、司法試験合格者を増やすことと、一般社会の広い経験を積ませること、そして
③国民の司法参加で、・裁判員制度の導入があります。

 裁判員制度について、少し詳しく述べられていますので、ご紹介します。
 裁判員が参加するのは、重大犯罪の裁判に限られ、年間1000~1700件程度あるそうです。
これを、年間8000~1万人の裁判員が担当しているのだそうです。 裁判終了後の調査では、
95%の裁判員が「大変良い経験だった」との回答だそうです。裁判官のほうも、国民(裁
判員)の皆さんからの刺激も大いに受けたとのことだそうです。

          ホトトギス(記事と無関係です。)
           (2019.10.28.) 

 最高裁判所の役割には、①法令解釈の統一,②違憲立法(行政)審査権の行使について
述べられています。 ①の法令解釈の統一とは、最高裁の判決は最終審であるがゆえに、
下級審の判断を拘束し、最高裁は判例を出すことで、法律を作るのと同じ機能をはたして
いて、これを「法令解釈の統一」として、社会の法的安定性などを担保しているのです。
 日本は、「三審制度」が採用されており、第一審は地方裁判所や家庭裁判所、第二審は
高等裁判所で、第三審が最高裁判所となっているのです。②の違憲立法(行政)審査権と
いうのは、「一票の格差」「非摘出子の法的相続分」「女性の再婚禁止期間」などの訴訟
が扱われています。

 そして、最高裁判事の主要な仕事が紹介されていました。最高裁には小法廷が3つあり、
15人の裁判官が5人のグループに分かれて担当されていて、各小法廷は独自に判決を出せ
ますが、憲法判断にかかわる場合は大法廷を開く(年に2~3件)必要があるとのことです。

 で、最高裁には年間6000件の案件が上告されるので、1つの小法廷で約2000件が担当さ
れる計算になりますが、実際には、最高裁判所調査官(裁判官として15~20年の実務経験
を持つ約40名)が事前に審査し、約95%は、裁判官の書類審査で棄却ないし不受理とされ、
残りの約100件が合議にかけられるとのことです。この100件は、調査官が、一審判決、
二審判決、上告理由書、受理申立書などから、論点、判例、学説などをまとめ資料を作成
するそうです。

 最高裁の判決には、裁判官に反対者がいれば、反対意見、やさらにその反論を補足意見
として判決文に付けることができるそうです。


 最後に、最近の最高裁判決の事例として、①性同一性障害特例法の適用、②マタハラ判
決、③預貯金と遺産分割 が紹介されていました。

 そして、『悲しいほどに愛される最高裁』になれたら大変うれしく思う‥と締めくくら
れていました。

         マユハケオモト(6年前に滋賀県のNさんから頂いた物)
          (2019.10.26)

 長くなりますが、私が子会社にいたころ、2つの事案で東京地方裁判所にかかわったこ
とがありました。
 一つは、詐欺案件で原告として、もう一つは、労働案件で被告の立場で両案件を担当し
ました。 霞が関の地裁法廷に何度か出向いたり、虎ノ門の担当弁護士との打ち合わせを
したりした経験を思い出しました。

 法廷では傍聴人席でしたが、テレビや映画で見るような口頭弁論などは一切なく、ひた
すら準備書面の確認とわずかな質問、次回予定日の確定で10分もかからない簡単なもので
した。
 それでも、幅広い病院のような廊下の長椅子にそれぞれのグループが順番待ちをしてい
る光景は、やはり場所が場所だけに陰鬱な感じでした。 そして、よくもまあ、こんなに
たくさんの案件があるものだと思いました。

 ある時、裁判所を出ようとした時、大勢の報道陣が殺気立って身構えていて、一瞬ギョッ
と驚きましたが、ちょうどこの日に重大事件の裁判があったとかで待ち構えていたのでした。


Katherine Jenkins - Someone To Watch Over Me (Lyric Video)

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京支部総会’19 (bon)

2019-10-27 | 日々雑感、散策、旅行

 高校全校同窓会の東京支部の総会が、昨日(10/26)に大手町のサンケイプラザでありま
した。
 1901年い創立された、大阪府第一高女の流れをくみ、第6代大阪市長池上四朗氏(大正2年
就任)そして次の第7代市長 關一(はじめ)氏(大正12年就任)のご息女がともども入学
されたという歴史があり、第6代池上市長のご息女 紀子(いとこ)さまは、秋篠宮妃殿下
紀子さまのご祖母であるという伝統を受け継いできています。

 1949年に男女共学の新制高校となり、私は高10回生です。 このような伝統を受け継ぐ
同窓会の東京支部も、今は本科(女学校)の先輩方々も高齢となられ、総会には出席はかな
えられず、私たち高10回生は、いつのまにか総会では今や最長老グループに入っているので
すが、例年 最多出席を誇っています。今年も、最多12名が出席し、平素の結束の強さを示し
ていました。

大手町のビル(左がサンケイのビル)        受付
 

 総会では、母校から新任の校長先生、同窓会会長、東海支部長らの来賓からご挨拶があり、
続いて総会議事、乾杯、食事と楽しい時間を過ごし、中ほどには、例年、講演などが企画
されていますが、今年は、同窓生がテレビ局で 長年『ドリフターズ』の番組ディレクター
を務めていた関係から、ドリフメンバーの「高木ブー」さんとの対談とウクレレ・ハワイ
アンのご披露がありました。さすがプロの鍛えられた演奏に、座は 一気にエンタメムー
ドになりました。

 若い校長先生               同窓会会長
 


       わが同期の皆さん
        


 対談                  ウクレレ演奏
 


 いつものように、校歌を合唱し、最後の曲「今日の日はさようなら」を歌ってお開きと
なりました。


           校歌など合唱
        


       全員集合
         


 人生の中で、わずか3年を過ごしただけで、しかもその当時にはお互い話もしなかった、
ましてや回生が離れていれば顔を合わせることもなかった者同士が、一堂に集まり、さも
親しげに語り合える『融合剤』みたいなものは、一体なんなんでしょうね。

 そんなことを思いながら、私たち同期 12名は、総会の後、近くでお茶をし、互いの近況
や今後の同期会の行事等についても談笑を重ね、和気あいあいの内にお別れとなりました。
 大手町のややこしい地下道を案内に従って、それぞれの電車に向かったのでした。

