読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

アレクサンドル・デユマ 『モンテ・クリスト伯(三)』

2021年08月31日 | 読書

◇ 『モンテ・クリスト伯(三)』(原題:Le Conte de Monte Cristo)

著者: アレクサンドル・デユマ (Alexandre Duma)
訳者: 山内 義雄   1956.3 岩波書店 刊

  

 いまはモンテ・クリスト伯と称するエドモン・ダンテスはフランツとアルベール
という二人の青年貴族を手厚く遇し、正義と復讐の実現及び刑罰のもつ意義と性質
などについて持論を展開し、やや強引にパロマ広場における2件の斬殺処刑見物を
共にする。
 ローマの貴族社会におけるクリスト伯に対する感触といえば、出自が判然としな
いことや冷酷そうな風貌から「気味悪い」印象のようだ。

 ポポロ広場・ベネティア広場での謝肉祭の様子が生き生きと語られる。フランツ
は女性と姿を消したアルベールから山賊に捕われた、4千ピアストルという誘拐の
身代金を工面してくれという手紙を受けとる。フランツはクリスト伯の手を借りて
アルベールを救出する。山賊の首領ルイジ・ヴァンパはクリスト伯に借りがあった。

 クリスト伯は「パリにはまだ行ったことがない。近々出かけるので社交界に紹介
してくれ」とアルベールに頼む。
 3か月後パリを訪れたクリスト伯は各界の名士に紹介され紳士らしい立ち居振る
舞いで多くの人に感銘を与える。
 クリスト伯はパリのシャンゼリゼ―に住まいを定める。何とそこはかつて自分を
牢獄に送り込んだヴィルフォールの元屋敷だった。

 クリスト伯にはベルツッチオという家令がいる。殺人の容疑をかけられた彼を救
い出し家令として雇ったのである。
 ヴェルツッチオの語るには、密輸入の仕事でトラブった折に、逃げ込んだ仲間の
家の天井裏から殺人現場を目撃、その場で官憲につかまっってしまった。仲間の家
というのがクリスト伯が御礼にダイアモンドを上げたカドルッスの宿屋だった。
 カドルッスは貰ったダイアを地廻りの宝石商に売ることにしたが、妻にそそのか
されて宝石商を殺してしまい、合わせて妻も殺してしまったのである。カドルッス
は逃亡したが最後は捕まった。ベルツッチオは巻添えを食らって捕まったが、カド
ルッスが司祭様からもらったダイヤだという話が裏付けられて釈放された。その司
祭(実はクリスト伯)の口添えでクリスト伯に雇われることになったのである。
 
 さらにベルツッチオが語るには、兄はナポレオン軍の軍人だったが、復員の途中
何者かに殺された。ベルツッチオはヴィルフォールという新任検事にせめて遺族の
義姉に遺族年金が払われるように計らってもらいたいと訴えたが、「革命に災難は
つきものだよ」と突き放された。冷たく切って捨てるヴィルフォールに仇討を誓っ
たベルツッチオは機会を窺いある夜この屋敷でヴィルフォールを刺殺したのである。

 しかしクリスト伯は「ヴィルフォールは死んでいないかもしれないよ」と言った。

 クリスト伯は十分に図って今は検事総長となっているヴィルフォールの年若い後
妻とその息子が乗った馬車を暴走させ、クリスト伯の御者アリにこれを助けさせる
ことによってヴィルフォール家とのつながりを作り出した。
 ヴィルフォールは妻子を助けてくれたクリスト伯に御礼に屋敷を訪れたが、かつ
てのエドモン・ダンテスとは全く気付かなかった。

 モンテ・クリスト伯の復讐の網はだんだん絞り込まれていったのである。

                          (以上この項終わり)


 

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裏磐梯・五色沼群・毘沙門沼を描く

2021年08月20日 | 水彩画

◇ 台風一過の毘沙門沼(福島県裏磐梯)

     
       clester       F8   (中目)

