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イギリス海軍対ドイツ海軍〜模型展「世界の巡洋艦」

2018-02-15 | 軍艦

 

1日で終わるかと思っていた模型展「世界の巡洋艦」のご紹介ですが、
いざ始めてみると案の定色々とお話ししたいことが出てきてしまい、
何日かに分けることになりました。

というわけで今日は展覧会のタイトルと同じ「世界の巡洋艦」です。

さて、それでは世界の巡洋艦、まずは御大キングダムから参りましょう。

イギリス海軍の
蒸気フリゲート艦「ユーライアラス」(Euryalus)

日本に縁のある船で、あの「生麦事件」が起きてから横浜に来て、
薩英戦争(1863)と馬関戦争(1864)に参加しています。

余談ですが、この長州藩と英米蘭仏の連合国との間に起きた馬関戦争で、
17歳の「ユーライアラス」乗組の水兵、ダンカン・ボイズが戦功を挙げ
ビクトリア勲章を授与されました。

しかしダンカン君、戦後になって海軍基地の門限に遅れて戻り、
基地内に塀を乗り越えて侵入し海軍を懲戒除隊されてしまいました。

ダンカン・ボイズ

彼はその後重度のアルコール依存症とそれに伴う精神衰弱に陥り、
静養先のニュージーランドで家屋の2階窓から飛び降り、
22歳という若さで死んでしまったということです。合掌。

「帝国海軍がボカチンしてやりました巡洋艦」が・・・。

巡洋戦艦「レパルス」(左二つ)。

巡洋戦艦というのは、イギリスが生んだ「さらに攻撃力を増した巡洋艦」で、
巡洋艦の拘束性と戦艦と同等の大口径砲を併せ持った強力な軍艦という位置付けです。

だからこそ、民族的に見下していた日本人にこの「レパルス」と戦艦
「プリンス・オブ・ウェールズ」をボカチンされたチャーチルは
ショックであうあうあー状態になってしまったわけですね。

巡洋戦艦という概念は英国とそれから日本海軍だけが採用したもので、
両国合わせて7隻しかこの世に生まれていません。

この写真で「レパルス」の右側にある2隻、「レナウン」もその一つ。
イギリス海軍はこれに「フッド」を加えた3隻で、日本側はおなじみ

「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」

の計4隻が巡洋戦艦となります。
「フッド」はドイツ海軍の「ビスマルク」に撃沈されたので、
この中で生き残ったのは「レナウン」(有名という意味)だけでした。

こちらもヒズマジェスティーズシップの

航空巡洋艦「フューリアス」

wikiには「世界初の空母」ってあるんですが、これほんと?

もちろん、この模型の頃は改装前の航空巡洋艦時代ですが。
甲板にはその頃搭載していたソッピース・キャメルらしい姿が見えます。

スキージャンプ台みたいになっている後甲板から離艦するのだと思いますが、
それでは着艦はどうしていたんだろう、と気になりませんか?

はい、こうしておりました。

流石に艦橋に突っ込む恐れがある後甲板へのアプローチをするのではなく、
なんと、艦首側前甲板に海に向かって降りていたようです。
このころの飛行機が二枚羽で推力がそんなになかったことと、
着艦の際には船を航行させてスピードを相殺していたのかもしれません。

しかし見る限りアレスティング・フックやワイヤーはまだなく、
乗員が総出で駆け寄っているところを見ると、飛行機を

手でつかんで止めたのではないか

という疑いが・・・・・・。
というか、実際に手で機体を捕まえている人がいますね。

いやー、これ、海に落ちる飛行機は後を立たなかったと思う。

イギリス海軍にとっては「悪者退治」みたいな位置付け?