     元気な同期のみなさん
       


 

今年も、今日の日はさようなら

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮭と鱒  (bon)

2019-10-25 | 日々雑感、散策、旅行

  収穫祭でのサケのムニエルがきっかけでした。

 蓼科農園での、10月の収穫祭は、畑で獲れたサトイモ、ゴボウなどの「芋煮」とセット
にして、例年サケ(新巻鮭)を1本調達しています。 イクラは醤油漬けにしてたっぷりと
頂き、本体は、ムニエル、サラダ、スープなど豪華に賞味しています。
 以前には、「サケのチャンチャン焼き」を畑のレンガ仕立ての俄か作りのカマドで焼いて
いましたが、焦げ付いてしまったりして、今一つ味が定まらず、もったいない感じがして
いました。

 そんな中、今回、サケとマス つまり鮭と鱒はどう違うのか? などの疑問が出て、一般
に、サケは、海にも出る魚でサーモン、マスは、海水には出ず、淡水の魚でトラウト・・
じゃないか、との意見が多数を占めたのでしたが、改めてチョット調べてみたくなりました。

     サケ(シロザケ)
      (ネット画像より)

 ネット(ウイキペディアなど)によれば、サケもマスも「サケ目サケ科」に属した魚で、
日本語における「鮭」と「鱒」には明確な区分はないようだといっています。『英語におけ
る「サーモンsalmon」と「トラウトtrout」は海へ降って海洋生活をするものと河川などで
一生をすごすものを区別していますが、しかし基本的に同じ種類であっても「河川に残る
個体」と「海に降る個体」が発生する種も多く、サケ科においてはその区分さえも曖昧に
なるのが実情です。』などとあります。

 たとえば、マスは、サケ目サケ科に属し 日本語名に「マス」がつく魚、と一般にサケと
よばれている(ベニザケなど)魚以外のサケ科の魚をまとめた総称だとして、主に、イワナ、
ヤマメ、アマゴ、ニジマスなどがマス類、トラウト類と呼ばれているようです。

 「鮭」と「鱒」は海と淡水域の双方を生活圏としているという他の魚にはあまり見られ
ない特殊性があると言っています。そのため同じ種類でありながら「河川に残る個体」=
陸封型(河川残留型)と「海に降る個体」=降海型 が発生する事や通常は降海しない種類
であってもその場の環境に応じて海に降りたりと例外が多くあるそうです。
 陸封型と臨海型を対にして挙げると、ヤマメ=サクラマス、ヒメマス=ベニザケ、ニジ
マス=スティールヘッドなどとなるのです。

 サケ目サケ科には、『 学術的にみるとサケ科の魚はイワナ属、タイセイヨウサケ属、
コクチマス属、サケ属など11属、六十数種からなるとされており、アユやシラウオは遠い
類縁関係とされています。』とあり、驚きです。

    サケ科
 (水産研究所HPより)

 
 また、『一般に日本で食用にされているサケ・マスの中で天然物は、大きく分類すると
「太平洋サケ」とも言われるシロザケ・キングサーモン・ギンザケ・ベニザケ・カラフト
マス・サクラマスの6種類になります。その他にサケ科の魚として稀少種のイトウやイワナ・
ニジマス(北米原産)などがいますが、食用として一般的なのは「太平洋サケ」とニジマス
です。』とあります。銀鮭や紅鮭も昔は、銀マス・紅マスといっていたそうですが、鮭の
高級イメージにあやかるために、銀鮭・紅鮭という呼称が定着していったのでは?と考えら
れているのです。

 代表的なものを、見てみますと、ニジマスは、『 ニジマスはそもそも河川の冷水域を
活動範囲とし、こうした淡水環境で生涯を過ごす陸封型のサケです。子孫を残す必要がない
養殖専門種であることから、栄養をすべて自分の身につけるため、大型になりがちなのも
特徴的。しかも、現在では海面養殖が行われており、より大型となる傾向にあります。』 
  産卵期が訪れると、体表に虹色のまだら模様が現れることが名前の由来とされています。

 サクラマス もともと『マス』といえばこのサクラマスのことで、体長は標準で60cmほど
と、ニジマスよりはやや大きいけれど、一般的なサケよりは小ぶりです。4月~6月の春から
初夏に旬を迎え、産卵期に変化する美しいピンクの体表が特徴的です。

  サクラマスは降海型なので、海水と淡水を移動するタイプのサケですが、海に出ず、一生
を淡水域だけで過ごすものもあり、このタイプのサクラマスを『山魚(やまめ)』と呼び、
渓流釣りの人気者です。『魚でありながら、山の幸のイメージが強い魚です。』と。

     ニジマス
      (ネット画像より)

  ベニザケは、サクラマスと同様、海に出る紅鮭に対し、同じ種類のサケでありながら、
川に残留するタイプのものをヒメマスとうのです。紅鮭は通常体長50~70cmで、サケの中で
もそれほど大きくはありませんが、ヒメマスはだいたい30cmとさらに小さめです。身の色が
鮮やかな紅色で、脂質が多いわけではないのになめらかで味も良く、大変人気がある高級
サケです。 支笏湖のヒメマスは、チップなどと呼ばれていましたっけ。

 アメマスは、降海型と陸封型の2種類があり、陸封型は『イワナ(岩魚)』なんだそうで
す。イワナといえばあの渓流魚で超有名ですが、これがサケ科の魚であることには気が回ら
なかったですね。
 しかし、イワナやアユの口元を見てみると、大きさは違いますが、どことなくサケの口に
似ているような気がします。

  以前、映像の仕事をしていた頃、「ルサ川」という川で、産卵に上ってくるサケの群れ
を、ハイビジョンカメラを水中に沈めて、サケが産卵する感動的な映像を作成したことを
想い出しました。

 長くなって恐縮ですが、あの「クニマス」について少しだけ・・。

 田沢湖で、1948年の調査により絶滅種として確認された「クニマス」が、2010年に『さか
なクン』(東京海洋大学名誉博士、客員准教授)が、クニマスのイラスト作成の依頼(京都
大学中坊氏から)を受けて、近縁種である「ヒメマス」を全国から取り寄せたところ、西湖
から届いたものの中に、クニマスを発見し、調査の結果クニマスと断定されたのでした。 
 1935年に田沢湖からクニマスの稚魚が放流されたのが生存していたということなんですね。

