日々徒然に

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はやくも台風5号発生、こんな季節でしたかね

2018年06月10日 | Weblog

 こんにちは。
 梅雨入りをしました。はやくも台風が発生しています。なんでも大型でつよい台風というニュースです。雨も大変だと思っていますが、台風とは…。台風がこんなに早くくるとはいったいどうなってしまっているのでしょうか。こんなはんずではなかったような気がします。そして、明日は接近してくるとのこと、都会の弱点を露呈する通勤にはやっかいだと感じてしまうのかと考えてしまいます。
 そんなかでもツバメが巣作りを始めていました。今年は昨年より巣作りの場所が少ないように思えるます。年々、住みにくくなっているのでしょうかねえ。



 さて今週、忘れてならない年でもあるよう事件から10年目と「秋葉原殺傷事件」が新聞で報道せれていました。その事件に遭遇してしまった人たちの特集記事が多くありました。通り魔事件としてありますがその内容を深くさぐってみるといろいろな背景があるようです。

 この時代「負け組」「勝ち組」という言葉がありました。市場原理を最優先させる時代でもあり社会が分断の流れが大きな溝をつくっていました。そして、その時代の小泉政権が「自己責任」という世の中にあふれた時代でもありました。そして、戦時下のイラクに自衛隊派遣の際にイラクの武装グループが邦人3人を人質にして撤退を要求した事件がありました。人質だった一人の今井紀明さんが帰国後批判があいつぎました。「非国民」とののしられ、自己責任論がいわれもしました。

 とくに元議員の亀井静香さんの言葉が印象的でした。「すべてを環境や貧乏のせいにするのは間違いだ」「格差があれば憎しみも生じる度合いが強まる。格差社会で困っている人に手を差し伸べるのが政治だ」と。
 格差がますます広まる時代の入り口にあってこの言葉は今の政治家にきかせてほしいものです。



 今週、サッカーワールドカップロシア大会の強化試合がありました。西野監督になってからこれで2試合目のスイス戦がありました。ガーナ戦と似ていて、取りあえず反則をしてペナルティキックを決められました。やはり、格上ともなるとゴールエリア内では迫力があるように見えます。

 今回のワールドカップ戦では正直なところこれまでの2試合(ガーナ、スイス戦)をみていて「まだまだ」という思いだけがあります。まだまだ、チームがまとまっていないような点が目につきます。練習不足でコンディションがよくないかのように見えます。
 監督が突然の交替ということもあって選手もまだまだまとまっていないようにも見えます。こんなことは外国ではけっこうあるようですが、ぼくがこれまで見た来た代表監督のなかでは初めてのことだと思えます。4~5年ほどかけてチームづくりをやってきたことを考えればその何十分の1の期間…、勝てといっても無理でしょう。相手は、全部格上の代表チームです。それでもサッカーでは時には、全然格下のチームが勝ったりすることもあります。それもサッカーの面白いところです。しかし、さすがにワールドカップの試合となるとこれは奇跡にちかいことです。

 今回は条件が悪いなかでのワールドカップ参加に見えます。短い期間でどれだけコンディションをつくりあげられるのかが大事なことです。
 どれだけの試合内容をみせてくれるのかが楽しみでもあります。今後の代表の歴史にいい経験にしていけばいいと思います。
 以前にもフランスワールドカップの予選の時にも加茂監督が成績不振でコーチの岡田さんが監督に代わった時代がありました。岡田監督のプランを選手に短い期間で理解してもらい、選手たちも頑張った経験があると思います。それを考えると、また西野監督がやってくれると思います。勝つために必要なものはいったい何でしょうか。

 代表選手一人ひとりの人生を賭けた戦いがワールドカップです。
 どんな戦術で、どういうサッカーを展開していくのか楽しみです。





 先月、1月から始まった「大規模修繕」が終わりました。この修繕は15年に一度行われる管理組合の予定です。そして15年後(2033年)に二度目の修繕が実施されることになります。そのころは、ぼくはとっくに「古希」をすぎているころです。過ぎるところか、この世にいないかもしれません。
 そんなことを思ってしまいました。修繕計画といっても、いちばん修理が必要な外壁コンクリートの劣化にともなう部分の修繕が主だったようにみえます。あとは、ペンキの塗り替えも多いようでした。けっきょく、劣化の部分を隠してるような感じにも思えましたが…。

 そして、突然上階の人の引っ越しのあいさつがあった。この人たちとは唯一よく話をしていたので驚いてしまった。あーあ、もっと話しておけばと後悔してしまった。「主人は北区、妻は新宿区、子どもは23区内の大学と高校と通勤に遠いし引っ越しを考えていたんです」との理由だった。理由はそんなことよりもっと身近な現実的なことだろうと思いつつ、会話をしたあとで、ぼくは突然、ローンの残高を調べてしまったのでした。これは他人事ではあるまいと…。

