老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

麻生氏の「憲法解釈変えるべきだ」発言

2008-09-27 11:08:29 | 自民党政治
誇れるのはDNA(これってどんなに努力したって変えられない。生まれ出た後の積み重ね・研鑽だけがその人の全てだと思っているが、政治は「家業」と心得ている輩が列をなしているこの社会では、とんだ心得違いと鼻で笑われるのがオチかもしれません)だけみたいな宰相殿が、言ってくれました。「集団的自衛権」の行使についての憲法「解釈」を変更すべきだと。

早速、留守を守る女房役などから「慎重に」の声が上がっているが、これとて選挙を意識してのその場しのぎ見えみえ。
 
「自主憲法制定」を掲げている党であり、その第一のターゲットが九条でしょうから、驚くにはあたらないが、この「解釈」と言う言葉・行為が大手を振ってまかり通ること、そのことにどうにもならない違和感を持つ。

憲法以下制定される法令には、すべてそれを必要とする社会的な背景がある。それが定められた社会的背景そのものに変化が生じたときは、それに対応する法令を新たに制定し、それまでの法令は廃止する。これこそが立法機関たる国会の存立意義なのではないのか。
 
新たな法令の制定は、その過程において必然的に衆目を集めることとなり、その当否・利害など根底からの検討が幅広く行われ、よって民主主義を支える「公開性」という一つの柱が守られることになるのではなかろうか。
 
「通達行政」などという「解釈運用」の常態化はもとよりのこと、一部改正などという机の下でゴソゴソやって、制定された当時の社会状況などその法令の本旨を形骸化しての「改正」などは、許されるものではない。近時、さまざまな弊害を振りまいている「労働者派遣法」などは、その好例であろう。

憲法もまた、当然過ぎるほど当然に「然り」である。「解釈憲法」などもっての外と言うべきである。現憲法が制定されてからのこれまで、「解釈」の名の下にいかに踏みにじり続けて来たことか(朝鮮戦争のときに、海上保安庁が戦闘行為の一端を担わせられていたという極秘事実すら最近明らかにされている)。

「法令に対する向合い方」を、よりシビアにする国民性というものは、どのようにすれば育っていくものなのだろうか。「お上任せ」というDNAは変わりようもないさ、の囁きが聞こえてきそうな気もしないでもないが。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山 

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