 

シューベルト ピアノ五重奏曲 「ます」 第四楽章

 

 

 

  

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大収穫祭‛19  (bon)

2019-10-23 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 最終の収穫祭です。

  これまで、15年以上にわたって楽しんできました蓼科浪漫倶楽部の『蓼科農園の活動』は、
今年、その幕を閉じることとしました。
 高校を卒業した後、それぞれの道に進んだ“ビジネスマン”たちが、還暦を過ぎた頃、
再びこの地で農作業に 共に汗を流し、友情と青春を再燃させて来た ズブシロの集団は、
既に一人前? 気取りで作業に勤しんできました。

  最後の大収穫祭を 10月19~22日に行いましたが、折しも広域に被害をもたらした大型で
強い台風19号(12日)は、中央道(八王子~大月間)を通行止めに、中央本線も不通にし
その復旧の見込みが立たないため、急きょ東名高速~御殿場~富士五湖 経由で大月Jで、
中央道に合流するルートを余儀なくされたのでした。

大月ジャンクションへ(左:長野、右:東京)  K邸の秋
 

 そんな中の大収穫祭は、関西方面からの参加も含めて、総勢10名が集い、サトイモ、サツ
マイモなどの収穫、マルチ、防草シートなどの整理をするうち、名残惜しい気持ちは、さす
がに抑えきれないけれど、これまでの大地の恵み、仲間との楽しい語らいに大いに感謝しな
がら、皆それぞれにその思いを噛みしめるのでした。

 前夜祭                 作業の一部
 

 

最後の収穫祭                           カマドの前でスクラム
 

 収穫は、サトイモ、サツマイモ、万願寺トウガラシ、タカノツメなど、どれも上出来でした。
とりわけ定評のあるサトイモは、型も良く、大豊作でした。サツマイモは、念願の “大きく
なりすぎない”ための「畑のカルシウム」効果もあったようです。

 黒豆は、実の入りも良さそうでしたが、もう少し霜に当てるため、来月11月の、いよいよ
クロージングの「畑じまい」での収穫を待つこととしました。

 サトイモ                  サツマイモなど
 

 畑の地主さんや、お世話になった方々にご挨拶も出来、前の畑のお母さん、諏訪中央病院
の看護師さんも畑にわざわざ顔を見せてくれたりして、いよいよのお別れ感が募るのでした。

 八ヶ岳に抱かれた大地に広がる蓼科農園での楽しい活動は、いよいよ来月の「畑じまい」
を最後に終わろうとしています。
 蓼科農園で生まれ、育まれた蓼科浪漫倶楽部は、畑作業終了後もこれからもずっと続きます。
 ありがとう皆さん!  
ありがとう蓼科!

       シンボルツリーの下で
        


 次回 11月の畑じまいは、蓼科農園 『最終回』です。

       最終回を迎える蓼科農園
        

 

 お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。(約、4分20秒です。)

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AI作家  (bon)

2019-10-19 | 日々雑感、散策、旅行

            ベランダのコブシが季節外れに花が咲きましたが、近所の植え込みに、
            大きな紫陽花が一輪咲いていました。やはり何かちょっとおかしいのかも。

 

 手元の会報に、“人工知能(AI)に小説は書けるか?”との設問に、面白いタッチ・
論調の投稿記事がありましたのでその一部を紹介しながら、私なりにも考察してみたいと
思いました。

 記事の投稿者は、円城塔氏(作家、東大学術博士)で、その冒頭に『書けるのかと言わ
れれば、それは書けるに決まっており、書けないのかといえば、それは書けないに決まっ
ている。』と、いわゆる“張り手型”で、問題が提起されています。

 『人間そっくりの情報処理を行う人工知能の中には、ある日、小説を書き出す奴だって
生まれるだろうに決まっていて、しかしここには、人間そっくりの人工知能が書く小説は、
小説そっくりに過ぎないのではないかという疑問が残る。』
 条件が決まれば、ある程度の定型的なものは書けるし、それらを進化させれば品質も
上がって行く・・それは機械の独壇場だとしながら、
『果たして読者は、機械的に生み出された小説の中から小説として優れているものを見出
すことが出来るのだろうか。』 『機械に小説を書かせようとする人は、「ある作家の
全作品」を機械学習させたりしようとするようだ。』

      (ネット画像より)

 しかしこれだと、不意に新人作家が誕生する・・ということは起きない。 そこには、
機械に与えるべき要素があり、たとえばその作家が生涯に読んだ小説のすべてや、家族
との会話、知人との関係、近所の風景や旅行の思い出などなど、もっと多彩な要素がある
だろうとしており、ついでに、『機械に手足も付けて、胃も付ける・・』 『という考え
を進めていくと、小説を書くのに必要なのは、人工知能というよりは、人工人間という
ことになって行きそうである。』

 『しかもその「人工作家」に創作の秘密を訊ねてみても、人間の作家が答えるような、
わかったような 分からないような内容になるに決まっている。なぜなら、そいつはただの
作家だからだ。』

 しかし、最後に『だがしかし、人間とは違った知覚を備えた機械は、人間とは異なる
文芸を発達させうるのではないか。 鳥にカメラを付け、情景描写をする人工知能を載せ
るだけでも新しい表現は生まれるかもしれない。』

 『この星に小説を書く生き物が人間一種しかいないのは、人間自身のせいであって、
他から生まれるかもしれなかった小説の可能性をつぶしてしまったのであり、自分たちと
は違う種の生み出す小説というものを人間はすっかり無視してきたのである。』

      (ネット画像より)


 引用部分がずいぶん多くなりましたが、結局、AIには独創的な小説は書けないとの流れ
だと思います。
  円城氏のいうAI構造は、膨大な事例がログとして蓄えられ、それらのデータを基として
記述された小説は、たとえば、日常の些細な経験も踏まえた中での創作を、とうてい書け
ないのではないかと言われていると思います。
 しかし、AIには学習機能があり、従来の単なるログデータの組み合わせ(による創造も
含む)だけでなく、他の条件、例えば日常生活上の経験などの情報を多数インプットする
ことによって、従来のログ(データ)から学習による新しいデータが創造され、それらが
蓄積されたログを超越したデータとして無限に増殖して行くわけですから、ある程度の
時間はかかるかも知れませんが、我々が評価できる小説がいつの日かできるのではないか
とも思います。

 出来上がった小説が、どのように評価されるかは、時代によっても違ってくるのでは
ないでしょうか。 もちろん、ミロのヴィーナスは、2000年の歳月を経てもなお美しい
ですが、美術の世界においてもその後の表現美は変遷していますし、音楽の分野でも歴史
の流れと共にそのスタイルが変わって行くように、文学の世界でも同じような変遷をたど
ることを考え併せれば、これから先、ロボット作家が現れても不思議ではないのかもしれ
ない・・と思うのです。

 

  今日はこの後すぐに蓼科農園に向かいます。 台風19号で、中央道・大月あた
りは通行止め、う回路もダメ、中央本線の電車も不通のため、東名から富士五湖回りで
中央道に入る・・そんな予定です。 今回は大収穫祭です。

 

人工知能AIが独自の言語を生み出す!

