脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

I can change.

2017-06-25 | Weblog

結構個性が強かったから挑発行為のようなものを受けたことがある。その時は本当にはらただしかった。特に人種が違ったらそれゆえに不快感がある。私が嫌いだった人間はスペイン語を話す人間で、時々そいつの仲間とスペイン語で何か言っていた。それは明らかに私に対して何かを言っているのだが、私はスペイン語を話さない。むかつくのでA○s holeかF○ck youぐらい言ってやろうと思ったが、しかしそんなこと言ったらえらいことになる。しかしその時「こいつだけは絶対にぶちのめしてやる」と思ったことは間違いない。そしてついに対戦の時が、セコンドのアレンが私に「お前あいつ嫌いだろ」と私が「当たり前だ」と言うと彼は私の肩をポンとたたいてbeat him up!とbeat himは相手を試合などで打ち負かすと言う意味であるがbeat him upはボコボコにしろと言う意味だ。もちろんその時闘志満々であった私はそうするつもりであったが、しかしそれは相手も同じ、試合は序盤からすごい打ち合いになって、何回か意識が遠のいたことをおぼえているが、それはえげつない打ち合いと言うかいがみ合いだったと思う。そして試合は判定まで持ち越されたがその時お互いの顔がかなりはれていて、それは試合が終わってジョージとアレンと一緒にとった記念撮影を見たらわかるのだが、本当にアホだったと思う。

ロッキー4だったか、ロッキーが敵地当時のソビエトに言って試合をする。その試合は敵地で行われた。しかも共産主義国であったので人々は敵意むき出しで彼らを迎え、そしてそこには様々な妨害が、しかしそのことにもめげずに正々堂々と力いっぱい戦うロッキーに敵対心を持っていたまわりの群衆もやがて彼をみとめるようになり、そしてファイナルラウンドには敵地でロッキーコールが起り、その試合で勝利したロッキーの言葉「I can chane you can change everybudy can change」と言う言葉が非常に印象的である。

ボクシングって何が不思議かと言うとそのなぐりあった人間を尊敬できると言うことである。確かに最初はこいつだけはぶちのめしてやると思っていた相手でも尊敬できるから不思議で、それはなぐりあえばなぐりあうほど「ああこいつも一生懸命トレーニングしたのだ」と言う実感と言うかそういうものが伝った時にお互いを尊敬できる。それがボクシングと言うスポーツだ。私は彼と一戦を終えて、すれ違った時にニコッとお互いが笑ったことをおぼえているが、私にしてみればあれが精いっぱいの敬意であって、相手もそうだったと思う。試合はアレンがいつもビデオにしてとってくれていたのだが、おわってリングからおりてくる私の顔は非常にいい顔をしている。韓国人の女の子も試合の後は非常にいい顔だと言っていたが、本当にその時は充実していたのだと思う。

私は正直会わない嫌いだと思う人種はいる。でもボクシングはそういう相手でも尊重できるスポーツだ。あのカ○ー野郎二度と起き上がってこれないぐらいボコボコにしてやると何度思ったことか、でもボクシングは不思議と相手を尊敬できる気持ちがわいてくる不思議なスポーツであると私は思う。

 


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