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空母バンカーヒルの物語

2010-11-18 | 海軍
1945年、5月11日、沖縄沖。

沖縄侵攻を支援中の巨大空母バンカー・ヒルは、菊水6号作戦で出撃した二機の特攻機の突入を受けます。
一機目の零戦は飛行甲板に突入し、燃料を満載していた艦上機を破壊し大火災を引き起こします。
二機目の零戦は対空砲火を通り抜けて250キロ爆弾を投下し、艦橋に激突。
爆弾は艦内部に達して爆発し、ガソリンに引火し誘爆を引き起こし、バンカーヒルは事実上使用不能となります。
戦死者は346名、行方不明43名、負傷者264名。


先日、「最後の打電」の記事中、この、バンカーヒルと突入した二機の特攻について書かれた、マックスウェル・テイラー・ケネディ著「DANGER'S HOUR」から引用をしました。

今日はこの本をご紹介します。

名前を見れば一目瞭然なのですが、かれはケネディ家の末裔、ロバート・ケネディ司法長官の息子、ジョン・F・ケネディの甥にあたります。
政治を志したケネディ家の男の宿命を避けたのかどうかはわかりませんが、かれは学者の道へと進み、アメリカ史を研究した後、現在は海洋学の研究員をしています。

そのケネディ氏が、空母とそれに体当たりしたカミカゼのノンフィクションを書いたのは2年前。

「当時を知る人が戦時中よりも速いペースで亡くなっている今、子供たちの世代へと引き継ぐためにも、彼らの言葉、希望、そして知恵を記録することが、私たちの急務となっている」

このような使命感から筆をとったケネディ氏は、当事者への取材と膨大な資料の研究によりこの渾身のドキュメントをものするのですが、特筆すべきはその取材の範囲がアメリカ側だけに留まっていない、ということです。

この内容を大きく分けると、もちろん空母バンカーヒルでそのとき何が起こったか、どうみんなは傷つき死んでいったのか、生き残った彼らは何を見、何を思ったのか、という部分が主なのですが、しかし、翻って日本側から見た特攻隊員の心境、特攻を決定したその頃の日本の指導者たち、そしてなぜ特攻というものが生まれたかということにまで筆は及んでいるのです。

特攻を生み出し、容認し、受け入れた日本。
「全くそれが理解できなかった」アメリカ人の一員であるケネディ氏は、古来からの日本文化、侍の矜持、そして楠正成の故事から、特攻隊員が遺した辞世の句など、あらゆる事どもを手掛かりにそれを解明しようと試みています。

氏は日本滞在中、特攻隊員小川清や安則成三の知己に通訳とともに会ったのはもちろん、防衛庁資料室で彼らの隊の出撃記録を確認したのですが、終戦に際してそのほとんどが証拠隠滅のため焼却されてしまったため、資料室の職員が大変な努力の結果やっとのこと探し出すことのできた資料もあるそうです。

何故バンカーヒルなのか。

特攻という人類史上初めての組織された自爆攻撃に壊滅的な打撃を受けたとき、そこにいたアメリカ人が何を思いどうふるまったか。
民族間の絶対的な価値の相違とともに、逆説のようですが―価値の普遍性をそこにはまた見出すことができるからではないでしょうか。


ケネディ氏が特攻という究極の自己犠牲を讃える精神をむしろ汎世界的なものと捕えていると思われる記述を御紹介したいと思います。


『橋の上のホラティウス』

そして門の指導者、
勇敢なホラティウスは言った。
「地上の人間にはすべからく
遅かれ早かれ死が訪れる。

ならば父祖たちの遺灰のために
神々の神殿のために、

かつて彼をあやしてくれた
優しい母親のために、
彼の子に乳をやる妻のために、
永遠の炎を燃やし続ける
清き乙女たちのために、
彼らを
恥ずべき悪党セクストゥスから
守って
強敵に立ち向かう

これに勝る死に方があるだろうか。

あなたにできる限りの早さで
橋を落としてくれ、
執政官どの。

私はあと二人の仲間とともに
ここで敵と対峙する。
あなたの路へと続く一千の敵は
この三人によって
食い止められよう。

今こそ、私の傍らで手を取り
共に橋を守るのは誰だ?」

トマス・バビントン・マコーリー
(エリス中尉訳)

しかし、橋の上のホラティウスの自己犠牲のもっとも重要な点は、彼が橋を守ったということではない。
特筆すべきは、世代を超えて、(この詩を好んだチャーチルを始め)多くのの西洋人たちが、ホラティウスと同じような個々に起こった軍人としての自己犠牲にインスパイアされて来たという事実なのだ。





バンカーヒルに二機の特攻―小川清と安則盛三―が突入し、巨大な空母の中心部が大きく破壊されたとき、このバンカーヒルにも自分の命を犠牲にして仲間を救おうとした人たちがいました。

機関室の人々です。
ボイラー室には突入直後から硫黄の煤の混じった煙が流れ込み始めました。
一酸化中毒で次々と仲間が倒れていく中、彼らは持ち場から離れずボイラーを稼働させ続けました。
もしボイラーを停止させれば艦は出力を失い、電灯が消え、通信も途絶えます。
艦内のポンプも停止、排水区画からの汚水排出ができなければ艦は制御不能になって傾き、洋上で立ち往生することになります。

ボイラー室では生き残る部下がいないであろうことも分かっていて指揮官カーマイケルは皆が持ち場に残ることを要求し、また部下も自分の使命を最後まで果たしながら一人また一人と死んでいきます。

第一ボイラー室の乗組員は全員死亡。
残った数名は最後までボイラーを動かし続けます。

「私たちはやりぬいたんだ」

ケネディ氏の取材に生き残った一人はこう言いました。

特攻が理解しがたいものであるはずのアメリカ人が、ここバンカーヒルでは愛するものを守るために自らの命を投げ出したのでした。
自らがそこに置かれれば誰もがみなホラティウスになり得るのだと言うことを、機関室の乗組員たちの犠牲が教えてくれます。


この「自殺攻撃(スイサイド・アタック)」が人を惹きつけるという事実やその崇高な側面を、現代に生きる我々は理解しようと努めるべきだ、と提言した序文で氏はまたこのように述べています。



日本の上層部は最後の望みを未来の世代の日本人に託した。
日本人が特攻隊員の精神を受け継ぎ、同時にそれを二度と起こさせないために阻止することを。







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