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コブシ咲く  (bon)

2019-10-17 | 日々雑感、散策、旅行

 ♫ しらかば~ 青ぞ~ら みなみ~風、コブシ咲く あの丘北国の~♪  のあの
コブシです。 (まだ停電や断水で苦しんでいる人たちが大勢いるというのに・・

 それが季節外れで、今、咲いているのです。台風19号に驚いたのか? いやいや、蕾は
もっと前からできていますから、台風のせいではなさそうです。 全体に気候がくるって
しまっているのかもしれません。

     10月中ごろに咲いたコブシ
      

 このコブシ、10数年前には、結構花も咲き、独特の果実(種)もでき、それを取り蒔き
して、何株も新しい若芽を育てて、おすそ分けしたりして、うち1鉢は、我が家にまだ健在
です。
 しかし、その後ずっと花が咲かずにいて、4~5年前の春に一つだけ蕾が付いて喜んで
いた矢先、鳥に見事に蕾を中ほどから噛み切られて残念に思ったことがありました。

 ところが、季節外れの今頃に、10数個の蕾が出来、そのうち1つが一人前の花を咲かせた
のです。 すぐに、もう3つぐらい咲きそうなんです。

 どういう風の吹き回しなんでしょう? 並んで置いている、ハナミズキには、赤い実が
出来ていますし、キンモクセイもたくさん花が付いており、こちらは季節的に正常なわけ
ですから、やはりコブシだけが少し狂っているのです。

 ウイキペディアによれば、『コブシ(辛夷、学名:Magnolia kobus)は、モクレン科
モクレン属の落葉広葉樹の高木。早春に他の木々に先駆けて白い花を梢いっぱいに咲かせ
る。果実は集合果であり、にぎりこぶし状のデコボコがある。この果実の形状がコブシの
名前の由来である。』  そうなんですね。 早春に、他の木々に先駆けて、純白の花を
いっぱい咲かせるのですね。

 ベランダのは、「姫コブシ」という種ですが、鉢植えのため、たくさんの花は咲かない
のです。それにしてもこの時期に咲いてくるなんて・・。

      角度を変えて
        

 夕方、久し振りに湯船につかりました。 夏の間は、シャワーでしたが、気温も下がっ
て来たので、湯船につかり、ラジオから、「羽生の宿」、「故郷を離れる歌」の合唱が
流れていて、のんびり目をつぶって聞き入っていました。

 

 

Home Sweet Home - Henry Bishop

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大嘗祭  (bon)

2019-10-15 | 日々雑感、散策、旅行

          広範囲にわたった台風19号の爪痕は、明らかとなるにつれて、その
      被害の大きさに 今更驚いています。こんなに、多くの箇所で河川の
      決壊、氾濫が起きるとは・・驚きです。被災された方々の大変さは
      想像を絶するばかりです。お見舞い申し上げます。


 皇嗣が新たに皇位に就くことを「即位」といいますが、これには手順があります。先ず、
『践祚(せんそ)』が行われ、前天皇から引き継ぐ新天皇の登場の儀で、今回は譲位でし
たから、それは 5月1日に行われました。つまり、『剣璽等承継の儀』いわゆる三種の神器
を引き継ぐ儀式でした。 
 平成天皇の場合は、昭和天皇崩御に伴う喪明けの平成2年に行われています。

 践祚に続いて、新天皇が皇位に就いたことを天下に広く表明するための儀礼『即位礼』
が行われます。これは、来週、10月22日の『即位礼正殿の儀』で、平安絵巻さながらに執
り行われるそうです。

 今年限りの特例の祝日に制定されています。 今回、台風19号で、広域に大きな災害を
受けていますから、関係者の内には、これらのお祝いごとを云々するかも知れませんが、
既に195か国の要人をお招きしており、内外の代表2500人が参列すると言いますから、すぐ
さま変更は出来ないかもしれません。 

 即位礼は、正殿の儀に続いて、パレードがあり、先日、ルートを確認されていました。

 

 そして、最後に、天皇が皇位継承てに際して行う祭祀である『大嘗祭(だいじょうさい)』
が行われます。7世紀の天武天皇の頃から始まった伝統的な皇位継承儀礼です。それまでは、
中国皇帝の継承儀礼の摸倣で権威化してきましたが、天武・持統政権は、ヤマトのアイデ
ンティティーを象徴する儀礼として大嘗祭という儀礼を創出したのだそうです。

 今年11月14~15日に皇居東御苑にて行われます。東御苑は、現在も開園されていますが、
天守台、大奥跡、富士見多門あたり一帯は、大嘗宮建設のため、立ち入り制限されている
ようです。

     大嘗祭(1990年)
      (ウイキペディアより)

     大嘗宮模型(1990年)
      (ウイキペディアより)

 践祚、即位礼の儀式は、国が行う、「国事行為」ですが、この大嘗祭は、公的な皇室
行事として行われるのです。  大嘗祭というのは、新天皇が一世に1度だけ行う、国家、
国民のために、その安寧、五穀豊穣に感謝し、また祈念し、その年の新米を食する儀式で
す。 毎年秋(11月23日)に行う『新嘗祭』とその意味するところは同じなんですね。

 しかし、例年行う新嘗祭と異なるのは、ただ一度だけのために「大嘗宮」を建てるので
す。そして、大嘗祭の意味は、もともと、天孫降臨の時代に、国民を飢えさせてはならな
いというアマテラスオオミカミの神勅を受け、何よりも五穀豊穣が大事であるため、それ
以来、126代にわたってこの儀式が守り続けられているのです。