海戦シリーズ展示としてイギリス隊ドイツ海軍の「ラ・プラタ沖海戦」がありました。

ドイツ海軍の装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」と同型艦
「ドイッチュランド」は、神出鬼没、通商破壊をしまくっていましたが、
イギリス海軍はこれを叩くため、捜索部隊を結成。

「アキリーズ」「エイジャックス」「カンバーランド」「エクゼター」

からなる「G部隊」はAGSをラ・プラタ沖で捕捉し、挟撃による壊滅を図りました。

 

「アドミラル・グラーフ・シュペー」は英国海軍の「エグゼター」に砲撃、
「エグゼター」は大きな損害を負いましたが、G部隊のハーウッド准将は
駆逐艦上がりだったシュペーのハンス・ラングスドルフ大佐より一枚上手でした。

海戦の結果、「アドミラル・グラーフ・シュペー」は大きな損害を負い、
ウルグアイに逃走しますが、イギリスから手が回っていて修理ができず、
結局自沈されることになりました。

ラングスドルフ大佐は、その後アルゼンチンで拳銃による自殺を行いました。

「このような状況におかれた時、名誉を重んじる指揮官なら
艦と運命を共にする。それが当然の決断だ。

私は、部下の身の安全を確保することに奔走していたために、
決断を先延ばしにしていた」

という遺書が夫人に残されていたそうです。合掌。

海軍力でイギリスに劣るドイツ海軍の船には

「イギリス海軍の船と交戦しないように」

という指令が出ていたにも関わらず、戦闘を行なったとして、
ヒトラーはラングスドルフを非難しましたが、おそらく
親衛隊ではなかったラングスドルフが死の際、ナチス旗ではなく
ドイツ海軍旗を体に巻いていたことが気に入らなかったのかもしれません。


なお、「アドミラル・グラーフ・シュペー」に傷を負わされた
「エクゼター」は、のちに我が帝国海軍にスラバヤ沖海戦で撃沈されています。

この時に大本営は、

「『アドミラル・グラーフ・シュペー』の仇を取った」

と発表したということです。

HMS「アレトゥーサ」

アレトゥーサはギリシャ神話のニンフの名前で、ストーカーから逃げるため
アルテミスの力で水に変えられたという「アレトゥーサ湖」伝説を持ちます。

「アレトゥーサ」級巡洋艦は、

「ガラテア」「ペネロペ」(海の女神)「アウロラ」(暁の女神)

のギリシャ神話シリーズ四姉妹で構成されます。

飛行機を搭載している部分を拡大してみました。

下から見た本級のタイプシップ「パース」級の水上機施設。
「アレトゥーサ」搭載のものは旋回式のカタパルトだそうです。

イギリスといえば無敵艦隊を倒した、無敵艦隊というと「インビンシブル」。
というわけで、ある意味もっともイギリスらしい?名前である
巡洋戦艦「インビンシブル」(Invincible)(右から2番め)と
その改良型巡洋戦艦「インディファティガブル」(Indefatigable/不屈)

「インヴィンシブル」級はネームシップの「無敵」に対して2番艦、

HMS「インドミタブル」(Indomitable/不屈)

3番艦、

HMS 「インフレキシブル」 (Inflexible/融通がきかない)

全て「不屈」を表す、「IN-不」で始まるシリーズです。
「インヴィンシブル」は

世界初の巡洋戦艦(戦闘巡洋艦)

として鳴り物入りで誕生し、「巡洋艦より早く、戦艦のように強い」を
謳ってこの象徴的な名前を与えられたのですが、色々と残念な設計ミスがあり、
爆風を避けるために砲を撃つたびに艦内に入らなければならなかったり、
巡洋艦同士で撃ち合った場合、艦尾が丸裸同然で脆弱だったり、
中でも一番の問題は、

主機関が弾薬庫に挟まれていた

ということで、この結果、ユトランド沖海戦で、「インヴィンシブル」は
主砲弾が砲塔を貫通した瞬間、誘爆のため艦隊が真っ二つに割れ、
ぽっきりと折れて轟沈してしまっています。

乗組員1032名のうち、生存者はわずか6名でした。

ちょうどワシントン軍縮条約が締結され、「インドミダブル」
「インディファティガブル」はそれで廃艦になり、
「インフレキシブル」も陳腐化して同時期にスクラップになっています。

こういうのをなんていうんだっけ・・・名前負け?

