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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

ごあいさつ

2020年12月31日 | その他

◇ 一年の暮れを迎えて
  本年も当ブログをご覧頂きありがとうございました。個人的には格別の変化は
なく、ビッグイベントは結婚50年の節目を温泉地に遠出したことだけでした。社会
的には2月あたりから急速に沸き上がった新型コロナ感染で日常生活の内容も行動
範囲も大幅に制約を受けて、まことに窮屈な一年でした。最初は夏までには終息す
るのではと高をくくっていましたが、なんと新規感染者は高止まりしたまま越年し、
しかも変種が次々と現れるという始末。来年医療体制のひっ迫で一般医療にまで影
響することが懸念されます。そんな中私が最も懸念するのはオリンピック開催が待
ったなしで迫ってきていること。先進国でワクチンが出回っても、それ以外の国で
はワクチンは手に入らず、日本の拙劣な水際作戦下では、とても検査とアフターケ
アでは対応しきれないでしょう。国内の医療機関は満足に対応できず、とても競技
などやっていられない状況になるでしょう。IOC、JOC、日本政府、東京都など関係
当事者は一抹どころか多大な不安を抱えながらも、自ら言い出す勇気はなく、ただ
ただ断固開催というマントラから一歩も抜け出せないまま、最悪の事態に向けて突
き進んでいるのが実情ではないのかと思います。開催経費1兆6千億円余り、選手
の失望、スポンサーの負担などはもちろんのこと、あてにしていた経済効果など莫
大な損失が予想されますが、開催に伴う感染被害、社会システムの信頼喪失を思え
ばまだ何とかなるものだと思います。杞憂に終わればよいのですが。
年の暮れに4千人を超える感染者が出ました。新たな対応が必要でしょう。
 そんなこんなで不安を抱えたままの越年ではありますが、CNVID-19に関しては何
とか自分でできることを愚直に守って「うつらない、うつさない」ようにしたいと
思っています。
 皆さまもどうぞ健康な新年を迎えられますようにひたすら祈念いたします。

 

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井上靖『おろしや国酔夢譚』

2020年12月30日 | 読書

◇ 『おろしや国酔夢譚

   著者:井上 靖  1974.6 文藝春秋社 刊 (文春文庫)



 天明2年、伊勢白子浦を出帆した回米船神昌丸は遠州灘で暴風雨に遭遇、
舵を失い、七か月後にアリューシャン列島の小島に漂着した。
 沖船頭の大黒屋光太夫と乗組員16人は土着民、ロシア人の助けを得ながら
極寒と飢えと戦いつつヤクーツク、イルクーツクと旅を続け、この間13人の
仲間を失ったもののついに10年後念願の日本帰国を果たした。大黒屋光太夫
という類まれな知的能力と胆力、注意力と忍耐力を備えた男の一生を描いた
ロマンである。

 大黒屋光太夫についてはに別に吉村昭が『大黒屋光太夫』という小説を書いて
いる(2003毎日新聞社)が、これは日本に帰ってきて幕府の取り調べを受けた
後の様子なども含め著者特有の調査力の成果を踏まえた克明な物語となってい
る。
 北緯50度を超える大陸の気候は日本人にはまさに想像を絶するもので遭難者
の一人庄蔵は凍傷で右足を切断することになった。冬場はロシア人も食料に窮
し桜の木の甘皮をも食する日が続く。
 光太夫の帰国の願いを叶えようと助けてくれたのはイルクーツクで出会った
鉱物・植物学者であるキリル・ラックスマンである。皇帝との謁見、帰国嘆願
の仲介の労を取り、最後まで支援してくれた恩人である。