 これは、神事であり、政教分離の観点から問題があるのではないか との提訴がなされて
いたり、また、秋篠宮さまが「国費ではなく、天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てる
べきだ」「大嘗祭のために祭場を新設せず、新嘗祭など宮中祭祀を行っている『新嘉殿
(しんかでん)』で行い、費用を抑える」などの具体的な提案を宮内庁に示されていた
そうです。

 政教分離に関しては、大嘗祭のみならず、践祚、即位礼も含めた議論としてこれまでも
論議されてきているようです。

 

ま、いろいろな意見もありますが、新天皇の主要な皇位継承儀式が、この秋、相次いで
行われるのです。古事記・日本書紀からの伝統に基づいているのですね。

 

 工藤隆氏(大東文化大学名誉教授)によれば、『この天武・持統天皇期にスタートした、
国家運営に必要な実利性重視の行政組織と、アニミズム(訳注:精霊信仰)系文化の伝統
を結晶させた祭祀機関からなる統治機構は 武士政権時代に移行した後も生き続け、明治の
近代化では国家神道としてさらに強化されさえした。敗戦後の民主国家の日本においてさえ
も、象徴天皇制としてその基本構造が維持されていることを見据えなければ、現代日本社会
の深部構造は把握できないのである。』  つまり不思議な国なんですね。

 また、先の新聞(10月11日読売)に、即位礼の装束について、記事がありました。 
『天皇陛下は、「束帯」を着用され、明治までは、参列する公家や首相ら政府高官も束帯姿
でしたが、新憲法下で行われた平成の即位礼では、宮内庁からは、伝統にのっとり束帯着用
が要望されたが、国民主権の民主主義の国になり、その国民の代表として相応しくないとの
理由から、現代の正装えんび服で参列した、とあり、今回の即位礼も陛下や皇族方は平安朝
の装束を着用されるが、首相、閣僚は洋装で参列する』と。

 普段は、何気なくやり過ごしている事柄ですが、ちょっと立ち止まってみました。


  ベランダのキンモクセイは、甘い良い香りを放っています。
     (10月15日)

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風19号  (bon)

2019-10-13 | 日々雑感、散策、旅行

 台風から一夜明けた今日(10/13)の関東は、すっかり晴れて、余波らしい、やや強めの
しかし何もなかったような爽やかな風が吹いています。 台風は、速度を速めて東北を通過
し海上に出ていましたが、テレビでは、各地の大きな被害を報じています。

  昨日(土曜日)は、列島東部は、台風災害に明け暮れた一日でした。 ここ埼玉でも、
早朝から 一面がガスった状態で雨が降り続いて、これが大事件が起きるのをじっと待つ
ような不気味さを表していました。

 ベランダは、金曜日の内に、剪定できるものはしたり、背の高い花木はフェンスに結び
付けたり、小鉢などは室内に取り入れて対策を取りました。 これらの作業をしながら、
今回の台風が本当に直撃すれば、この程度の簡易な対策では、全く功なく吹き飛ばされる
だろう、出来るだけ進路を東にとることを祈るばかりでした。

 

 テレビ番組は一日中、台風19号関連のニュースが組まれ、台風の進路が1時間毎くらい
に更新され、列島をめがけて薄緑色の大きな円の中に、赤い小さな円が描かれた台風が、
じわじわと接近してくる不気味な状況が迫って来ていました。

      (NHKテレビより21時)


 ケイタイには、時折、エリアメールなる警戒情報メールが入り、近くの川が警戒水位を
超えたから、避難するようにとの「レベル4」の通知がきたり、幸い我が家の地域は対象に
入っていないのですが、次第に身近に迫ってきている感じがして、いい気分ではありませ
ん。 そんな状況の中、夜6時半頃には、地震が来て、この地域は震度2と出ていましたが、
震源に近い千葉県鴨川は震度4とあり、何だか追い討ちにあっているような感じでした。
鴨川の河口近くでは、高潮もあって川は逆流していました。

 夜7時前に、台風19号は、伊豆半島に上陸したとニュースが流れました。 955hP、
風速40m、最大瞬間風速60m、北北東35km。 テレビでは、各地の暴風雨の模様や川の氾濫
危険水位を超えたとの映像が流れ、ひしひしと怪物が近づいていることが肌に感じとれる
のでした。 相模川上流の城山ダム他が緊急放流を開始すると報じられ、相模川が急に
増水し河川の氾濫の危険があると注意が流れていました。 他の川も、緊急放流があると
次々と伝えられ、いよいよ危険が迫ってきていることが明確となって来ていました。

 テレビの映像は、多摩川、千曲川などなど大きな川の ドウドウと流れる様子が映され
ていました。 21時頃には、ケイタイのエリアメールは、さらに頻繁に来るようになり、
その都度確認すると、とうとう避難指示(レベル5)になりましたが、幸い私の地域は
入っていませんでしたが、ごく身近にその危険が迫っていることが感じられるのでした。

      (NHKテレビより)

 大雨特別警報(レベル5)は、12都県に出されました。 超大型で強い台風だけに、そ
の影響範囲は大きく、広範囲な豪雨で大きな河川も危険水域にあるのです。数十年に一度
の災害だとも言っていました。

 21:40での避難指示は、280万人の規模に膨らんでいました。

      (NHKテレビより22時)

 鉄筋の集合住宅ですから、ガタガタ音がしたりすることはありませんが、時折、ご~っ
と揺れるような響きに、風の強さを感じながら、就寝ました。

 一夜明けた状況は、目を覆うばかりの惨事が放映されていました。 千曲川、多摩川、
阿武隈川はじめ、16の河川が決壊し、流域の住宅に浸水し、孤立した住宅から、ヘリコプ
ターによる救出作業が映されていました。 住宅や自動車などが容赦なく濁流に埋め尽く
されています。
 先の台風15号で、千葉県の広い範囲で被害があり、まだ復旧途上にある中、追い打ちを
かけられた形で、今回も強風で更なる被害を蒙りました。 長引く停電に苦しめられまし
たが、今回も関東、東北など広い範囲で停電が起こっています。時間が経ち、状況が把握
される次第に、停電の規模、復旧の見込みなどが明らかになるでしょうが、前回を上回る
規模になる可能性が予想されます。

