日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

秋の到来・・・何するものぞ。

2020年09月27日 | Weblog
 
 
 今月も終わりですね。
 9月は雨と一緒に涼しさを運んでくるような季節です。「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいふるされた言葉ですが、まさにその時期が9月のように思えます。思えば「暑い、暑い」とい言葉がきかなくなるとアッという間に秋がきていました。季節は「読書の秋」でもあるのですが、今年はコロナ禍ということもあってか季節感を感じるより、日々の感染者の数字ばかりが気になっていた。
 今月の読書は、8月の末頃から通勤電車のなかで読んでいました。毎日通う電車のなかでの習慣とはいえ、コロナも気になり「密」を避けつつは少しずつ窮屈な気がする毎日が続いています。彼岸以降、少しずつ混雑は増していく状況になってくるようになってきたように思えます。気がつけば、一人間隔どころか、立っている状況でもすき間が少しずつなくなってくるようです。そのうち、毎朝、ホームで「椅子取りゲーム」が始まるのでしょうか。
 とはいえ、最近思うことは「老い」でしょうか。どんなに元気でいてもいずれの寿命があるのでしょう。そう思いながら『百歳までの読書術』は面白かった本です。事実、買っておいた本でも、若いときは平気であったものが、文字が小さすぎて敬遠してしまう本も多くなってきました。時々、辞書などは虫眼鏡をつかって読んでいることもあります。せめて、新聞ほどの文字の大きさが最低条件でしょうか。そして、行間が狭い本は大変になってきました。読んでいるうちに、文字が多すぎて真っ黒な紙に見えてしまうこともあります。とくに岩波文庫などは貴重な古典が大いのですが文字が小さくて読む気にならないということもあります。コロナ感染ではありませんが文字でも「密」になって、行間のせまい本も苦手になってきました。
 そんな読書の日々です。
 
 「昭和」という時代はもう遠くなっているような気もする。現在は「令和2年」(2020年)である。私の生涯は昭和、平成、令和の時代を生きてきたことになる。
 ちなみに私の生まれた昭和31年(1956年)である。
 昭和が1926年にはじまり、1984年に終わる。平成は1984年から2019年。そして令和は2019年からである。
 昭和生まれの私にとっては、平成、令和は昭和よりは、はるかにいい時代のはずだったのだが、いま思うと悪くなっているようにも思える。
 歳をとったというだけでなく、今の若者をみるにつけ本当によくなったのかな? と思うことが多々あります。
 
 歴史家が資料や記録などを研究し一冊の本に起こして、私たちにその判断をあおいでいることは事実である。過去に、西ドイツ大統領や統一ドイツ大統領を務めた、リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の第2次世界大戦終戦40年を記念する演説で「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と述べたこと言葉を思いだす。過去の歴史が善かれ、悪しかれその事実に目をそむけることは現在を考えないに等しいということなのだろう。現在を考える一つの材料としての歴史があるのであれば、自分の今を考える材料ということにもなるということなのだろう。
 とはいえ、私が生れてこの年になるまで世の中では多くのことがおきていた。私がいちばん多感な時代は、すでに「60年安保闘争」や「三池闘争」などは下部になっていた。
 
たとえば、70年安保にむけてそれぞれの政治課題を追求していた時代だったのだろう。ときどき、「10・21国際反戦デー」のよびかけもあった時代だった。警察官には蹴とばされていたときも思い出される。
 平和問題に一つにしろ、これまでたくさんの人々が同じ場所に立って訴えていたにちがいない。それが、いまになって形がちがうにしろ面々とつながっているということは歴史のながれを思う時間でもある。
 「佐高信の私の昭和史」を読んでいると、知らないところで一生懸命生きてきた証が歴史となっていることがわかる。無関係に思えて、一つひとつの行動にはそれぞれの歴史のなかにあるんだとつくづく考えさせてくれる本になっていると思います。さらには、今を状況に喜んだり、悔しがったりするとき、私たちがいかにその時代に出来事に「無関心であった」ということを考えさせられる一冊でもあるように思える一冊です。
 
▼p5 よく、郷土を愛する延長に日本を愛することがいわれますが、故郷は日本という国家と違って武力を持ちません。そこが決定的に違うのです。
 
▼p39 歴史には、ただ一つの真実というものはないのです。強者の発する声だけでなく、弱者の声もすくいとって複眼的に見たとき、そこに客観的真実というものが浮かび上がってくる。私は、そういう視点がとても大切ではないかと思います。
 