 漂流民光太夫の帰国に当たってはロシア皇帝エカテリーナ2世の手厚い保護
と帰国に当たっての行き届いた手配があり、そこにはロシア政府の極東戦略と
いう明確な政治的意図が背景にあるものの、皇帝が光太夫の人間的魅力を高く
評価したものとも言えよう。
 しかし幕府の反応は光太夫の喜びを打ち砕くものであった。江戸での取り調
べ、将軍家斉の上覧の後は終身幽閉に近い扱いであった。光太夫の克明な記録
は漂民として実見したロシア国、の民情、人々と自然・風習文化など貴重な情
報であったはずであるが、鎖国の国是と諸外国からの開国要求に右往左往して
いた幕府にとっては迷惑としてしか受け止められなかったのだろう。

 「外国の様子、濫りに物語など致さぬよう」指示された光太夫は金20両、磯
吉は30両下付され薬草園に幽閉された。およそ10年の漂流・漂泊の揚句、夢に
まで見た帰国の果てがこの始末である。

 光太夫と連れの小市と磯吉は北海道根室に上陸し松前藩経由で江戸に向かっ
た。小市は根室で亡くなった。小市の妻は小市がいない間、健気に田畑を守っ
た来たことは奇特なりと露国からの土産の品と金一封が下されたことを思うと
二人への仕打ちはかなり苛酷なものである。蘭学者市川甫周は光太夫から露国
の地勢、国制、地俗、居蘆、飲食、書琑事にいたるまで聞き取り書12巻図2巻
にまとめた(『北槎聞略』)。

 光太夫は薬草園で妻帯し1男1女を設け78歳で亡くなった。磯吉は更に
10年後75歳で亡くなった。当時としてはまれにみる長命であった。
                        
                         (以上この項終わり)


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朝井まかて『落花狼藉』

2020年12月25日 | 読書

◇『落花狼藉

著者:朝井 まかて   2019.8 双葉社 刊

 

   江戸時代の「吉原遊郭」誕生の経緯と、そこで遊女屋の女将を務めた女性・花仍
(かよ)の目を通して、いわゆる太夫、女郎などそこで働く女性らの姿を、著者朝
井まかて独特の文体で生き生きと描く。
 生涯遊郭で生きた女の一種の大河小説である。

 吉原の大見世西田屋の主庄司甚右衛門。江戸で唯一の傾城町として売色御免の公
許を得た吉原創設の大立者である。花仍は幼いころ甚右衛門に拾われた孤児である。
    読者は2町四方の遊郭吉原の町並み、吉原での遊び遊興の仕組みとしきたり、遊
女屋の仕組み、女郎のヒエラルキーなどを、花仍と仲良しでのちに梓太夫を名乗っ
た若菜とのエピソードなどを通じて知ることになる。

 遊女の序列は太夫をトップに格子女郎、局、端女郎となる、太夫には女郎予備軍
の禿という小間使いが付く。太夫は顔見世には出ない。宴席である揚屋と傾城屋と
の往復時の道中歩きが太夫の見せ場である。
   上流者しか相手にしない太夫は、お客の求めに応じ相手をするため囲碁・将棋、
三弦、舞踊・和歌、書、笛・太鼓などを身に着けた一端の教養人だった。

 そんな梓太夫があろうことか妊娠した。女郎の妊娠など気を付けている筈なのに、
どうしたことか。とりわけ梓太夫は男歌舞伎の役者の一人勘三郎と知り合い、太夫
の年季明けを待って所帯を持つ約束があったらしいのに、誰の子かわからない子を
身籠ってしまった。本人はどうしても産みたいと言っている。
 結局浅草のしかるべき処で女児を産んだものの産後の肥立ちが悪く亡くなってし
まった。生まれた娘は花仍が育てることにした。花仍はゆくゆくは西田屋の女将と
して跡を継いでもらうつもりで鈴と名付け厳しくしつけている。

