
ニューヨークはマンハッタンにあるイントレピッド航空宇宙博物館の
艦載機(というか甲板に展示してある飛行機)のご紹介、続きです。
コメント欄でsoraさんがご指摘くださったので改めて調べてみたら、
映画「アイ・アム・レジェンド」の一シーン。
ウィルったら、ブラックバードの翼の上でゴルフをやっとるじゃないか。
前回お話ししたように、ブラックバードは岸壁に向けた艦首に一番近いところにあり、
マンハッタンの摩天楼を一望にできるという絵面ゆえに、このシーンに選ばれたのでしょう。
あとは「ナショナルトレジャー」でもロケが行われました。
ニコラスケイジがこの甲板からハドソン川に飛び込んで逃げたシーン。
もちろんスタントマンがやってるわけですが、
この甲板から飛び降りるのは飛び込みの選手でもないと無理かもしれません。
さて、冒頭写真は
Grumman A-6E Intruder 1963
です。
去年ここカリフォルニアで訪れたパシフィックコースト航空博物館で、
このイントルーダーとプラウラー(うろうろする人の意)EA-6の違いでコメント欄が
炎上(でもないか)したということがありましたが、こちらは間違いなく
『E』のつかない方のイントルーダーです。
プラウラーの「E」は電子の「E」。
というわけで、こちらは電子戦を行わない方なのですが、画期的だったのは
これが全天候型の攻撃機であったということです(ここの説明によるとそのようです)
そのせいなのかどうか、非常に汎用性があったということで、生産されて以降
アメリカが関わった戦争のすべてに投入されてきました。
あの「ニミッツ」にも当然艦載されており、「ファイナルカウントダウン」では
F-14トムキャットに空中給油をしてみせるという、海軍的には
「プロモーションシーン」でその姿を見ることができます。
ジョリーロジャースに
「終わったら窓ガラスを拭いてくれ」
とかベタベタなギャグ(にもなっとらん)をいわれちゃったりしてね。
Grumman (F11F-1) F-11A Tiger 1956
先日コメント欄で昭南島の空軍がタイガー(F-5)を使用している、
というご報告を聞いたばかりですが、このタイガーはブルーエンジェルス仕様。
ブルーエンジェルスというのはご存知ニミッツ提督の発案で創始され、
ヘルキャットからベアキャット、パンサー、そしてこのタイガーと、いわゆる
「グラマンの猫戦闘機」
を仕様機として乗り継いできたわけですが、この機体は1961-1963年に
♯5ソロ機として使用されたものです。
(一瞬”ガッツレス”ことヴォートの”カットラス”も使っていたのは黒歴史ってことで)
ちなみにグラマンはF7F「タイガーキャット」というのも作っていますが、
この「タイガー」とは別物です。念のため。
タイガーの生産の歴史は大変短く、1957-8年の間に201機造られただけで、
最初の42機は「ショートノーズ」のもの、そしてそれ以降はここにある「ロングノーズ」です。
短命の理由はどうも軽量化に成功しなかったからということみたいですね。
ただ離着艦性能、操縦性、運動性においては非常に優れていたため、アクロバットには
むしろ大変向いていたということでブルーエンジェルスの使用となりました。
ところで、このタイガー、航空自衛隊が購入するかも?という話になって、
F-104スターファイターと売り込みの競り合いをしたことがあります。
先ほども言ったように機体が重くなりすぎてエンジンを換装しなくては使い物にならん!
という状態だったのですが、グラマン社は「ちゃんと換装して納入します」と
売りたい一心で日本に約束しました。
しかし結局エンジンの開発は日本がやらなくてはならないことが判明し、
タイガーが翼に日の丸をつけて飛ぶことはありませんでした。
これってつまり、アメリカで重量がネックになって海軍にそっぽを向かれたから、
日本に売りつけようとしたわけですよね?