▼p48 日本経済の高度成長とともに、潰れない銀行はいよいよ強大になっていく。銀行が一般人を相手にしなくなったことで「サラ金」というものができるわけです。いわば社会の徒花(あだばな)として、そういう金融業者が登場する。~そのサラ金がなぜできたかということです。
 
▼p68 ~日米開戦について直接後から大々的に報道されてきたのに対し、満州事変の真相は長く隠され続けうやむやにさてきたかです。
 
▼p99 日本人は、動機主義に陥りやすいところがあります。強引な領土拡大を推し進めていくと何が起ころうが、「結果」を予測して考えねばならないところを、ただ、日本は人口が多いから、と言って突っ走る。すべて「動機」です。動機というのは勝手な論理でなんとでも言えるのです。
 
▼p105 日本は発展途上国への経済援助はけっこうやってきていますが、日本の企業が得をするヒモ付き援助が多々ありま、留学生や研修生に不本意な条を強いることがままありました。
 
▼p147 だまされるということはもちろん知識不足からくるが、半分は信念すなわち意志薄弱からもくるのである。
 
▼p149 疑問を待たず、考えず、批判せず、信念を打ち捨てて、その流れの渦に巻き込まれてだまされ続けていたほうが人間ラクなのです。
 
▼p264 今は、分かりやすさを求める時代です。すぐに答えが欲しい。結果が欲しい。曖昧さに耐えられず、すぐに白黒つけたがる傾向があります。しかし、それでは本質がつかめないのです。
 
▼p285 しかし本当の「平等」とは、人と違うけれど隊等であることです。考え方とか志向が違ってもちゃんと居場所が確保されて平穏でいられること。「はみ出しも対等であること」それが本当の平等です。
 
 最近、安田純平さんの記事が東京新聞(夕刊)9月15日号に載っていた。安田純平といえばシリアの武装勢力によって拘束され外交問題にもなったジャーナリスト。解放されてから日本にかえったとき「バッシング」にさらされて「自己責任」ということをよく聞いた記憶がまだ新しい。日本での迷惑論やデマにふるまわされて居場所がなくなるくらいになったという記事もあった。
 
 『自己責任』という本を読んでみると、日本人のジャーナリストへの理解はまだ遠いなと思う。
 日本では拘束され無事解放されたジャーナリストの勇気と行動を賞賛するどころか「自己責任」という言葉の嵐だった。紛争現地から解放された著者の今井紀明氏も書いている。なぜ、そこまで批判されなければいけないのか? という日々だったこともあったとも。
 では、紛争現地に拘束を覚悟して世界中のジャーナリストが行かなかったらどうなるのだろうか。そして現地の紛争の状況を配信しなかったらどうなるのだろうか。きっと、現地のラジオ放送や新聞記事を載せるくらいになってしまうのではなかろうか。
 以前に日本ではイラクへの自衛隊派遣の現地の日報が
「ない」とか小野寺五典防衛相が発表した経緯があったように思う。さらにその日報の存在がでてくるまで時間がかかったという事実があったことなど報道されていた。
  このように、国は何につけ都合の悪いことは隠したがるのではないかと思う。
事実、これまでの歴史のなかでは戦時中、日本軍が連合軍に相当ダメージを負っていても、日本に都合のいいように報道してきた歴史があったことを思い出させている。そんななかでも、宣伝・広告をもってプロバガンダもあったと歴史は伝えている。ともすれば「真実」がなおざりになって多くの犠牲者を生んだ原因でもあったではないかと。さらに怖いのでは、多くの国民が嘘の報道によって、戦争高揚まで当たり前のように思うことだろう。「平和を守れ」と言う人は「非国民」というレッテルをはった歴史もあったことを思い出す。
 今井紀明さんが、現地の本当の様子を知らせるために現地に行き、拘束され、解放・・・。そんななかで、助かったいのちをバッシングされた中で感じていることを『自己責任』では述べている。
 「知る権利」というものがある。しかし、それは黙っていては、「知らされない」状況でおいていかれてしまう現実がある。
 最近では「公文書」が改ざんされたり、「桜をみる会」の名簿が消却されたりと、身近に多くの、知るべき情報が置き去りになっている状況があるということは、紛争現地にいって拘束され報告されないということは、同じ状況なのではないかと思う。
 
 ちなみにシリアで2013年にフランス人のジャーナリスト4人が武装勢力に拘束され、翌年解放された。当時のオランド大統領は、国をあげてむかえ喜んだという。
 日本との雲泥の差である。この違いはいったなんだろうなあーと思えた。デジタル化進み、日本人は新聞を読まなくない人がいないのだろうかな。そんな歴史の流れや重みも感じてしまう。
 
