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「捕虜第一号」~酒巻少尉と「中宗中佐」のこと

2011-12-14 | 海軍

         

初版、「捕虜第一号」酒巻和男著の表紙です。

NHKの捏造感動ドラマ「真珠湾からの帰還」放映以来、なぜかこのブログにも
「軍神ブーム」が起こってしまいました。(苦笑)
酒巻少尉始め、特殊潜航艇のこと、その乗員について何かを知ろうとする人が多く訪れるのに驚いています。

しかしながら、「全く酒巻氏の意図や事実と違う描写でドラマを作ってしまう」
というNHKの大罪を糾弾しているのが、もしかしたら当ブログだけなのでは?
とも思えるこの状況自体を、わたしは心の底から憂うものです。


ご本人が生存している間は、脚本家須崎勝彌氏のように「不遜である」と感じる良心的な作家もいて、
あからさまな創作は勿論のこと、酒巻氏について語るものはほとんどありませんでした。
しかし、本人が逝去し、遠慮が無くなったので、「蛍」やら「ピアノ」やらあの手この手で、
お涙頂戴の「戦争参加者が可哀そう形式」のドラマを作り上げてきたのと同じような一味が、
同じような意図と目論みを持ってでっち上げた・・・・。
酷い言い方になるかもしれませんが、実態はこんなところだとわたしは踏んでいます。

(ピアノと言えば、前回怒りのあまり書くのを忘れました。
ラストのワルツは、
ウィリアム・ギロック作曲の『ウィンナーワルツ』(In old Vienna)というピアノ小品です。
ピアノ習得者が一度は弾く、美しいメロディの練習曲を書く作曲家ですが、
タイトルでも分かるようにギロックは敵国も敵国、アメリカ人です。
しかもこの曲が作曲されたのは1992年。実にふざけた選曲ですね)



航空特攻や回天、桜花特攻についてはいろんな読み物や映像が百出しているわりに、
この真珠湾の特殊潜航艇については個人的なエピソードが今まで出なかった、ということから、
戦史の隙間にあった掘り出し物エピソードとして、
「皆どうせあまり知らないし多少違うことをでっち上げても、ドラマが感動的ならいいよね」
といったノリでしょう。

ますます許さん。

前回、わたしのこのドラマに対する糾弾ぶりがあまりにも苛烈なので、もしかしたら
驚かれたり、今まで読んでくださっていた方の中には、「ひいた」方もいたかもしれませんね。

わたしは、戦争従事者を「だまされた被害者」とだけ位置づけ、
「可哀そうでしょう、悲しいでしょう、二度とこんなことが起きてはいけませんね」と、
お涙ちょうだいの分かりやすい悲劇ドラマにし、共感を誘う、
こういった反戦ドラマが、もともと吐き気がするほど嫌いです。
真実ほど強いものはありません。
真実を淡々と述べるだけでも、そこから反戦に至る結論を導くことは可能だと信じるからです。
受け手の理解能力までこのように子供扱いする(今のテレビ製作に多々見られる傾向でもある)、
所詮、娯楽番組制作者のお節介な誘導を唾棄するゆえです。

そこに持ってきて、己の都合のいいストーリー展開のために、白を黒と言い変え、
無かったことを「盛り」、さらにスイカに塩を振るがごとき甘ったるいセンチメンタリズム添加。

嘘っぱちドラマに真実味を与える効果でしょうか。
エンドロールのバックに流された海底の特殊潜航艇の映像を見たときは、
このあさましくあざとい「してやったり感」に、文字通り吐き気を催したことを白状します。

そして、こんな代物が製作されるのも、
酒巻氏の語った真実が世間に知られていないせいなのだとしたら、
わたしは微力ながら、ここでそれを伝える努力をするにやぶさかではありません。

今日は、検索の多かった「中宗中佐」についてです。

酒巻少尉は、ハワイで拘束され、3月、ウィスコンシンのマッコイ・キャンプに送還されます。
途中「私を観てはしゃぐ若い娘」などをその目に認めながら無事キャンプに到着。
その後、5月にテネシー州フォリスト・キャンプ、6月には、リビングストン・キャンプに移送されます。
この移動も鎖でつながれていたわけでもなく、ベッドを整えてくれる黒人ボーイの就くものでした。
「キャンデーでもなんでも、欲しいものを言え」と収容所からは言われるのですが、
己の運命と、死んでいった仲間への忸怩たる思いから、酒巻少尉は全く「生活に興味が持てず」
それらを断り、あまりに茫然としているので当初「頭が少しおかしいのではないか」
と疑われていた時期もあったそうです。

11月を迎えたとき、キャンプに大量の日本人捕虜が送られてきました。
彼らと対面した時のことを酒巻少尉はこう書いています。

「皮肉な不気味さが漂つた。
哀調を帯びた奇妙な髭面の中に、ギョロギョロと眼のみが光つてゐる。(中略)
哀れな末路姿の皇軍兵士が、ジロジロと私を覗きこんでゐるのだ。

「真珠湾で捕まった問題の男は彼奴か・・・・・・」
とうなづく彼らの心底には、不思議なそして複雑な感情が奥深く喰ひ下がつたであらう。
火の消えたやうな無言の静けさにたまりかねて、淡いため息をもらしながら、
首垂れたままこの初対面の場面から逃げ去るものもゐる。
そして太陽は容赦なく照りつけた。

厳めしい軍装と武装を取り除かれた囚虜――
弾丸雨飛の戦場から敵国の柵内へ解放された不完全軍人―
戦闘員たる責任と義務が懊悩に孵化した非戦闘員―

彼らは何んなことを何んな風に考えてゐるか私には解らない。
然しやつれた彼等の顔には、深い憂愁から去り切れない一種の不気味な感情が溢れてゐた。
私はその憂愁を取り除いてやりたい。
そして彼らを導いていかねばならない・・・・といった気持が、肚の中に喰いいつてきた。
重苦しい空気の逼迫感に反発して、私は故意に自分を元気づけ、
軽い微笑を作りながらトラックから降り立つた。


長くなりましたが、これを是非読んでいただきたく、掲載しました。
酒巻少尉がこの一年近く懊悩し、逡巡しつつも生きて行くためにここでどうすべきか、
自分の得た経験をもとに、日本人捕虜を「生かすために導いてやらねばならない」
と決意した瞬間です。

この当時、酒巻少尉は米人の何人かと「共感する親しい」人間同士の付き合いがありました。
「捕虜の先頭に立ち、自分たちを酷く扱う米軍に逆らって酷く罰せられる酒巻少尉」は、
つまり比較的事件の無かった捕虜生活を波乱万丈に見せるための創作なのです。

ドラマティックな反乱としてドラマで描かれた「捕虜の労働拒否、独房に収監」というのは、
その後テキサスのキャンプに酒巻少尉が移ったとき「私のマネジメントを煙たがる」
(気の合うアメリカ人もいれば合わないのもいたということ)二人の米軍人が、
「ガードの士官区割による清掃と烹炊という、我々にとって気難しい種類の作業」
を断った「命令違反」の酒巻少尉を、機械的に独房に入れたという顛末を膨らませています。

作業は、その後問題なく捕虜によって行われ、
この独房で、酒巻少尉は勿論虐待もされず、隣に収監された士官と話したり
「ゆっくりと一人で瞑想にふける機会を得た」ということです。




リビングストン・キャンプで酒巻少尉は「飛龍」の機関長であった、
先任の中宗中佐に出会います。
実際は、飛龍の機関長は、相宗邦造中佐で、やはり米軍の捕虜になっています。
中宗は、酒巻氏の著書における仮名であったと考えるのが妥当と思われます。

中佐は、やはり飛龍分隊長であった梶本大尉とともに下士官捕虜の統率に当たってきました。
しかし、それでなくても自暴自棄のニヒリズムに集団に陥った下士官兵をまとめるにあたり、
この二人はかなり面白くない衝突を繰り返していたのです。

下士官兵たちは、最初の段階を過ぎ、死の危険が当面捕虜生活には無いということが分かると、
今度は次第に、自我の増長する無統制な集団と化してきていました。
下士官兵にすでに何かあっても死ぬ覚悟すら無くなってきているらしいことを、
士官たちは憂えていました。

しかし、そういった愚痴を先任士官から聞く酒巻少尉にしても、すでに
「先任が死ねと言えば命令だから死ぬだろうけれども、実は死にたくない。
私が死まで先任に忠実な軍人精神の持ち主であるかは疑わしい。
私には私の考へがある」

という死生観に達しており、ここでの士官捕虜とのギャップに、思わず戸惑いを感じます。

中宗中佐は、四十歳そこら、でっぷり肥った髪の薄い、しかし頬の艶の良いスポーツマンで、
ソフトボールの「士官チーム」では、酒巻三塁手から巧みにボールを受け取る名一塁手でした。
ある日、中佐は酒巻少尉を呼んで
「この(下士官兵の)様子では、いつ事件が起こって死ななくてはいけなくなるとも限らない。
君も立派な士官だから、何時でも死んで貰へると安心はしてゐるが・・・・・、
まあ、それだけの覚悟を持つて居て欲しい」

と言います。
死の覚悟については賛同しかねるものの、
中佐の言う「事件」を誘発しかねない問題をはらむ下士官たちの生活ぶりを、
酒巻少尉も心配します。


ドラマに描かれた「中宗中佐以下16名の送還」事件はその頃起こりました。
「処刑になるのだ」と妄想し、いきり立ち中宗中佐に死を迫る下士官兵たち。
そんな彼らを見つめる酒巻少尉の眼はあくまでも冷やかで冷静です。

