蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

不思議な日本語(48) (bon)

2024-04-29 | 日々雑感、散策、旅行

 今年もGWと呼ばれる大型連休に入りました。 会社勤めでまだ若い頃、「中〇日
お休みとると○○日連続休みとなる・・」この休みを使ってどこかに行こうか? 
 上の〇、今年、〇は4/30~5/1、2で、○○は10となります。 旅行会社の企画
広告なども、この期間を充てた豪華?ツアーもたくさん出されていました。 今は、
遠くに思うだけのGWとなっています。

 昨日(4/28日)の衆院補選は力が入っていた割には、投票率は低く、与野党一騎打
ちの島根1区でも、54%強でしたし、東京15区は50%にほど遠く、長崎3区に至っては、
前回(2021年)を25%以上大幅に下回り35%台でした。各地域とも立民が当選しま
したが、やはり今回の政治資金問題が響くと共に、このことがさらに政治から国民を
遠ざけてしまっている証かもしれません。 これでは、選挙の意味合いにも疑問が
もたれかねないのでは・・? また、今後の政局に影響はどのように現れてくるで
しょうか?

 

 さて、今月も不思議な日本語の時が来ました。早いですね。例によってランダム
ですが、面白い言葉が出てきていますでしょうか? では・・

 

 ・機嫌  「ごきげんよう!」などの機嫌です。辞書には、「表情や態度にあら
われる気分のよしあし。快・不快などの感情。気分。」とあります。 気持ちに関
することなのに「気」ではなく「機」なんですね。

 ネットを見ていましたら、駒沢女子大学のページに『日頃から「機嫌をうかがう」
「機嫌をとる」「ご機嫌ななめ」など、「機嫌」という言葉は、実に多彩な使われ
方をする日常の仏教語です。一般的に人の気分の善し悪しを表現するときに使います
が、本来はどのような意味だったのでしょうか。』とあり、『「機嫌」は古くは
「譏嫌」と書く戒律の名前でした。正しくは「息世譏嫌戒(そくせきげんかい)」
といって、世間からお坊さんが機嫌悪く思われることを息(や)めさせる戒めだった
のです。譏は「そしる」、嫌は「きらう」という意味ですから、「譏嫌」とは、
人々から“そしりきらわれること”です。』

         (駒沢女子大学ページより)

 そうなんだ。もともとは誹り嫌がられることなんですね。

『お釈迦さまの時代、お坊さんは修行に専念する必要がありましたから、労働は一切
禁止、つまり生活面はすべてお布施に頼らなければなりませんでした。 それゆえ
お釈迦さまは、常にお坊さんが世間から尊敬されるべき存在であることに、人一倍
気を遣ったのです。贅沢をしたり、誤解を招いたりする行動はもちろんのこと、悪事
をはたらくなどはもってのほかです。』

 「酒を飲まないこと」や、ニラ・ニンニクなどの「五辛を食べないこと」も「譏嫌」
の戒めに入るとあります。それ自体悪い行為ではないが、結果として酔ってだらし
なくなったり、あるいは臭気で坐禅の妨げとなったりするような間接的な悪行も未然
に防いでいるのです。
 そして、『やがて「譏嫌」は他人の内心や思惑などを指すようになり、さらに
「起居」「安否」「様子」と意味が徐々に拡大して、今の「機嫌」となりました。』
と結ばれています。

 つまり、もともとは「譏嫌」は他人に不快感を与えるという意味合いでしたが、
仏教ではこの「譏嫌」を戒めるとの教えから、むしろまわりに不快感を与えないとの
意が強くなり現在の「ご機嫌」が示す気分を表現しているのでしょうか?
 ご機嫌が悪い、機嫌を直す、ご機嫌麗しく・・など、その人の気分のあり様を示し
ているようですね。 
ご機嫌ナナメ・・など、面白い言い方ですね。

 

 ・文楽  文学、数学、理学・・などは学問で、絵画や彫刻などは美術、そして
音に関しては音楽との流れから、この「文楽」を広く一般的に芸術とすれば、どう
いう流れからなのか? ・・なんて思っていましたら、全くお門違いもいいところで、
大阪の「文楽座」で興行されていた人形浄瑠璃のことを「文楽」と呼んでいる‥と
ありました。

         (ネット画像より)

