rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

政治における嘘は学校教育に影響しないか

2012-07-10 23:58:57 | 政治

小学校では「嘘をついてはいけない」「嘘つきは泥棒のはじまり」といった例えで人をだます事なく、社会の一員として真人間として生きてゆく道を教えます。中学生くらいになると、実社会では当初言っていた事も諸般の事情で変更しなければいけない事態も生じてくるということも習い、しかし前言を翻すにあたっては皆に変わった事情を納得がゆくように説明しないと信用問題になる、と教えられます。こういったことは生徒会やクラブ活動などを通じて学んでゆくはずです。

 

さて、実社会において最も尊敬に値する人と言われる「総理大臣」や「国会議員の諸氏」が「嘘をつく」とか「前言を翻すにあたって皆が納得できるような説明をしない」といった事態が今おこっているのですが、教育現場においては困っていないのでしょうか。

 

日教組のホームページを見てみたのですが実に大人しい内容でした。「普通の職員組合?」かと思うようなニュートラルさというか、私が子供の頃は「泣く子も黙る」と言われ、学校に籍はあっても組合専従で教えているのを見た事がない先生もいるような過激な集団だったのですが・・。まあ大親分の輿石さんが先頭を切って嘘つきしているのですから何も言えないのかも知れませんが、日教組ももう少し骨のある団体だと思っていました。せめて「政治に嘘は許されない」「原発のない子供達の世代に安心安全な社会を」くらいのアピールがホームページの最初にあっても良さそうに思うのですが。上に対してまともな突き上げもできない意気地なしならば、私が子供の頃あれだけ偉そうな御託を並べていたのは何だったのでしょう。その程度の情熱ならば組合活動などせずにまじめに教育をしたほうがよほど良かったのではないですかね。

 

日教組の悪口は終わりにして、種々のメディアを見ると増税賛成を唱える経済学者や識者と言われる人たちの説明にも呆れるものがあります。さすがに「このままではギリシャになる」という脅し文句は日本とギリシャが違いすぎるので言わなくなってきましたが(未だに言っている人は阿呆です)、近頃は「庶民は近視眼的で将来をきちんと考えられないから」という上から目線の解説が目立ってきました。その解説者達が長期的視野に立って増税に伴う財政再建のスキームをしっかり示しているかというと(そんなものはこの程度の増税では焼け石に水で全く立たないから)示していない。取りあえず増税しておこうという近視眼的なのは説明しているあんただよ、と私には見える。

 

医療においては検査や手術、投薬においても患者さんの負担になる(身体的にも経済的にも)行為を行うにあたっては「何故それが必要か」「行う場合、行わなかった場合の利点、欠点」を納得がゆくように説明して同意を得ることが当たり前とされています。いわゆるインフォームドコンセントです。「何でも先生におまかせ」と言ってくれる患者さんは「いくら説明しても納得してくれない」患者さんよりは良いのですが、説明して理解してもらった上で治療や検査を行う方がその後の患者医師関係の上でも良い信頼関係が築けることは間違いありません。

 

政治においても万人が納得できる説明は無理かもしれませんが、国民に負担を強いる政策を決めるには「このままじゃ死んじゃうよ」(ギリシャの例)とか「どうせ専門的な事言っても分からないでしょ」(庶民は近視眼)などという説明で施策を決めてはいけないと思います。「嘘つきは政治家の始まり」と小学校で教えるようになるべきではないと私は思います。


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