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重巡洋艦「セーラム」〜彼女が「海の魔女」になったわけ

2017-06-30 | 軍艦

東海岸に滞在中、空港から高速を走っていて、ふと

「USS SALEM」

という茶色に白地の看板に目を留めました。

アメリカでは、高速沿いの名所旧跡や観光地などをこの茶色い看板に書いて、
ランプをここで降りるという道しるべにしてくれているのですが、

その日部屋に帰って早速調べてみると、 重巡洋艦「セーラム」CA-139
展示艦となって公開されているらしいことを知りました。

早速次の日行こうと思って調べたら、なんと公開は土日の10時から4時までのみ。
あまり見学者もないせいか、人手がないせいかはわかりませんが、
非常に限られた時間しか見学ができないことがわかりました。

「バトルシップコーブ」とフリゲート艦「コンスティチューション」の
見学の予定を
調整し、なんとか最後の週末、行ってきましたのでご紹介します。

「セーラム」が繋留されているのはマサチューセッツのクィンシーというところです。 
ボストンのケンブリッジ近くに住んでいた頃には、クィンシーというとあまり
いい地域というイメージがなかったのですが、実際は住宅地が多く、実はこの地名、
第6代大統領のジョン・クインシー・アダムズから取られているとかいないとか。

ついでにどうでもいい情報ですが、あのダンキンドーナツはここの発祥です。
アイリッシュ系の白人が全米で一番多いところで、そういう意味では
コンサバティブな地域という見方もできるかもしれません。 

 

ナビにしたがって93号線を降り、街中を抜けて海の方へと進むと、
今は全く使われていない貨物列車が、これも使われていないかつての線路に放置されています。
こういう光景も日本ではまず見ることができない、アメリカならではのものです。

 

「セーラム」は1945年7月6日といいますから、ほぼ終戦間際に起工し、
1947年に竣工しました。


現在は隣町のウェイマスとクインシーを隔てる「ウェイマス・フォア」という河沿いに、
まるで道路脇にあるようなぞんざいさで繋留されています。 

グーグルアースで見ると、周りはCITGO(アメリカにいるとしょっちゅう見るガススタンド)
の、おそらく本拠地であるタンクなどがあって、クインシーという街のイメージを
あまりいいものにしていないのはこのせいかと目される工場地帯となっています。 

適当にそのあたりにクルマを駐め、歩いて行くことにしました。
艦首には「わたしを踏みつけるな」でおなじみ、蛇をあしらった
ガズデン・フラッグ(あるいはファーストネイビージャック)が翻っています。 

USS「セーラム」の展示は、正式には

The United States Naval Shipbuilding Museum & U.S.S. Salem

と称し、博物艦として保存されているのです。

入り口に向かって歩きながら、ヤマアラシの背中のように張り巡らされた
主砲を下から撮ってみました。 

 

「セーラム」には55口径203mm3連装砲 が3基9門搭載されていた、
とスペックにはあるので、おそらくこれだと思いますが、
下からではまだなんともわかりません。

それにしても、今までにみたことのない艦載砲です。

彼女がここにきたのは、1959年に退役後、35年間フィラデルフィアの
海軍工廠の予備艦隊・リザーブフリート(そんなものがあるんだ・・)にいてから
生まれ故郷で展示艦となることが決まった1994年のことでした。

もう4半世紀近くもここにあるわけですが、ブルーに塗装された砲弾ケースが
ポールの合間に林立している状態から、博物艦オープン当時、

岸壁を華々しく飾り付けをして、地元が盛大に迎えた様子が伺えます。 

 

海軍工廠でモスボール化されていた「セーラム」がいよいよお役御免、というとき、
ここに引っ張ってきたのは、博物館を立ち上げた非営利団体と地元の開発者でした。
その契約が昨年2016年に切れたので、どうするかでまた話し合いが行われ、
後5年間は地元がリース契約を結んでくれたので、展示は継続することになりました。