▼p174 「自己責任」という言葉の日本中で叫ばれる中、私は札幌に向かった。羽田空港から菜穂子と一緒に飛行機に搭乗した。機内の細い通路を通る。まるで罪人になった感覚だった。
 
▼p208 イラクで拘束され、私たちがイラクに行った行為そのものがバッシングの対象となった。それによって傷ついたのは、イラクに行った私たち当事者だけではなかった。いちばん身近な家族、そして友だち、大事な人たちの犠牲を強いることになったのだ。
 
▼p217 それでも、私たちがイラクに行った行為は「自己責任」が問われるのだろうか。私の答えは「わからない」だ。ずっと「わからない」かもしれないし、将来、何らかの仕事に就いて、イラクだけでなく多くの矛盾を抱える地域の現実を伝えることに携わったら、その答えを自分なりに導き出せるかもしれない。いまはそう思っている。
 
 人間はいつ頃まで本を読めるのだろうか。そして、読みたい本にめぐりあうまでの好奇心も同様に。
 還暦をすぎると老いは駆け足で追いかけてくる中で、自分との対話を通じて、本との関係を考えてみる一冊である。
 本といえば学者の人たち。自分の探究心に身を任せたくさんの本を読むプロフェショナルである。老いによって、目も悪くなり、持久力もなくなることは学者の命とりとなる。老いによって本を読めなくなったときが学者の引退間近ということにもなる。古今東西の知恵から一冊の本にめぐり会い、仕事して論文を書き発表するということが出来なくなったとき、引退となるのだろう。
 『百歳までの読書術』は「老いと読書」という誰でもが出遭うことを体験から紹介している。自分の年齢とたまっていく本。本の処理もできず覚悟のうえで重い本の下敷きになって死んでいった本好きな老人。再読の楽しさ深さ・・・一冊の本にたくさんの物語を語り、老いとともにその味わいもちがってくると。
 それでも、自分のペースをつくることで読み続けることの楽しさなど、悩みのつきない読書生活の方法が指南されているところもおもしろい。
 死が近いということを自覚しながら読む本の味わいを楽しみも、老いとのつきあいの楽しさというのも面白い。
 大切なのは、若いときは考えもしなかった「読書には体力=健康」ということも考える本でもあるのがよかった。
 さて、死ぬまでどんな本に出会うのか、この本を読んで、会えるまで死ねないという気持ちにもなってくるのも不思議である。
 
▼p86 今世紀はじめ、アメリカで住宅バブルの崩壊と、それにつづく金融危機によって失業者が急増した。あのときもそうだったが景気が大きく傾くと図書館利用者のかずが増える。収入が減り、時間に不本意なゆとりが生じたせいだろう。
 
▼p163 七十代とちがって、六十代の死はなかば覚悟の無念死であるほかない。こうして私の「死者の国」がどんどん拡大してゆく。わるかったな。こんなかたちでおなじ場所に並ばされるなんて、きみたち、考えたことがなかったろう。
 
▼p176 してみると、六十代のなかば私は、ときにチラッとじぶんを老人と考え、つぎの瞬間にはみずからを老人とみることを反射的に拒むという、なんとも中途半端におかれていたらしい。
 
▼p168 齢をとれば人間はかならずおとろえる。いや逆かな。人間一般ではなく、ひとりの生身の人間にとって最初にやってくるのは心身の衰退であり、ややおくれてそのおとろえこそが世にいう「老い」であったことにハッと気がつく。(あとがき)
 
今年、山歩きに出かけたのは1月のみの一度だけだった。新型コロナウイルス感染拡大で「自粛」をしていた。5月の連休前までパンデミックとなり、そのなかで死者もでた。こうなると、ちょっと都心へいくにも怖いなーと思う日が多くなった。なんにつけコロナ禍で元気になれず過ごす日々が多かったことか・・・。
 そんなとき読んだ山の本である。
 『人生山あり、時々谷あり』は山の楽しさを読めた本だ。なんといってもパワフルなおばさんである。がんになっても山登りをやめない女性登山家で本である。
 エベレストへ挑戦したことによって、その後一生山との関わりのなかで思うこと、考えたこと、などをエッセー風にした本である。山をめぐる仲間、家族との語らい、成長とたくさん景色を思いながら書いている。
 私たちは、できるだけ高い山に登りたいと思うのが自然だろうとおもうが、田部井さんいわせれば自分がいま登っている山が一番いいと思うことが大切なことだともいう。山に順位をつけてはいけないとも言う。
 それが、山とのつきあい方の基本でもあるようにも思えた。高い山であれ低い山であれ、そこの魅力を見つければしめたものと・・・。
 山を歩くヒントがなればいいと思う。
 