  娘家族と8人乗りの車で福島県裏磐梯にある五色沼群の一つ毘沙門沼に
 出かけた。
  前日は台風の余波で時折風雨が強く吹き、当日も雨の心配があったが標
 高1200mの毘沙門沼についたころには雨が上がって、裏磐梯の噴火口のガ
 レ場も見えた。
  回遊路とっつきの沼「毘沙門沼」は日曜ということもあって、車で来た
 家族連れやカップルでにぎわっていた。 

  絵は人物中心のような構図になって、沼の静謐な雰囲気がうまく表現で
 きていないような感じになった。
                        (以上この項終わり)

 

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アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯(二)』

2021年08月18日 | 読書

◇『モンテ・クリスト伯(二)』(原題:Le Conte de Monte Cristo)

    著者:アレクサンドル・デュマ(Alexandre Duma)

    
訳者: 山内 義雄    岩波書店 (岩波文庫)

  
<遺骸と置き換わって>
 司祭は亡くなった。ダンテスは司祭の遺骸を自分の獄房に寝かせ、自ら遺
骸袋に入り脱獄することにする。墓場に土をどうするか心配しているうちに
獄吏たちは横着をして遺骸を断崖から海に投げ捨てる。しかも重石を結び付
けて。
 ダンテスは持っていた小刀で嚢を切り裂き、重石を外し監獄島とは別の小
島を目指し泳ぎついた。
 そして通りかかった帆船を目指し必死で泳ぎ続けた。
<密輸船に助けられ>
 それはジュヌ・アメリー号という密輸入船の一つだった。嵐で遭難した船
の乗員の一人という説明に、やや不審に思いながらも巧みな操船技術に惚れ
込んだ船長の計らいで船員の一人として働くことになった。
 そして数カ月経った。偶然にもトルコ絨毯の密輸入品の交換場所としてモ
ンテ・クリスト島を選んだことを知り、この機会に島の宝物探検を行う決心
をする。
 ダンテスは野山羊撃ちを口実に財宝のあるという洞窟を探し出した。彼は
怪我を装って独り島に残り財宝確認を図る。取引を終えたらまたこの島に寄
ってもらうことにして。
<財宝を発見>
 ダンテスは巧みに装った花崗岩の壁奥に財宝の箱を発見した。金貨、金地
金、ダイヤ・真珠・紅玉などの宝石が燦然と輝いていた。
 とりあえずダイヤをポケットに一杯詰め込んだ。財宝の箱は元通りに隠し、
6日目に戻ってきた船で港に戻った。財宝のことはおくびにも出さなかった。
<まずは恩人たちに感謝 >
 ダンテスは溺れかかった彼を救出してくれた恩人のジャコポに真新しい船
を1艘買い与え、自分の父とメルセデスという女性の消息を聞いて来て欲し
いと頼んだ。
 ジュヌ・アメリー号の船長には暇を貰った。そしてジェノワ製のヨットを
買いスペインの貴族という触れ込みでジェノワを出港した。船はモンテ・ク
リスト島に寄り、財宝はヨットに積み込まれた。
 ジャコポは調べた結果を持ってきた。老ダンテスは亡くなり、メルセデス
は行方不明だった。
 ダンテスはかつての自分たちの住まいだった家を買い取り、同じ家に住ん
でいた仕立て屋カルドッスが落魄しマルセイユで旅籠屋をしていることを知
る。
 ダンテスは司祭の姿に身を変え、運河開通で昔の街道筋の旅籠業が立ち行
かなくなったカルドッスに会う。そして父の最期と誰がどういういきさつで
ダンテスを罪に陥れたのかを聞き出した。そして父の最期を看取って呉れた
カルドッスに5万フランもする大粒のダイアモンドを与えて去る。
<かつての船主モレル氏>
  モレル氏は破産の危機にあった。持ち船の5隻をなくし、今はファラオン号
の帰りを待つばかり。期日が迫っている手形もあった。そこに現れたダンテ
ス(船乗りシンドバットと名乗る)。その手形を買い取り支払い猶予してあ
げたが、次の2件の借財の決済資金85,500フランも工面がつかなかった。か
つてファラオン号の会計担当で今は銀行家の娘婿として裕福になっていたダ
ングラールに資金融通を頼んだが断られ、破産者の汚名を着る前に自殺する
しかないという状況に陥っていた。シンドバットは秘かに金を用意し、モレ
ル氏は経営危機は乗り切った。しかもモレル氏の娘ジュリーの結婚費用もプ
レゼントするなどし過去の恩に報いた。
<イタリアに現れたシンドバット>
 イタリアのフィレンツェに滞在するフランツとアルベールという若い青年
貴族の2人。ローマの謝肉祭体験のためにやってきたが、ある日歌劇場の桟
敷席に船乗りシンドバットを見出し奇遇に驚く。この先この二人がどう絡む
のか。
                        (以上この項終わり)