問題は、2021年に契約が切れた後ということになるわけですが・・・。

繋留ではなく、もう岸壁に固定されていることがわかりますね。
二度とあげられることのない舫を渡しているのは「雰囲気」でしょうか。

少し艦首に向かって歩いてみました。
構造についてちゃんと調べないと何かわかりませんが、
海面近い艦腹に10cmくらい外に張り出した部分があります。 

すっかり鳩の共同住宅と化していました。

艦橋とレーダー、マストをそこから見上げたところ。
「セーラム」は一応艦載機としてヘリコプターを搭載する設備があったため、
艦載機用のレーダーも搭載しています。

5年の契約延長を申し出る人がいなければ、「セーラム」は去年の段階で
スクラップになっていたそうです。

というだけあって、現在ボランティアだけで運営している彼女の艦体は
全く手入れも行き届かず(右側はかろうじて塗装済み)、サビが目立ちます。

まさに「つはものどもが夢のあと」といった風情ですが、「セーラム」は
終戦ギリギリに起工されて竣工後は訓練と主にヨーロッパでの勤務に終始し、
一度も実戦を行わないまま平穏に一生を終えています。 

給油ラインのための可動式ブームかなんかでしょうか。
ワイヤーで岸壁側に倒されたまま放置してありますが、おそらくこれ
もう錆びてしまって元に戻すこともできなくなっているに違いありません。

下から見たマスト部分。

マストの上の方に両舷を向く形で砲身が突き出しています。
ってかこんなお高いところに砲塔を置いているフネってあるんですか。

艦内に入っていくには、向こうに見えるスロープを登っていきます。
手前に取り外したらしい20ミリ機銃が「触り砲台」(一応シャレ)となっていて、 
おりしもお子様が射手席から飛び降りの真っ最中。

いえ〜い。

20ミリ機関砲はそんなに多くなく、搭載されていたのは8基だけだったそうです。

ローディングするトレイなどは全部取り払ってしまった後みたいですね。

ここにも卒塔婆のように(喩えが変?)砲弾がディスプレイしてあります。
スロープの向こうに見えている巨大構造物は川にかかる橋梁です。

ここで全体像を振り返って見ますと。
煙突より高いところにどう見ても対空砲みたいなのが二つあるように見えます。

こんな高いところに?

「セーラム」は世界最初に自動装填式の艦砲が
搭載されたらしいので、それも可能だったのかと思ったのですが、
実際のところはこの時点では何もわかりません。

スロープ入り口手前にあるのは・・・・機雷じゃないですか?
盛りだくさんに飾ってある割に、説明がないので正体はわからず。

階段を使わずに、とりあえず車椅子も甲板までは上がれる仕組み。
土地だけはふんだんにあるので、こういうしつらえも可能となります。 

スロープ左手の岸壁には、なんとミニゴルフのグリーンが・・・。
オープン当初はそれなりに話題になり、賑わったのでこういうサービスも
子供たちにとって楽しい思い出作りになったのでしょうけれど、
今となっては、まさに「夢のあと」の風情になってしまいました。

向こうの方にあるのは潜航艇だと思うのですが、甲板に上がらないと全体像は見えません。

さて、スロープを上がりきったところにセーラムのマークがあります。

箒に乗って後ろに黒猫を乗せた魔女が三日月をバックに飛ぶ姿。
そしてあだ名が「海の魔女」ですが、これにはアメリカ人なら誰でもわかる
理由があります。

マサチューセッツの北部に「セーラム」という町があります。
わたしたちが住んでいたアーリントンからは車で少し走れば
中距離ドライブの感覚で行ける場所だったので、通り抜けたことは何度か、
町を訪ねて一泊したことが一度あるのですが、ここの売りは「魔女の町」。

町に一歩足を踏み入れると、夏であろうが冬であろうが、まるでハロウィーンのような
カボチャやらゴーストやらの飾り付けがされていて、観光の目玉はお化け屋敷、
みたいな特殊な町。

