読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

信州松代の旧駅舎を描く

2024年04月15日 | 水彩画

◇ 長野電鉄屋代線の旧松代駅舎を描く

  
     clester    F8(中目)

    絵に描いたような空と山という表現があるが、実際この日の空は抜けるような青空だ
   った。雲一つない真っ青な空と、雪をまとった白馬の山脈。それと対照的に廃線となっ
   て役目を果たせなくなった駅舎の寂しげなたたずまい。

    この駅舎は大正11年(1922年)開業当時のままで、平成24年(2012年)に廃線とな
   ってからもバス停の待合室などに利用されている。公衆電話ボックスと飲み物の自販
   機がある。

    北アルプスの北縁白馬山系は実際は駅舎の少し左寄りに見える。

                            (以上この項おあり)


 

  

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松代藩主邸を描く

2024年04月03日 | 水彩画

◇ 信州松代藩の旧藩主邸を描く


  
     clester  F6  (中目)

  今は長野市であるが、旧松代町は戦国時代から北信濃の雄真田家が治めた。
今も藩主の館が、旧真田邸として観光スポットとして公開されている。
 穏やかな日差しの差し込む部屋から庭の一隅が望め、日本人が好む長閑な雰囲
気がなかなか捨て難く、写真に収め水彩画で再現してみた。
 江戸末期松代藩第九代藩主真田幸教が義母お貞の方の住まいとして建てたもの
で、明治初期まで真田家当主がお住まいになっていたということで、大大名ではな
いが名将真田幸村の名残をしのぶ縁にはなった。
                          (以上この項終わり)

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村木 嵐の『まいまいつぶろ』

2024年03月11日 | 水彩画

◇ 『まいまいつぶろ

   著者: 村木 嵐     2023.5 幻冬舎 刊  


  これは徳川幕府第九代将軍家重の物語である。家斉は幼名を長福丸と言った。
生来 右脚が不自由で、言語障害を持ち父親の吉宗も我が子が「何を言っているの
か分からぬ」と嘆いたことがある。
   老中を初め取り巻きの誰もが家重は吉宗の後を継いで第十代将軍となるのは無
理で、弟君で英邁間違いなしの宗武がふさわしいと信じ込んでいた。

 そこに誰ひとり理解できなかった家重の話す言葉を理解できる者が現れた。町奉行
大岡越前守忠相の遠縁の子大岡兵庫(幼名:のちに忠光)である。
 誰しも家重の言葉と称し偽りを述べたりするのではなどと危ぶんだが、「家重殿の口
代りに徹し、決して耳と目になってはならぬ
」と忠相に釘を刺され、終生これを守った。
  家重は兵庫によってようやく思いを伝える言葉を口にできない辛さから抜け出すこ
とができた。
  そして二人は終生心を許した間柄となった。

 しかし幕僚の中には老中松平乗邑など頑なに吉宗の次男宗武を将軍にしたい者が
おり、折にふれ宗重の身体的障害を誹り侮る言葉を口にしていたが、兵庫はこれを家
重に伝えることはしなかった。 

 圧巻は吉宗が次代将軍を家重と決めた時である。吉宗の覚悟に側近の老中筆頭松
平乗邑が異を唱えた。理由は家重が将軍となった時、将軍の言葉を伝える宗光がか
つての側用人のごとき立場となり、政を司る側近が将軍と直に話が出来なくなる。従っ
て次期将軍は宗武にすべき
というのである。
  宗光は家重の側室となり、竹千代(後の家治)を産んだ「幸:正室比宮の侍女」を家
重に推薦したではないか。一事が万事、「一度味を占めた軽輩者が次はどんな大そ
れたことを致すか」・・・。「上様は家重さまを将軍とされるからには宗光を遠ざけて下
され」と迫った。
 吉宗は「家重、そのほう何か申さぬか」と問いかける。
 家重は何か叫んだ。宗光はその言葉を皆に伝える「忠光を、遠ざけるくらいなら、私
は将軍を・・・」宗光は絶句する。
 忠義面をした乗邑は続きを言えと迫る。将軍襲職を辞退すると言えばそうなるからで
ある。吉宗も顔面蒼白となった。
 そこで幼い家治が発言する。「私は子ゆえ父の言葉は少しは分かります。父は、宗光
を遠ざけよう。権臣にするくらいなら、私は将軍ゆえ」父はそう仰せになりました
。「これは
私が権臣などを作るかどうかみておれ、と啖呵を切られたということでございますよね。」
 幼いながら利発な家治の言葉で吉宗の顔も立って、乗邑の策謀も潰えた。
 この場面こそ作家冥利に尽きるくだりではないか。
  作者の家重と忠光に対する眼差しは一貫して優しく、心地よい。

 忠光は48歳の時、岩槻藩二万石の藩主となり、家重退隠の年に亡くなった。その明く
る年家重も逝去した。
 

  「まいまいつぶろ」とはカタツムリのこと。長福丸は幼少時お目見えなど
の折、席から退場時、失禁の跡が残った。周囲の心無い者はこれを「まいま
いつぶろ」と誹った。

                                                                                  (以上この項終わり)

    

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みかんを描く

2023年12月16日 | 水彩画

◇ 我が家の青島ミカン

  
        clester     F6(中目)

 今年は我が家の柿がほとんど実を付けなかった。
 昨年が豊作だったので諦めていたところ、花が沢山咲いたみかんが
驚くほどたくさん実を付けた。
 先週の水彩画教室でみかんを描くというので葉枝付きのミカンを持
って行った。
 店頭のミカンと違って枝と葉を付けただけで新鮮さが伝わってくる。
皮を抜いた姿も捨てがたい。
                     (以上この項終わり)
  

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水彩で魚の干物を描く

2023年12月04日 | 水彩画

魚の干物・目刺し

  
     clester  F4(中目)
  前々回の水彩画教室のモチーフは魚の干物。昨年と同様アジの開きとイワシ
 の目刺し。普段は目刺しはもちろんホッケの開きなど好物で良く食べるのだが、
 絵の素材には載ってこない。ましてや高橋由一画伯の超有名な「荒引鮭」など
 は論外。
  目刺しというが店頭に並ぶ目刺しはえらを竹串や藁で刺したのが多い。教室
 では藁は鰓から外されていた。
  新鮮な目刺しは皮肌が光り輝いている。鰓は陽に焼かれてべっこう色になっ
 ている。目にひかりはないが恨めしそうで、じっと見てはいけない。
  竹ざるにヒバなどの枝が敷いてあると色彩的にバランスがよく引き立ったと
 思うがそれは贅沢というもの。
  目の周辺をよく観察し丁寧に描けばよかったと後悔(下手にいじるとかえっ
 ておかしくなること必定)。

                         (以上この項終わり)
  

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