風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

カマ神様について、ちょこっと考えてみた

2014-06-10 16:03:05 | 岩手・東北


宮城県から岩手県南、かつての伊達藩領にほぼ重なる地域において、カマドの近くの柱などに奇妙なお面を掲げて、これを祀る風習がありました。

カマ男、火男、カマジン等々、地域に色々呼び名もあるようですが、これらの総称を「カマ神様」といいます。


                       
                            http://www.nobi.or.jp/kamagami/ 



上の画像は一つの例に過ぎません。家々によって実に様々なデザインがあったようです。今ではほとんど見かけなくなりましたが、かつては薄暗いカマドの空間に、煤で真っ黒になったカマ神様がボーッと浮かんでいる姿は、かなり不気味だったようです。

カマドは清浄な場所であり、異界との境界線という認識があったようで、カマドに神を祀る風習は全国にあります。仏教の神、三方荒神であったり、近畿あたりでは陰陽道の神、土公神が祀られている例もあるようです。






火と人間の関係は古く、火をコントロールすることによって、人類は物質文明を発展させてきたとも言えます。

日本の縄文時代以来の竪穴式住居ですが、あれは人間が住むために作られたのではなく、火を風雨から守るために建てられたものであり、人間はその「神聖なる空間」に“住まわせて”いただいている、間借りさせて頂いているのだ。だから家に入るときに靴を脱ぐ習慣が生まれた、という説があるんです。(上田篤『縄文人に学ぶ』新潮新書)

神より授かった神聖なる火を祀るために家が建てられた、そしてその後に人間が入った。この説を知った時はちょっと感動しましたね。

アイヌの家屋では家の中央に囲炉裏があってカマドはありません。この囲炉裏ですべての煮炊きをするわけですが、この囲炉裏の火の神のことを「アペフチ」といいます。

アペフチは人間界と神界とを媒介する神とされ、アイヌの祭礼等では、まず最初にこのアペフチに祈りを捧げるのだとか。人間にもっとも近いところにいる、もっとも人間と親しい神なわけです。

沖縄でも、火の神(ヒヌカン)への信仰は篤いと聞きます。

この縄文以来、あるいはもっと古いかもしれない火の神への信仰の伝統が、カマドの神を祀る信仰へと繋がっていると思われます。上記の上田篤氏によれば、日本家屋の伝統的な造りは、この縄文以来の、「神の家に間借りさせていただく」という発想が元になっているそうです。詳しく御知りになりたい方は、上記に掲げた書籍でどうぞ。




ところで、このカマド神の一つである三方荒神は、インド伝来の神で、一説にはシヴァ神であり、またスサノオでもあるとか。

スサノオといえば蘇民将来伝承が思い浮かびますが、蘇民将来はいわば「遊行」する神です。遊行する神といえばその代表は方位神でしょう。

やはりカマド神の一種である土公神は、陰陽道の方位神で、季節によってその居場所が変わる「遊行」神なんです。

方位神といえば日本では祟り神としても有名な金神がおられます。中でも艮の金神は特に恐れられた。



明治の頃。この艮の金神を主祭神とした新興宗教が興り、日本中を席巻します。

その信仰によれば、艮の金神とは「国常立神」(クニトコタチノカミ)のことであるとか。

国常立神とは、一言でいえば日本の国土神です。





縄文時代は火山活動も活発で、人々はその火山が吹き上げる炎と煙に神を見た。火はそんな大地からの授かりものだ、という発想があったものかも知れません。

火はコントロールさえ出来れば、人間の生活に役立つ。しかし一度コントロールが利かなくなると、大変な損害を齎し、人の命をも奪う。その荒ぶる姿は

まるでスサノオのようだ。           

日本の大地より賜った火の神は、スサノオのように荒ぶる神でもあった。





岩手県の南端、宮城県との県境にある一関市の、さらに山間僻地といっていい萩荘地区に、カマ神様についての、こんな伝承があります。

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アマテラスオホミカミが岩戸隠れをなされたので、スサノオノミコトは岩戸の前で踊り、アマテラスオホミカミが岩戸を少し開けたところをすかさず、アマテラスの手を取り、岩戸から引き出した。