この商談のときに暗躍?した伊藤忠商事とグラマンは
「伊藤忠、おぬしも悪よのう」
「ひっひっひ、グラマン様ほどでもございません」
などとゴニョゴニョやってたんだろうなあとゲスパーしてみる(笑)
(F9F-8) AF-9J Cougar 1954
大戦後初めて海軍に導入されたジェット戦闘機、それが F9Fのパンサー。
パンサーと名前を対にしたかのような「クーガー」は、パンサーの改良型で、
朝鮮戦争に投入されたものの、速度が遅かったたため、後退翼に改良するように
海軍が注文をつけてできたのがこの「クーガー」です。
朝鮮戦争には1951年、MiG 15のデビューより一年遅れて登場しましたが、
結局このときに空戦を行う機会は訪れませんでした。
そもそもクーガーへの改良は、MiGに対抗するためだったわけですが、
パンサーに乗っていた搭乗員は技量で機体の不備をカバーしてMiGと戦い、
それなりに戦果をあげていたということなのです。
ビル・T・エイメン(スペルが本当にAmen!)少佐が、米軍のHPによると
「MiG-15に対する勝利を決めた後パンサーから降りてくるところ」。
ちなみにこの部分の文章は、
after scoring his victory against the MiG-15.
となっています。
エイメン少佐はVf-111、あの「サンダウナーズ」の隊長です。
というわけで、パンサーでは栄光の歴史を築けたのに、改良型のクーガーは
タイミングが悪くて交戦すらできなかったということですが、もしサンダウナーズが
最初から機体速度の上がったクーガーでMiGと交戦していたら、
結果はどのようになっていたでしょうか。
Grumman (WF-2) E-1B Tracer 1958
これは初めて見ました。
大きなお皿を背負ったEーC2早期警戒機なら空自にも配備されていますが、
こちらのレドーム(レーダードーム)は楕円形で、上から見るとwiki
こう・・・・・ぷぷっ(噴き出している)
早期警戒機の「甲羅」感が楕円になってさらに一層亀のそれに肉薄!
いやー誰が考えたか知りませんが、このレドーム仕様機って、
見た目が和むわー。
このレドームの部分をイントレピッド艦上の写真でもう一度見ていただきますと、
機体との間に細い盛り上がりがありますが、これが方向安定版というようです。
方向安定版、って何を安定させるんだろう・・。
トレーサーは艦上機として開発されましたが、レドームに全ての機能を詰め込んだ結果、
大型の割に居住区がが異常に狭くなり、正副操縦士プラスレーダー員2名の計4人を乗せるのが
大変困難であった上、電子機器(つまり皿ですね)の発熱を
冷却する能力も欠けていたためE-2・ホークアイの開発が進められたというわけです。
ホークアイは映画「ファイナルカウントダウン」では発艦シーンを見せてくれていました。
このトレーサーはイントレピッドに艦載されていたんですね。
上方から見た翼の長さを見ると、艦載機として運用するために
思いっきり尾翼をたたんでいるのがよくわかります。
McDonnell F-4N Phantom II 1960
我が日本国航空自衛隊ではバリバリ現役のファントムです。
このスプリットベーンの機構を当ブログでは熱く語ったことが あり、
当機で行われた上昇の限界を競うハイジャンプ計画について語り、
また成り行き上「ファントム無頼」を全巻大人買いして読破したというくらい縁の深い戦闘機。
マクドネルダグラス社を一躍世界のトップに押し上げ、
また西側諸国では唯一5000機以上製作された戦闘機で、
未だにアメリカを除く世界中の軍で運用されている 名作中の名作機でもあります。
その現役時代、アメリカでいろんなチャレンジを行ってきたファントムIIですが、
アメリカ大陸横断チャレンジ、なんてこともしています。
ロスアンゼルスから3機のファントムが時間差で飛び立ち、 ロングアイランドまで、
途中で3回の給油を受けながら、
3時間5分、2時間50分、2時間47分
と後になるほど速くなって到着しています。
これはもしかしたら、後になるほど空中給油の要領が良くなっっていったためとか、
そういう理由のせいではないかという気がしますが・・。
Beech T-34A Mentor 1953
