オリンピック・パラリンピック組織委員会会長森喜朗は、本来有すべきチェック機能を働かせる能力のない人であることは、日本の多くの人は知っているはずである。その利権に群がる人々は、森喜朗を悪く言うことが出来ない。むしろ擁護する。すでにオリンピック開催に関わって利を得始めた人々は、小池流のやり方、現状変更に、たとえそれが理にかなうことであれ、猛烈に反対する。
エンブレムの時もそうであった。森喜朗は他人事のように振る舞っていて、自分に何らの責任がないという言い方であった。メディがもっと批判的な見方をするかと思えば、そうでない。大手メディアはすでに組織委とスポンサー契約を結んでいるようで、森喜朗を委員長の椅子から降ろすような論調はしない。
元首相小淵が亡くなったとき、森喜朗、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香の5人組が密室で、当時の自民党幹事長森喜朗を後継首相に勝手に決めたといういきさつがある。当時から能力がまるでないことは知られていたが、上手に生き延びてきている。それどころか、すっかり殿様になっている。威張り散らすこと、有名である。
都知事小池は、進め方で必ずしも感心できるわけでもないが、正義である。正義をもって真っ向から森喜朗に向かう。メディアはこの状態を面白がるが、正義を明確には応援はしない。正義を有するのは、世論である。今度こそ世論が、森喜朗を場外に放り出すのを希っている。
エンブレムの時もそうであった。森喜朗は他人事のように振る舞っていて、自分に何らの責任がないという言い方であった。メディがもっと批判的な見方をするかと思えば、そうでない。大手メディアはすでに組織委とスポンサー契約を結んでいるようで、森喜朗を委員長の椅子から降ろすような論調はしない。
元首相小淵が亡くなったとき、森喜朗、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香の5人組が密室で、当時の自民党幹事長森喜朗を後継首相に勝手に決めたといういきさつがある。当時から能力がまるでないことは知られていたが、上手に生き延びてきている。それどころか、すっかり殿様になっている。威張り散らすこと、有名である。
都知事小池は、進め方で必ずしも感心できるわけでもないが、正義である。正義をもって真っ向から森喜朗に向かう。メディアはこの状態を面白がるが、正義を明確には応援はしない。正義を有するのは、世論である。今度こそ世論が、森喜朗を場外に放り出すのを希っている。