米国議会は次年度予算成立を阻み、一部の政府機関を閉鎖してまで国民皆保険制度の成立を拒んできたのですが、取りあえず暫定的に債務上限の引き上げと予算を成立させて急場をしのいでいます。その後の状況についてはホテルの食品偽装などのどうでもよい問題に消されて日本では詳しく報道されることがありません。TPPなどで米国の保険業界が次の収奪のターゲットとして日本の市場を狙っているのに米国の医療事情に無関心でいられるのはお目出度い限りですが、知り得た限りでの現在の状況について備忘録的にまとめておきます。特に堤 未果氏の「ルポ貧困大国アメリカII」(岩波新書1225 2010年刊)は1994年に私が米国留学していた頃実見した米国医療の実態といかに様変わり(より悪化した)したかを知る事ができて感慨深い物がありました。
○ オバマケア(ACA)滑り出しのごたごた
New York Times によると、オバマ大統領は10月1日から開始したオバマケア(Affordable Care Act)により、以前の条件で加入していた被保険者達が次々と一方的に保険を解約されている(数十万人規模)問題について「何とかする(fix)」と記者会見を開いて釈明しました。元々既往歴があっても全ての国民が保険に加入できる皆保険を目指した新保険制度(ACA)を成立させるにあたって、「現在加入している民間保険が気に入っていればそのまま継続できる。」と説明していたのに「制度の基準を満たさない」という理由で古い契約条件の保険を被保険者が保険料をきちんと払っていても一方的に解約されるというのは、新保険制度に対する嫌がらせ的な民間保険会社の処置といえます。議会はこれを受けて2014年いっぱいはいままでの制度で保険継続ができる修正条項を可決したと伝えられています(ACAに沿った保険に入らないと罰金が処せられる決まりだから)。
新しい政府管掌のmarketplaceという保険も当初ネットがつながらないなどの障害が出て加入が伸び悩んでいたようですが、一ヶ月経過してやっと加入者が増加しつつあるということです。
○ 皆保険を力づくで阻む茶会と保険業界
今回一部政府機関の閉鎖にまで追い込んだのは共和党の中のティーパティーと言われる保守派と言われています。当初はティーパーティーは米国設立当時の思想に帰る「草の根的活動」を連想させる地味な団体のように思われましたが、月刊誌「選択11月号」によると、製薬保険業界が多大なロビー活動としての資金提供を行って茶会を陰で操っていると言われ、業界はこの5年間で1,000億円以上の金額を医療改革反対のために使っているそうです。茶会の起源は煙草産業のフロント団体だそうで、2002年頃に積極的に活動を初めたようです。共和党が多数を占める下院ではこの3年で40回以上オバマケア廃止の法案を可決、民主党が多数を占める上院がその都度否決してきた由です。
米国の医療が商業主義、拝金主義であることは以前から指摘してきましたが、米国の一人当たり医療費は寿命世界一の日本の2.7倍であり、GDPに占める国民総医療費の割合もOECD平均の2倍(日本は平均並み)あります。米国民の6人に一人は無保険者で、保険に入っていても年間170万人(75%は有保険者と言われる)が自費分の医療費を払えずに「医療破産」します。その理由はぼったくり医療でも示したように医療費が医療者側の「言い値」で決めて良いこと、保険業界が保険の適応範囲や医療機関への保険支払いなどについてこれも保険業界の「言い値」で商売していることによります。統計によると98年から2012年までの政治家に対する業界別ロビー活動費用は他の業界が計1,000億円程度なのに製薬医療保険業界は6,400億円(1$100円として表赤線)と飛び抜けて多額であることが解ります。仁の思想がない米国民主主義ではお金を沢山出してくれる団体の言う通りに社会制度が決まりますから、米国の医療制度が製薬・保険業界の思惑通りに決まる事も頷けます。
○ オバマケア自体の問題点