 

それでは「ラ・プラタ」でイギリスと戦ったドイツの巡洋艦と参りましょう。

手前、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」

ドイツの軍艦というのは名前がたまらなくかっこいいので、きっと
その界隈では、萌え化されているだろうなと思ったらやっぱり
「艦これ」にいましたよ。

プリンツ・オイゲン(ちゃん)

「プリンツ」というからには王子のことなんだろうなとは前から思っていましたが、
今回初めて調べてみたところ、

オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン

というオーストリアの軍人さんでした。

「プリンツ」は日本で言うところの「ハンカチ〜」とか「はにかみ〜」とか
「海の〜」(笑)のような、
アイドルやミスコンの男版のような意味は全くなく、
単純に「公子」という位を表す言葉です。

オイゲン公

「プリンツ・オイゲン」のイメージが変わった!どうしてくれる!
という方、オイゲン公の独創的なカツラに免じてお許しください。

「プリンツ・オイゲン」の水上機搭載部分もアップにしておきます。

彼女は我が帝国海軍の「雪風」と同じく、「幸運艦」と呼ばれています。
イギリス軍とのバトルで一度は操縦不能になるも、あとは航空攻撃でも
命中弾を受けず、僚艦とぶつかっても相手ほど被害も受けず、きわめつけは
アメリカ軍に戦後摂取されて、名前を

「プリンツ・ユージーン」(笑)

と英語読みされ、ビキニ島の原爆標的艦となったのですが、結局
二回の実験にも沈まず、曳航される途中でマーシャル諸島のクェゼリン環礁に座礁し、
今でもそこに放置されています。

念のためグーグルマップで調べてみたら、観光地?になっていました(笑)

装甲巡洋艦「シャルンホルスト」

なんて名前も実に厨二心をくすぐりますよね。
少なくとも

装甲巡洋艦「マンマス」

なんて言うのよりもかっこいいのは確か。

装甲巡洋艦というのは「装甲を施した巡洋艦」のことです。
ただ、「インヴィンシブル」がそうだったように、攻撃力を上げても
巡洋艦というスピードを重視した艦体において防御力は致命的に弱く、
どうなるかというと、同級で撃ち合った時に当たった方が負ける、
という素人にもわかる結果となったのでした。

ところで、このテーブルは、ドイツとイギリス海軍の間で行われた

「フォークランド沖海戦」

の参加艦艇が展示されています。

第一次世界大戦中に英領フォークランド沖に攻め入った

マキシミリアン・フォン・シュペー中将

率いるドイツ東洋艦隊が、イギリス軍の迎撃を受けて敗北した海戦で、

旗艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「ライプツィヒ」
「ニュルンベルグ」は撃沈、唯一残った「ドレスデン」も自沈

とドイツ側の完敗に終わっています。

イギリス海軍「カーマニア」(Carmania )

ドイツ帝国海軍「カップ・トラファルガー」(Cup Trafalgar)

どちらも戦時に武装していた「武装商船」「仮装巡洋艦」です。
客船だった「カップ・トラファルガー」は砲艦から10.5cm砲2門と
3.7cm砲6門が移され、仮装巡洋艦B (Hilfskreuzer B) となって
通商破壊作戦に従事していました。

ドイツの船なのに英語で、しかも「トラファルガー」が使われているのは、
これがハンブルグー南アメリカ航路の客船だったからです。

「カーマニア」も4.7インチの砲 8門を搭載しており、2隻は
武装商船同士としてたまたま遭遇したものです。

戦闘に際し「カーマニア」が警告弾を発射、それに対し、
「カップ・トラファルガー」はドイツ軍艦旗を掲揚して戦闘が始まりました。

相手の喫水線付近に砲撃を集中した「カーマニア」と、船橋を集中攻撃した
「カップ・トラファルガー」の戦いは、「カーマニア」に軍配が上がり、
「カップ・トラファルガー」は転覆し、沈没しました。

 

というわけで今日ご紹介してきた英独海戦は、ことごとく
イギリス海軍の勝利に終わったことになります。

やっぱりイギリス海軍、腐っても「無敵艦隊の敵」の末裔ってことかもしれません。

 