 

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今野 敏の『天を測る』

2021年08月11日 | 読書

◇ 『天を測る

 著者:今野 敏 2020.12 講談社 刊

  
 これまで今野敏氏の作品は結構沢山読んできたが、今回の幕末・明治維新期の
歴史小説(あるいは時代小説)は初めてである。歴史的人物としてはあまり著
名ではないと思うが、小野友五郎という算学を軸に近代日本の基礎作りで活躍
した江戸幕府の中堅幹部をかくも色鮮やかに描き上げたのはさすがである。

 話は米国派遣艦に随伴した咸臨丸の操船場面から始まる。日本人による操船
に不安があり、米国船員が十数人乗り込んでいるが、長崎伝習所、軍艦操練所
出身の小野友五郎などが測量方として乗り込み、六分儀などを駆使しながら船
の位置などを正確に計算していることに米国人らは驚く。
 何しろ友五郎は「世の理(ことわり)はすべて簡単な数式で表わすことがで
きるのではないかと思います」というくらい論理的思考が勝っているから大抵
のことに驚かない。
 対極にあって声だけは大きいが中身がない人物、勝麟太郎(海舟)や自己中
で計算高い福沢諭吉などを配したのが友五郎の人物像を際立たせたといえよう。
また通弁役として小野らを助けたジョン万次郎との交友も巧みな設定である。

 小野友五郎は元はといえば笠間藩牧野家の徒士並みでしかなかったが公儀天
文方に出役した。その後長崎伝習所で測量術・軍艦操練を修め、日米修好条約
批准書交換ミッションの随伴船咸臨丸の乗員としてアメリカ・サンフランシス
コに渡り、彼の地の造船技術などを実見した。その後江戸湾の測量と海防計画
策定、日本人による蒸気軍艦の設計・建造を実現した。
 そのうちに幕府での身分は小十人格、軍艦頭取というお目見え以上の格式に
なりついに旗本となった。

 その後勘定奉行勝手方入用改革御用幕府会計事務全般の改革を命じられた。
その上三度も毛利家(長州)征伐の兵站役を担ったりした。
 またこの間軍艦購入のため再度米国に派遣された。
 薩長との鳥羽・伏見の戦の際には大阪城にあった幕府軍用金18万両を軍艦を
用いて江戸城に運び入れ、親しい小栗上野介に大いに感謝された。

 文久3年には最愛の妻津多を亡くした。そして官軍に江戸城引き渡し。
 大政奉還の後要職にあったためか友五郎は捕縛され小伝馬町に繋がれた。6
月出獄。
 その後明治政府からは海軍出仕を勧められ謹慎中と言って断ったが、後民部
省鉄道測量の仕事を勧められて公務に復帰した。

    小野友五郎は明治31年10月天日製塩講習中倒れ、東京で没した。享年81。
 
                         (以上この項終わり)

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アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯(一)』

2021年08月06日 | 読書

◇『モンテ・クリスト伯(一)』(原題:Le Conte de Monte Cristo)

    著者:アレクサンドル・デュマ(Alexandre Duma)
        訳者: 山内 義雄
          1956.2 岩波書店 刊(岩波文庫)

  
 半世紀以上の昔にアレクサンドル・デュマの『巌窟王』として読んだ記憶
がある。
 1905年(明治38年)黒岩涙香が『モンテ・クリスト伯』を翻案として世に
出した本『巌窟王』が学校の図書室にあったと思われる。面白かったという
記憶だけで、ストーリーの詳細は憶えていなかった。デュマは『三銃士』も
書いており、たしかこれも面白かった。