▼p84 「山には順位をつけない」のが私の流儀。
▼p95 山の上では社長もヒラも関係ありません。大切なことは、謙虚な気持ちで、経験者の言葉に耳を傾けること。
 
 
 「阪神タイガース5選手が陽性」というニュースがあった週だった。タイガースはペナントレースでのジャイアンツを追って2位で頑張っているチームだ。急きょ、1軍と2軍との選手を19人を入れ替えてシーズンを送ることになった。い残り試合も少なってきて、ここはジャイアンツに少しでもゲーム差を近づける時期であったにもかかわらず、ここ2試合のヤクルト戦は2連敗である。矢野監督も大変だろうと思う。
 江戸川区の食品工場で78人の集団感染とのニュースもあった。重傷者はいないということであっても、工場はもちろん、これまでの感染経路んども考えれば大変だろうと思う。感染者が、工場にくるまでの交通機関や立ち寄ったところなどによっても感染がおきることもあるだろう。これから工場もどんな対応をしていくのか、集団感染になってしまった工場などは、今後どんな対応が必要となってくるのだろうと思う。
 
 政府は10月から新型コロナうウイルスの感染拡大に伴う水際対策を大幅に緩和しようとしている矢先だからなおさら申告に思える。「本当に大丈夫?」とも思う。来年の東京五輪があるためか、何か急いで既成事実をつくろうとしてようにも見える。感染者が減る傾向になく、集団感染になれば事態は深刻なのだろうと思うのだが。
 なぜなら感染拡大のいちばんは「人の移動」によって起きるのだから・・・。
 軽症とはいえゆだんはできないことにはちがいないようです。なぜなら身内に病気になってなっている家族などがいればなおさらだろう。わたしの家族にも難病者いるので油断はできない。世間は軽症でも私の家族にはつねに重症者に見える。はっきりいって東京五輪どころではないのでは・・・と日々思う。そんな一週間だった。
 とはいえ、感染者には罪はあるまい。日々一生懸命に働いていて、気が付いたら感染していたということだろう。大事なことは、その後の医療態勢であったり、従業員の保障などであろう。解雇したり、移動させたり、排除の論理がまかり通るようなことは政治が守っていくかねばならない。「自助努力」はそれぞれやれる範囲やっているのだから・・・。
 今後、インフルエンザとコロナ感染ということも考えられるとも警告されている。
 ところで、集団感染になったしまた工場などは今後はどんな対応をしていくのだろうか。報道などでも細かく紹介してほしいところだ。
 
 多摩川を散歩道ときめて20年近くになった。毎年のこととはいえ、土手沿いのグランドでは草野球やサッカーが盛んにやられている。春先から年末までグランドでは子どもから老人までスポーツを楽しんでいる。私が、多摩川のグランドでみているなか中でいちばん好きなスポーツは消防士たちの(職場別対抗だろうか)ソフトボールである。消防士といえば年中無休のように働いている人たちである。きっとソフトボール大会のときは忙しい中、うまく調整して休みをつくっての参加なのだろう。みんな体格がよく、ピッチャーが投げたボールが、まぐれにもうまくバットにあたるやはるか彼方に飛んでいく光景もおもしろい。初めての人もいるようで、エラーもあったりしても楽しくやっている。
 これもスポーツの楽しさだろう。
 
 昨年台風19号では、大雨、強風によって関東地方も甚大な被害がでたことは記憶に新しいところだ。私のところも、強風の危険情報がながれ、窓にはガムテープなどで×印に貼ったのだった。多摩川では川の水があふれ、川近くのマンションなどの停電があいついで報道されていた。
 台風が去った何日か後に、散歩に出かけると、グランドは穴だらけになっていた。ネットも木も倒れ流されていたりして消えていた。
 その1カ月ごろ、通ると重機がグランドの補修工事をしていたことを見かけた。今年も、春に桜をみるついでに出かけてみたが補修には時間がかかるようだ。
 やっと夏あたりから少しずつ、グランドが修復された。
 最近では3分の2ほどが補修完了された。まだまだ全部はむりなようだった。
 
 ここ十年のあいだ気候変動のせいか、台風がくると甚大な被害のつめ跡を日本列島に残し去っていく。今年は、地震に豪雨・強風、コロナと災害のもりだくさんの年でもある。自然災害はどうにも避けられないことだから仕方のないことだと思う。でも、災害中、災害後、多くの被害者が出てくるのは「人災」になっていることを、もっと人間は反省すべきだろうと思う。
 2011年の東日本大震災後、いまだに原発事故の放射能汚染や避難民の状況などをきくたびにそんなことを思う。
 
