rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

WHOの健康の定義

2011-08-25 01:07:19 | 医療

世界保健機関(WHO)は「健康とは身体的、精神的そして社会的に完全に良好な状態を言い、単に疾病や病弱でないことではない(Health is a state of complete physical, mental, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)」と定義しています。実は前回のブログで感想を述べた「現代霊性論」を読んで知ったのですが、平成10年のWHO理事会ではこの健康の定義に霊的(spiritual)にも健全(dynamic stateと表現されている)であることが追加されることが決まったけれど総会では否決されたということが紹介されていました(http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1103/h0319-1_6.html)。

 

WHOの健康の定義には種々異論があって「これは幸福の定義ではないか」という意見もあり、またcompleteと限定することにも異論があるようです。一方で2000年の改訂案で検討されたようにより積極的に「生き甲斐」や「信仰」にも踏み込んで初めて「健康」と定義できるのではないかと言う意見も出ています。ただいずれにしても「病気ではない状態が健康だ」という定義にならないことに異論はないと思います。

 

我々臨床医が提供する医療は「病気を治す(或いは癒す)」ことが精一杯であり、精神的な健康にもある程度貢献することはできますが、主な役割は「病気でない状態にする」ことに尽きるように思います。

 

人間の健康が身体的、精神的、社会的、霊的に健全で満たされた状態と定義されてその状態を目指す必要があるとされるならば、行きすぎた予防医療によって「これこれの数値を正常化しないと病気になるぞ」と脅して精神的に不安にさせたり、食の楽しみを奪って生きる楽しみを損なうような医療行為は謹まないといけません。また癌末期の患者の単なる延命のためだけに本人の意思に反した治療行為を行なうことも健康の定義に反するでしょう。

 

先日、進行癌となった父親と中学生の娘、二人だけで暮らしていた家族がいよいよ父親の余命が限られてきたので年老いた祖母の実家に娘を転居させて父親も実家近くの病院である我々の病院に転院してくるという事例がありました。父親としては「自分が居なくなってからの娘の行く末を見届けたい」という希望があるだろうと思われたので、少々病態として無理は承知だったのですが退院して在宅療養ができるように私は準備を進めました。確かに老親と中学生の娘だけでは起き上がることもままならない父親のケアが十分できるとは言えません。私としては「蓐瘡ができようがケアが悪くて死期が早まろうが、新しい生活環境で3人少しでも暮らして見れば今後の娘の行く末をある程度実見できるし、それは入院しながらの延命よりも大事だろう」と思って患者を退院させたのですが、退院の翌日訪問看護や在宅医師の指示でその患者さんは救急車で病院に送り返されてしまいました。「とても家ではケアできない」という理由なのですが、患者さん本人は「家にいたい、帰りたい」と希望していました。

 

結局その患者さんは入院のまま1ヶ月ほどで亡くなったのですが、「死ぬ瞬間まで自分の生き方は本人が決めるべきだ」という終末期医療のありかた、身体的な健康をプラスする医療のためにスピリチュアルな健康は犠牲にして良いのか、と言う問題を強く感じさせる事例でした。医療は人の生き甲斐まで提供することはできないのだから、「医学的に正しいからといって病人の生き方を勝手に決めつけるような傲慢なことを軽々しく行なってはいけない」と私は常々思っています。

 

医療が提供できるのは健康に関するごく一部ではないでしょうか。

 

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2 コメント

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Unknown (shiroyoshi)
2013-01-31 23:57:18
 医療の中で患者本人の意思を尊重するようになりつつある。
 しかし、患者本人が家に帰りたいからと言って家に帰して患者の家族が健康を害することは問題だと思う。いくら在宅医師・訪問看護がつくといっても家族の負担が0であるわけではないので、家族がその世話をすることになる。その心労や寝不足などで家族の方が健康を害する可能性は考えなかったのだろうか。患者の余命は短いのだから好きなようにさせて、家族は患者本人が死んでからどうにでもという判断であれば(違うと思うが)最低の人です。

 まだ大学1年生(管理栄養士養成校)なので、ほとんど知識のない中でこの文に対する感想を書きました。
乱文・長文すいません。
できる範囲で世話をすればよい (rakitarou)
2013-02-01 15:10:34
shiroyoshiさんコメントありがとうございます。癌の末期や高齢で寝たきりの方の在宅医療や介護で一番誤解されているのが「家族がプロ並の仕事をしなければいけない」という思い込みです。できる範囲の事をすれば良いではないですか。家族の負担が0で親兄弟が亡くなる事ほど無責任で後に後悔が残る事はありません。介護が不十分だったら亡くなった方はその家族を恨んで死んで行くでしょうか。できるだけの事をしてくれていると感ずれば十分幸せに最期の時を過ごせるのではないですか。病院でただ亡くなる時を待つだけの終末期医療を30年も見続けて私は病院任せの終末期医療は人生最期の過ごし方としては最低だと思っています(勿論在宅でも痛みや苦痛はないことが前提です)。でも若い方がこのような話題に興味を持っていただいた事に感謝します。ありがとう。

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