読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

露天風呂と五浦(いずら)海岸の六角堂

2018年08月31日 | 国内旅行

◇ 岡倉天心の六角堂と露天風呂
  かねて興味があった茨城県北の五浦海岸・六角堂を訪ねました。五浦海岸は
 北茨城市大津港の北にあります。文字通り五つの浦が連なりその第3の浦の一
 角に、近代日本絵画の父ともいわれる岡倉天心建造の「六角堂」があります。

  「六角堂」は東日本大震災(2011.3)で津波に襲われ流出しました。五浦は
 入り江のために津波は10mに達し(六角堂は海抜ほぼ5.5m)、土台を残し完全
 に破壊されましたが、2012年4月ほぼ寄付金や寄贈の資器材で再建されました。

  岡倉天心は東京美術学校や日本美術院の創設をはじめ、アメリカ・ボストン美
 術館勤務を通じて多くの先品・著作を残しています。
  六角堂は天心の思想や画業を究める拠点だったようです。六角堂のある浦の北
 にある丘上に「茨城県立天心記念五浦美術館」があります。岡倉天心の業績や遺
 作、菱田春草、横山大観、下村観山、木村武山など日本美術研究所の画家たちの
 作品も展示されています。

  六角堂まではバスもありますが、平日の火、木、金曜日しか運転しておらず、
 時間も一日数本しか走っておりません。
  六角堂の近くに五浦観光ホテルがあります。ここで食事をするとホテルの露天
 風呂が安く利用できるということで、太平洋を眺めながら五浦温泉の湯を楽しん
 できました。

  
   タクシーもありましたが折角なので歩きました。(2.5キロ)
   すでに道端の萩は花が咲いていました。

  
   並木の椿は大きな実をつけていました。

  
   海岸に向かって広い道路が続きます。

  
   およそ2キロで左に天心記念美術館が。

  

  

  
  美術館からの太平洋
   
     黄門の井戸

  
   岡倉天心の墓

  
   岡倉天心邸
  
   亜細亜は一つという天心の思想を記した碑

 
  
    岡倉天心記念館「岡倉天心と五浦」

  
    六角堂への道

  

  
  
  


  
  六角堂より五浦観光ホテルを望む。






  
   ホテルのレストランより六角堂を望む

  
   六角堂

  


  
   五浦観光ホテル敷地内の菱田春草屋敷跡

  
   五浦観光ホテル別館

  
    大浴場・露天風呂は宣伝用パンフレットの通り、なかなか
    快適でした

  

  

                      (以上この項終わり)
 

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ガラス容器を描く

2018年08月29日 | 水彩画

◇ 透明なグラスを描く

  先週の教室では毎年定番となっている「ガラス容器」を描きました。

  透明さをどう表現するか。色のついた飲み物を入れたり、背景にあるものや色を取りいれて
 透明さを出しますが、つい既成概念にとらわれてしまいます。丁寧な観察が肝要です。
 ガラス器は苦手意識があって根気よく光の具合を捉え表現することができません。
 まだ修行が足りないと反省します。

 
   Muse Cubi F4 WATSON

 

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中嶋博行の『新検察捜査』

2018年08月23日 | 読書

◇『新検察捜査』 著者:中嶋 博行  2013.10 講談社

     

    江戸川乱歩賞受賞の『検察捜査』から19年ぶりの続編書下ろし。
  主人公の女性検事岩崎紀美子は36歳になった。任官して2年横浜地検に勤務した
のち法務省に出向し、訟務検事として国家賠償請求事案等の処理に当たった。その
後、なんとアメリカに留学しFBI付属の研究所で異常犯罪者の解析に取り組むとい
う貴重な体験をして帰って来た。(検事不足であえいでいる検察庁がよく彼女を海
外研修に出してくれたものだと思う)

 17歳の少年がアルバイト先のファーストフード店で同僚の女性店員を襲い心臓を食
べるという猟奇殺人事件があった。ソウルガード事件と称された犯人の少年は即逮捕
された。少年は殺人・死体損壊で起訴され裁判では心神喪失状態での犯行とされ無罪
となった。
 横浜地裁は医療監護法に基づく司法入院を決定、湘南衛生病院に収容した。岩崎検
事が治療状況の把握を担当すことになった。

 一方同時期、横浜地裁では被告の開業医が法廷で何者かに射殺されるというショッ
キングな事件が発生した。これも岩崎検事が刑訴法193条第3項の「検事捜査」を使っ
て捜査指揮をするよう指示された。相方となる横浜県警捜査第一課長は10年前捜査係
長だった郡司警視。