 土砂災害も、今後さらに明らかになるでしょう。

 

 これほど広い範囲に、河川の氾濫・浸水とともに暴風による被害が発生したことは無い
のではないかと思うほどです。十数年に一度・・とも言われていました。 実態が明らか
になるにつれてその被害の大きさが判明するでしょうが、今の 日本にとって、大きな
ダメージであることは言うまでもありません。

 ベランダでは、強風に驚いたか、キンモクセイの花が一面に咲きだし、甘い香りを振り
まいていました。

 

 

【LIVE】千曲川の堤防決壊で住宅水没 住民の救助活動の現状は

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白血病治療の革命  (bon)

2019-10-11 | 日々雑感、散策、旅行

     今年のノーベル化学賞は、リチュームイオン電池開発の吉野彰氏が受賞されました。
     功績は既に、身近な情報機器、電気自動車など現代になくてはならない要素として
     使用され、その受賞は今か今かと待たれたそうです。 地球環境を守る大事なエネ
     ルギー源としても今後さらに期待されるでしょう。

 

 2019年という年は、従来のがん治療の概念を大きく変える新たな二つの治療法が加わり、
白血病・リンパ腫の歴史に刻まれる年であるのだそうです。
 白血病という名前くらいしか知らない者が、このような記事を取り上げるのは、甚だ
おこがましいことと承知しながら、この内の一つの治療法は実は、30年前の日本の基礎
研究が基となって、30年かけて世界をまわり日本に再上陸した画期的な治療法だという
ことで、敢えてここにその概要を紹介しようと思った次第です。

 手元の会報の記事、『白血病治療の革命をもたらした三十年前の日本の基礎研究』
(豊島崇徳(としまたかのり)氏、北海道大学大学院教授)を読んで、内容は専門用語が
たくさんあり、詳細な部分は理解できていませんが、その流れをご紹介し、今日的な
白血病に対する治療法の意義を伝えられればと思います。

      (ネット画像より)

 1980~90年代にかけて九州大学免疫学教室のグループは、臓器移植や造血幹細胞移植の
寛容(拒絶反応させない)を導入するための動物実験を行っていたところから始まるので
す。つまり、移植後、早期に大量の抗がん剤(シクロフォスファミド)を投与する方法が
発見されたのです。しかし、当時は、このような大量投与は、所詮マウスの話しで、ヒト
への応用などは考えられなかったのでした。

     (ネット画像より)

 もともと、造血幹細胞移植は白血病・リンパ腫などに対しての最終的な治療法として、
1990年に確立されていたのですが、これは、ドナー免疫細胞による 患者のがん細胞のみ
ならず正常臓器をも攻撃する免疫療法であるので、そのリスクを最小にするため、ドナー
とレシピエント(移植を受ける患者)のHLA(ヒト白血球抗原=白血球の血液型)一致が
原則だったのです。 この場合、兄弟姉妹間でHLA適合ドナーが見つかる確率は1/4とい
われ、少子化傾向にある現在、骨髄バンクなどボランティアドナーに頼らざるを得ない。

 そこで、HLA完全一致ではなく、両親から受け継いだ1つのHLAが適合した「HLA半合致
ドナー」からの移植が考えられたのです。これだと、血縁者間であればお互いにドナーに
なりえるのでドナー不足は一気に解決できるというのです。

 ここに、30年前の抗がん剤大量投与法を応用して、ついにHLA半合致移植に成功したの
です。日本で生まれたアイデアが国境を越えて臨床応用され、世界の造血幹細胞移植の
景色が一変したのです。 筆者の豊島氏は、当時の実験に関わっていた一人として、とり
わけ感慨深いことと思います。

 もう一つの治療法は、遺伝子改変キメラ型T細胞療法というもので、成分採血装置に
より、患者からリンパ球が採取され、遺伝子改変後 患者に輸注されるというもので、
特定の白血病に対して今年認可され、今後も適応が拡大されると見込まれています。
 この方法は企業主導の技術開発によるものであり、現在は超高額(3千万円超)であり、
その意味での制約があると言えるかもしれません。

 前者の、HLA半合致移植法は、新規薬剤の必要はなく、ドナー確保も比較的容易であり
当面有効な治療法だと考えられそうす。

 水泳の 池江璃花子選手は、入院して8か月になりますが 治療を続けているのですね。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒露  (bon)

2019-10-09 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(10/8)は二十四節気の「寒露」でした。

 寒露については、6年前の2013.10.8にも記事アップしていて、そこにネットから下の
記事を引用してコピーされていました。

『 秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになります。 この頃になると五穀の収穫も
たけなわで、農家では繁忙を極めます。  露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、
紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と
雁などの冬鳥が交代される時期でもあります。
 この頃は、大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなります。 夜には
月も美しく輝いて見えます。寒露の頃になったら、空を見上げてみてはいかがでしょう。
これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。』

 この文章では、穏やかな、寒露の頃の様子ですが、最近ではこうは行かないのかも
しれません。 大型で強烈な台風が、列島をめがけて、今週 土(12日)、日曜あたり、
最接近すると予報されて ラグビーどころではないかもしれません。6年前の
ブログ記事
でもお天気は優れず、台風が多かったようです。

     ベランダのススキ(10月8日)
      

 それでも、今年あの暑かった夏もいつしか秋の風に気を休め、このところの朝夕は、
寒さを覚えるほどになりました。「寒露」は、露が肌に冷たく感じる頃だというのですね。

 蓼科農園から帰宅した10/4の夕方は、既に日が落ちて月と木星が並んで輝いていました。
10/6は 上弦の月、11日は 十三夜と続き一気に秋へと進んで行くのですね。

 秋の風物詩に、奈良の「鹿の角伐り」があります。今年は、12~14日に奈良公園で行わ
れるとありますが、丁度台風とぶつかりそうですね。

         鹿の角伐り
      (奈良公園HPより)

 ベランダのキンモクセイは、まだ花が付かず良い香りは出ていませんが、6年前には、
もう咲いていましたから、今年は遅い?のですね。

 ベランダでは、ヒガンバナが終り、タマスダレ、ススキが咲き、コットンボールも
出来てきました。

      コットンボール(今年も出来ました。)
        
           

  ステルンベルギア           ネアポリタナム
 

 