 現在は文庫本で読めるのは岩波の山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』(1~
7巻)だけのようである。翻訳文体などは旧いが味もある。ナポレオンの失脚、
エルバ島への軟禁。ルイ18世の復位、ナポレオンの復帰といった目まぐるしい
フランスでの政変が背景にあり、興味を掻き立てられる。

 恋人と結婚直前、無実の罪で離れ小島のシャトー・ディフと呼ばれる監獄
に入れらたエドモン・ダンテスが見事脱獄に成功し、モンテ・クリスト島で
手に入れた財宝で貴族界に登場、自分を陥れた人々に復讐を加えるという勧
善懲悪ロマンである。 

 ダンテスはまだ年若いのに一等航海士で、船長の信頼も深かった。航海途
中で船長が病に罹り、亡くなる直前にエルバ島に流されていたナポレオンへ
の信書を託される。そこでパリのボナパルト党本部に向けたナポレオンの返
書を預かる。郷里に帰ったダンテスは婚約中のメルセデスとの婚約披露の最
中に船主のモレルに次の船長を約束される。
 一方同船の会計士ダングラールは常々ダンテスに反感を持っており船長は
自分がなるべきと思っていたことから、かねてメルセデスに恋心を抱いてい
た従兄フィルランを焚きつけて、ダンテスがナポレオンからの密書を持って
いるとの告発状を裁判所に送らせる。

 この告発状を受けたヴィルフォールという検事代理はボナパルト党本部へ
の手紙の宛先が自分の父親であることに驚き、保身のためにこの手紙を焼き
捨てる。そして裁判にかけることもなく孤島にある政治犯監獄シャトー・デ
ィフに送り込んでしまった。
 
 これが1815年ダンテスが20歳のこと。裁判を求め獄丁に反抗したダンテス
は一階下の暗牢に移される。暗牢の一角には既に5年も前から入っているファ
リア司祭という先輩がいた。学はあるが莫大な宝物を夢想する気違いとみら
れていた。
 ダンテスは彼をこうした窮地に陥れた者どもに残酷な罰を下そうと決意し
た。それから4年はなすすべもなく苦しみ、死を望み食事放棄を試みる。
 そんなある夜、石を掻く音を耳にする。自由を求める誰かが脱獄を図って
いるのではないか。
 ダンテスは俄然生への希望を強め、音の方角に向けて自ら石・漆喰・セメ
ントを砕き脱獄の通路を造り続けた。

 ついに二人の回廊がつながって互いに行き来できるようになった。獄丁が
最後の見回りを済ませた後二人は司祭の部屋で今後の相談をした。実は司祭
は計算違いから逃亡先がダンテスの獄房に行き着いたことから既に歳でもあ
り脱獄は断念し、宝物の発掘もダンテスに任せようと決意、数か国の言語と
彼がこれまでに蓄えた学問、知識、社会的作法などダンテスに授けた。
 ダンテスは干天の慈雨とばかりこれを急速に吸収した。

 司祭は持病を持っていて、ある日突然発作を起こし、間もなく命を落とす
だろうとダンテスに告げ、「モンテ・クリスト島」を忘れるなと念を押す。
実はこの島の洞窟に司祭が仕えた王家の宝物が埋められていて、そのありか
を示す記録を、ダンテスは司祭に暗記させられた。さらになぜここに入れら
れたのか。ダンテスに事情聴いた司祭は会計士のダングラールとメルセデス
の従兄のフィルランのたくらみであると断定、ダンテスは復讐を誓う。

 司祭は亡くなった。ダンテスは司祭の遺骸を自分の獄房に寝かせ、自ら遺
骸袋に入り脱獄することにする。墓場に土をどうするか心配しているうちに
獄吏たちは横着をして遺骸を断崖から海に投げ捨てる。しかも重石を結び付
けて。
 ダンテスは必死になって重石を外し監獄島とは別の小島を目指して泳ぐ。

 突如襲ってきた嵐の中、密輸入船の一つに助けられ、優れた操船技術を重
視した船長の計らいで船員の一人として働くことになった。

                         (以上この項終わり)

 

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