 二つの事件は一見何の関連もないように見えたが、調べを進めた岩崎検事は、警察
庁・警視庁・衛生省に潜む一部グループが、
マイナンバー制度を悪用した国民監視シ
ステム構築しようと企む計画を見抜き、郡司課長らと共にグループを追い詰めていく。
 前作とは異なり、終盤で銃弾を受けた岩崎検事もSATの一員を撃つという派手な銃
撃戦でFBI での銃撃戦研修成果を披露したり、悪徳グループに使嗾を受けたソウルガ
ードの少年に襲われて、危うく心臓を喰われそうになるというドラマチックな展開も
あってなかなか楽しめる。

 実は岩崎検事は現在バツイチ。損保に勤める男性と結婚したものの1年で破局。幼
稚園に通う美沙という娘がいる。追い詰められた悪徳グループが美沙を誘拐し、岩崎
検事の追及の手を縛るという展開を予想したのだがそれはなかった。考えすぎ。

 作者が病気療養のために創作活動が一時中断したらしいが、『新々検察捜査』も検
討してほしい。
                          (以上この項終わり)

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コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』

2018年08月19日 | 読書

◇『地下鉄道』(原題:UN RAILROADDERGROUND)
        著者:コルソン・ホワイトヘッド(Colson Whitehead)
                     訳者:谷崎 由依   2017.12 早川書房 刊

     

   19世紀初頭のアメリカ。奴隷制度廃止をめぐって内戦「南北戦争」(1861~65年)
が戦われた時代をさかのぼる1820年ころの物語である。(1863年奴隷解放宣言)
 アメリカでは特に綿花栽培の労働力として奴隷に頼っていたルイジアナ、ジョージ
ア、サウスカロライナ、ノースカロライナなど南部諸州のプランテーションでは奴隷
制度堅持を主張する勢力と黒人奴隷の解放を進めようとするグループとが互いにせめ
ぎ合っていた。

 アフリカで拉致され、奴隷船で港に上げられた黒人奴隷は壮年の男子と妊娠適齢の
女性は高額で、それ以外は安く取引された。奴隷は馬牛と同様農園主の所有物で、転
売は勿論生殺与奪の権利を持ち、逃亡を図った奴隷はほとんど常に見つかり縛り首か
火炙りにされた。

 物語の主人公コーラはアフリカから拉致された祖母アジャリー、母メイベルと共に
ジョージアの綿花農園主ランドル家の奴隷である。コーラのように奴隷間で生まれた
子は当然農園主の所有物である。

 物語のあらすじはと言えば、
 ある日メイベルは逃亡した。逃亡奴隷は警ら団や民警団の捜索、「奴隷狩り人」の
手によって捕らえられて木に吊るされ、縛り首か焼き殺される。コーラの母メイベル
はどうしてか未だ発見されなかった。コーラは幼い自分を残して逃亡した母を決して
許すことがなかった。

 ある日コーラはある逃亡奴隷処刑の前夜、かねて一緒に逃げようと勧めていたシー
ザーという青年と農園から逃げた。シーザーの周到な準備と逃亡黒人を支援する「地
下鉄道」の駅長フレッチャーの助けでまんまとジョージアを後にする。

 「地下鉄道」は今でいう地下鉄ではない。逃亡黒人を助けるグループの支援システ
ムの謂いであるが、作者はまさに本物の鉄道によって地下を抜けるが如く二人の逃走
劇を描写する。まだ地上の鉄道すら満足に普及していないこの時代、何百キロもの
鉄道が地下を走っているはずがない。でありながらまるで本物の地下鉄に乗ってコー
ラとシーザーが隣州に逃れるような描写の、その迫真性に驚かされる。

 映画「逃亡者」の刑事ジェラードのように執拗にコーラを追いかける「奴隷狩り人」
がいる。その名はリッジウェイ。彼はランドル家にコーラの母メイベルの捕獲を依頼
されたが、役目をはたしていない屈辱があり、2代にわたり愚弄されることはないと
執拗にコーラを追う。

 シーザーとコーラはサウスカロナイナの次の駅で名を変え働き、数か月平穏な暮ら
しをしたがリッジウェイに見つかり、再び地下鉄道で次の州ノースカロライナへと旅
立つ。シーザーは逃げ遅れて殺されてしまった。

 このようにコーラは幾度も逃走を繰り返すが、その都度多くの人の助けで窮地を逃
れ、また幾度もリッジウェイの魔手に捕らわれるが、その都度奇手をもって奴隷狩り
人の手を逃れる。
 
 またもリッジウェイに捕まった時、ロイヤルという自由黒人の青年が現れコーラを
救ってくれた。コーラはヴァレンタイン農場という逃亡奴隷のシェルターとなってい
るところで働き、ロイヤルは地下鉄道の運営に当たる。

 物語の終盤、ヴァレンタイン農場が反奴隷解放グループの襲撃を受け、ロイヤルは
亡くなった。天敵のリッジゥエイに地下鉄道の駅を白状させられたコーラはそこでリ
ッジゥエイと争い彼を死に至らせた。そして地下鉄道を歩き続け、ついに洞窟の出口
に達し外気を吸った。その解放感。そして西部へ向かう黒人に助けられる。