修復作業中のようです。
メンターはその名前の通り、初級練習機として使用される飛行機。
日本でもかつて「はつかぜ」として採用されていました。
海上自衛隊の鹿屋航空基地で展示されているのを見た覚えがあります。
このようにイントレピッドでは常時機体のメンテナンスが同じ甲板の
修復コーナーのようなところで行われており、展示機も貸借先との契約の関係で
少しずつ入れ替わっていっているようです。
続く。
当初はJ65という非力なエンジンを搭載したF-11。グラマンが航空自衛隊に提案した改善型は、空自が選定したF-104と同じJ79を搭載することになっていました。
J79は優れたエンジンで、F-104だけでなく後継のF-4にも搭載されています。米海軍がF-11の提案要求をJ79の完成まで待っていれば、運動性に優れたF-11は翼面積が極端に小さなF-104を凌いでいた可能性もあるんじゃないかと思います。
中将はベトナム戦に従軍し、300回近く出撃。
F-4でミグを7機撃墜されたエースでもあるので、かなり信憑性が高いと思います。
両方好きな戦闘機です。エリア88(またそこに戻るか)でも一瞬出てたようなF-104。
「え~んぴつ、みたいな形の。。。」とか言われてたような(笑)。
昭南島軍人は大佐以上か将官でなければ45歳で一度定年します。
20年来の知人に昭南島空軍F-5タイガーのパイロットで、その後F-15イーグルに機種変して、定年後は3年ほど飛行教官をしていた元空軍中佐がいます。
雑談中、民間の商業飛行パイロットにならないのと聞いたら手で首を撫でながら『いや~、体力維持するのが厳しくって』と言っていたのが印象的で、つくづくパイロットと言う職業は激務なのだなあ、と思いました。
今でもバンバンF-5タイガーが飛んでる昭南島からでした。
昭南島太郎
昭南島太郎
そしてグラマンは空自に売り込もうとする時にJ79を換装することになっていた?
それなら「エンジンの開発は日本がやらなくてはならないことが判明した」
という記述は正しくないことになってしまいますが、
日本にエンジンの開発を丸投げしたという話は、間違いだったんでしょうか。
問題点がエンジンの弱さだけで、しかもグラマンがJ79を換装してくれるのなら、
逆に日本がこれを断る理由がなくなってしまいそうな気がしますが・・。
F-11提案の際のアメリカの提案は現行の非力なJ65を強力なJ79に換装してはどうかという内容でしたが、これに相乗りする顧客がいれば設計変更に要する費用は折半ですが、米海軍にはその気はなかったので、そうなると、その費用は日本負担になり、これがネックで見送ったようです。
戦闘機開発で唯一アキレス腱となっているエンジンはFS-X(後のF-2)でも問題になりました。エンジン以外は日本で開発出来ますが、当時、アメリカは独自開発の場合はエンジンを供給しない。アメリカと共同開発にせよとねじ込まれ、F-16ベースの機体となりました。
心神の後に予定されているF-2後継機ではエンジンの開発を見込んで、すでに動いていますが、アメリカでさえ、F-35は多国間共同開発なので、日本だけで戦闘機を開発する予算を捻出出来るのか、今後数年で検討する予定です。
(=゜ω゜)ノ
ゴルフは甲板からではなくブラックバードの上からだったんですね~。
記憶なんていい加減なもんですね。
ただ、まさに載せて頂いたマンハッタンに向かって打つシーンはインパクトがありました。この後ボールは海に落ちて、なんだ以外と距離あるんだと思いました
(^ω^)
わたしはなによりそのことがショックです。
「開発を日本がしなければいけなくなった」というのはわたしの思っていたのと
かなり意味合いが違っていて、日本としては「できるならやりたかった」というものかもしれません。
エンジン開発というのは国力の総力戦みたいなものなんですね。
たいへん勉強になりました。ありがとうございます。
映画のスタッフはウィルに「機体を間違って叩いたりしないでね」
と心の中で祈る気持ちだったかもしれません(笑)
もちろんあそこから打ったらタイガーウッズでもない限り(笑)
海に落ちると思います。
それ以前に機体を傷つけないようにボールはCG合成したのではないかと思われます。