読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

大沢 在昌の『黒石』

2024年03月15日 | 読書

◇ 『黒石

   著者:大沢 在昌   2022.11 光文社 刊



  久々の新宿鮫Ⅻ。「黒石」はヘイシと読む(中国語)。
全編緊迫感がみなぎる新宿鮫シリーズ最新作。
 自らヒーローを自認する男は、正義の味方として悪=害虫を駆除するのが使命。
次々と下される殺人指令に独自に開発した残酷な殺人凶器で使命を果たす。

 リーダーを決めずに活動する地下ネットワーク集団「金石」は中国残留孤児二世、
三世など
犯罪者とカタギが混在する。一方”徐福”という正体不明の人物がいて
ネットワークの支配権を狙って”黒石”を殺人兵器として使いネットワーク集団の”七
石”という幹部級七人など邪魔者を次々と殺し始めた。 
 
 新宿署生活安全課刑事鮫島は鑑識の藪、公安から来た相棒の矢崎、管理官阿
坂と相談しながら「金石」のメンバー洗い出しと、キーマンの徐福の特定、殺し屋
「黒石」の割り出しに奔走する。
  地道なしかし徹底した捜査で徐々に成果が出て、徐福と黒石が特定できたと思
われた一瞬、ひょんなことで二人が同時に現れ捕り物となる。

 中国残留孤児らが味わったつらい体験を空洞化させたくないという執念と時間経
過で希薄になってしまった現実との乖離、妹兄のいびつな
愛憎、正義を実現するた
めにひたすら害虫を駆除することを使命と信じる偏執者ヒーロー。これらの入り組ん
だパズルの解明に挑む新宿署の「ヒーロー」鮫島は健在である。

                                       (以上この項終わり)

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村木 嵐の『まいまいつぶろ』

2024年03月11日 | 水彩画

◇ 『まいまいつぶろ

   著者: 村木 嵐     2023.5 幻冬舎 刊  


  これは徳川幕府第九代将軍家重の物語である。家斉は幼名を長福丸と言った。
生来 右脚が不自由で、言語障害を持ち父親の吉宗も我が子が「何を言っているの
か分からぬ」と嘆いたことがある。
   老中を初め取り巻きの誰もが家重は吉宗の後を継いで第十代将軍となるのは無
理で、弟君で英邁間違いなしの宗武がふさわしいと信じ込んでいた。

 そこに誰ひとり理解できなかった家重の話す言葉を理解できる者が現れた。町奉行
大岡越前守忠相の遠縁の子大岡兵庫(幼名:のちに忠光)である。
 誰しも家重の言葉と称し偽りを述べたりするのではなどと危ぶんだが、「家重殿の口
代りに徹し、決して耳と目になってはならぬ
」と忠相に釘を刺され、終生これを守った。
  家重は兵庫によってようやく思いを伝える言葉を口にできない辛さから抜け出すこ
とができた。
  そして二人は終生心を許した間柄となった。

 しかし幕僚の中には老中松平乗邑など頑なに吉宗の次男宗武を将軍にしたい者が
おり、折にふれ宗重の身体的障害を誹り侮る言葉を口にしていたが、兵庫はこれを家
重に伝えることはしなかった。 

 圧巻は吉宗が次代将軍を家重と決めた時である。吉宗の覚悟に側近の老中筆頭松
平乗邑が異を唱えた。理由は家重が将軍となった時、将軍の言葉を伝える宗光がか
つての側用人のごとき立場となり、政を司る側近が将軍と直に話が出来なくなる。従っ
て次期将軍は宗武にすべき
というのである。
  宗光は家重の側室となり、竹千代(後の家治)を産んだ「幸:正室比宮の侍女」を家
重に推薦したではないか。一事が万事、「一度味を占めた軽輩者が次はどんな大そ
れたことを致すか」・・・。「上様は家重さまを将軍とされるからには宗光を遠ざけて下
され」と迫った。
 吉宗は「家重、そのほう何か申さぬか」と問いかける。
 家重は何か叫んだ。宗光はその言葉を皆に伝える「忠光を、遠ざけるくらいなら、私
は将軍を・・・」宗光は絶句する。
 忠義面をした乗邑は続きを言えと迫る。将軍襲職を辞退すると言えばそうなるからで
ある。吉宗も顔面蒼白となった。
 そこで幼い家治が発言する。「私は子ゆえ父の言葉は少しは分かります。父は、宗光
を遠ざけよう。権臣にするくらいなら、私は将軍ゆえ」父はそう仰せになりました
。「これは
私が権臣などを作るかどうかみておれ、と啖呵を切られたということでございますよね。」
 幼いながら利発な家治の言葉で吉宗の顔も立って、乗邑の策謀も潰えた。
 この場面こそ作家冥利に尽きるくだりではないか。
  作者の家重と忠光に対する眼差しは一貫して優しく、心地よい。

 忠光は48歳の時、岩槻藩二万石の藩主となり、家重退隠の年に亡くなった。その明く
る年家重も逝去した。
 

  「まいまいつぶろ」とはカタツムリのこと。長福丸は幼少時お目見えなど
の折、席から退場時、失禁の跡が残った。周囲の心無い者はこれを「まいま
いつぶろ」と誹った。

                                                                                  (以上この項終わり)

    

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