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小泉進次郎が菅首相の相談相手だったとは

2021-09-05 16:11:50 | 時事問題 政治
菅首相には失政はなかった。仕事師といわれるだけあって、課題に対して次々に解を出していった。国民には不人気であったのは、話し方のせいといわれるがその通りであろう。系統的にものを言わないのはそういう習慣の人であったからだろうが、いずれ分かる、という考えがあったとみてよい。側近も言い出しにくかったのであろう。菅は支持率低下を気にしていたようだが、あらためて実績を示して、支持率低下には丁寧な説明を施すことを見せてくれればよかったわけだ。総裁選挙にはフルスペックを求める声が強かったようだから、それに従えばよいのだが、昨年同様、候補者を出さず、派閥の推薦を得て、無投票で自分がなる、負けたくないという思いが強かったのだろう。
今回の退陣までの1週間は、不本意な報道もあって、本人にとって思いがけない展開になったという思いであろう。1週間の動きについて短評を加えて整理してみる。

8月26日に自民党総裁選挙日程が決定される。27日に岸田が立候補表明を行う。ここで岸田から二階外しのパンチが出る。安倍、細田の岸田への画策があったかどうかは分からないが、菅には応えたようだ。菅は岸田にもろに対抗して、30日に菅は二階外しを行うことにし、次週に党役員人事を行うと表明する。菅はここで頑張っておけばよかったのだ。あわてて二階を変えるなど言わずに、総裁選挙後に役員人事を行う、その際二階は外す、ということでよかった。これで十分岸田と張り合える。派閥の長も十分納得するであろう。菅の性急な役員人事変更案には派閥の長も訝しがったであろう。ここから歯車が狂う。このとき菅には党役員人事のあと総裁選挙前に解散を行う選択肢も考えにあって、側近か小泉進次郎に漏らしたのだろう。この総裁選挙前の解散総選挙案が31日にマスコミに漏れた。これには菅は参ったであろう。この情報が菅の命取りになったとみてよい。自民党員の信頼を失った。安倍からも忠言があったという。9月1日に菅自らコロナ対策優先で解散はないと言明した。党役員変更人事は9月6日に行うとした。役員人事変更も総裁選後にするということはまだここでも言えたのだが、突き進んでしまった。派閥の長たちは、河野太郎や小泉進次郎など国民的人気を持つ人材をひょっとすると1ヶ月しかもたない党役員に出すわけがない、菅にはそんな読みもできない状態になっていた。党役員人事変更案も実現不可能になる。9月2日夜には万事休すと思い、3日朝、辞めることを決断する。

この間小泉進次郎が5日間毎日菅と会っている。小泉進次郎の役割は、自民党の若手の国会議員の考えを伝えることと、派閥の長の動きを探ることであったのであろう。小泉進次郎は、菅退陣表明の後、記者会見で、総裁選に出ないという選択肢もあることを菅に進言したということを漏らしていた。若手議員は菅総裁では選挙に勝てないといい、その声がますます強くなっていると伝えていたのだろう。また、高市が出馬するというと安倍が高市に傾き菅への支持が外れるという情報を伝えていたのかもしれない。小泉進次郎の情報は役に立つものであったであろう。小泉進次郎の進言も聞くに値するものであったろう。
しかしである。反対の面からの意見を聞く余裕があってもよかった。1週間の動きは菅のオウンゴールであった、とみられてもよいであろう。菅を惜しむ人も多い。なにも辞めるほどの段階ではないのでは、と街でも聞かれる。その通りである。でも、決まってしまった。決めたのは菅自身である。

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