 切見世の連中が女郎を風呂屋に遣わし客を取っていたことが露見した。奉行所は
処分は吉原に任せるという。甚右衛門は主は磔刑、店は取り潰しを決める。花仍は
甚右衛門に外道の相貌を見て総身が竦む。亭主の目を見ることができなくなった。
  鈴は長じて同業の大見世三浦屋の遠縁の健之助というさる武家の四男坊と一緒に
なった。
 甚右衛門が心の臓を患い亡くなった。享年69歳。花仍は女将の座を鈴に譲り大女
将となった。健之助は二代目甚右衛門となる。

 明暦の大火事で吉原が全焼した夜、鈴は女児を産んだ。奈緒と名付けた。
 町奉行に呼びだされた甚右衛門が帰ってきた。話は「吉原の地を明け渡し本所か
浅草寺裏日本堤のどちらかに移れ」との驚天動地の言い渡し。
 町内談合の場では大荒れになるが、二代目甚右衛門は場所は日本堤にして今の5
割増しの土地を用意して貰い、引っ越しの費用として1万両を貸し渡す条件を出そ
うではないかと談合をまとめる。そこに鈴がもう一つ条件をと付けてはと提案する。
商売敵の湯女風呂の取り潰しである。調子に乗った花仍は夜見世の復活も上乗せし
ようと提案する。 

 ところが万治元年、吉原はまたも火災に見舞われ焼け出された。敷地拡大、移転
費用1万両下付、湯女風呂場の禁止に加えて悲願の夜見世も許しが出た。大火のあ
と市中安寧のためには吉原夜見世も止む無しとの判断である。
 とりあえず仮宿を作って商売見世を開いた新吉原は、お披露目に太夫を初め格子
女郎、局、女郎などをならべ幾筋かで市中を練り歩いた。百花繚乱、これを作者は
落花狼藉と表現したのであろうか。
(狼藉とは狼が草を藉いて寝た後の乱れた様から、散乱したさまをいう=広辞苑)

 花仍は俳人の松尾芭蕉や、絵師の菱川吉兵衛(のちの菱川師宣)とも識り合った。
 女将の座を奈緒に譲った鈴は大女将となった。奈緒が小吉という曾孫を産んで花
仍は今や大おばば様である。
 生涯そばで何くれとなく面倒を見てくれた番頭の清五郎も昨秋先に逝った。 
 そんな孫らに看取られて、桜の並木が爛漫と咲く姿を夢見ながら花仍は逝った。
齢は70を超えていただろう。

 東京の夜の社交場は次第に東京の中心に近い花街に移り、昭和31年の売春防止法
の施行によって遊郭吉原はついに300年の歴史の幕を閉じた。
                                                                                                (以上この項終わり)


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古野 まほろ『新任警視』

2020年12月16日 | 読書

◇ 『新任警視

     著者:古野 まほろ    2020.5 新潮社 刊

 
  著者は警察庁採用のキャリアとして警察庁は元より、警察本部、所轄警察署
勤務の経験をもって作家東大法学部出身。したがって業界には超詳しい。630
ページ二段組の分厚い冊子の半分は警察署の仕組みシキタリ、固有の警察文化、
組織文化に関する解説が滔々と流れ、これまでサスペンス小説を読んで蓄えた
小生の警察官顔負けの知識にさらに磨きがかかる。