ヒラリー・クリントンの時代に始まった米国の医療保険改革は日本型の単一支払い制度に基づく国民皆保険を目指していました。しかし実際には1-2社の「民間」保険会社によってそれぞれの州の医療は賄われており、国民が保険会社を選ぶ自由は実質的にないにも関わらず、単一支払い皆保険制度は社会主義的で自由主義に反する、医療の質が下がる(日本やカナダなどの良質な手本が示される事はない)、というキャンペーンによって単一支払い皆保険制度は常に潰されてきました。今回のオバマケアも共和党の強い反対で結局公的保険との並列になった上に、製薬会社は薬価や値上げ分を自由に決める権利を既存薬の僅かな価格低下と引き換えに政治上勝ち得ているので、いずれにしろ「濡れ手に粟」の状態であると言えます。現行の公的医療保険であるメディケア(高齢者)メディケイド(貧困者)の医療費が連邦予算の1/6を占める状態では、新しい保険制度も遠からず補助予算で賄いきれず破綻することが予想されます。つまり民間保険をなくして、公的保険のみによる単一支払い制度にしない限りオバマケアは行き詰まる運命にあるのです。
○ 米国では町医者が不足しているという日本と逆の構図
日本では病院勤めの勤務医よりも開業医の年収が倍以上あり、年々激務を強いられる外科や小児科、救急を専門とする勤務医が減少している事が問題となっています。しかし米国では逆に専門医よりもプライマリーケアを扱う医師の年収が低く(開業医は1500万円、専門医は3000-4000万円-これでも開業医は日本の勤務医より多いと思うが)、しかも自費分の医療費を払えない国民が急増しているために、経営が赤字化して廃院になる病医院が続出しているそうです。2025年までに全米で4万人の家庭医が不足すると言われていて、現在でも風邪や腹痛などで医者にかかろうとしても最低10日は待たされるそうです。救急を扱うERは「保険の有無」で患者を拒否することが法律上できませんが、ERの平均待ち時間は1時間、無保険者が増加して赤字化するのでER自体を閉鎖する病院が増加しています。全米に先駆けて州民の皆保険を実施したマサチューセッツ州では、家庭医不足のために初診の待ち時間が63日になり、制度自体が崩壊したということです。だから今回のオバマケアも全米の医療需要を満たすために専門医を含めた全ての医師達に日本の医者と同じ激務を強いる必要があるのです。(日本は逆に全ての開業医が24時間救急を順番で見るようにならなければ現在の制度は崩壊します)
○ 収奪の対象とならないためには
TPP推進派の人達は「国民皆保険制度の既得権益者は医者達」などと根拠も示せない嘘を言いふらしていますが、国民皆保険制度の一番の既得権益者は「日本国民全て」であることを肝に銘じておく必要があります。テレビをつけると白黒のアヒルがガアガア言い合いをしていますが、黒いアヒルの言い分が正しいということが米国の医療事情を見れば明らかです。93年頃にヒラリー・クリントンが医療保険改革を進めようとしていた時に、保険会社はどこにでもいそうな白人中年夫婦「ハリーとルイーズ」を使って、皆保険制度になると医療の質が低下して保険料も値上がりするというネガティブキャンペーンをテレビCMを用いて大々的に行い、世論をひっくり返したと「貧困大国アメリカII」で紹介されています。農業におけるセンシティビティ分野は関税を死守するという日本政府の言葉を未だに信じている人はいないでしょうが、「国民皆保険を守る」という約束も「あの頃はそんなこと言ってたなあ」と懐かしむ時が遠からず来るように思います。あんなに簡単に日本の米作について「死守を諦める」とは第二次大戦で本当に島々を死守してくれた英霊達に会わす顔がないと私は思いますが。
米国民から収奪しつくした保険業界が次に狙うのは日本でしょう。国民全てが国民皆保険の既得権益者としての自覚を持って絶対死守の抵抗勢力にならなければ容易に日本は収奪の対象になってしまうのではと危惧します。
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