日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

思えば、昨年の今ごろはコロナ禍、真っただ中でした。

2021年02月14日 | Weblog

 こんにちは。
 2月ももう半ばです。はやいものですね。月日が過ぎていくのは自分の気持ちとはかけ離れていくことをつくずく感じるこの頃です。次々に過ぎていくなかでさまざまなニュースや出来事に翻弄されている毎日です。

 今週、東京五輪委員会会長の森善朗氏が女性差別発言がきっかに辞任したニュースがありました。すぐに対応して、後任には川淵三郎氏があげられましたが、本人も引きうけたつもりでいたのですが一転、辞めてしまいました。
 まったくお粗末な出来事にように見えてしまいました。いまほど、差別発言は世界の流れからして発言したり、実行したりしてはいけない時なのに、ましては差別を禁止するべきスポーツ界の重鎮が発言してしまうとは・・・。なんともなさけないやらです。
 コロナ禍で東京五輪も危ぶまれているなかです。ボランティアでなくともやる気をなくしてしまいます。うらを返せば、いまどきの政治やそのほかの組織の重鎮はこんな程度だったのかと思えてしまいます。これを払しょくすることにどれだけの労力が必要なことが考えたことがないのではないかと思います。これが、今のよのなかを席巻している人たちの言葉だと思うとこれまでのことはいったいなんなんだ・・・とも。

 つい最近の新聞の投稿欄の「東京五輪よりも、コロナ禍での医療への予算を」ということが載せられていました。菅首相のひごろ「国民の命と暮らしを守る」ということを言っているなかで、五輪ができるかどうかの議論をよりも、コロナ禍ということを考えれば、中止をいえる勇気が必要になってきて、莫大な開催費用へ予算をつくかうよりも、今は医療へまわすほうが国民はいいのではないかと思います。それが、スポーツをより身近に感じる気持ちだと思います。



 毎週、休みの日には体を動かさないと・・・ということもあって必ず散歩を続けている。天気のいい日には公園の野原を横切り、花の咲く散歩道を探しては歩く休日になっている。
 きょうも天気のおかげでゆっくりと歩く道には子どもたちの歓声や大人の激励を聞く散歩道だった。けっこう都会の大人たちは子どもと一緒に遊んでいる光景を多くみる日々だ。
 私が子どもの頃は、ぜったいに子どもと大人が遊んでいる光景などはみることもなかったように思う。大人は朝から晩まで仕事をし、子どもは一日中暗くなるまで子どもどうしで遊んでいたのだった。だから、子どもが危険なことをしても大人がいないから、子どもたちで助け合っていたのだろうと思う。そこにはガキ大将もいた。まさに、遊びを仕切る子どもだ。強気をくじき、弱気を助け・・・というガキ大将だ。
 いつごろから、それがなくなったのだろうか。だれでもが平等であるかのような世界のなっているようだ。

 そういえば、最近のマンガでの子どもたちの会話に違和感を覚えることが結構ある。あまりにも気をつかうばかりで距離をおいた言葉づかい。これが最近の子どもの会話なのかと驚く。

 まだまだ働ける・・・と思いながら働いているけれど。
 現実は、なかなか厳しいようだ。これが「待ち・準備時間8割。仕事2割」ほどなら余裕で片づけて終わるのだろう。しかし、これはあくまでの理想の姿である。その理想を65歳の老体はいつも考えながら仕事をしているのが現実だろう。
 いちばんきついと思うのは、お客の都合が悪いこと。そのために客につきあって進めていくようになること。約束は、完全に反古にされたようなものの場合も同じ。

 そんなときは、絶対に相手のペースにのらないようのらないように自分のペースに引き込んでいくことに仕事以上にやることが大事だと思う。それには、こちらの都合もよく理解してもらうように、日ごろ準備をしておいたものを使って丁寧に仕上げておくことを怠らないことだろう。それが、急なつごうの時、役に立つのだろう。
 これまで丁寧にやってきてあげた分を考えてもらって、お客が無理をいわないようにすることに仕向けていく・・・。それが大事だなと思う。