 主人公司馬達(25)は警察庁勤務後初めて警視として警察本部の所属長と
して赴任する。すでに結婚し当面臨月にある妻は残し、単身赴任である。新任
警視の仕事は警備部公安課長。警察キャリアの指定席、県警本部長、警務部長、
警備部長。公安課長、警備第二課長の並びでは第4番目である。
 司馬の勤務先は作中愛予県となっているが、諸状況からして四国愛媛県であ
ろう。実は司馬は大きな使命を背負っている。公安課の仕事は特殊組織犯罪の
摘発である。つまりオウム真理教事件再発を防ぐための組織「特対班」が警察
庁に設けられ、各都道府県警察の警備部公安課(または警備課)がその実働部
隊となる。目下のところオウム真理教に類する団体キリスト教過激派カルト集
団(まもなくかなたの=略称MN)が台頭、大都市圏ではオウム真理教を模倣
するかのような強引な手法で勢力を拡大しており、信者数4万人を超える。な
んと四国愛予県にその本部が置かれた。愛予県にある教団施設が大都市圏のど
の教会よりも大きく、教皇庁と言われる総本山が置かれている。全国各地から
信者が出入りするということで、公安では拠点施設として注目している。
 その愛予県警備部宇喜多公安課長が不審死を遂げ、死因はMNが開発中の毒
物(キューピッド)によるものと思われる。キューピッドは宇宙探査機ハヤブ
サが回収予定地オーストラリアでなく、愛予県のMN教団の敷地内に落下、
「ネレウス」からの採取物から作られたらしい。
 直近情報はやぶさの 「中華鍋」を登場させるところがなかなか憎い。
 というわけで先制的にMNの本拠地をたたくのが司馬の使命ミッションとな
ったのである。
 
 章立てを見てみよう。第1章警察庁、第2章愛予県警察本部、第3章公安課長、
第4章警備犯罪、第5章事件検挙、第6章更迭、第7章離任、終章人事異動
 明らかに第4章までは警察庁をはじめ都道府県警察の組織、役割、相互の関
係、警察村の文化などの説明である。しかし、単なる説明ではなく愛予弁(?)
を多用するなど愛予県警という地域色を出しながらキャラクターを浮かび上が
らせているところがうまい。 

 第4章 警備事件 に至りようやく警察対MN教団の対決場面となる。愛予県警
には2人の教団幹部級の信者がいる。警察にも教団内に5人のモグラ(情報提供
者・オトモダチ)を抱えている。最上級のオトモダチは「ガラシャ」。
 第5章事件検挙から本格捜査。教団信者の失業保険不正受給や警察共済健康
保険証不正使用などの手がかりに教団本部へのガサ入り、中華鍋回収を図る。
その成果は・・・。第6章更迭、第7章離任という流れで想像できるように作戦
は失敗し司馬公安課長は懲戒処分、更迭される。ところが・・・。ここで事は
急展開。思わぬ流れで司馬の作戦勝ちとなる。その次第は読んでのお楽しみ。
結構緻密なミステリアス仕上げである。
「マグダラ」という新しいオトモダチのくだりはいささか安易。

 司馬は臨月の妻がありながら大学時代からの友人本栖充香と不倫関係にある。
愛予県赴任後も温泉に出かけ枕を共にしている。なんという人かと思った
が、本栖はMN上級幹部への接近作戦に不可欠なオトモダチ要員で「ガラシャ」
と呼ばれており、担当が愛人関係にある司馬であったというわけ。それにして
もこうした設定はやや無理がある。司馬はガラシャ逮捕のあとも「彼女を愛し
ている」と告白しているが、妻は一体どうするのだ。著者の倫理観を疑うとい
うのは行き過ぎであるが。
                         (以上この項終わり)

 

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魚の干物(ハタハタ)を描く

2020年12月13日 | 水彩画

◇ ハタハタ(鱩)の干物

     
     clester F6

     どういうわけか我が水彩画グループでは冬場には魚の干物を描くことが習いになった。
   今回も幹事さんがいくつかの魚の干物を買ってきて並べた。
   サンマ、アジ、ハタハタ。彩を考えて枝付きミカンや千両を添える。
   店頭ではなかなかお目にかからないハタハタを選んで描いた。
   魚篇に雷と漢字を作ったように今頃の冬場にもてはやされる。独特の脂がのった魚で
   秋田・山形などではしょっつる鍋などで食される。

   魚の干物は生の時とはちょっと違った色合いになるが、それにしてもそれぞれ複雑な
   色を見せる。
   青、緑、ピンク、茶色、その他。その色をしっかりとらえて、どう表現するかで食欲
   をそそる干物の絵が出来上がるのであるが、さて本作はどうだろうか。

                             (以上この項終わり)


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