 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アカカンガルー  (bon)

2019-10-07 | 日々雑感、散策、旅行

 先月の新聞(読売新聞)の『動物日記』にこの記事が出ていました。 東武動物公園
(東武伊勢崎線)の 関口玲衣さん の記事で、この動物園に現在10頭のアカカンガルーが
いて、このうち2頭の雌の袋の中に赤ちゃんがいるようで、時々顔をだしたりして、とても
かわいいと紹介されていました。アカカンガルーは、オーストラリアの乾燥した草原に生息
し、雄は体長95~140㎝、体重25~85㎏、雌はやや小ぶりで体長75~110㎝、体重20~35㎏
くらいと解説されていました。

     アカカンガルー
      (ネット画像より)

 ほのぼのとこの記事を読みましたが、すぐに、カンガルーにまつわるちょっとした事件を
想い出したのです。

 事件というのは、私が、子会社の映像関連の仕事をしていた時、中部地方にある大手運輸
会社の事業紹介ビデオを受注し、このビデオのタイトルや内容のイメージに“アクアカンガ
ルー”という、地域の水の都とカンガルーを結合したコンセプトを設定したのです。
 カンガルーの映像を得るため、会社の撮影グループは、千葉県成田市吉岡にある ㈱湘南
動物プロダクションに出向いたのです、そこは、映画などの撮影用動物を飼育していて、
小動物もたくさんいますが、お目当ては、ここのカンガルーを撮影するためでした。

 ところが、カンガルーを外に出して、撮影を始めているうちに、おとなしいと思っていた
カンガルーが突然走りだし、広大な森のような敷地に飛び入って、園内の東南アジアから
来ていた“象使い?”たちが、必死で追いまわして、2時間くらいもかかったでしょうか、
フラフラになってようやく捕まえて来たのでした。 20数年前のお話でした。

 ウイキペディアから参照しますと、カンガルーは、双前歯目、フクロネズミ目とも言わ
れ、いわゆるカンガルー目のカンガルー科カンガルー属に分類される有袋類で、オオカンガ
ルー、アカカンガルー、アカワラルー、ダマヤブワラビーなどがいます。オーストラリア
では、カンガルーを単にルーと呼ぶらしいです。

 食性は植物食で、草木を食べるそうです。繁殖形態は胎生で、周年繁殖し、発情周期は
35日、妊娠期間は33日1回に1頭の幼獣を産むそうです。幼獣が育児嚢から出たときには、
既に受精卵が出来、続けて幼獣を産むことができるそうで、幼獣は出産時1gに満たない小
さな体ながら、自力で育児嚢まで移動し、生後8~10か月は育児嚢の中で生活するとあり
ます。

 発情したメスをめぐり、オス同士は、体の大きさや腕の筋肉をみせつける誇示行動を行
い、尾でバランスを取りながら前肢や後肢を使って、まるでボクシングのような闘争を行
うそうです。

      争い
      (ネット画像より)


 雄は生後20~24か月で、雌は生後15~20か月で性成熟するそうですから、すごい繁殖能力
があるのですね。野生下で22年の生存記録があるとありました。

 俗説に、『西洋人が初めてオーストラリア大陸に上陸した際、現地人にカンガルーを示
して「あの動物は何と言うのか?」と訊ねたところ、現地人は西洋人の言葉が理解できない
ため、「(何を言っているのか)わからない」という意味で「カンガルー」と答えたが、
訊ねた側は「あの動物は“カンガルー”という名前らしい」と誤解してしまい、これがこの
動物の通称となった。』とあるそうです。

     ワラビー
      (ネット画像より)

 また、同じ種目に、ワラビーと呼ばれる、カンガルーよりも少し小柄なかわいい同じく
有袋類がいますが、厳密な定義はないそうです。
 ラグビーのオーストラリアチームのエンブレムは、ワラビーです。剛健な体格に可愛い
エンブレムがあしらわれているのですね。 日本代表のは、さくらですね。

     ラグビーオーストラリアチームのエンブレム
      (ラグビーエンブレムHPより)


 チョットした記事から、長めの記事になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

収穫祭準備と大整理‛19  (bon)

2019-10-05 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

            今日(10/5)はテレビ観戦が忙しい。 ラグビーW杯、イングランド、 南アフリカ、
      それと日本対サモア、日本女子オープン、バレーボールW杯(男子)、
プロ野球 CS
      第1戦、
フィギュアスケートジャパンオープン、0時からは、世界陸上ドーハ大会・・
        スポーツは面白い!

 

 いつまでも暑さが残る10/2~4の今回は、短い2泊3日で、下旬の収穫祭の準備と拠点の
K邸などの大整理をしました。台風18号の接近でお天気が危ぶまれましたが、おかげさまで
3日目未明からの雨も朝方には上がり、またまた暑い日が戻ってきました。

 そんなことで、畑の整理、K邸の整理は順調に進みました。防草シート、マルチなどの
大量のゴミだしは、通常の“ダストボックス”では回収不可で、今回事務所などで問い合わ
せて、専門の業者さんに持ち込み、かなりの高額料金で引き取ってもらいました。

 収穫祭で掘り上げる、サトイモ、サツマイモなどの畝のマルチや畝間の防草シートなど
まだまだたくさんのゴミ出しが予想されますので、これらも覚悟しておく必要があります。

 蓼科農園の周りの田圃は、黄金色の稲穂がまだ残されているところもありますが、大半は
収穫されて、稲わらの美しい模様が作られていました。 わが農園は、暑さが続く中でも、
さすがにこの時期ともなれば、雑草の背丈は目立たなく、コスモス、ススキ、吾亦紅などが
今を盛りと風に揺れていました。しかし、今回も、八ヶ岳の勇姿は雲の中に隠れていました。

周囲の田圃あ(黄金色の稲穂)              畑へ向かう
 

      
      マルチなどの整理
       


 蓼科農園の コスモス             ススキ
       

 サトイモを1株だけ、試し掘りしてみました。満足のゆく出来栄えで、次の収穫祭で掘り
上げに期待が高まりました。サツマイモは、試し掘りをせず、ぶっつけ本番としました。

          元気なサトイモ
       


 ジャガイモを植えていた場所は、今は防草シートで覆われていますが、その一部をはずし、
野外での芋煮用の、カマドの設定も完了しました。

カマド設定                 シンボルツリーの下でお茶タイム
 
         

 一方、K邸では、ニセアカシア、モミジなどの庭木が枝を伸ばし、道路にかなりはみ出し
て交通の障害になると思われる枝、あるいは木そのものを切断したり、畑作業とは別の
大型作業? に取り組んだりして、汗だくになりましたが、作業後は、素人目にもスッキリ
と俯瞰できる姿に、みんな満足したのでした。 
 しかし、今回の作業全体を振り返ってみて、いつもの定型?作業以外に、初めての作業も
たくさんあって、ややバタバタしい感じもありました。

  庭木の整理(道路面)
 

 夜は、みんなでお鍋(水炊き、2日目はスキヤキ)を囲み、アルコールも加わって、いつ
ものように賑やかな談笑に時の過ぎるのも忘れていました。
 それにしてもみんなタフだなぁ~!