 もう、若い人と同じペースでは出来なくなっている分、違うところで頑張るしかないことだろうと思う。そんなことばかり考えているここ2週間である。「生涯現役」なんて、嫌いな言葉になっていく。ちゃんと後継者を育てる気のある人の言葉ではないだろう。それと「仕事が好き」という人、信じられない。ただただ、行くところがないからだろう。それがあるから仕事をしているのかもしれない、などなど。
 さて、ご同輩はどん秘策をお持ちだろうか・・・。



 昨夜(13日夜)、大きな地震にはびっくりしました。これから寝ようかと思っていたら、少しずつ揺れ、徐々に大きく揺れていくなか起きてしまいました。携帯ラジをつけてみたら「福島沖の海底60㎞で地震が発生」ということが聞えてきました。東北地方を中心に起きた地震に、10年前の地震を思い出してしまいました。

 あのときは、まだ会社で仕事をしていました。午後から揺れて、夕方になっても時々揺れていました。首都の鉄道はほとんどが運転停止状態で帰ることもできませんでした。会社でテレビをみていたら、津波がたくさんの家や自動車をのみこんでいた状況が放映されていました。その景色が映画の世界ではなくて現実に起きていることに驚きもありました。
 外へでてみると、道路には何キロも渋滞が続いていました。身動きもとれず会社で一泊して、翌朝動き出した電車に乗りかえった経験を思い出していました。
 みなさんはどちらにいたのでしょうか。

 あの時は、若いということもあって、どうにか頑張れたのだと思います。昨夜の地震のときはあわてているというより、あきらめているような気持がありました。これで終わりなら、終わりでいいやー!!。これが自然の流れなのだから・・・。
 なにか、日本がコロナ禍で地震があって・・・と人類最後の時のような時代になってしまっていくような気になります。いったいこんな状況にしてしまったのは何だったのでしょうか。地球温暖化により、今後人類最大の食糧危機がくるなどというドキュメント番組などをみていると、「地球はもう昔にかえれないのかもしれない」とか「地球が何億年前の惑星にもどっていくのだろうか」という気にもなってきます。いろいろな、人間はなにをしていかなかればならないのでしょうか。

 地震のあった翌日、朝から災害状況のニュースが報道されていました。災害直下の東北の各県では、けがをした人や鉄道の運休の被害状況が体と心を痛めていました。原発事故のあった福島では、10年前の事故処理への影響が伝えられています。「安全上の問題はない」ということでしたが、どうだかわかりません。現地の人にとっては地震も恐怖ですが放射能が心配でしょう。
 まだまだ「余震」とやらがあるようです。大きくならないことを祈るばかりです。


 昨日東北地方で起きた地震の余震が続いているようだ。こまったことにこの寒さだ。さらにコロナ禍だ。今後の地震の動きがどうなっていくのだろうか。余震も小さくなってほしい。東北の人だけでなく関東の人間もそう思っている。
 地球の半分は春がもう近くにきているのに、地球はほとんど病気のままだ。

///////////お仕事の愚痴///////////
 仕事は、お客のわがままにどれだけ付きあっていくかが、と思う。お客の事情もあるのだろうが、何の連絡のなく遅きにつきた。と思うことがある。それでもどうにか仕事して片づけていくしかない。
 例えば原稿の入稿について・・・。おそい、遅すぎる!!。来週末には一冊の本にしなければならないのに!!。編集者の嘆きですわ。
 そんな気持ちで、今週と来週はつづくようだ。無駄なことはいっさいあきらめて整理してすすめていくしかない。ここは、「亀の甲より、年のこう」ですすめていくしかないようにするしかないようだ。
 あーまいった。そして、どこで手をぬくかがポイントだろう。
遅ければおそいほどいいものはできないということをお客に表現しなければなるまい。これが仕事の掟をはっきりわからせなければなるまいなー。(客には言わないが)
 そう思いながらつづくだろう。
 まいった!!!
 またしても今週は愚痴でした。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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