クールな生活

日々の雑感と意見

87才暴走殺人加害者と妻は遺族の声に耳を傾けたか

2019-04-26 08:39:33 | 時事問題 社会
4月19日12時半に起きた事故から5日経って24日に、亡くなった若い母と3歳の女の子の葬儀が執り行われた。葬儀の後、若い母の夫がコメントを発表した。立派なコメントなので全文を書き写す。毎日新聞4月24日から引用する。
「まず最初に、事故現場の献花台にあふれるほどの花を手向けてくださった皆さま、妻と娘に寄り添い、心を痛めてくださっている皆さま、皆さまの温かい心に本当に感謝しています。 最愛の妻と娘を突然失い、ただただ涙することしかできず、絶望しています。  娘がこの先どんどん成長し、大人になり、妻と私の元を離れ、妻と寿命尽きるまで一緒にいる、そう信じていましたが、たった一瞬で私たちの未来は奪われてしまいました。悔しくて悔しくて仕方がありません。この悔しさはどれだけ時間がたっても消えないでしょう。 妻と娘は本当に優しく、人を恨むような性格ではありませんでした。私も2人を尊重し、本来ならばそうしたいです。ですが、私の最愛の2人の命を奪ったという、その罪を償ってほしいです。 この数日間何度も、この先生きていく意味があるのかと自問自答しました。しかし同時に、今回の事故での妻と娘のような被害者と私のような悲しむ遺族を、今後、絶対に出してはいけないとも思いました。そのために私は、妻と娘の画像を公開することを決断いたしました。妻はとても恥ずかしがりやで、フェイスブックなどで顔を公開することもないような控えめな性格でした。そのため本当に苦渋の決断でした。この画像を見ていただき、必死に生きていた若い女性と、たった3年しか生きられなかった命があったんだということを現実的に感じてほしいです。 現実的に感じていただければ、運転に不安があることを自覚した上での運転や飲酒運転、あおり運転、運転中の携帯電話の使用などの危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない。そうすれば、亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれないと思ったのです。 それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、少しでも運転に不安がある人は車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また、周囲の方々も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安がある方がいるならば、今一度家族内で考えてほしい。それが世の中に広がれば、交通事故による犠牲者を減らせるかもしれない。そうすれば、妻と娘も少しは浮かばれるのではないかと思います。今回の事件をきっかけにさまざまな議論がなされ、少しでも交通事故による犠牲者がいなくなる未来になってほしいです。」
後半部は、自動車運転に関する被害者の切なる思いを語っている。当然のことを実行してほしいということなのである。

凄まじい事故であった。事故直後に出てきたテレビの映像は、ごみ収集車が横転している姿で、次いで自転車の半分になっている様であった。その自転車に乗っていた母子が犠牲になった。

死亡した母子はあっという間であったろう。あっと言えたろうかというくらいであろう。母親は子供をかばう間もなかったのではないかと察する。父親はアッパーカットを食らったくらいの思いだろう。全く悲劇である。加害者のジイサン、バアサンは悲劇を感じているのだろうか。全財産、残り全生命をかけても償わなければならないが、そんな気になっているだろうか。切腹がふさわしいあり方であろうが、そのようなことができないジイサン、バアサンであろう。運転免許返上すらしなかった輩である。

「アクセルが戻らなくなった」と息子に電話で泣き言をいうくらいの技量なのであろう。止まらなくなったら、サイドブレーキを適当に使う手段もあるはずだが、そんなことにも頭が回らないくらいなのだから、運転技量は決して高いものではないだろう。最初路肩にぶつけて動転してアクセルに足をのっけたままだったのだろうから、アクセルが戻らないのは当然だろう、バカ。家族が87才に運転を許してきたこと、教習所・警視庁が実技結果を軽視して運転許可を出してきたことが、事故の原因になる。家族ぐるみの犯罪である。この始末をどうしてくれるのか。亡くなった人には、もうどうしようもない。自動車事故というオプラートを被っていても、殺意はなくとも、明らかに殺人である。過失運転致死傷では、酒のみとかの危険行為がなければ、有罪になっても最大7年の刑である。被害者は浮かばれないし、家族にとっても、許せない。87才加害者は死刑相当の罪であると誰しもが思う。

加害者は輝かしい経歴をもつ人であるが、晩節を完全に汚したばかりか、人間としてのあり方さえ疑われる。事故の犯人であることが明確なのであるから、まず被害者に手を合わせ、遺族には謝罪することである。それができない。勲章を返還すると言い出すくらいになれば、普通の感覚になっていると見なしもよいかもしれない。メディアは何か、何故か、忖度して、このジイサン、バアサンの批判をしない。マスゴミといってよい。逮捕されないからか、容疑者ということばを使わない。なれば、犯人であるとか加害者であるという語にすればよい。自動車を凶器として、死者2名、負傷者10名を出した犯人なのである。

被害者の夫の悔しくて悔しくて、周りの人の憤り、この日本中の共感を呼ぶ姿は当分消えない。
コメント
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