死者を送る葬送と、神を祀る祭礼ー。
これらは現在では、まったく別のものとされていますが、本来は基本的に「同じもの」だったのではないでしょうか。
秋田県鹿角市の大湯環状列石群は縄文時代後期の遺跡で、河原石をひし形や円形に並べた組石が、台地上の地形にいくつも並べられており、遺跡群の中には一本の立石を中心にして、細長い石を放射状に並べた「日時計」のような組石があります。この日時計から遺跡群の中心部を見た方向から、夏至の日には太陽が昇るとのことから、太陽を祀る祭礼の施設かとも思われ、遺跡近くの黒又山は綺麗なピラミッドの形をした山で、この山をも含めた大規模な祭祀場であったのではないかと推測されます。
この環状列石の下から、副葬品や人骨などが発見されており、墓地として使用されていたこともわかっています。
えっ?太陽を祀る聖地だったんじゃないの?墓地なの?どっち!?
迷う必要はないです。つまりはこう考えればいい。
「両方」だったのだと。
太陽を祀り、太陽の光で死者を浄化し、あの世へと送る。
葬送と祭礼は基本「同じ」ものだったと考えれば理解できます。
日本人は古来より先祖をとても大切にしてきました。
そして先祖を遡った先には神がおわす。日本人は皆、神の子孫です。
葬送とは、先祖を神の元へ還す大切な儀式だった。
いつしか「葬送」と「祭礼」とは別のものとして切り離されてしまった。
肥大化した「穢れ」意識は、神道から「死」を切り離し、仏教が葬送や先祖祀りを一手に引き受けるかたちで、今日まで続いてきたわけです。
その過程で、「死」に直接的に関わりあってきた「聖なる」人々もまた、化していった。
すべては「執着心」が為せる技です。
この世の事どもへの執着心が、死への恐怖を拡大させ、「死穢」観念を醸成させた。
「死」とは、元来たところへ還ること。決して
「穢れ」などではなかった。
今日はこんなところで、
その気になれば、続きます。
私は、誰もが皆、全員が、感謝で仲間を送りだしていたと思うのです。
”「死」に直接的に関わりあってきた「聖なる」人々” は一部ではなく、その時代の全員がそうだったと思います。
むしろ、仏教という異教が入ってきて、そっちの力の方が大きくなった際に、正しい祀り方を途絶えさせないために選ばれた人々が伝統を受け継ぐことになっただけだと思います。大衆に飲まれてしまわないため、結果的に差別として切り離されたみたいなお役目というか。
おくりびと の映画 ワンシーンしかみたことないですけど、そういう精神は受け継がれていて、表に出る時代でもあるのかなーなんて思いました。
太陽を祀り 太陽の光で死者を浄化しあの世へ送る、という事がとても素敵に思え、またしっくりきました!
日本人は神の子孫なのですね!!
神様〜〜〜っとひれ伏したい気持ちです。御先祖様を供養する事が究極、天皇に、そして神へとたどり着くのですね!
日本人に生まれていがった〜〜(変な東北弁、笑) そして、何故だが仏教があまり馴染まない私なのでした。
感謝の先祖供養、続けましょう。
いつもありがとうございます。
うちの組では、葬式で陸尺とか、先導さんとか未だに役割分担があるのですが、本当はノートに書き出して、誰がやったか、やってないか記したいのに、葬式待ってるみたいだの、死を呼ぶようなこと書くもんじゃないだの、言われてて、そんなことさえ書き記しません。
みんな死ぬのは当たり前だから、生きるのにね。
さて、がんばろ。
それはそれで仕方がない。無理に逆らう必要はないですよ。まあ、隠れてメモするって手もあるけど(笑)