ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「スピットファイア」〜”人々が負った多くのもの”後編

2023-07-05 | 映画

1942年イギリス映画、「スピットファイア」、
原題「最初のごくわずかの人々」(The First of theFew)最終回です。

ドイツが特に都市爆撃を意図した航空機の軍備を着々と進め、
自分達を「追い込んだ」ヨーロッパ、特にイギリスに対し
「覇者になる」野望を抱いていることを知ったミッチェルは、
休暇から帰ると、すぐさま行動を起こそうとしました。

200万の航空機を都市爆撃のためにドイツが生産するなら、
こちらはそれに対抗する軍備を備えなければいけない。

それには、航空機の生産を行うことです。



しかし、ヴィッカースのマクリーン会長にその懸念を訴えるも、

「平和を望む国民は平時に軍備増強を望まない」
(その心は、そんなことをしたら戦争が起こってしまうから)

と、まるで現代の我が国の無防備都市宣言賛成論者みたいになってます。
(いつの時代にもそういう考えが一定数あるっていうことですね)
 
そして、反対意見があるからには一軍需産業には何もできない、
と逆にぼやかれてしまいます。



「ナチスに死と破壊を!
世界一速く、威力のある戦闘機を作りたい」

続いてミッチは政治家の説得に回りました。



まずは予算獲得のため航空省大臣を直撃です。

「7500ポンドならなんとか出来ますがね」

「それじゃ全然足りない」


次いでミッチが尋ねたのはヘンリー・ロイスでした。(似てない)
言うまでもなくロールス・ロイスの創始者です。
その目的は戦闘機に載せるエンジンの依頼。

ロイスはミッチェルの唐突な依頼に困惑しながらも
その熱意に絆される形で、構想中のマーリンエンジンの提供を提案します。

その際、ロイスはエンジンの名前に引っ掛けて、

「キング・アーサーに仕えた魔術師だ。
君と僕でマジックを起こそう!

と綺麗にまとめるのですが、残念ながらマーリンは魔術師の名ではなく、
猛禽類から取られたロールスロイスの一連のシリーズ、

「ペレグリン(隼)」「ケストレル(チョウゲンボウ)」
「ゴスホーク(オオタカ)」「マーリン(コチョウゲンボウ)」

の一つにすぎません。


バックアップを得たミッチは早速設計に取り掛かります。
そんなある日、ミッチの秘書ハーパー嬢が、クリスプを訪ねてきました。


体の調子が悪そうなのに、不眠不休で仕事をしているから、
休むように言ってほしいと親友の彼を見込んでの依頼でした。


深夜事務所をジェフが訪ねると、一人で仕事をしているミッチが。
彼は友人をただ家に連れて帰ってやります。


ソファに座るなり力無く眠り込むミッチ。


ペースを緩めては?というジェフのアドバイスには答えず、

「時速400マイルで飛び数分で1万フィートを上昇し、
急降下にも耐える翼を持ち、8砲の機関銃を搭載している。

口から火を吹き死と破壊をもたらす・・
スピットファイアだ

と、追い求める夢をキラキラした目で語るのでした。

しかし実際、ミッチェルはこの名前を気に入っていませんでした。

ヴィッカーズの取締役、マクリーンが、
気の強い姉(映画では娘と言っている)のあだ名だった(どんな姉だ)
「火を吐く人」という意味の名前を新しい機体につけたのですが、
これを聞いて、彼は、

「いかにも奴らが選びそうな、血生臭いくだらん名前だ!」
 "That's the sort of bloody silly name they WOULD choose!"