続く。

 

 



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8 Comments

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フューリアス (お節介船屋)
2018-02-15 10:09:12
英フィッシャー提督が第1次世界大戦中に発案した45.7cm砲搭載の大型軽巡洋艦を建造途中から航空能力艦に改造し、さらに本格的空母に発展させた艦です。
1917年就役で、航空母艦との名称を付与されていますので改造艦ではありますが最初と言われています。
飛行甲板は前部の発艦用だけでしたが実用的でないとして1918年後部に着艦甲板を追加し、前後の移動は艦橋構造物と煙突の両舷に回廊が設けられました。
模型はこの状態を表しています。
実写写真は発艦時のものと思います。
煙突後ろに柵が立てられていますが、これが着艦機用の滑走制止柵です。乱暴な止め方ですね。
1925年2段式飛行甲板型空母に改造され、煙突は艦尾に導設されました。
1939年14cm砲は撤去、艦橋の背の低いアイランドが設けられました。
1948年解体。
要目
 常備排水量19,513トン、全長239.7m、幅26.8m、吃水6.9m、主機タービン、4軸、90.000馬力、31.5kt、兵装14cm単装砲等、搭載機10機、乗員880名
参照海人社「世界の艦船」No685
巡洋戦艦BATTLE CRUISERS (お節介船屋)
2018-02-15 11:04:55
英第1海軍本部長フイッシャー大将の創意で、戦艦と同等の砲力と巡洋艦並みの高速力を備えた大型装甲巡洋艦として1905年計画で1908年竣工の「インビィンシブル級」3隻が完成した。
これで従来の装甲巡洋艦の価値が一挙に低められました。在来の装甲巡洋艦をはるかに凌ぐため巡洋戦艦との名称になりました。
ただ防御力を軽度にとどめたもので、「高速力は最高の防御」を信条とするフイッシャー大将の強力な推進で発展し、6級13隻が建造されました。
ただ巡洋戦艦が同程度の砲力を備えた艦と交戦する場合の備えを怠り、ひたすら強力な砲兵装と、高速力を追い、防御面で脆弱性を有する事となり、ジユットランド沖海戦で手痛い損害を生じました。「インヴィンシブル」「インディファティガブル」「クイーン・メリー」3艦が砲撃を受け火薬庫爆発、瞬時に轟沈しました。
その後防御力を強化し、戦艦も高速力となり、巡洋戦艦建造は15年で終焉した。
なお残った英巡洋戦艦は
ワシントン軍縮条約で4隻廃棄、1隻練習艦、「リナウン」級2隻、「フッド」が2次大戦に参加しましたが「リパルス」「フッド」戦没となりました。

日本の「金剛」型4隻も建造当初は巡洋戦艦でしたが高速戦艦に改造され活躍しました。
参照海人社「世界の艦船」No429
砲戦 (Unknown)
2018-02-15 13:00:07
第二次世界大戦以降、米軍のニュージャージ級戦艦が艦砲射撃に使われた他、戦艦や巡洋艦は死滅したので、砲戦の可能性はなくなってしまいましたが、今回のお話しを読んでいると大変なことをやっていたなと思いました。

当時の砲弾の命中率は3%くらいで、命中弾を得るのはほぼまぐれのようなものですが、当たり所がいいとビスマルクに一撃で轟沈されたフッドのようなことになります。戦艦の40センチ砲弾で、駆逐艦なら1~2発の命中弾があれば沈められたそうです。

今は砲戦の代わりにミサイルを撃ち合います。命中率は格段に高いですが、索敵の精度で攻撃の成否が決まるので、情報量の多い方が勝ちます。模型の頃のようなロマンはないかもしれません。

ミサイルの場合、弾頭の爆発も怖いのですが、イランイラク戦争の際のイラク軍戦闘機による米軍フリゲートの誤射でミサイルのエンジンの燃焼による高熱の排気がもっと怖いことが分かりました。

