宮城県から岩手県南、かつての伊達藩領にほぼ重なる地域において、カマドの近くの柱などに奇妙なお面を掲げて、これを祀る風習がありました。
カマ男、火男、カマジン等々、地域に色々呼び名もあるようですが、これらの総称を「カマ神様」といいます。
http://www.nobi.or.jp/kamagami/
上の画像は一つの例に過ぎません。家々によって実に様々なデザインがあったようです。今ではほとんど見かけなくなりましたが、かつては薄暗いカマドの空間に、煤で真っ黒になったカマ神様がボーッと浮かんでいる姿は、かなり不気味だったようです。
カマドは清浄な場所であり、異界との境界線という認識があったようで、カマドに神を祀る風習は全国にあります。仏教の神、三方荒神であったり、近畿あたりでは陰陽道の神、土公神が祀られている例もあるようです。
火と人間の関係は古く、火をコントロールすることによって、人類は物質文明を発展させてきたとも言えます。
日本の縄文時代以来の竪穴式住居ですが、あれは人間が住むために作られたのではなく、火を風雨から守るために建てられたものであり、人間はその「神聖なる空間」に“住まわせて”いただいている、間借りさせて頂いているのだ。だから家に入るときに靴を脱ぐ習慣が生まれた、という説があるんです。(上田篤『縄文人に学ぶ』新潮新書)
神より授かった神聖なる火を祀るために家が建てられた、そしてその後に人間が入った。この説を知った時はちょっと感動しましたね。
アイヌの家屋では家の中央に囲炉裏があってカマドはありません。この囲炉裏ですべての煮炊きをするわけですが、この囲炉裏の火の神のことを「アペフチ」といいます。
アペフチは人間界と神界とを媒介する神とされ、アイヌの祭礼等では、まず最初にこのアペフチに祈りを捧げるのだとか。人間にもっとも近いところにいる、もっとも人間と親しい神なわけです。
沖縄でも、火の神(ヒヌカン)への信仰は篤いと聞きます。
この縄文以来、あるいはもっと古いかもしれない火の神への信仰の伝統が、カマドの神を祀る信仰へと繋がっていると思われます。上記の上田篤氏によれば、日本家屋の伝統的な造りは、この縄文以来の、「神の家に間借りさせていただく」という発想が元になっているそうです。詳しく御知りになりたい方は、上記に掲げた書籍でどうぞ。
ところで、このカマド神の一つである三方荒神は、インド伝来の神で、一説にはシヴァ神であり、またスサノオでもあるとか。
スサノオといえば蘇民将来伝承が思い浮かびますが、蘇民将来はいわば「遊行」する神です。遊行する神といえばその代表は方位神でしょう。
やはりカマド神の一種である土公神は、陰陽道の方位神で、季節によってその居場所が変わる「遊行」神なんです。
方位神といえば日本では祟り神としても有名な金神がおられます。中でも艮の金神は特に恐れられた。
明治の頃。この艮の金神を主祭神とした新興宗教が興り、日本中を席巻します。
その信仰によれば、艮の金神とは「国常立神」(クニトコタチノカミ)のことであるとか。
国常立神とは、一言でいえば日本の国土神です。
縄文時代は火山活動も活発で、人々はその火山が吹き上げる炎と煙に神を見た。火はそんな大地からの授かりものだ、という発想があったものかも知れません。
火はコントロールさえ出来れば、人間の生活に役立つ。しかし一度コントロールが利かなくなると、大変な損害を齎し、人の命をも奪う。その荒ぶる姿は
まるでスサノオのようだ。
日本の大地より賜った火の神は、スサノオのように荒ぶる神でもあった。
岩手県の南端、宮城県との県境にある一関市の、さらに山間僻地といっていい萩荘地区に、カマ神様についての、こんな伝承があります。
********************
アマテラスオホミカミが岩戸隠れをなされたので、スサノオノミコトは岩戸の前で踊り、アマテラスオホミカミが岩戸を少し開けたところをすかさず、アマテラスの手を取り、岩戸から引き出した。
********************
アメノウズメもアメノタジカラオも、みなスサノオになっているところがなんともご愛嬌ですが、このスサノオの力強さにあやかって、スサノオをモデルとしてカマ神様が作られるようになった、そんな伝承です。
天岩戸伝承との結びつきは後世のものだとしても、この“スサノオを模った”とする部分は案外馬鹿に出来ないかも知れません。
国常立でありスサノオでもある。それがカマ神様、か。
ほんの片手間に考えたことです。適当に流してね。