 奴隷解放に至るまでの奴隷の悲惨な境遇と残酷な扱いなど、暗い世界を描きながら
最後は主人公の勝利を見せることで読者にある種の安堵感を与える。コーラが渡り歩
く奴隷制容認州での逃走劇の合間にアジャリー、リッジウェイ、スティーブンス、エ
セル、シーザー、メイベルなどコーラをめぐる重要人物の生涯、人となりなどを記す
独立した章が設けられている。冗長を避ける巧みな構成である。
また、歴史を述べながらも「よその国なら犯罪者になるような連中だが、ここはアメ
リカだ」とか「全て人間は生まれつき平等である。人間でないと判断されない限り」
などと強烈な皮肉も放つ。ピュリッツァ賞・全米図書賞など数多の文学賞を受けた
本作の面目躍如たるところである。


 

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カズオ・イシグロの『日の名残り』

2018年08月10日 | 水彩画

◇『日の名残り』(原題:THE REMAINS OF THE DAY)
                         著者: カズオ・イシグロ (Kazuo Ishiguro)
         訳者:  土屋 政雄   2001.5 早川書房 刊(ハヤカワepi文庫)

    

   作者カズオ・イシグロが 英国最高の文学賞「ブッカー賞」を受賞した作品。ノーベル賞を受賞した折に
娘が購入した本書が回ってきて読んだ。

 年老いた一人の執事スティーブンスが一人称で語る想い出の記。格別盛り上がりのあるドラマチックな
展開があるわけではなく、至極淡々とこれまでの過ぎ越しの日々を語る作品であるが、そこには自然豊か
な英国の田園風景、イギリス上流階級の生活スタイル、農村に生きる人々の姿、誇り高き職業観、人生観
などを知る数々のエピソードがあり、まことに秀逸な作品であった。

 永年仕えたダーリントン卿が亡くなり、館を買い取ったアメリカ人のファラディ様の勧めで初めて本格
的な休暇をとって、主の車でおよそ400キロ離れた英国西部・コンフォール半島にミセス・ケントン(結
婚を期に館を去った)
を訪ねることになった。

 「品格ある執事とは」と問い続けてきた30年。執事の鑑だった亡き父、尊敬する主ダーリントン卿、美
しい田園風景を見渡せるダーリントン・ホール、女中頭ミス・ケントンとのほろ苦い心の交流、などが淡
々と綴られる。淡々とはいうもののスティーブンスが物語ったのは1956年のこと。20~30年前の出来事
を回顧する中では、主ダーリントン卿がベルサイユ条約の対独宥和を進める非公式な国際会議を開いたり、
ナチ幹部のリッペントロップ(駐英ドイツ大使)とイギリスの首相・外相との秘密会談のお膳立てをする
場面があり(モデルとして対独協力者とされた貴族がいたらしいが)、チャールズがこうした歴史的に重
要な場面に立ち会ったという名家の執事ならではの貴重な体験を誇らしげに語るところなどは物語の流れ
に、わずかながら盛り上がりを示す。

 ミセス・ケントンを訪ね帰る途次、名も知らぬ男性と会い、働きづめで過ごしたこれまでの人生、とり
わけ永年仕えたダーリントン卿への敬慕の想いを問わず語りに明かしたチャールズは、思わず涙をみせる。
ダーリントン卿は大戦後対独協力者として指弾され、不遇なまま逝ったのだ。

「いま私に結婚話が来てるの」かつてミス・ケントンが告げた。これまでも彼女が自分に淡い恋心を抱い
ていることを知りながら、仕事にかこつけてこれをあしらってきたチャールズ。後悔がなかったのだろうか。
20年後に彼女に再会し、彼女の思いを改めて聞いて心が張り裂けんばかりの悲しみに満たされた。あの時
彼女の部屋のドアを叩くべきかどうか迷った逡巡の瞬間を思い出す。あれが人生の一つの転機ではあった
と思う。

 海辺のベンチで語り合ったある男がつぶやいた言葉。「人生、楽しまなくちゃ、夕方が一日で一番いい時
間なんだ。足を伸ばしてのんびりするのさ。夕方が一番いい。」
日の名残りとはまさにこの言葉に尽きるの
だろう。
 チャールズは思う、「たらればをいつまでも思い悩んでいても意味がない。執事という仕事に微力を尽く
そうと願いそれを試みた。それだけで十分。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚
悟を実践したとすれば、結果がどうであれ、そのこと自体に自らの誇りと満足を覚えてよい」。
 帰ったらアメリカ流ジョーク
を練習しファラディ様をびっくりさせてみよう。

 夕陽を見ながら過ぎ越しかたを振り返り、いろいろあったが有意義な人生だったと思いにふける。そんな
晩年の感傷だけではない。前向きの覚悟が伝わってくる。
                                 (以上この項終わり)


                

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