弾頭の爆発は他に誘爆しない限り、火災を誘発するだけで、消火出来れば終わりですが、米軍の被弾の際、着弾したミサイルの燃料が大量に残っていたため、それが高熱の排気を出しながら燃え続け、鎮火まで一日を要しています。これは砲戦とは別の怖さです。

この時は非常に当たり所がよく、実はミサイル弾庫から数メートルの場所にミサイルは着弾していますが、ミサイルには誘爆せず、鎮火させています。この頃、自衛隊でも同じように被弾したら、どれだけ船を守れるかシミュレーションや訓練をしましたが、米軍のようには行きませんでした。米軍は世界最高レベルの海軍だと思います。

中尉は実際に護衛艦をご覧になることもあるでしょうから、比較対象があれば、当時の船や砲の大きさがある程度わかると思いますが、巡洋戦艦の舷側にある、模型では小さな副砲は大体14センチ前後の砲なので、今の護衛艦の127ミリや5インチ砲と同じくらいの大きさになります。

そう思って模型を見ると、当時の主砲は巨大だったことがわかります。堂々としてカッコいい。模型にすると見栄えがします。
プリンツ・オイゲン (お節介船屋)
2018-02-15 13:43:49
ドイツ唯一の重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」級5隻の1艦です。
フランスを仮想敵とする独海軍でフランスの重巡「アルジェリー」に対抗し、高速戦艦「ダンケルク」級より優速で大西洋で作戦出来る航続距離、十分な防御力を持つ20.3cm砲装備の艦としました。
1935年ベェルサイユ条約破棄と英独海軍協定締結で建造開始しましたが「ブリュッヒャー」「アドミラル・ヒッパー」「プリンツ・オイゲン」の3艦が完成、「ザンドリッツ」は建造中空母への改造をとなったが中止、未成のまま自沈、「リュッツォウ」は1940年未成のままソ連に売却され浮き砲台で使用となりました。
2番艦が先行建造されたのでクラス名となっています。「ブリュッヒャー」ノールウエー侵攻で砲台からの砲火と魚雷で戦没、「アドミラル・ヒッパー」はキールのドックで被爆着底、「プリンツ・オイゲン」のみ生き残りましたが記載のとおりの最後でした。
要目3艦すこしずつ相異
「プリンツ・オイゲン」
基準排水量14,680トン、満載排水量18,750トン、全長207.7m、幅21.7m、吃水基準5.9/ 満載7.2m、タービン3基、3軸、137,500馬力、32.2kt
兵装 20.3cm60口径C34 連装砲4基、10.5cm65口径c33連装高角砲6基、37mmc34 連装機銃6基、20mmC30 連装機銃8基、53.3cm3連装魚雷発射管4基、水上偵察機(Ar196)3機
乗員1,382~1,599名
参照海人社「世界の艦船」No601
ワシントン軍縮条約廃棄艦 (お節介船屋)
2018-02-15 14:18:33
済みません6隻に訂正します。
「インドミタブル「「インフレキシブル」「ニュージランド」「オーストラリア」「ライオン」「プリンセス・ロイアル」です。

