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バーキン片手に靖國神社

自衛隊階級内階級(+連休最後の日のこと)

2014-05-09 | 自衛隊

連休といっても息子の学校で行事があったりして、
一向にまとまったお休みにならない我が家の連休ですが、
公園を散歩したり買い物に行ったりと、それなりに
ゴールデンウィークらしい気分を楽しみ、最後の日に、
頂き物の無料宿泊券を消化すべく、都心のホテルに一泊してきました。
 
チェックインのとき、フロントに

「レイトチェックアウトで2時まで御滞在いただけます」

とせっかく言っていただいたというのに、次の日から息子は平常営業で
朝7時にはチェックアウトしなくてはなりません。
もったいないのですが、双方の宿泊可能な日がこの日しかなかったので
しかたありません。

せめて早くチェックインしてランチを楽しむことにしました。


レストランのメニューは連休中であることもあって、
「ゴールデンウィークスペシャルブランチ」というもののみ。
メインの料理だけが選べるタイプでデザートも付いてきます。

前菜その1、ツナとアボカドのタルタル。
カリカリに焼いたトーストに乗っけて頂きます。



前菜その2。

左側の物体はキャラメリゼしたフォアグラです。
実はわたしはフォアグラ、あまり好きではないのですが、
まるでクリームブリュレのようなキャラメルがかけてあり、
しかもソースは甘酸っぱいイチゴとゆずなので、実にさっぱり。
フォアグラ独特のどよーんとした味(ってどんなだ)が、
サッパリ系ソースで中和されて、実に面白い味わいでした。

こんな料理法でフォアグラを食べたのは初めてですが、感心し、
そのことを言うと、

「シェフの得意の一品です」

とのこと。



息子の頼んだ大山鶏。
シイタケはわたしが食べました。
ちゃんと柄も食べられるシイタケです。



わたしはサーモン。
ほろ苦いゼンマイをトッピングに、黒米と野菜のリゾットに乗せてあります。
ソースはおそらくオリーブオイル主体だと思います。



そしてデザートはポテト・・・・・・
ではなく、シュークリームでした。
丸く焼いたシューを半分にし、中にバナナとかいろいろ
複雑な味のするカスタードクリームを詰め、これにも
キャラメリゼしてあります。



食事が済んで、チェックインしました。



ウェルカムフルーツ、クッキー、そしていつもある駄菓子。
息子のために用意してくれるのだと思いますが、麦チョコとか、
麩菓子とか、一袋10円、って感じのお菓子です。



洗面所もいつも通り。
ここは前までロクシタンのシャンプー類だったのですが、
少し前から「エトロ」のシリーズに変わりました。
従業員の制服もエトロだったりするのでその関係みたいです。



部屋からの眺め。
ちょうどJRの線路を挟んだ向こうに「KITTE」があります。
昔郵便局だった部分(白いビル)はそのまま残し、後ろに巨大な
高層ビルをくっつけてかつての建築物を残すという流行の建築法で、
今東京駅界隈では最もにぎわっているビルかもしれません。
ここから見て初めて知ったのですが、白いビルの屋上には出られるようです。



KITTEの隣のTOKIAというビルの途中階に、不思議な切れ込み発見。
手すりがありますが、これ外に出られるんでしょうか。



右手東京駅と東京ステーションホテルを裏側から。
東京駅の改装は今にして思えばオリンピック誘致のためだったのかなと。

というわけで、ホテルの部屋でインターネットしたり(わたしはエントリ作成)
大画面でDVDを観たり(わたしの持っていった『空挺レンジャー』)、
・・・・まあ、いつも休日にやることをホテルでやっていただけでした。

お掃除洗濯、何と言っても食事の支度をしなくていいのが
わたしにとっての「お休み」です。

さて、話は取ってつけたようにかわりますが、こちらが本題です。

先日横須賀で行われた護衛艦カレーNo.1グランプリ、
ご存知のように当ブログでは数日に亘って参加記をお送りしたわけですが、

その後エントリで呈したいくつかの疑問点に関係者からお答えを頂いたので、
追加情報として少しお話ししておきます。



まずカレーグランプリ会場手荷物検査場を出たところにいたこの1等海佐ですが、
「陽焼けしているから大きな艦の艦長ではないか」という当方の予想に反し、

総監部防衛部長

である可能性が非常に高し、というご意見です。
ここからは頂いたコメントそのままになるのですが、まず

1佐職はその職責に応じて俸給表で1~3に分かれており、
別名「階級内階級」とも言われます

1佐であっても皆給料は同じ、というわけではないってことですね。
責任の重さで頂く給料も三段階に分かれているとは驚きだ。

横須賀地方総監部の防衛部長は一番重責である1佐の1職です


なるほど、この1佐は1佐の中でも最も給料の高い=責任の重い=
将来海将補に近い人物であるらしい、ということですが、
それにしてもなぜこの1佐が1職であることがわかったのでしょうか。

ここが不思議なところなんですが、頂いたコメントによると、


その容貌輪郭から推定して、おそらく総監部防衛部長だと思われます


容貌輪郭から推定して・・・・

容貌輪郭・・・・・

う~~~~~~~~ん(困惑)

これを書いてきて下さったのはわたしなんぞと違い、推定でテキトーなことを書いて
後は野となれ大和なれ、いやいやいくらプロフ写真が「ちび大和」だからと云って
わたしのような子持ちが艦娘になっちゃいけませんが、じゃもっと若ければいいのか?
・・・・という問題でもないと思うんだけど、とにかく、この方は
そんな無責任なことを言うような立場でもなければましてや部外者でもありません。

しかも今現在自衛隊という組織に身を置いている人物であり、
おそらくこの推測は確固たる自衛官人生に培われた知見に基づいて
なされたものに違いないと考えられるのですが・・・。

先日、「陸自と海自では明らかに将官の雰囲気が違う」と、
これまでの自衛隊ウォッチャーの立場から私見を恐る恐る述べてみましたが、
やはり「役職が造る容貌」というものが歴然としているというのは
この自衛官のご意見にも明らかだってことみたいですね。


さて、それでは気になる1佐の階級内階級、つまり「給料の違い」、
どういったカテゴライズがなされているのか。
その配置をまとめたものがこれです。 

3:護衛艦艦長、航空隊司令、幕の班長等

2:護衛隊司令、航空群首席幕僚、幕の室長、
  地方協力本部長(一部を除く)等

1:1佐たる群司令(海洋群司令、潜水隊群司令など)、
  一部の隊司令(輸送隊司令など)、
  1佐の幕僚長(掃海隊群、教育航空集団)、
  幕の課長、大都市の地方協力
  本部長(札幌、愛知、福岡など)等

同じ1佐でも、中にはこのようなヒエラルヒーに基づいた
「賃金格差」があるというのですね。

読者の雷蔵さんがコメント欄で

将官になる一選抜の人達は出世の階段を一番駆け足で上って行くので、
すべての仕事(配置)を普通より若いうちに終えてしまいます。
そのため、若くで艦長になります。


艦長は2佐及び1佐の配置です。
こういう人は早く2佐になりますが、若く、船の経験が少ないので、
大きな船の艦長は任せられません。小さな船を任せられます。
しかも、その後もポンポン階級が上がってしまうので、
若くで人より早く艦長を経験した後、二度目の艦長の椅子はありません。
艦長よりもっと重責の仕事に就きます。 


 
と教えて下さったことがありますが、これを先ほどの階級差に照らすと、
1佐で艦長をしているより、2佐で小さな船(掃海艇とか)の艦長になる
自衛官が実は「出世コース」である場合もある、ということなんですかね?

また自衛隊について(無駄に)詳しくなってしまったぜ。

しかし、これから自衛官の有望なお婿さんを見つけるというわけでもないのに、
こんなに隊内事情に詳しくなって、わたしはどうするつもりなのか。
 



そしてこれ。
北村海将の碑の正体がわかりました。
これも雷蔵さんから教えていただいた、碑に記された

「ここに集いて殉職隊員の在りし日の雄姿を偲び、
その英魂を仰ぎ大いに正大の気を養い諸霊照覧の下、
ますます海防に挺身せんと決意を新たにするにあり」

という文言を読んでいただいてもおわかりのように、
これは、
横須賀警備区(横須賀地方隊が受け持つ担当海域)で殉職した隊員の慰霊碑です。

毎年、自衛隊記念日(11月1日)には、この碑の前で慰霊式を行っています。
慰霊式は殉職隊員の家族をお呼びして行われます。

因みにこの自衛隊記念日というのは、「自衛隊発足の日」すなわち
自衛隊法が施行されたことを記念するための日で、1966年(昭和41年)制定されました。

法律制定になったのは1956年7月1日だったのですが、この時期は台風などの災害が多く、

自衛隊の出動を必要とする可能性が多いため、この時期を避けて比較的晴れが多く、
災害の少ない11月1日に制定されたということです。
そういえば、11月3日は過去統計でもほとんど雨が降ったことがないとされていますね。

うーん、どこまで国民目線なのか、自衛隊。




 



 


 



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7 Comments

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エリス中尉の調査能力 (雷蔵)
2014-05-09 05:45:21
たまげました!大当たり!

某1佐は碑文の経緯を調べてくれた人ですよ~

将補に近いところにはいると思いますが、どうなんだろ。すでにクラスで7名の将補が出ていて異例の豊作で、上下のクラスの将官数にインパクトを与えています。

水上艦2名。潜水艦2名を輩出していて、航空機1名なので、クラスで次に出るのは航空機からでしょう。某1佐は水上艦です。

東京ビル24~26階の切れ込みは外には出れません。内側は訪問者用の待合室になっています。あそこに立つと天下を盗った気になれますよ(笑)

契約高第二位の防衛産業本社です。個人的には引越し前の現「丸の内仲通ビル」の方が風情があって好きです。
やった= (エリス中尉)
2014-05-09 17:38:16
当たってましたか。
まあ、わたしのではなくわたしの知り合いの方の眼力なんですけど。
というかこの方雷蔵さんのお知り合いだったんですね。
世間は狭い。まあわたしがその狭い世間に顔をつっこんでいるだけ(略)

それから、東京ビルのあの部分、防衛産業でしたか!
んー、これもなんか縁を感じますね。
先日みね姉さんと会ったミッドタウンも今にして思えば昔防衛庁だったわけだし。

その会社の待合室であそこに立って手は腰に、

「ふははははは見ろ、人間がゴミのようだ」

って言ってみた~い(笑)
こんばんは (kyari3)
2014-05-09 22:14:11
エリス中尉 さま

階級といえば、昨日興味深いことがありました。
先日、私がエリス中尉のブログを拝見するようになってから、見えない輪が広がっていくよう、とコメントさせて頂きました。
その後も変わらず、私の海軍好きを知ったおじさま方と色々なお話をしたり、たくさん本を譲って頂いたり、本当に嬉しいです。

昨日、私が上司に「勝利の基礎」のDVDを貸したところに居合わせた先輩が、「うちの祖父は海軍大佐と少将だった」とサラッと言い、大変びっくりしました。
本人は興味がないようでしたが、私が調べたところ、お二人とももちろん海兵、海大出でした。
少将のおじいさまは、海兵44期、三笠や金剛に乗り込み、呉空の司令、大鷹の艦長もされたようです。

私と上司がいささか興奮して「なんで興味がないの?おかしい!」とまくし立てたのでちょっと引いていました笑
おじいさまの後輩たちが見られる勝利の基礎を無理やり貸したのですが、何だか興味が湧いてきたらしく、今日、ゼロ戦の本を読んでいました。
まだ関行男大尉が誰かすらよくわかっていない状態ですが、確かに目覚めたと本人は言っておりました。

こんなことがわかったのも、彼がおじいさまについて調べてみようと思うようになったのも、面白い縁だなあと、またまたエリス中尉に感謝しました。
私はフネは詳しくないのですが、こんなことがあってグッと興味が深まり、フネについても勉強しようと思います。

これからも楽しく拝読させて頂きます!
ご縁ですね (エリス中尉)
2014-05-11 07:23:13
今わけあって(笑)またしても某地方に出張しているわけですが、
この出張もある出会いあって実現したことでした。
しかしそれもこれも、わたしがもしこの世界に興味を持たなければ起こりえなかったご縁です。

人の世はこういった不思議な因縁が感じると感じないに係らず巡っているのだと
今まで薄々とは感じていましたが、テーマが「海軍」ということにしぼられてきたとたん
「ご縁パワー」が加速してきたと感じるほどにその実現を実感しています。
実は人間の縁は可能性と云う糸で元々つながれているものだけど、
それを実際の出会いや繋がりにパワーアップさせるのはたとえばわたしにとっての
「海軍」というようなテーマなのかもしれません。

kyari3さんがお感じになったように、気がついてみるとわたしたちの生きるこの日本社会、
かつて海軍に携わった人々が至る所にいて、しかもその人たちがこの日本を作り上げてきた、
と言っても過言ではないくらい悉く重職を務めてこられているんですね。
最も国費を投じて集めた俊秀ばかりであったわけですから当たり前なのかもしれませんが。

先日もかつて元海軍士官だった92歳の方とご縁がありました。
戦後は東大に入り現在も現役の弁護士です。
体力もさることながらこの気力はどこからくるのだろうかと感嘆しました。

先輩のお爺さまの正体は兵学校の名簿と大鷹の艦長の名前を付き合わせれば分かると思います。
帰ったら調べてみようっと(笑)

何事も修行(笑) (雷蔵)
2014-05-12 05:49:57
1980年代までは小型護衛艦(DE)の下にさらに小さい駆潜艇(PC)という艦種がありました。艇長は3佐で1~2尉が4~5人の小さな士官室で定員も60人くらいだったと記憶しています。艇長は指揮官を始めて経験する若い人で、みね姉さんが書いていらっしゃるような「30代前半」の3佐でした。

ディーゼル船でしたが、当時、前後進は毎回、エンジンを停止して、乗員がクラッチ(大人一人が力を入れないと切り替わらないくらい大きなバー)を切り替えて、ギアが確実に入れ替わったことを見届けてから、再度、エンジンを起動していました。

起動はクルマのようにセルモーターではなく、高圧空気でした。そのため、入港で若い艇長がモタモタして何度も何度も前後進を繰り返すと、高圧空気を使い果たしてしまうのです。そうすると、港の真ん中で立往生となります。誰にでも目に見える形で自分の至らなさを晒すことになります。

入港作業は指揮官の腕の見せ所なので、そこで失敗すると乗員にバカにされます。上げ膳据え膳で怖いものなしの指揮官ですが、経験が浅い間は乗員からの視線というプレッシャーに晒されて育ちます。

「ゆき」型「きり」型ではもうこういう(入港作業中に船が立往生する)ことはなくなりましたが、入港作業での乗員の視線という、若い艦長へのプレッシャーは今も変わりません。

若い内は何事も修行。海上自衛隊の素晴らしい教育システムに敬礼(笑)
替わっていました (雷蔵)
2014-08-01 05:31:08
東京ビル。数年ぶりに行きました。来客用待合室は4,5階に替わっていて、もう、24,5階には上がれず、天下を盗った気分にはなれませんでした(残念)
あら残念 (エリス中尉)
2014-08-01 23:19:14
待合室であるうちは我々にも行く可能性があったのに残念です。
天下取った気になれるところは来客用待合室にはもったいない!と考えた偉い人がいて、
今ではその人が独占利用し、腰に手を当てて
「はっはっは見ろ人間がゴミのようだ」
をやっているに違いありません。

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