 台風と多摩川の物語といえば山田太一の『岸辺のアルバム』という小説を思い出す。台風によって家が崩壊しようとしているだけでなく、家族が崩壊の危機をむかえている家族の話であったように思う。(詳細は忘れた)
 
 
 少しずつ、季節は冬にむかっています。
 涼しくなってきたと思っていたら毎日雨が続きます。秋の名物の空いっぱいの「ウロコ雲」がいつになったら眺められるのだろうかと思ういます。地上では、秋の花が静かに咲いています。地面では秋をつくりつつありますが、上空にはまだ秋の景色になっていないようです。それでも最近は異常気象が多くなってきたので、昔ながらの景色が消えていってくるのでしょうか。
 
 今週、勤め先で「インフルエンザ予防接種」の費用を会社が負担してくれるようになりました。今年に限ってことのようですが助かります。私はこれまでインフルエンザ予防接種はうけていませんでした。今年は、うけたほうがいいのかなと思います。これも、会社のコロナ対策なのでしょうか。本当は、感染のシュミレーションの対策を知りたいのが・・・。出向先では、シュミレーション1~4段階に分けての通勤、テレワークなどを明示していました。最悪は、一時作業中断ともはっきりしていました。これは大事なことだと思います。
 
 遠い太平洋の向こう側の米国では、大統領選にむけての民主党、共和党の代表の動きが活発になってきました。とくに目立つのはトランプ大統領が権力維持をねらって様々な動きが報道されています。あからさまに相手を誹謗中傷したりするのもあったり、自分に有利にするために、判事の人事に介入したりとあからさまです。その様子を見ていて思い出すことは、日本では、安倍前首相が次期検事長の人事に介入したことが事件になっていたことがありました。あからさまに自分に有利な人事を誘導するのは、どこでも同じようです。ところが、日本においては、当の黒川氏の「賭けマージャン」のスキャンダルによって白紙になりました。それがなければ、強引にすすめていたのではないのでしょうか・・・ね。
 残念なことは、そのことがあっても与党内には自浄力がはたらなくてますます政治が権力側に偏っていく傾向にあることでしょう。
 おそらく、菅首相になってからもそのことは同じでしょう。
 
 新聞を読んでいたらとんでもない記事を目にしました。
 元総務相の竹中平蔵氏が、貧困をなくすために政府が全国民に最低必要な金額を配る制度(BI=ベーシックインカム)について、「1人に月7万円支給。財源は生活保護・年金の廃止」を導入の発言をしたこと。コロナ感染で失業者や生活保護者がふえている中、とんでもないことをいうなと思う。これまで、多くの非正規雇用を推進してきて、コロナ禍でその非正規雇用者をたくさん解雇してしまった原因をつくってきたにもかかわらずのこのような発言とはあきれてしまった。まさに年金生活者を弱らせる安易なものだと思う。それでは、政治をやっている意味がないではないか。これまでの社会保障をいきなり壊すような発言にもうけとれる。だいたい、日本は老人社会にむかっているのです。そのうち、私も含めて、人口の半分が年金生活者になるような社会をつくっておいて、ひどなーと思います。
 ここまで政治がきたか・・・とも思った。
 とはいえ、こんなことを言わせてしまう政治風土をつくってきてしまった国民にも責任はあるのだろうけれでも。それにしてもひどすぎる。
 
 
 来週には10月に入ります。晴れた日には季節も秋を感じられることだと思います。
 とはいえ、「GoToトラベル」解禁もあり人の移動も多くなってくるでしょうからちょっと心配なところもあります。毎朝、通勤電車に乗るにつけ日々人が増えてくるし、最近ではマスクの下から他人の息がきこえるくうらいの混みようが復活しはじめました。こんななかでクシャミでもしようものなら・・・。

 10月には菅内閣での国会も始まるようです。私は不思議に思うのですが、安倍首相があれほど極悪非道な政治をやってきたのに支持率が60%を超える数字です。「どうなっているの」と思います。コロナでの「アベマスク」や「河井議員の公選法違反」などの背景にあきらかに安倍首相があるのに・・・。それを「引き継ぐ」と豪語している人がこんなに支持されるなんて・・・。
 このことについて、新聞の投書で支持者にあきれていた老人の姿が思い浮かびます。
 この機をみこんで総選挙も時間の問題となってくるのでしょうか。
 とまあ、10月は波乱の月になるでしょうか。
 ではこのへんで失礼します。
 読んでくくださった人、ありがとうございました。