The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

昭和晩期の早稲田大学周辺 上

2017-06-16 04:39:45 | 世界経済
 
 昭和晩期の早稲田大学周辺には、やや左翼的なオトコたちがいた、もう、いないだろう。

 「あの戦争 敗けてよかったんですよ」
 「・・・」
 「勝っていたら 軍人がえばってしょうがなかった」
 学生の私に話しかけてきた、
 「町内で竹ヤリ訓練をさせられたんです」
 「2メートルの竹ヤリで 5000メートル上空のB29をどうしようというんですか」
 「ちょっと とどきませんね」
 「はいはい とどきませんよ」

 「町内会のボスがなんと言ったと思います」
 「さあー」
 「ニッポンには 大和魂(やまとだましい)がある おまえは非国民(ひこくみん)だ」
 「すごいですね」
 「そんな連中が えばっていたんですよ」

 明治憲法では、統治権と統帥権が分かれており、統治権は行政で警察、統帥権は軍隊、だから警察と軍隊は仲が悪かった、
 「双頭の鷲(わし)ですか」
 「いや 双頭のヘビですよ」

 「その上に天皇がいたが この二つを統御するのは難しかった ひとり明治天皇の力量によってのみ可能だったのではあるまいか」
 「・・・」
 「それでも晩年はどうか あの大逆事件を御存じで在らせられたか あの事件に関して天皇の大英断が欲しかった どうしたものだったか」

 私が、
 「大審院の記録は門外不出だが 当時朝日新聞にいた石川啄木は 判事の所持していた記録を徹夜で読んで この事件のカラクリを見破った だから 大逆事件の真相を知った唯一の知識人になる」
 「・・・」
 「啄木は 
   この国は ダメだ
  石川啄木は ただの歌人ではなかったんですね」

 そんな会話によって、ワタシはすっかり親しくさせてもらった。