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アメノウズメもアメノタジカラオも、みなスサノオになっているところがなんともご愛嬌ですが、このスサノオの力強さにあやかって、スサノオをモデルとしてカマ神様が作られるようになった、そんな伝承です。

天岩戸伝承との結びつきは後世のものだとしても、この“スサノオを模った”とする部分は案外馬鹿に出来ないかも知れません。


国常立でありスサノオでもある。それがカマ神様、か。




ほんの片手間に考えたことです。適当に流してね。              

映画『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』 平成13年(2001)

2014-06-07 20:27:24 | ゴジラ


                      



平成ガメラ3部作の監督、金子修介がついにゴジラを撮る!

金子監督はかつて、東宝のプロデューサー富山省吾氏に、「『ゴジラVSモスラ』の監督をやらせてくれ!」と直談判したことがあるのですが、すでに監督は大河原孝夫に決まっていたため出来なかったという経緯があったんです。その後金子監督はガメラで大成功を修めた。

その金子監督が満を持して、ついにゴジラを撮る!ファンの喜びたるや、そりゃあもう大変なものでしたね。

結果どうであったか?これは非常にユニークな作品であると思います。

ここに登場するゴジラは、もはや大自然の精霊をも越えて、ただひたすらに狂気と憎悪のカタマリ、破壊の権化と化した存在。

その眼は怒りと狂気で白目をむき出しにしており、史上最も怖くて狂暴なゴジラです。



こんな感じ↓





あれ?これ、どこかで見たことのある画像だなあ。どこで見たんだっけ?

まっ、いいか(笑)






この作品では、ゴジラは1954年(昭和29年)に現れたのを最後に、一度も姿を現しておらず、ゴジラの存在はほとんど忘れ去られ、人々は平和を謳歌しています。

それとこの作品では「軍隊」のある日本が描かれています。

防衛に徹した軍隊ということで「防衛軍」と名付けられており、昭和29年発足とありますから、現実の自衛隊発足と同じ年ということになります。

ということは、作中の日本国憲法は現実の現行憲法よりも、軍事に関して自由度が高いという事なんですかね?よくわかりませんが。

まあとにかく、軍隊のある日本が描かれているということです。







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太平洋においてアメリカ原潜が消息を絶ったとの報を受け、日本防衛海軍は「日米平和条約」に基き特殊潜航艇「さつま」を探索に派遣します。

「さつま」の艇長・広瀬中佐(渡辺裕之)は海底で巨大な生物の背びれを目撃します。ついに再びゴジラが現れたのです。


弱小BS局「BSデジタルQ」のレポーター、立花由里(新山千春)は、妙高山の麓のある村で、ヤラセのオカルト番組を撮影中に謎の地震に遭遇します。地震はすぐに収まりましたが、由里は森の中に老人(天本英世)が佇んているのを目撃します。が、少し目を離した隙に、老人は忽然と姿を消してしまいます。


その夜、妙高山そばのトンネルで落盤事故が起こり、現場に居合わせたトラック運転手(河原さぶ)が謎の巨大生物を目撃します。

さらに鹿児島・池田湖において、不良少年少女たちが突如失踪し、翌朝「繭」に包まれた遺体となって発見される事件が発生します。由里は友人のサイエンス・ライター、武田光秋(小林正寛)より「護国聖獣伝奇」という古い本を示されます。

その本には、日本の国土を護る護国三聖獣が日本に眠っており。それぞれの聖獣が眠る場所として、

婆羅護吽(バラゴン)が妙高山。

最珠羅(モスラ)が池田湖。

そして、富士樹海には魏怒羅(ギドラ)。

魏怒羅は別名を「千年竜王」といい、成長が遅い。これが完全に成長し切った時には、千年竜王すなわち「キングギドラ」となるのです。

由里たちは富士樹海へ取材に出かけ、そこで、かつて由里が妙高山麓で目撃した謎の老人と遭遇します。

老人は由里にゴジラがくる理由を告げます。それは、日本人がかつての戦争を忘れ、享楽に耽っているから、というものでした。

ゴジラには太平洋戦争で散った数えきれぬ人間達の怨念が憑いている。それが怒っているのだ。



由里はこのことを、自分の父であり、防衛海軍准将である立花泰三(宇崎竜童)に告げます。立花准将は「太平洋に散った英霊は、日本を守るために戦った。それが何故日本を襲うのか?」と今一つ納得いかない様子。それは私もそう思いますが、それは後ほど。



