市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

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2008年5月号(通巻435号):わたしのライブラリー

2008-05-01 16:13:03 | ├ わたしのライブラリー
製作委員会方式について考えるための本
編集委員 小笠原 慶彰


 今月の三作は、南木佳士『阿弥陀堂だより』(2002年8月、文春文庫、505円+税)、小川洋子『博士の愛した数式』(2005年12月、新潮文庫、438円+税)、大岡昇平『ながい旅』(2007年12月、角川文庫、590円+税)である。この三作に共通することは何か。
 作者の南木と小川は芥川賞作家であるが、大岡は選考委員であったものの受賞していない。二人は男性、一人が女性。大岡は明治生まれ京都帝大出身で兵隊上がり、南木は団塊の世代で秋田大学医学部出身の勤務医兼業、小川は60年代生まれの早稲田卒業で結婚後の転身。『阿弥陀堂だより』は、1995年3月の『文學界』初出で文藝春秋社から単行本化、『博士の愛した数式』は、03年に新潮社から刊行、『ながい旅』は、82年新潮社の単行本を86年に文庫化し、角川書店から再文庫化された。初版の年代も出版社も区々である。

 では正解はというと、小泉堯史 脚本・監督作品の原作だということ。前二者は同名で映画化され、『ながい旅』は『明日への遺言』と題された。そして三作とも「製作委員会方式」で作られ、とあるエンターテインメント関連会社がリードした「クオリティ映画」だ。
 製作委員会方式とは、映画会社の名前が表に出るのではなくて、たとえば「『阿弥陀堂だより』製作委員会」というクレジットで配給される方式である。多数の出資者からの資金調達を可能にし、そのリスクを軽減するのが目的である。しかし、そのために出資者の数だけ要求があるという難点もある。ただ、芸能プロダクションの協力を得やすいし、テレビ局や広告代理店を出資者にすれば、PRには力を発揮できる。商業的には、関連グッズ・DVDの販売や貸し出し、テレビ放映などで映画興行だけに頼る資金回収よりは安全な投資ということになる。

 だがプロデューサーは、プレゼンテーションの難しいものではなく、よく知られている原作を使って企画を通そうとするだろう。その結果一般的には、リスクは低いが平凡な内容になる可能性が高く、冒険的な作品は作りにくくなる。出資者の立場やコンプライアンスとの関係で政治的なメッセージを直接表現しにくいなどといった制約も起こりえる。だが脚本、配役、スタッフ、製作方針等について、出資者の注文に応じていく過程で、逆にクオリティが高まることもある。「クオリティ映画」と自称する所以であろう。

 さて『阿弥陀堂だより』である。ストーリーは「医者ながら心の病を得た妻とともに故郷の信州に戻ってきた作家である夫。二人が出会ったのは、村人の霊を祀る「阿弥陀堂」に暮らす老婆、難病とたたかう娘だった。静かな時の流れの中で二人が見つけたものは…」といった内容である。原作は南木自身の体験に基づく私小説的色彩の濃い静かな作品である。
 映画の方は、夫に寺尾聰、妻に樋口可南子、老婆に北林谷栄、娘に小西真奈美を配し、ベテランの渋い演技が光る。撮影は、長野県飯山市で行われ、阿弥陀堂以外はオープンセットが作られていない。つまり「本物」だ。監督の言葉によれば「奥信濃の自然の中、むつみあって生きる人々を、日本の原像の一端として描こうとするもの」ということになる。

 『博士の愛した数式』はというと、 91年に『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞した小川洋子が、原作(04年に読売文学賞、本屋大賞を受賞)でもその独自の世界観を語っている。「交通事故のために80分しか記憶が持続しない初老の数学者が他人とコミュニケーションをとるために編み出した方法、それは数字をめぐるさまざまな神秘を話題にすることであった。「素数」「完全数」「友愛数」「オイラーの公式」などなど…。偶然にも彼の世話をすることになった「家政婦」、そして彼女を母に持つ子。その関係を軸にして展開される物語」といった内容だ。
 映画では、博士に寺尾聰、家政婦に深津絵里、息子に吉岡秀隆(子ども時代を斉藤隆成)を配している。余分なシーンやセリフのないシンプルな映画である。

 『ながい旅』の映画タイトルは『明日への遺言』である。恐らく原作から得た脚本の意図は、原作のそれと異なっていると受け止めてよいのだろう。原作者の大岡昇平は自身が応召し捕虜となって後、帰還。そして名声を高めた『レイテ戦記』は綿密な戦闘記録であり、戦記文学とされる。『ながい旅』は、戦犯裁判を「法戦 」と位置づけ部下を救うために戦い続け、
自身は死刑を覚悟した元陸軍中将の最後の生きざまを描いた作品である。
 映画ではその中将に藤田まこと、妻に富司純子、証人の孤児院院長に田中好子等を配し、ほとんどが法廷シーンという動きの少ない、それでいて躍動的な映画である。

 同じ人物による脚本・監督の映画とその原作を観比べ、読み比べてみると、なかなか面白い。そして資金の必要な事業を成功させるために多くの出資者を募り、その要望を満たしていくことは、必ずしも事業目的を拡散させる場合ばかりではないと思えてくる。 出資の動機はいろいろだとしても、少なくともその価値を見出している人たちがより少ないリスク分担で済むよう考え、さらに事業の本質を高めていく作業を生業にできるとすれば、そんな張り合いのある仕事はないだろう。

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