クールな生活

日々の雑感と意見

安倍の民主主義と国会の議長

2007-06-30 07:58:18 | 時事問題 政治
テレビと新聞からの情報を見聞きして判断しているが、国会が重要法案を自民党の圧倒的多数の賛成で可決した。いずれも重要法案で法律として是非成立、実行して欲しいタイトルのものであるが、その中身が十分伝わってこない。審議が不十分であるという印象はもつ。野党が内容的にどんな点に反対でどういう対案があるのかがよく伝ってこない。テレビで断片的に知る限りでは、自民党と民主党・野党の議論をもう少しつめればよいのではないかと思われる。議員たちがテレビの番組に生出演し、テレビ討論する時間があるくらいなら、国会でじっくり話し合えばよいのではないか。キャスターが居なければとっかかりがないというのか。コマーシャルで有耶無耶にするところがよいところなのか、いずれにせよ、議員先生方は討論の場所が国会であることをよく認識すべきである。

結果的には、安倍が自分たちの考えを多数決で押し切ったことになる。安倍の民主主義は小泉の郵政民営化賛成組を集めた体制に乗っかって、数に頼った民主主義である。民主主義は多数決であるという押しである。小泉独裁者の色彩になってきていると思われる。少数意見の中には、多数派の意見を修正したり追加したりする要素を持つものがある。それを民主主義が重要視している。決めるときには決めなければならないが、議論のときはよく議論すべきなのである。参議院選挙をひかえての時間的きつさがある。それを理由には出来ないことを知っているにもかかわらず、強引さを出してしまう。みんなの反対は、将来国民のためになるよ、以前の岸内閣の安保反対騒動がそうであったというようなことを安倍が言っているという報道があるが、その考えもおかしい。手法だけ真似てその手法がユニバーサルなものであるかの錯覚をしている。岸内閣は国民の知らない「外交秘密」のアメリカ情報を多く有していて、それにより当時の国民よりも多面的な考えをしていたと理解している。今回の安倍の法案の内容は安倍よりももっと識者がいてその人たちの意見が十分反映されていない節がある。社会保険庁などの公務員改革は、法律の原案が出てきたあとから種々の問題が発覚してそれらが盛り込まれないうちに成立の運びになったのは、浅はかというしかない。廃案になれば次期提出する際には厄介なことになるからというのは理由にならない。野党の駄々っ子のいうとおりといわないまでも、然るべき案をもって、会期をいくらでも延長すればよいのである。

この安倍の民主主義を是正するのは国会の議長であろう。安倍の側近に昔の中国の識者であるあん子のような人が居て、諌言してくればよいが、小泉内閣以上のイエスマン内閣だから、それは期待できない。とすれば、議長が、議事運営にいかにすべきかという指針を発するべきであろう。恙無く粛々と終わらせるというのが議長の務めではないはずである。扇が会期延長不要という嫌味コメントを発したというが、嫌味コメントでなく、実際の議事運営でなんらかかの考慮を入れるべきなのである。
それにしても小泉の置き土産は大きく、圧倒的多数が民主主義になってしまうのである。小泉チルドレンが自覚をもって政治に新風を送る働きをしてくれれば、やんやの喝采が出るが、そんな劇場風景も見られないままに、安倍の正義が進んでいく。なんとかしなければと思いつつも、空しさが先行する。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年金問題、誰が悪いのか