ゴジラは箱根でバラゴンを一蹴すると東京へ向かいます。防衛軍は横浜を最終防衛線として集結し、ゴジラを迎え撃ちます。そこへ現れるモスラ、そしてギドラ。

立花准将は艦隊を指揮して怪獣たちと共闘、壮絶なるゴジラ掃討戦が始まるのです。





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金子監督はガメラでも描写した、日常に侵入する非日常の恐怖というものを徹底して描いて行きます。

ゴジラのことなど忘れていた一般庶民が、ゴジラ出現に巻き込まれ、なすすべなく命を落としていく。金子監督はそれを容赦なく見せて行きます。



これ、実は同時上映が「とっとこハム太郎」だったんですよね。だから小さい子供を連れてハム太郎を観にきた母親があわてて子供を連れて劇場を出て行く姿を随分見ました。気持ちはわかります。子供にはちょっと刺激が強すぎるかも知れない。


それほどに、ゴジラの行いは傍若無人、悪逆無道、暴虐の限りを尽くす。ゴジラは日本を、日本人を憎んでいるとしか思えない。


これは一体「何」の象徴なのでしょうね?




立花准将は自ら特殊潜航艇「さつま」に乗り込み、ゴジラ攻撃に向かいます。これを知った由里は無線を通じて「何故指揮官が行くのか?」と詰め寄ります。これを聞いた立花准将は静かに
「お前の知らない誰かならよかったのか?」と諭します。

誰かが行かねばならない。ならば自分が行く。国を守るために戦う人の気概とはこういうものなのでしょう。思うに金子監督は、こうした国防に携わる人々を、とにかく「カッコよく」描きたかったんじゃないかな。

国を守るという事はとても大変なことで、だからこそ国防に携わる人たちはもっと尊敬されるべき。監督は国防の最前線にいる人達を、素敵に、爽やかに、カッコよく描きたかったのだと思う。

だから、太平洋戦争の怨念云々というのも、あの戦争を観客に思い起こさせる一つのきっかけとして使ったに過ぎないのではないかな?監督自身、英霊が日本を襲うなどということは信じていないように思えますね。




ラストシーン。海に向かって敬礼を捧げる立花准将と由里。

それは、ゴジラとの戦いで散った兵たちと、太平洋戦争で散って逝った英霊の方々。

さらには、志を同じくした怪獣たちに捧げたものでした。



怪獣に敬礼を捧げたのは、「ガメラ2」とこの作品だけです。

どちらも、金子修介監督作品です。






ちなみに、特殊潜航艇「さつま」を積んでいるのは、防衛海軍の巡洋艦「あいづ」です。

「さつま」と「あいづ」。そう、薩摩藩と会津藩です。



薩摩と会津が手を取り合って国防に邁進する。ここにも、金子監督の秘めたる思いが込められています。




ゴジラシリーズの中では異色作かもしれませんが、私はこの作品、大好きです。









『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』
制作 富山省吾
脚本 長谷川圭一
   横谷昌宏
   金子修介
音楽 大谷幸
ゴジラテーマ曲 伊福部昭
特殊技術 神谷誠
特撮絵コンテ 樋口真嗣
監督 金子修介

出演

新山千春
小林正寛

佐野史郎
モロ師岡
仁科貴

葛山信吾
南果歩
布川敏和
中原丈雄

大和田伸也
村井国夫
上田耕一
石田太郎

渡辺裕之
佐藤二朗
村松利史

河原さぶ
木下ほうか
篠原ともえ
奥貫薫
佐伯日菜子
近藤芳正

村田雄浩
松尾貴史
徳井優
温水洋一
笠井信輔

蛍雪次郎
山崎一
山寺宏一
かとうかずこ
角田信朗

前田愛
前田亜季
加瀬亮
塚本高史

吉田瑞穂
大橋明
太田理愛

笹野高史
高橋昌也
中村嘉葎雄

津川雅彦

天本英世

宇崎竜童

平成13年 東宝映画

黄金の國【番外編】 ケロ平が行く!

2014-06-06 19:33:36 | 黄金の國



                      
                           柳御所跡公園(wikipediaより)





柳御所は奥州平泉藤原氏の政庁跡、「吾妻鏡」に平泉舘と記述された政庁の跡であろうとされています。

平成24年、この柳御所遺跡の発掘調査により、折敷(お盆)の破片に描かれた「カエル」の絵が発見されました。




  見えるかな?




カエルを擬人化した絵で、京都の高山寺に伝わる「鳥獣戯画」に描かれたカエルによく似ていますね。



   鳥獣戯画(wikipediaより)



岩手県では、平泉が世界遺産の指定を受けた6月29日を「平泉の日」と定めたとか。そのイベントに合わせて、発見されたカエル君の絵を現代風にキャラクター化し、先日そのキャラクターが発表されました。

その名も「ケロ平」(けろひら)。



                
                    http://www.pref.iwate.jp/seisaku/manga/005758.html




                  
                       http://www.pref.iwate.jp/seisaku/manga/005758.html




柳御所遺跡からは、大量のからわけや、大陸から博多を経由して平泉に渡ったと思われる白磁の壺などが発見されています。かわらけとは、酒を飲むときに使う平碗で、使い捨てなんです。これが大量に発見されるということは、頻繁に宴会が行われていたということでしょう。それはおそらく、政治的意図を持った接待の意味もあったでしょう。


そんな酒の席で「京では今時このようなものが流行っておるとか」と、お盆の裏にでもさらさらと書き記した御仁がおられたのかも知れませんね。

そのような情報が比較的短期間で入ってくる状況にあったわけだし、またそうした興趣を解する精神的な文化も成熟していたと思われます。

こうした出土物を通して、当時その場に生きた人々の伊吹を感じることが出来ますね。






歴史とは、人が生きた証しであります。

その時代その場所に、確実に「生きた」人々がいて、その方々が命を繋げてきた、その繋がりの中に我々は生かされている。

出土物を通して、そうした事を感じるのも、一興かと。






鳥獣戯画はマンガの元祖とも言われます。そういえば、岩手県は漫画家さんの在住率が結構高いように思われます。もっとも全国的に有名な方は少ないみたいですが(笑)

日本では漫画であったり、人形浄瑠璃のような、人間以外のものを使って、人間世界を風刺したり、人情の機微を描いたりする文化が伝統としてあって、それが現代のマンガ文化やアニメーション、特撮物などに繋がっていると私は考えます。

日本のマンガやアニメは最早世界的なものです。コスプレや、アニソンを日本語で歌うことは、今や世界中の「オタク」さん達の常識。

アニメが生み出したキャラクターはやがて、日本のヴィジュアル系バンドや、きゃりーぱみゅぱみゅ、ももいろクローバーZなどのアイドルと結びついて、日本のサブカルチャーの世界的浸透度を増していきました。

やがてそれは、「日本語」そのものへの関心を生むことになる。




つまり、松たかちゃんはももクロに足を向けて眠れないってことさ(笑)







で、結局なにが言いたいかというと、このケロ平、どう思いますか?


かわいい……ですか????????




なんか、妙にリアルというか……。




もうちょっと、なんとかならなかったのかなあ……。

映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』 平成12年(2000)

2014-06-03 19:55:23 | ゴジラ


                       


怪獣映画には長い歴史があって、怪獣映画を観て育った人が、怪獣映画が撮りたくて監督になる、という事も有り得るわけです。

この作品を監督した手塚昌明氏はまさにそんな人物。

ゴジラが撮りたくて東宝に入社したという、生粋の「ゴジラオタク」。

やはり、怪獣映画をよく分かっていらっしゃる方の撮る作品は、観ていて安心感がありますね。





本作では、ゴジラは1954年(昭和29年)に東京に現れた後、首都は大阪に移転しています。1966年にゴジラは東海村の原発を破壊、その後我が国では原発の使用は完全に凍結されたことになってます。

日本は原発に代わるエネルギーとして、重水素を使ったプラズマエネルギーを開発しますが、1996年、そのエネルギーを察知したゴジラが、研究所のあった大阪へ上陸します。

「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいる」これは前作『ゴジラ2000〈ミレニアム〉』で、村田雄浩演じる主人公の語ったセリフですが、まさに新たなエネルギー技術が開発される度にゴジラは現れている。

そのエネルギーを食料とするためもあるでしょう。しかしなにか、大自然の意志のようなものを感じるのは、私だけでしょうか。








さて、ゴジラを「殺す」ことが事実上不可能であると悟った日本政府は、小さなブラックホールを発生させ、ゴジラを「消滅」させる作戦をたてます。

このブラックホール発生装置「ディメンション・タイド」の実験で時空に歪みが発生し、太古に棲息していた巨大なトンボ「メガニューラ」の卵が現代に流れ着いてしまう。

メガニューラの大量発生、さらにはこのメガニューラが巨大化した怪獣「メガギラス」が登場します。メガギラスはゴジラのエネルギーを狙って、ゴジラに襲いかかる。迎え撃つゴジラ。

自衛隊のゴジラ専門部隊「Gグラスパー」は、ディメンション・タイドをゴジラに撃ち込む機会を窺う。

Gグラスパーの隊長、辻森桐子(田中美里)は、かつて上官(永島敏行)をゴジラに殺された過去を持ち、上官の仇を討つため、執拗にゴジラを追う。

ゴジラ映画にも普通に女性自衛官が登場する時代になりました。なかなかカッコイイものです。私は好きです。なんのこっちゃ(笑)



               
                    田中美里




それにしても、プラズマエネルギー開発が凍結されて以後、我が国(作中の)のエネルギー政策はクリーンエネルギー開発にシフトしたはずなのに、何故ゴジラは活動を活発化させたのか。

実は政府が裏で……みたいなことがあるんです。ったく人の業というものは、尽きることがない。

だから、大自然の怒れる精霊は、またしても日本に上陸するわけです。



エネルギー制作とゴジラ。なんだか論文が書けそうですね(笑)まあそれは冗談にしても、震災後のエネルギー問題をまるで見透かしたかのようで、

ゴジラという映画には、時々こういうことが起こる。

えっ、原発をどう思うかって?そんな野暮なこと訊くもんじゃありませんよ、あーた。

んなもん、簡単に止めて良い訳がないっしょ?将来的には原発全廃、それは当然。でも現段階では止めるわけにいかない。これも当然。

そんな常識、訊くなっつーの!




それはともかく、ディメンション・タイドなんてブラックホール発生器、これも自然に逆らった発明でしてね、こんなもんに頼ろうとするから、メガギラスなんて余計な災厄まで呼び込んでしまう。

人類は、まるで進歩なんかしていないわけです。

でもやるしかない。現段階では戦うしかない。それが人類の現実でしょう。

人類だって“まだ”滅びるわけにはいかないのだから。


そしてゴジラにだって、大自然の精霊としての意地がある。負けるわけにはいかないのです。

人類の傲慢さを挫くために



絶対、負けられない。









『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』
制作 富山省吾
脚本 柏原寛司
   三村渉
音楽 大島ミチル
ゴジラテーマ曲 伊福部昭
特殊技術 鈴木健二
監督 手塚昌明

出演

田中美里
谷原章介

勝村政信
池内万作
山口馬木也
山下徹大
鈴木博之

かとうかずこ
極楽とんぼ(加藤浩次・山本圭一)
永島敏行

上田耕一
黒部進
山寺宏一

喜多川務
渡邊実

星由里子
伊武雅刀

中村嘉葎雄

平成12年 東宝映画