と言い捨てたという話が有名です。


ある日、彼の姿は医者の診察室にありました。

この映画では、彼の病名については語られず、ただ、
治療をしなければ半年から8ヶ月、とだけ医師が告げます。

ミッチェルの不調は直腸がんの進行によるもので、1933年、治療のため
人工肛門手術を受けていますが、経過は捗々しくなかったようです。

晩年の彼は、病と戦いながらスピットファイアの設計に打ち込みました。


会社に戻ると、航空省大臣からの、スピットファイアの生産に
政府が許可を出したという知らせで沸いていました。
12ヶ月で完成させてほしい、という上層部に向かってミッチは言います。

「8ヶ月で仕上げます」


ここからは、サー・ウィリアム・ウォルトンの
「スピットファイア」のフーガをバックに、
スーパーマリンの労働者たちの働く姿が次々と現れます。

William Walton's Spitfire Prelude and Fugue


実際にスピットファイアを作っていたハンブル(グはない)工場です。




このメガネの工員はウィルフレッド・ヒラーという人物だそうです。



そんな日々が続くある明け方、疲労困憊して帰ってきたミッチに、
妻、ダイアナは、医者からなんと言われたのかを問い詰めました。


夫の余命を聞いた彼女は、息子と自分のために生きてほしいと懇願します。

妻の涙にほだされたミッチは、一旦休養を優先し、
その後仕事を一気に完成させると言って彼女を安心させるのですが、


そのとき、ドイツ軍のスペイン爆撃を報じる記事を見てしまいました。


次の瞬間、彼は前言を翻し、自分の命を削ってでも、
ドイツの爆撃機に対抗するための戦闘機を完成させると宣言。

泣き崩れる妻はそれでも夫の意思が変えられないことを知っていました。



再びスピットファイア工場の生産現場が映し出されます。


いよいよ機体が完成しようというところ。


プロペラの取り付け。
当時の労働者は普段着で作業を行なっていたんですね。


あとはカウリングを被せるだけ。


完成までの段階が順を追って紹介されます。



そして完成後の機銃テスト。




格納庫から引き出されるスピットファイアの姿。


その頃すでにミッチェルはガンの再発のため
仕事どころか体を動かすこともできない状態でした。

彼が不在の間、アシスタントであったハロルド・ペインが、
スーパーマリンの設計チームを率いて作業にあたり、
ミッチは病床からアドバイスは行なっていたようです。

実はミッチェルはガンの専門治療のためにウィーンに飛び、
1ヶ月滞在して検査をしているのですが、病状はもうかなり進んでいて
治療しても効果がないことが判明し、帰国しています。

そしてその後は亡くなるまで、映画に描かれたように
サウスハンプトン、ポーツウッドの自宅で過ごしていました。



いよいよスピットファイアのテスト飛行です。
パイロットのクリスプがネクタイをしているのにびっくり。

実際のテスト飛行は、1936年3月5日に、
チーフテストパイロットのマット・サマーズによっておこなわれました。


関係者が国運をかけたこのテスト飛行を見守る中、
テスト飛行は順調に行われました。



フィルムではスピットファイアでの宙返りや急降下など、
実際のデモの映像が流されます。

この急降下では時速500キロからリカバーしたとされます。
クリスプは最後に、ミッチに素晴らしいプレゼントをしました。



サザンプトンの自宅の庭を低空飛行して、
そこにいる彼に親指を立てて見せたのです。



実際のミッチェルの家はこのような田舎にあったのではなく、
郊外で、まわりには家が立ち並んでいたので、このように
飛行機を通過させ、それを見送ることは不可能でした。


実在のミッチェルの家をGoogle検索してみた(誰か住んでます)