2007-06-10 10:19:42 | 時事問題 社会
誰が悪いのか、菅が悪い、小泉のときの問題だ、社会保険庁の職員の怠慢だ、いろいろ取り立たされている。社会保険庁という立派な組織があるのに、誰の責任かという責任問題が出るのはおかしい。組織として悪いことをしたならば組織の責任である。会社でも、警察でも、不祥事が内部の問題であれば、担当部長なり社長なりが、あるいは担当上司なり警察署長なりが責任をとっている。コムスンも会長が出てきている。社会保険庁は何故誰も出てこないか。組織が悪いことをしたのならば組織の責任で、社会保険庁長官が責任をとるのである。それが世のルールである。なぜそれをしないか。累代で悪いことを是正できなかったのだから、歴代長官の責任である。言い訳がいろいろあるかもしれないが、結果としては、管理をしていなかったことになる。管理能力が無かった人もあろうし、自覚が無くしなかった人もあろうし、よきに計らえ式で漫然と生きていた人もあろうが、どの人をとっても職務怠慢、職務不履行なのである。その責任を取らせなければならない。過去のことではない。現在につながっていることである。そして将来にもつながることである。歴代長官よ、今からでも遅くは無い、自己の職務に対する責任に目覚めよ。立派な天下り組織を建立した頭のよさを、今度は誠意という次元から頭を働かせるべきである。自己の責任が分かれば、例えば、当時サボっていたのは誰か、担当大臣からの圧力があったのか、思い起こすことが出来るだろう。死ぬまでだんまりを決め込むことにしてはいけない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六本木ヒルズの若き経営者たち

2007-06-09 09:38:07 | 時事問題 社会
2003年頃でしたでしょうか、タイトルを完全に記憶していないのですが、表題のような本がありました。私も図書館から借りて読みましたが、ホリエモンやグッドウィル会長らの企業立上げ成功物語で、若い人がなかなかやるな、と思わせる内容でした。これらの人たちに共通な「思想」は、お金がお金を産む、ことであると私は見ています。したがって、お金が最重要視されます。私もサラリーマンとしてビジネスの一端を担っていましたが、私どもは、お金を使ってビジネスをし、お金を得ていくという姿勢でした。資本として、設備の投資としてお金を使い、人を動かしてビジネス拡大を図るものでした。お金優先の考えよりも、人の信頼であり、人を大事にする思想です。ホリエモンの金さえあれば何でもできるという「思想」は、基本的には金がすべてではないよ、ということで否定されていると思います。今度のグッドウィル会長も人を単なる道具としてしか見なかったということでしょう。グッドウィルそのものに、また、この会長その人に退場してもらわないと社会が正しく回らないと考えるべきでしょう。機会はいくらでもあるはずです。ただし、不正をしてまで機会をくれというのは、社会を嘗めているというしかないのです。
金儲けをすることは何も悪いことではない。利益を貪ることも悪いことでない。法を守ることをしていればよいという姿勢も悪いことではない。ただし、基本の人を大事にする姿勢というのを持たなくてはならない。それが信用の元になる。と考えるのが常識ある社会人で、経営者とて、経営者の前に社会人であるべきはずです。

社会保険庁の歴代長官も品位は異なるかもしれないが、金の亡者といわれる前に、人間としてどのように対処していくべきかをいくつになっても、あるいはどんな立場になっても真剣に考えるという姿勢がほしいと感じています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コムスンも社会保険庁長官ももったいない

2007-06-08 12:03:10 | 時事問題 社会
今日の朝日新聞には、コムスンが事業停止を食らう前に廃業届けを出しているという記事があった。いろいろと考えるものだと思う。彼らは一体何をやりたいのだろうか?うまく世渡りをして生きていきたい、ということだろうか?それであれば社会保険庁の長官と同じ。事業で飯を食っているものはいやしくも夢があるはず。小さな世界でもよいから自分なりに生きようとする姿勢をもてるはずである。コムスンという組織を率いてまっとうな生き方をしていけば社会は必ず応えてくれる風土になってきているはずである。それに背を向けて自分だけ生きれればよしとしているのであるとしたら、粗末な人間になってしまう。折角の組織がもったいない。そのように思えないのであろうか?
なにもコムスンばかりでない。社会保険庁の長官でも折角長官になったのだから、なぜ自分の仕事をしようとしなかったのだろうか?ポストがもったいない。そのように思わなかったのだろうか?思わなかったから今の姿があるのだろうが。
こっすからしい生き方をして面白いと思う勿れ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コムスンへの処罰