TOの留学していた東部大学の同級生にセーラム出身がいて、彼自身がそのことを

「あの町に生まれたことは俺の人生の汚点だ」

みたいなことをいっていたので、街全体がキワモノ扱いされているらしい、
とわかったわけですが、なぜ魔女の町と言われているかというと、
かつてこの中心部から6キロ離れたセーラムという街で、魔女狩りが行われたからです。

異常な行動を取った少女の集団を「悪魔付き」と決めつけたことから
集団ヒステリー状態となった民衆が、200名を魔女として訴追する事態にまでなり、
なんとそのうち19名もが死刑になったという陰惨な事件だったのですが、
今ではセーラムはそれを町のシンボルにし、観光資源として、それで客を集めています。

まあ、セーラム出身の人が「汚点」と言い切るのもわからないでもありません。

また、「緋文字」の作者である文学者ナサニエル・ホーソーンの出身地で、
魔女裁判には、その祖先が関係していたそうです。(裁く側として)

 

さて、アメリカの重巡洋艦の命名基準は、「都市名」となっています。

もともと「どこの」ということではなく、このマサチューセッツの他にも
オレゴン、ニュージャージー、オハイオにもある「町の名前」の代表として
「セーラム」と付けられたのですが、やはりその中でインパクトの強いのは
「魔女の町」であるマサチューセッツのセーラムでした。

というわけで一見ネガティブなようでも、戦艦や軍艦のイメージとしては
アピール度が高く相応しい「魔女」が、そのキャラクターに選ばれたというわけです。 

 

さて、それでは「海の魔女」の中へと入っていきましょう。

 

続く。

 

 

 



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4 Comments(10/1 コメント投稿終了予定)

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デ・モイン級重巡 (お節介船屋)
2017-06-30 16:09:26
米海軍が建造した最後の重巡で12隻計画し、完成したのはデ・モインCA-134,セーラムCA-139,ニューポート・ニューズCA-148の3隻でした。
世界唯一の揚弾から装填まで完全自動化した203ミリ砲、1門当たり毎分10発、3連装1基の砲塔は415トンです。砲塔装甲203ミリ
➡海面近い艦腹に10cmくらい外に張り出した部分があります。
水線防御の装甲板152ミリの出っ張りです。なお甲板防御は89ミリです。
➡ってかこんなお高いところに砲塔を置いているフネってあるんですか。
前後主砲用方位盤Mk-54、本級のみが搭載しました。その前後一段下にあるのは127ミリ砲用方位盤Mk-37です。
内部の見学記が楽しみですが、165ミリの装甲を施した司令塔もあるとの事です。
要目
基準排水量17,255トン、全長218.4m、幅23.0m、喫水7.9m、蒸気タービン4軸、120,000馬力、33.5Kt、55口径203ミリ3連装砲3基、38口径127ミリ連装両用砲6基、50口径76ミリ連装両用砲12基、20ミリ連装機銃12基、乗員1,799名
セーラムは一時ミサイル巡洋艦へ改造の噂がありましたが実現せず。

➡「触り砲台」(一応シャレ)76ミリ単装砲ですが本艦には装備されていませんので他艦等からデモンストレーション用でしょう。

参照海人社「世界の艦船」No464アメリカ巡洋艦史
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測距儀ですよ (Unknown)
2017-06-30 20:22:47
煙突より高いところに突き出している?砲身?は測距儀(Range Finder)です。大砲ではありません。

カメラのピントを合わせるのと同じ感覚で焦点を合わせれば、目標までの距離が測れます。戦艦大和や長門の艦橋トップに突き出ているのと同じものです。

対空射撃用にレーダー射撃が可能なMk-37(艦橋と後部トップのパラボラアンテナ)とMk-56(左右舷側のパラボラアンテナ)もあるので、光学照準とレーダー照準の過渡期に作られた船のようです。