然し、彼らの妄想は不思議である。
死なふという気持ちに拘わらず、殺されまいとする矛盾を持つからである。
若し死にたいのであれば、何処へ行き何処で殺されても平気な筈に違ひない。
今更何も怖がる必要はない。
死にたいという空虚な自分たちの言葉をゴマかすために米兵を襲撃して死ぬのであれば
(中略)自ら首を括ればいいではないか。


そしてつまらない虚栄と義理に墓穴を掘る浅ましい姿を、無節制に暴露しているにすぎない、
と断罪します。
中佐らを連れて行かすまいといきり立つ彼ら下士官兵を、武器を持った米兵が取り囲みました。
酒巻少尉は
「これは当然の結果だ。
日本人捕虜に業を煮やしているに違いない米軍にすれば手ぬるいくらいだ」

とここでもあくまでも醒めた目で見ています。そして、
「手出しをするな。黙つて言ふ通りやれ。」
下士官兵を一喝しました。


彼らはおとなしくなり、中佐らはサンフランシスコの収容所に移監されていきますが、
心配するようなことは勿論起こらず、次に移ったマッコイキャンプで坂巻少尉は
彼らに再会します。
そのとき、中宗中佐は、精神に異常をきたしていました。


「イヒヒヒ」と不気味な笑いを散発し、頭にタオルを巻き
「電波除け」と称するガラスの破片を頭上に載せた中宗中佐は、
「畜生、また電波が酷くなりやがった」と突然怒鳴ったりするようになっていました。

そして発作的に自殺を試みるも、その他は正常な振る舞いをするので、当初皆は
「内地に帰ったときに軍法会議を逃れるためにカモフラージュしているのだ」
と冷笑していたそうです。
しかし、次第に本格的な狂人の域に達した中佐の病状は、
ついに「それが彼の死を早める運命へと導いていった」のでした。


しかし、中宗中佐がその後どのような死を遂げたのか、なぜか酒巻少尉の筆は、
それを遺すことを曖昧にしています。
あまりにも悲惨だったので、それを後世に残すことを良しとしなかったのでしょうか。
名前を曖昧にしたのと同じ理由でしょうか。

いずれにしても、「中宗中佐」について記す筆を途中で置いてしまった酒巻氏に、
同じ運命にしばし翻弄された元帝国軍人同朋への哀しい眼差しを見る気がするのです。



次回は、酒巻少尉が中宗中佐の後を引き継いで、収容所捕虜の責任者として奮闘した、
その様子についてお話ししたいと思います。







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2 Comments

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初めまして (桜)
2011-12-14 14:58:06
こんにちは、初めまして。
ネービーが好きで度々こちらのブログを覗いております、桜と申します。
私はまだまだ勉強中の学生で若輩者ですが、
「皆どうせあまり知らないし多少違うことをでっち上げても、ドラマが感動的ならいいよね」
と言うエリス中尉のお言葉、本当に仰る通りだと思いました。
あのドラマを見て、私は多少の違和感しか抱けなかったのですが(軍歌のシーンなど)、こちらのブログを拝見して、納得が出来ました。

事実を知ることこそが最も大切と言う言葉を痛感し、よりいっそう勉強しなくてはと改めて思いました。
拙い文章ばかり並べてしまいました。
乱文にて失礼致します。
Unknown (エリス中尉)
2011-12-15 11:04:11
桜さん、コメントありがとうございます。
テレビの困ったところは、創り手の意図や目的が恣意的にその誘導したい方向に曲げられることだと思います。単なる情報にフィルターをかけて、結論を製作者の思う方向に誘導できる媒体なんですね。
こと、政治や歴史、特に戦争の絡むものは、ほぼ100パーセント、この「誘導」のための捏造(創作)が行われているのが今の映像媒体の実情ではないかとわたしは思っています。
「テレビは好いか悪いか」ということではなく、テレビと言う媒体が伝達方法としてすでに一次性を大きく損なっていて、所詮そこで表わされるのは「誰かの考え」であるという時点で、わたしはそれを盲目的に信じることに疑問を感じます。
つまり、「加工食品」のようなものです。
ふたを開けるだけで食べられる簡単な食事ばかりでは、栄養を損なうので、畑や海でとれたものをちゃんと料理して食べることも必要かもしれませんよ、ということかな(笑)

今日のブログにも書きましたが「はっきりとは指摘できないが何かしら胡散臭いものを感じた」という、桜さんのような観方をする人もまだまだいます。
むしろ、テレビの情報を「インチキを疑うことからその情報を知ろうとするきっかけ」くらいに皆が捉えているようなのは、やはりインターネットの発達のおかげなのかなと思う今回の「軍神ブーム」でした。

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