米国中間選挙で共和党が大敗し、今更ながらラムズフェルド国防長官が更迭された。
そのラムズフェルドが辞任の弁でイラク戦争にこうreferしたのには驚いた。
これではこの戦争で命を落とした者、とくに米国兵は浮かばれまい。
イラク戦争は泥沼化し、越米戦争(ベトナムに旅行したときに、現地では「アメリカ戦争」と呼ぶのを知って、「ベトナム戦争」と呼ぶことによって知らず知らず自分も米国側に立っていることにはっとしたのでこう呼ぶ)の二の舞と化している。
昨年ニューヨーク州司法試験に合格したときに、ロースクールを卒業して以来の魚の小骨が喉にひっかかっているような宿題というだけでなく、米国という国を批判するためにもクリアしなければ課題だったというようなことを書いたが、米国のこのような点は最も唾棄すべき点である。
非人道的なことをやっても、国内経済を牛耳っているユダヤ資本に遠慮してイスラエルには大した批判はしない、それどころか、戦争を起こすこと自体が兵器産業のためという説もあるくらいだ。
次の大統領選挙が楽しみである。
大統領選挙といえば、1992年の秋、オックスフォード大学に留学するため米国から英国に移動したとき、殆ど初めて米国人の発音と英国人の発音が全く違うことに気づいた。Back to the future3でも、マイケルJフォックスらは、英国から移民してきた先祖の役をやるときにはちゃんと英国式の発音をしていた。
雨が多く暗い気候ととっつきにくい英国人とともに、米国が懐かしくて仕方なく、「故郷の訛り懐かし」とばかりに大統領選挙の日、大学の「民主党クラブ」の主催する、パブを借り切っての選挙報道をみんなで見るイベントに潜り込んだ。結果はご存知のとおり、クリントンの勝利だった。Harvardのあるマサチューセッツ州は民主党の牙城であり、新しい時代が来るとわくわくしたものだ。
ところで、マドンナは当時「初めてセックスが好きそうな人が大統領になってくれてうれしいわ」とコメントしていたのに、その後ガイ・リッチーと結婚し、子供を英国のパブリックスクールに入れるためにロンドンの高級住宅街に移り住んでからは、すっかり保守的になり、しゃべる英語まで英国アクセントに変え、クリントンのスキャンダルの際も、「絶対に許せない」などとコメントしていたのには呆れた。
ところで、英語について。
今では、英国式発音の方がずっと好きである。米国式の発音は、口の中で飴玉を転がしながらしゃべっているようで下品に感じられてならない。
つづりも、たとえば旧英連邦(カナダは地理的に近いので米国式のようだが)やEUでは、英国式のつづり(たとえば、realizeをrealiseと表記する等)を使っているので、使っている国は英国式の方が多い。
それなのに、日本では、米国式のみを教える。
米国式を教えるという選択自体はかまわないが、ぜひ「これは、英語の一種でしかありません。違うつづり、違うアクセントを使っている国もたくさんあります」という相対化もやらなければ真に国際人を育てる教育にならない。
日本も米国中心主義を見直すべき時期だ。
私は、英語で論文を書くときは、(相手が米国の雑誌などでないかぎり)英国式の綴りで書くようにしている。
しかし、ワードが米国式がデフォルトになっているために、いちいち辞書変換をしなければならないのが業腹である(そういえば香港も返還後は大陸化が進行したためか、香港大のパソコンも米国式がデフォルトになっていることに、慄然としたものだが)。
そのラムズフェルドが辞任の弁でイラク戦争にこうreferしたのには驚いた。
これではこの戦争で命を落とした者、とくに米国兵は浮かばれまい。
イラク戦争は泥沼化し、越米戦争(ベトナムに旅行したときに、現地では「アメリカ戦争」と呼ぶのを知って、「ベトナム戦争」と呼ぶことによって知らず知らず自分も米国側に立っていることにはっとしたのでこう呼ぶ)の二の舞と化している。
昨年ニューヨーク州司法試験に合格したときに、ロースクールを卒業して以来の魚の小骨が喉にひっかかっているような宿題というだけでなく、米国という国を批判するためにもクリアしなければ課題だったというようなことを書いたが、米国のこのような点は最も唾棄すべき点である。
非人道的なことをやっても、国内経済を牛耳っているユダヤ資本に遠慮してイスラエルには大した批判はしない、それどころか、戦争を起こすこと自体が兵器産業のためという説もあるくらいだ。
次の大統領選挙が楽しみである。
大統領選挙といえば、1992年の秋、オックスフォード大学に留学するため米国から英国に移動したとき、殆ど初めて米国人の発音と英国人の発音が全く違うことに気づいた。Back to the future3でも、マイケルJフォックスらは、英国から移民してきた先祖の役をやるときにはちゃんと英国式の発音をしていた。
雨が多く暗い気候ととっつきにくい英国人とともに、米国が懐かしくて仕方なく、「故郷の訛り懐かし」とばかりに大統領選挙の日、大学の「民主党クラブ」の主催する、パブを借り切っての選挙報道をみんなで見るイベントに潜り込んだ。結果はご存知のとおり、クリントンの勝利だった。Harvardのあるマサチューセッツ州は民主党の牙城であり、新しい時代が来るとわくわくしたものだ。
ところで、マドンナは当時「初めてセックスが好きそうな人が大統領になってくれてうれしいわ」とコメントしていたのに、その後ガイ・リッチーと結婚し、子供を英国のパブリックスクールに入れるためにロンドンの高級住宅街に移り住んでからは、すっかり保守的になり、しゃべる英語まで英国アクセントに変え、クリントンのスキャンダルの際も、「絶対に許せない」などとコメントしていたのには呆れた。
ところで、英語について。
今では、英国式発音の方がずっと好きである。米国式の発音は、口の中で飴玉を転がしながらしゃべっているようで下品に感じられてならない。
つづりも、たとえば旧英連邦(カナダは地理的に近いので米国式のようだが)やEUでは、英国式のつづり(たとえば、realizeをrealiseと表記する等)を使っているので、使っている国は英国式の方が多い。
それなのに、日本では、米国式のみを教える。
米国式を教えるという選択自体はかまわないが、ぜひ「これは、英語の一種でしかありません。違うつづり、違うアクセントを使っている国もたくさんあります」という相対化もやらなければ真に国際人を育てる教育にならない。
日本も米国中心主義を見直すべき時期だ。
私は、英語で論文を書くときは、(相手が米国の雑誌などでないかぎり)英国式の綴りで書くようにしている。
しかし、ワードが米国式がデフォルトになっているために、いちいち辞書変換をしなければならないのが業腹である(そういえば香港も返還後は大陸化が進行したためか、香港大のパソコンも米国式がデフォルトになっていることに、慄然としたものだが)。