20ミリ機銃と書かれているのは、Mk-22 3インチ砲で、これを連装にしたMk-33は海上自衛隊にもありました。

面白い砲で、人力装填ですが、装填の息が合っていれば発射速度が上がります。

3秒に一発装填が目標で、そこまで出来れば、1門当たり毎分40発。連装で毎分80発(完全自動のオットメララ76ミリ砲と同じ速さ)撃つことが出来ました。

Mk-33搭載艦にはこの装填機構だけを抜き出した装填演習砲があり、射撃が近付くと、昼食後には装填手(海士)が集められて、砲台長(一~古手の二曹)に気合を入れられていました。

Mk-56も「たかつき」型や「やまぐも」型では標準装備だったので、懐かしいです。

Mk-37やMk-56では、方位盤射手と言われるオペレータがレーダーで照準した目標が本当に敵機かどうか、目視で確認してから引き金を引いて発砲します。

そのため、方位盤射手はずっと艦橋トップに座っています。春秋だといいですが、夏は天日の下、冬は吹きっさらしで、結構堪えます。

砲も方位盤も今はすべて無人化・自動化されたので、もうすべて過去の代物になってしまいました。
返信する
特攻機対策でしょう (佐久間)
2017-07-01 01:39:39
重巡洋艦セーラムのレポートを、有難うございます。私はこの記念艦を全く存じませんので、続きを楽しみにさせていただきます。

大御所お二人からの、難しいお話しをいただきましたが、日本砲術学の至宝「桜と錨」先生の「米重巡 『デ・モイン』 級主砲の対空射撃」と題したブログがあります:
http://navgunschl.sblo.jp/article/31817657.html

また、ジーン・スロバースさんのブログでも、デ・モイン級重巡主砲の射撃管制について議論されています:
http://warships1discussionboards.yuku.com/topic/6614/The-Des-Moines-Class-Cruisers

この方は、米海軍のテキストも、全部コンテンツにあげておられます:
http://www.eugeneleeslover.com/ENGINEERING/Naval_Ordnance_V1.html
http://www.eugeneleeslover.com/FIRE-CONTROL-PAGE.html

つまり、新しいデ・モイン級重巡のセーラムの主砲は、もっと完璧な対空射撃(特攻機対策で痛感した)を提供するために、マーク66測距儀(エリス中尉がマストに見つけられたの)と、マーク1Aコンピューターを備えた、新型のマーク54射撃管制装置が装備されていたのです。
New heavy cruisers of the Salem class have Gun Directors Mark 54, which differ from the Mark 34 in having more complete provisions for control of the main battery against aircraft. The accompanying rangefinder is the Mark 66.

当時のコンピューターでの、リニア-レイト・システムやレラティブ-レイト・システムについては、当時の教育映画がアップされています:
https://www.youtube.com/watch?v=s1i-dnAH9Y4
https://www.youtube.com/watch?v=w-wemKmlaBk

でも、スマホを駆使している世代には、機械式アナログ・コンピューターなど、想像もできないでしょうね。私も、早くガラケーを卒業しなくっちゃ。
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みなさま (エリス中尉)
2017-07-02 23:31:48
>水線防御の装甲板152ミリの出っ張りです。
なるほどそうでしたか。
乗ってみたらわかるというものでもなく、結局最後まで謎だったので、
教えていただいて大変嬉しいです。
些末でどうでもいいことですが、そういうことにこだわるのも無駄ではないと思いまして。

unknownさん

測距儀でしたか。
また本文で説明しますが、セーラムはアメリカ海軍で初めて砲弾が全自動で
装填できる仕組みが導入されたので、一瞬もしや?などと考えてしまって。
普通に考えてあんなところで撃ったら船ひっくり返るかもしれません(笑)
ま、まあ、違うだろうとは思ってたんですけどね。

佐久間さん
また本文でお話しするつもりですが、設計の当初の目的は
「日本の巡洋艦に撃ち勝つこと」だったと思われます。
建造中に戦局は移り変わり、完成の頃には特攻対策が大きな懸案になっていたのでしょう。

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