なお第1次世界大戦参加の英巡洋戦艦の最良と言われた「タイガー」も航海砲術練習艦等で戦後10年使用、ロンドン条約で廃棄となりました。
アドミラル・グラーフ・シュペー (お節介船屋)
2018-02-16 09:38:20
装甲艦とはワイマール時代にベルサイユ条約海条項の代艦建造規定で建造された旧式戦艦代替分の名称でした。ドイツが1次大戦に負け、保有を認められた前ド級戦艦を排水量1万トンを越えない装甲艦で代替でしたが主砲、装甲を検討しても無理がありました。
時代で技術革新から大航続距離を叶えるデイーゼル機関と重量軽減に役立つ電機溶接の進歩から敵戦艦を振り切り、巡洋艦を追跡できる速力と巡洋艦を叩ける砲力、その砲弾に耐える装甲を持つ装甲艦の実現となりました。
マスコミはポケット戦艦と呼びましたが1940年呼称を重巡洋艦としました。
1933年「ドイッチュラント」→「リユッツォウ」、1934年「アドミラル・シェーア」、1936年「アドミラル・ゲラーフ・シュペー」を完成させましたがこの3艦のみでした。「ドイッチュラント」級と呼ばれますが、「アドミラル・ゲラーフ・シュペー」は設計変更でかなり違ったそうです。
その要目を示します。
基準排水量12,100トン、全長186m、幅21.7m、吃水7.34m、デイーゼル機関8基、2軸、55,400馬力、26kt(公試で28.5kt)、20ktで8,900浬、28cm3連装砲2基、15cm単装砲8基、53.3cm魚雷発射管2基、水上機2機、射出機1基、装甲水線80mm、甲板45mm、乗員619名
公表排水量は1万トンとしていました。
参照海人社「世界の艦船」No405
ドイツ巡洋戦艦 (お節介船屋)
2018-02-16 10:25:17
「カーマニア」の向こう側2隻の名札が左側はもっと左の艦を表しているようで、艦形から推察させて頂きます。
帝政ドイツ時代の大巡洋艦ではと思います。
英海軍の巡洋戦艦に相当する艦ですが、視界の不安定な北海での行動では英国の考える戦艦に遭遇した場合は高速を利用してその主砲の射程外離脱が常に取り得ないとの疑問で攻防は戦艦能力より低いが戦艦より高速力で攻防力でバランスのとれた艦としましたが防御力は英戦艦なみでした。
4クラス7隻が建造され、ジユットランド沖海戦等に参加し、その抗耐力を発揮します。「フォン・デア・タン」は主砲塔全てに被弾し、操舵区画も浸水しても沈没していません。
他に「モルトケ」、「ゲーベン」→トルコに売却、「ザンドリッツ」「デアフリンガー」「リユッツォウ」「ヒンデンブルグ」がいました。
このなかで戦没したのは「リユッツォウ」のみですがジユットランド沖海戦で水線下に主砲弾2発被弾、1番主砲塔から前に1500トンの海水が浸水し、基地帰投不可能と判断され味方駆逐艦の魚雷で処分となりました。残った5隻は終戦で英スカパフローで自沈しました。

写真の「カーマニア」の上が「デアフリンガー」、その上が「モルトケ」と推察します。
「デアフリンガー」要目
常備排水量26,600トン、全長210.4m、幅29m、吃水9.38m、主缶18個、蒸気タービン2基、4軸、63,000馬力、26.5kt、30.5cm連装砲4基、15cm単装砲12基、8.8cm単装高角砲4基、50cm水中魚雷発射管4門、装甲水線300mm、甲板80mm、乗員1,112名
ジユットランド沖海戦で英巡洋戦艦を轟沈させ又大破もさせていますが敵主砲弾17発、副砲弾4発被弾3000トンの海水浸水でも帰投しています。
参照海人社「世界の艦船」No405
英巡洋艦 (お節介船屋)
2018-02-17 11:58:22
重巡洋艦「カンバーランド」条約型「ケント」級7隻の1艦
海外任務のため優れた航洋性と長大な航続力、十分な居住性を確保、防御と速力を犠牲。
1928年竣工、9,750トン、全長192m、80,000馬力、31,5kt、12ktで13,300浬、20.3cm50口径連装砲4基、10.2cm単装高角砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管2基、乗員700名

重巡洋艦「エクセター」「ヨーク」級準同型艦
1931年竣工、8,390トン、全長175.3m、80,000馬力、32,25kt、14ktで10,000浬、20.3cm50口径連装砲3基、10.2cm単装高角砲4基、53.3cm3連装魚雷発射管2基、乗員620名

軽巡洋艦「アキリーズ」「エイジャックス」、「リアンダー」級5隻の2艦、「エクセター」の縮小版、
1929~31年竣工、7,030トン、全長169.0m、72,000馬力、32,25kt、12ktで10,300浬、15.2cm50口径連装砲4基、10.2cm単装高角砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管2基、乗員570名
参照海人社「世界の艦船」No718

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