テスト飛行は成功裡に終わりました。



空軍大将がミッチェル夫人に夫を賞賛する言葉をかけます。



その後、スピットファイアの軍認可を待つミッチのもとに
ジェフがやってきました。



ジェフはなかなか軍が認可を下さないことに憤りますが、
ミッチェルは、自分の仕事は終わった、と満足気です。



ちょうどそのとき、妻のダイアナが興奮して
スピットファイアが採用され、製造が決まった知らせを伝えました。

「ドイツに電報を打とう!
『ゲーリング閣下、我々はグライダーを作りました』って」



しかしミッチェルにはもう言葉を続ける気力もありません。



「また会おう」

と適わぬと互いが知る言葉をかけ、去るジェフに、
ミッチェルは最後に親指を立てて見せるのでした。


これがミッチとの最後の邂逅であることを彼は知っています。


ジェフを見送ると、ミッチはダイアナにささやきます。

「皆に感謝を伝えてほしい・・・誰よりも君に」





夫に微笑み、花を持って部屋に入ろうとした瞬間、
彼女は「はっ」と鋭く言って息を呑みます。

この、ミッチェルが召された瞬間を表すシーンですが、
おそらくは実際も同じようなものだったのではないかと想像されます。

レジナルド・ジョンストン・ミッチェルは、1937年6月11日、
42歳の若さでサザンプトン、ポーツウッドの自宅で亡くなりました。



こうしてクリスプ司令はミッチェルとの思い出話を終えました。



「彼は幸せに死んだ。
その後のことを知ればさらに幸せだっただろう」


もちろん、イギリスにとってスピットファイアがいかに
国の護りの要となったか、という意味です。



そのときです。
ハンター中隊に出撃命令がくだりました。



次々と愛機に飛び乗る搭乗員たち(本物)



「基地司令が参加してる」


「なんでや」


「監視役だろ」



クリスプはバニー(実際の部隊長)に、素直に
どこに入ればいいかお伺いを立てております。

「私の後ろについてください」

内心足手まといウゼーとか思ってても言えない立場。

管制塔と連絡を取り、相手が百機の編隊だと知ると、
部隊長は、たったそれだけとは残念、と豪語します。



「Achtung、Spitfire!」
(気をつけろ、スピットファイアだ)


ここからは実際の空戦のフィルムのつぎはぎとなります。


あるトリビアによると、これらのドッグファイトシーンは
1942年の海軍映画、In which We saveからの流用だそうです。

YouTubeで全編観られるみたいです。

In Which We Serve (1942)

うーん・・・英語の字幕でもあればなあ・・。
「同じシーン」を探しましたが見つかりませんでした。

っていうかこの映画、ほとんど海上のシーンなんだけど・・。


ユンカース・・・?


つぎはぎには違いないですが、実際の映像なので
リアリティがあり、なかなか見応えのあるシーンです。

映画ではお荷物になるかと思われた基地司令が、
バニー(実在のパイロット)を撃墜され、
仇を取る勢いで敵機を撃墜する、というありえないシナリオです。

いかに映画のフィクションとはいえ、撃墜される役は
パイロットとして縁起悪いから嫌だとはならなかったのでしょうか。



"Hello, Hunter Aircraft, Control calling.
Nice work. Thank you, thank you.
You could come home now.
You could come home now.
Listening up!"


戦いの終了を宣言する管制塔のコールを受け、
クリスプ司令はほっと一息ついてキャノピーを開け、
さらなる上空を見上げて呟くのでした。

さて、このセリフ、字幕では、

「スピットファイアは決して敵に屈しないぞ」

となっていますが、原語のニュアンスは少し違います。
彼は呟くような、しかし強い声でこういうのです。

”Mitch!”
”Mitch, they can't take the Spitfires Mitch.
They can't take 'em!”

「ミッチ、奴ら、スピットファイアに敵わないぞ、ミッチ。
手も脚も出やしなかったぞ!」

まあでも、これなら字幕の方がかっこいいかもですね。


そして、チャーチルの言葉が帰投するスピットファイアに重ねられます。

'Never in the field of human
 conflict was so much owed by so many to so few'


字幕「戦争ではわずかな天才の陰に無数の兵士たちが存在した」

残念ながら、こちらの翻訳は完全にアウト。

おそらく翻訳者は、The Few の歴史的意味まで知らなかったのでしょう。
しかし、ここまでお付き合いくださった皆様ならもうお分かりですね。

バトル・オブ・ブリテンで戦った航空搭乗員のことを、
「The Few」と呼んでいたのを、最後にもう一度思い起こしてください。



繰り返しますが「The Few」は「一握りの天才」ミッチェルのことではなく、
彼の飛行機で戦った「最初の一握りの人々」(整備クルー等含む)であり、
「Many」とは、かれらにあまりに大きな恩恵を被った人々のことです。

イギリス国民全て、国そのものと言ってもいいのかもしれません。


終わり。