 そんななか考えたことが15年間のローンについてでした。とくに驚いたにはローンではらっている中には当たり前ではあります「金利」の返済の実に高額だということです。マンションの値段の約半分以上にも思えました。大げさにも思えますが、それだけの金利をはらってもまだまだローンは続くという現実でした。金利の返済プラス借金の返済をしていることになっています。
 そしてぼくの年齢…もありました。
 世の中には「老後の資金」などということで○○○万円くらいということを書いています。その数字をみたら「ぼくたちは送れないのでは…」と思えてしまうほどの数字でもありました。でも老人(ぼくも)たちのほとんどはそんな理想に近い数字のなかで生きているようにも思えません。それでも、どうにか日々の中を送っているのでしょう。そんな気がします。事実、「孤独死」などのニュースを聞くたびに、これが現実なんだと思います。それはそれでとあきらめ…という事実もあります。

 そして一方で思うことは日本という国は「弱者」に対しては冷たい国なんだなあ、と思います。他人や社会のせいにしてと言われそうですが、でも、ぼくの身の周りには遊んでいる人はいません。病気になっても通院しながらや入院したりと、がんばっているように思います。そんな人たちへの対応があまりにも冷たいと思えます。以前友だちが「死ぬまで働け」ということか、と冗談にに聞こえたことも、冗談ではないようにも思える世の中になっているようです。そんな中で生きているということも現実。
 これからは、ちょっとその仕組みや対応も考えて行動していくことも大事なのでしょう。若くないのですから、少しでも体力あるときボチボチ始めようと思えた「引っ越しのあいさつ」でもありました。これは自分で解決をしなかればならないことでしょうから。

 劣化があるのは外壁はもちろんですが、ローンを払う側の経済状態や体力でもあるようです。こちらも、どんな形になるか「修繕計画」が必要な時期に来ているように思えます。
 『ボーと生きてんじゃないよー」と言われそうですが…。



【中野駅】後悔の多い駅でした

毎日の通勤途上駅である。座席に座れる第二のチャンスの場所でもある。ここで東西線、総武線に乗り換える人がいるからでもある。
 最近は、駅前にビール会社が建ち、有名大学も建っていた。およそ30年前にはなかった。
 あったのは中野区役所と中野サンプラザでありました。ぼくにとって中野サンプラザといえば「アルビン・エイリー」のダンスを妻と観に行ったところでもありました。あれはもう30年ほど前でしょう。もちろん今のビール会社や大学もありませんでした。駅前にドーンとあった建物にあっとうされていました。なんといっても田舎育ちであったのでこんなに大きな建物でダンスを見ることも初体験であったと思います。「こんなにも人間の肉体が表現力があるのか」と感動したところでもありました。

 もう一つあるとすれば、ここの駅に田舎の母と一緒に降りた駅でもあります。妻が子供を産んで一週間くらいは大変だろうということもあって、生れてはじめて東京に来たのでした。今思うとどんな気持ちだったのだろうなあ、と思います。田舎では土とともに一生を送った母にとっては、土のないコンクリートだらけの都会をどんな気持ちでいたのだろうかとお思います。
 ここに降りたのは、子どもが生まれて何かが贈り物を…と思ったのでしょう。それじゃ、子どもの洋服をいれる箪笥を買うために降りたの駅でした。その箪笥は今でもシールがいっぱい貼られてあります。今ではぼくが使っていますが…。今おもえば、都会に来た時の母の感想をきいおけばよかったな思うばかりです。赤ちゃんの世話などで忙しかったのでしょう。いまでは、それもかなわぬことに後悔する駅でもあります。

 この駅は、時代の流れと共に変わっていくことが強制されているようなところにも思えます。それに抵抗した区でもあるように「革新」という区長もいた時代には生き生きしてようです。区役所のビルに「憲法を生活に生かそう」と垂れ幕があったりして、頑張って実践した区でもあったように思います。ちゃんと政治というものを身近にしようと頑張っていた区であったように思います。今の政治家はなんか自分の立場があやふやというか、ウソも方便といわんばかりになっていて、主義主張がぐらぐらしていていることを見るにつけ中野区の政治の歴史は大事だと思いますが。



 最近「格差」という言葉が身にしみてきこえる気がします。とくに年齢とともに職場でも正規社員と再雇用の格差、あるいは病気入院から職場復帰した人との格差など。
 人は健康があたりまえのような世の中になってしまっているように思えます。だから、働くことはまず健康な体でということなのでしょう。しかし、生きていれば、ある時病気になってしまうことも事実です。けがをすることもあります。そして、どうしようもない老齢化です。その時の準備をとよくいいます。けれど、準備するための教育や職場環境、労働条件など、その場しのぎの間に合わせだとしたら、どうでしょうか。
 自分でできることはやれるとしても、それを全体にいきわたるようにするためには全体で考えて、実行していくしかないのです。

 それで全然できていない…のが現実ではないのでしょうか。
 せめて、「65定年制」などということを考えていれば、賃金を少しはよくするとか具体性がほしいところです。人を酷使するだけの65歳定年制では困るのです。そんな気がします。

 梅雨本番プラス台風。昔はこんなことは考えれませんでした。
 なんともいやな自然環境になってきました。少しは楽しいことがないのでしょうかね。例えば、サッカーワールドカップで日本代表がベスト16に残るとか、宝くじを買ったら当たるとか、そんなことは大歓迎ですが…。

 今週はこの辺で失礼します。