 K邸の前で               須玉あたりからの富士山
 

 

お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。(約3分30秒です。)




 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私鉄  (bon)

2019-10-01 | 日々雑感、散策、旅行

           今日から10月に入りました。 何度も変更された消費増税が今日から
           実施されますが、一部で混乱があるかもしれません。
           プロ野球のセリーグはCS出場が三つ巴のようでしたが、ようやく昨夜
           猛虎に決まりました。

 

 先だって、久し振りに小田急線に乗る機会がありました。 入社した頃(1967年)、沿線
の千歳船橋というところの独身寮にいましたから、その頃は毎日小田急線にお世話になって
いました。 ラッパのような音を鳴らして走る特急ロマンスカーも珍しかったですね。

    小田急ロマンスカー(当時)
      (ウイキペディアより)

 そんなことで、なぜか私鉄の歴史みたいなことが気になって来ました。 鉄道のことに
ついては、hinotorigusaさん(ブログ名)が超詳しいので、とてもそのようなお話にはなり
ませんが、思いつくまま、ネット等を参考に概観してみました。

 鉄道の最初は、明治5年に開業した、ご存知、新橋~横浜(現桜木町)の国有国営の路線
でした。 ウイキペディアに、
『その後、西南戦争(明治10年)により、政府財政の窮乏から、幹線鉄道網の一部は日本
鉄道などの私鉄により建設された。しかし、日清・日露の両戦争を経て、軍事輸送の観点
などから鉄道国有論が高まり、1906年(明治39年)に鉄道国有法が制定され、日本の鉄道網
は基本的に国が運営することとなった(一部の私鉄は民営のまま残ったが、一地方の輸送を
担うのみとなった)。その後も、鉄道施設法に基づいて、私鉄の買収国有化が行われた。』

 大きな流れは、そのようであったようですが、明治初期は、私鉄が次々と開業していった
のですね。

 1881年(明治14年)には、日本初の私鉄、日本鉄道が設立され、現在の東北本線や高崎線、
常磐線などの基になり、その後幹線の整備を行う私鉄会社が誕生し、日本鉄道の他に北海道
炭礦鉄道、関西鉄道、山陽鉄道、九州鉄道を加えて、明治の「五大私鉄」とも呼ばれたそう
です。

 1885年(明治18年)には、関西経済界の重鎮らが発起人として設立した阪堺鉄道が難波駅
~大和川駅(後に廃止)間を開業し、後に南海鉄道(現在の南海電気鉄道)の南海本線の
一部となります。これは、純民間資本として現存する最古の私鉄
であるそうです。

 その後、1930年までには、現在の大手私鉄と呼ばれている鉄道会社の主要路線が開通する
ことになるのです。 ここで、私鉄の路線建設や経営に関して、東武鉄道の根津嘉一郎、
西武鉄道の堤康次郎、東京急行電鉄の五島慶太、阪急電鉄の小林一三など有名な個性的な
経営者が名を連ねています。

 大手私鉄営業キロランキング (ランキングサイトより)
 


 大手私鉄売上高ランキング( 単位:百万円)(ランキングサイトより)
 

 乗客誘致のため、沿線の宅地開発を行ったり、遊園地などの集客設備を作った例も多く
あったそうです。 中でも、阪神電鉄は 1924年に甲子園球場を建設し、1935年にはプロ野
球チーム大阪タイガースを設立するや、ライバルの阪急電鉄は翌年阪急軍(阪急ブレーブス)
を設立して対抗しました。 この施策は多くの会社に波及し、関西圏に多くの球団が存在
する要因となったそうです。

 ちょっと横道にそれますが、プロ野球球団の変遷を図にまとめてみました。 元図は、
かなり詳細でしたので、一部割愛して代表的なものを優先して図にしました。

 プロ野球球団の変遷 (ウイキペディアより作図しました。)
 

 また、ターミナル駅へのデパート併設は 1920年の阪急梅田駅が最初で、その後各私鉄の
ターミナルに次々とデパートが設置されるようになりました。 それから、100年ほど過ぎ
た現在、デパートの存在も様変わりする時代となりました。

 この他私鉄各会社では、新技術というか、新しいサービスを取り入れて、その特色をア
ピールした時代もありました。

 その昔、1957年(昭和32年)頃の近鉄特急には、列車電話サービスが、京阪電車にはテレ
ビカー(1954年)が設置されたりしていました。
 当時私は、時々京都にある親戚の家に遊びに行く時、国鉄より数分時間が短いのとテレビ
カーのある京阪特急を利用していました。 天満から門真あたりを通過しますが、カーブが
多くテレビ画面は乱れ放題でした。現在ならこのような乱れはないでしょうが、当時はテレ
ビ受像機搭載特急という先端性が売りだったのでしょう。 今では当たり前の、自動改札も
近鉄から始まったのでした。

 北斗星、トワイライトエクスプレスに始まり、ななつ星などJR特急もサービスに力を注い
で、移動交通手段から快適旅行コンフォートとしての地位を確保しているのですね。

 乗り入れも大幅に取り入れられ、おまけに、スイカやパスモで乗り継ぎが出来る大変便利
な時代になりました。

 ちょっと前、“新幹線に乗るから、よそ行きの服を着て・・”という時代も懐かしく感じ
られます。

 

 明日から、蓼科農園に行ってきま~す。今回は、サトイモ、サツマイモ試し掘りと収穫祭
準備の整理などがメイン作業です。台風はどうでしょうか?

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする