昭和晩期の早稲田大学周辺には、やや左翼的なオトコたちがいた、もう、いないだろう。
「あの戦争 敗けてよかったんですよ」
「・・・」
「勝っていたら 軍人がえばってしょうがなかった」
学生の私に話しかけてきた、
「町内で竹ヤリ訓練をさせられたんです」
「2メートルの竹ヤリで 5000メートル上空のB29をどうしようというんですか」
「ちょっと とどきませんね」
「はいはい とどきませんよ」
「町内会のボスがなんと言ったと思います」
「さあー」
「ニッポンには 大和魂(やまとだましい)がある おまえは非国民(ひこくみん)だ」
「すごいですね」
「そんな連中が えばっていたんですよ」
明治憲法では、統治権と統帥権が分かれており、統治権は行政で警察、統帥権は軍隊、だから警察と軍隊は仲が悪かった、
「双頭の鷲(わし)ですか」
「いや 双頭のヘビですよ」
「その上に天皇がいたが この二つを統御するのは難しかった ひとり明治天皇の力量によってのみ可能だったのではあるまいか」
「・・・」
「それでも晩年はどうか あの大逆事件を御存じで在らせられたか あの事件に関して天皇の大英断が欲しかった どうしたものだったか」
私が、
「大審院の記録は門外不出だが 当時朝日新聞にいた石川啄木は 判事の所持していた記録を徹夜で読んで この事件のカラクリを見破った だから 大逆事件の真相を知った唯一の知識人になる」
「・・・」
「啄木は
この国は ダメだ
石川啄木は ただの歌人ではなかったんですね」
そんな会話によって、ワタシはすっかり親しくさせてもらった。