 ウイキペディアに、『文楽とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地と
する人形浄瑠璃の系譜。太夫・三味線・人形の「三業(さんぎょう)」で成り立つ
三位一体の技芸である。文楽=人形浄瑠璃ではない。』とあります。

 そして少し調べてみると、「文楽」というのは人の名前なんですね。 1810年に
淡路(現、兵庫県淡路市)に生まれた、植村文楽軒(本名、正井与兵衛)なる人が、
大阪(現、日本橋)あたりに人形浄瑠璃のけいこ場を開設し、代々人形浄瑠璃を継い
で、明治に入って転々としますが、御霊神社内(現、大阪淡路町)に「御霊文楽座」
を開設して長く繁栄することになるのです。

 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が重要無形文化財に
指定されています。

 大阪の伝統芸能として発展した人形浄瑠璃は、現在では一般的に「文楽」と呼ばれ、
海外でも「BUNRAKU」として親しまれていますが、もともとは、人形浄瑠璃のこと
なんですね。この技芸が人の名前で代表されるというのも珍しいことではあります。

 大阪(日本橋)に立派な国立文楽劇場(1984年開場)があります。私はここを訪れ
たことはありませんが、東京千代田区(三宅坂近く)の国立劇場(1966年開場)で
文楽を上演していたのを何度か見に行ったことがあります。浄瑠璃の語りも、今では
字幕が出て内容が分かり易くなっていました。

        国立文楽劇場
        (ネット画像より)

 

 ・目鼻が立つ 目鼻がつく とも。 これも人形のお話ですが、人形を作るとき、
最後に一番難しい目と鼻を書き入れることから、もう完成に近いという意味で言った
言葉がその語源とあります。 「ものごとの大体の事が決まる。おおよその見通し
が立つ」という意味で、従事してきた計画などの骨子が、できあがったときなどに
使われますね。山登りで言うと、何合目かまでは登った、という段階だとあります。

 これに対して似た言葉に、「目星がつく」は「見当をつける。目標とするところを
決める」という意味で、「目鼻がつく」が進行の中間地点や大詰めを表すのに対して、
「目星がつく」は、やっと見当をつけたり、目標が定まった、という程度の初期ある
いは、それ以前の予測という時に使われ、山登りで言うなら登る前の計画を立てた、
という段階だと。

 また、「目処」という言葉は「目標や見通し、おおよその検討」を指し、「目処
が立つ」とは、「目的を達成する見込みがつく」という意味で、実現可能性が見えて
きたときに使われます。 「目処がつく」という言い方も、「目処が立つ」とほぼ
同じ意味のようです

 

 ・鎖国  よくご存じのように、江戸幕府が実施した外国人の渡来や日本人の東南
アジア方面への出入国禁止、貿易を管理・統制・制限した対外政策で、一般的には
1639年の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年の日米和親条約締結までの期間
を指しています。 しかし、実際には完全孤立状態ではなく、オランダや一部イギ
リスや中国、琉球などには開かれていました。

 で、この「鎖国」という言葉は、1801年に志筑忠雄という人が『鎖国論』を著した
ときに新造語として使った言葉で、当初はあまり広まらなかったようだとあります。
明治以降の研究者によって『鎖国令』などと呼び使われたそうです。

 徳川幕府は、ヨーロッパから伝えられるキリスト教が、幕府の日本統治に好ましく
ない影響をもたらしていると考えたことから外国船の入港地制限や貿易統制を行った
外交政策が「鎖国」と呼ばれているのです。 国を鎖で縛りつける・・という発想
はすごいですね。

         (ノジュールより)

 ・空恐ろしい  思いがけないことが起こりそうだという、将来のことを思って
不安を感じるさまを表わす・・とありますが、なぜ「空」なのでしょうか? 空恐ろ
しいとは、どう恐ろしいのでしょうか?

 意味は「なんとなく恐ろしい、不気味だ」というときに使われます。つまり、

言い
ようのない不安などを表す際に使われることばです。

 この「空」は「スカイ」の空ではなく、「実際はそうではない、実態がない、なん
とな
く」といった意味を単語に加える「接頭語」なんですね。「空耳」などの「空」
も同じ接
頭語です。「絵空事」もおなじですね。

 

 

 

 

Patti Page - The Tennessee Waltz (1950) & Changing Partners (1953)

 

 

 

 


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