2007-06-07 08:00:04 | 時事問題 社会
コムスンが処分に対応したのはグループ会社への事業譲渡で、コムスン側はしてやったり、と思っているだろう。吸収合併の効果が如実に現れたとほくそえんでいると察する。法的には問題ない。法作りのときに何を問題にして、何を解決するための法であるかという点で少し抜けていたことになる。コンプライアンスを遵守できなければ罰がある。その考えは正しい。法を守る守らないは、組織でなく、組織を動かす人である。組織を壊滅させても、人が生きていれば復活がある。復活戦を認めるのはよいが、復活まで時期をもたせるのが、人を罰する意味である。悪いことをしたのは組織でなく、組織を動かした人であるから、人を罰する。この点の考慮が大らかであったことになるのではないか。

翻って、社会保険庁もそうである。社会保険庁は国民生活にとって重要な機関である。組織として必要である。その組織を動かしていた人々とその組織の中で働いていた何人かの人々が、国民のためにならないことをしでかしていたわけである。長官として君臨してきて1,2年のお座りで多くの退職金をもらうことは法的には何の悪いところは無い。コンピュータのキーボードを打つ職員が疲れるから休止を多くとることも法的には何の悪いこともない。しかし、結局国民のためにならない悪さをしている。組織を変える前に組織を動かして国民に損害を与えた人を罰する規定を作ることが必要なのである。処罰を喰わなくとも自覚により分かる人は、多くは、始めから悪いことはしないものである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会保険庁長官

2007-06-06 08:39:34 | 時事問題 社会
元社会保険庁長官という人が朝のテレビのニュース番組の一こまに出ていた。テレビ局の追っかけにつかまってインタビューさせられるところであったが、「ノーコメントと言ったでしょう」といってそこそこと車に乗り込んでどこかの勤め先に行く様子が写っていた。これほどの大事ではないか。テレビ局のうるさい追っかけであろうが、もう少し礼儀ある言葉が出てしかるべきであろう。
しかし思うに、かっては有能な官僚であった人たちが天下って2年ごとに椅子を変えて、その間大した仕事をしないでそつなしで゛過ごして相応の退職金をもらい満足している様は、日本のためにも本人のためのもよくないのではないか。本人がそれでよしとし、本人がそれを求めてくるならその本人はもう処置なしのレベルで早々に抹殺すべきところであるが、適材適所であればテレビ局の追っかけにもそれなりに答えられる人が出てこようと、「のんびり」考えている。それが安倍内閣の天下り改正法案というなればそれでよしと思う。大臣においても然り。現場、実態を知らないから答弁が出来ない、議論が噛合わないというのが多い。
さて、今、社会保険庁長官であるが、本来2年もあれば、組織や母体があれば、というのは組織作りから始めなければならないということがなければ、2年でそこそこの仕事ができるはずである。自分たちが在職中に行なったことを、詳細な職歴書の類として記載してもらおうではないか。在職中の出来事は社会保険庁の歴史にあるだろうから、その出来事一つ一つに対して、長官としてどのような判断をしたかを改めて書き出してもらおう。そのとき私はゴルフに行っていました、というならそれでも止むを得ない。事実を書いてもらおう。それを金を払った側、国民であるが、国民側から見て判定を下してみよう。ほとんどの歴代社会保険庁長官というのは、社会保険のあり様の実態を知らないのでないかと思われる。だから今大騒ぎをしていることに対しても、そんなことがあったかなあというくらいの「感慨」しかない人もいるのではないか。実務は下々のやることである、という観念は大会社の少しばかりのお偉方でも持つくらいであるから、その仕事に集中しなければ把握できないものである。部下がしっかりしているから大丈夫というなら、その長官は不要であると言ってよいのである。お飾りを受け付けない社会であるとしなければならない。
恥ずかしいことをした人には、恥ずかしいことをしたという自覚を持ってもらうことと、辱めを受けさせるという報復があってよい。今度は、中国人や韓国人の気質を参考にして、因果応報をしらしめてよいのではないか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする