読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

北国街道を歩く(6)

2013年11月29日 | 里歩き

松代宿から川田宿まで  
  宿泊したホテルには昨夜5台のバスで団体客が入ったらしい。朝食は混むだろうと6:30にした。
 おかげで当初考えていたよりも30分以上早い出立となった。

  早くも地図の読み違えで危うく違った道に入り込むところだった。
  しかも2度も!

  松代町東寺尾北に供養塔があって、右川田驛道 中榮彌陀道 左善光寺道とある。ここでも「まさか
 こんな細い山道では・・・」と下道を行ったら街道らしくない道が続き、車を降りた女性に「鳥打峠」への
 道は?と聞いたところ、供養塔の右の細い山道がそうだという。
 100mほど戻って細い山道へ。

  紅葉が見事で、曲折する道の山腹に巨大なひげ題目の石塔があった。松代藩の米騒動の首謀者が
 処刑された場所という。
            

  
   道端に田舎では猿柿といった野生の柿があった。懐かしい。
   ここが「鳥打峠」。下ったところで上信越道に突き当たるので右の道を行くことになる。
   遠方には中心に飯綱山、はるか彼方には黒姫山と妙高山。左には高妻山、戸隠山。

            


   鳥打峠を下る。眼下には上信越道の隧道が見える。
   山裾に広大な施設が現れた。「JA総合研修所」で地元のおじいさんは「農業大学校」と言っていた。 
   高井大室神社。鳥居の左にある常夜燈に注目。

           

   大室温泉まきばの湯。紅葉に囲まれたたずまいが見事。こんな温泉でゆっくりしてみたい。 

    

   これまでに歩いた北国街道松代道では時折り廃線となった線路敷きを横切ったり脇を通ったりした。
  かつてJR信越線屋代駅から須坂まで長野電鉄屋代線が走っていた。乗客が減って採算が合わなく
  なったのだろう、2012年4月1日に廃線になった。線路敷きは草がぼうぼうと生えているだけ。今後ど
  う利用されていくのだろうか。
  写真は旧屋代線大室駅のトンネル。荒れた路床が痛ましい。
  しばらく行くと関崎橋。ここには「関崎の渡し」があった。常夜燈が残っている。
  谷街道(現国道403号)と分かれ、右道に入る。
  沿道にあった昔のタバコ屋さんの無残な姿。LARKとタイル張りのウィンドウが哀れ。

            

   
   松代藩口留番所跡と旧本陣・問屋場、旅籠和泉屋、西澤邸。

            

   川田宿高札場。土蔵造りの長屋門(元旅籠中屋?)。 秋葉社(火除けの神様、宿場の両入り口に祀る)
 
            

   男性に強引に身を寄せているような女性。何とも意味深なポーズの双体道祖神。
   町川田の一里塚跡。歩道脇の手を伸ばせば触れるところに見事なリンゴが枝もたわわに実っていた。

            

   湯島天満宮。後ろに北野美術館がある。

        

    
   旧長野電鉄綿内駅。廃線後の今は学習塾で使っていた。子供らの私設ギャラリーのメッセージが
  涙を誘う。
   懐かしい田舎の改札口。ホームの先の廃線路がわびしい。

            

   ここでも土蔵造りの家が並んでいる。
     
        

   
    川田宿から福島宿へ
     福島宿道標。大笹街道(福島から仁礼を経て上州大笹へ)の起点。
    左に行くと「布野の渡し」を経て長沼宿へ向かうことになる。
    北野天満宮。福島宿本陣丸山家。
     

            


   豪壮な土蔵造りはかつて盛んだった養蚕業の名残か。
   西福寺。 
   布野の渡し跡。飯綱山がいよいよ近くなってきた。 


            

   この後街道を離れ、千曲川の土手で昼食をとったあと、土手道から離れて長野電鉄村山駅へ。
   村山駅から今夜の宿泊地「湯田中温泉」に向かった。
   
   本日の歩行距離はおよそ15キロ。

   (以上この項終わり)

   

   

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北国街道を歩く(5)

2013年11月27日 | 里歩き

戸倉宿から矢代宿へ
   前回は5月の連休(5/)を使って追分宿から戸倉宿の途中まで2泊3日で歩いた。
  夏の間はお休みで、空きの紅葉時期に歩こうと満を持していたが、生憎とほかの用事が 後から
 後から入って来て、結局紅葉時期を幾分外れた11月最後の週になってしまった。

  前回は戸倉宿の千曲駅が最後だった。
  朝早く起きて7時58分の長野新幹線で上田駅まで。そこで「しなの鉄道」に乗り換えて千曲駅へ。
 歩き出したのは10時10分だった。

   

  この辺り寂蒔という「間の宿」だった集落がある。
 珍しい地名で「水除け土堤跡」がある。千曲川が溢れた時は北国街道を一時的に塞ぐ土手を築いた。
 遺構が残っている。
 また松風塚という松尾芭蕉の句碑「名月や児(ちご)達ならぶ堂の掾 翁(芭蕉のこと)」があった。
  
      

矢代宿から松代宿へ

  矢代宿(現地名は屋代)はきれいに整備されていて気持ち良い。しなの鉄道「屋代駅」は瀟洒。
  巨大な筆塚と道祖神。
 
               

   突き当たりに「須須岐水神社」があり、手前左には旧旅籠「藤屋」がある。道は曲手(かねんて)に
  右折し、さらに北進する。
   角に現代風酒場。

            

    その先に「本陣跡」碑がある。(善光寺街道並び)
    しなの鉄道はここで新幹線と交錯する。しなの鉄道には「屋代高校前」というバス停のような駅名
   の駅がある。
    昔の雑貨屋さんか。「キリンラーメン」なんてラーメンがあったのだろうか。

            

    道標、雨宮座日吉神社(あまのみやいますひよしじんじゃ)の北に「雨宮の渡し」があった。

      

   謡坂の紅葉。
   一里塚跡があった。(北国街道松代道は一部が飯山を目指す谷街道とも重なる)
   この近くの沢山川親水公園で食事をとった。
   はるかに北アルプス白馬連峰の山並みが望める。

            

   寛保2年(1742)千曲川の氾濫でこの地で1200余人が亡くなった。水難供養塔がある。
   武田信玄と上杉謙信の川中島合戦で有名な妻女山(謙信の本陣があった)の紅葉が見事。 
   松代宿・清野小学校。
 
   
            

   
   雨乞い地蔵尊、庚申塚。この辺りは信仰心が篤い。象山の紅葉。里山の美しい光景に出合った。

         

   旧真田勘解由邸、中級武士白井家の屋敷跡、真田邸、文武学校跡(修復中)など。

            

   佐久間象山神社。我が母校(高校)には講堂に象山先生の等身大の油絵が飾ってあった。この馬
  上の象山像の表情にそっくりだった。

            

   旧横田家(秀雄:明治時代の大審院長、正俊:最高裁長官と親子二代で司法の頂点を極めた横田家) 
   旧八田家(御用商人であった八田家は)

              

   松代城(海津城)址

            

   ホテルの居室(7階)からは松代宿を囲む山並みが望まれる。
   街道には昔懐かしい縄のれん酒場が残っていた。
   谷街道の道標があった。(右寺尾村を経て須坂・中野へ、右寺尾村を経て長野市へ、後松代を経
   て屋代・篠の井へ)   

   本日の歩行距離は18.0キロ。

            

     (以上この項終わり)
    

   

 

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南カリフォルニア・サンファン・カピストラーノ

2013年11月18日 | 海外旅行

スペインによるキリスト教伝道の名残り
  カリフォルニアは元々メキシコの領土だった。アメリカとメキシコはテキサスの帰属をめぐって
 1846~1848年に衝突。僅か1年でロサンゼルスをはじめ主要都市が占領され戦争は終結し
 た。カリフォルニアはもともと不毛の砂漠地帯であったが、この1年後にゴールドラッシュが起こ
 り西部開拓の始まりとなった。
  余談ながらこの戦争でメキシコはカリフォルニアをはじめ今のネバダ、ユタ、アリゾナ、ニュー
 メキシコ、ワイオミング、コロラドの大半にテキサスと同様の管理権を与えることになったことで
 領土の3分の1を失った。
  
  16世紀初頭、スペイン人コルテスがアステカ帝国を征服、植民地支配はほぼ300年続いた。
 その後フランス革命などを機に独立運動が激しくなり、1821年メキシコ帝国が建国された。
  スペイン人はカリフォルニアの土着民にキリスト教(カソリック)の布教を進めるために宣教師
 団(フランシスカン修道士)を組み、サンディエゴあたりの海岸から上陸した宣教師団は未開の
 地を北に向かって進んでいった。布教のための施設Missionが作られ、その伝道の足跡は
 「El Camino Real」という歴史街道として保存されている。
  ミッション・サンファンキャピストラーノは1776年につくられた。

                   
  ミッション・キャピストラーノ

                   

   
                
                                                                 ミッション・バシリカ

     
  

◇ ラグナビーチ
  アーチストな街ラグナビーチ。キャピストラーノから南西に車でほぼ20分。
  多くの画廊がある。しゃれたブティックやレストランも。

           

  
           
              ラグナビーチホテル

     

◇ この頃の花々

  日本で見かける花も、見かけない花も。

           
                                   馬の道

           


            

 
           
                                   ペッパーツリーの巨木    

                                                   (以上この項終わり)
 

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紅葉し始めた養老渓谷へ

2013年11月12日 | 国内旅行

晩秋の養老渓谷
  10日の日曜日、一泊で千葉県房総半島の中央部にある養老渓谷を訪ねた。
 メンバーは障害者施設ボランティアグループの8人。

  JR船橋駅に集合し五井駅まで。そこで小湊鉄道に乗り換える。昼過ぎで混む時間帯ではないが、
 終点の養老渓谷駅(養老渓谷駅から上総中野駅の間は先ごろの台風で崖崩れがあっていまだに
 復旧しておらずバス連絡になっている)に向かったのは我々のグループを含めて10人のみ。
 今動いている中では一番古いキハ201・202というディーゼル車で、撮り鉄マニアの的になってい
 るとのこと。 

     
    小湊鉄道 五井~上総中野

  迎えの車で宿に着いた間もなく、強風・雨の予報に違わず猛烈な雨が降った。
 ここは「養老温泉」わかし湯になるが千葉県の温泉は大抵黒湯といってヨード系の濃い茶色の湯で
 ある。この宿では「洞窟風呂」と「露天風呂」がある。洞窟風呂は防空壕の跡を利用したものと聞い
 て驚いた。先の大戦では九十九里浜から米軍が上陸するということで防空壕を作り、竹槍を作って
 備えたのだ。その名残が今こんな形で役だっている。宿は養老川に沿って立ち、露天風呂からは支
 流の流れを見下ろすことが出来る。橋の川は濁流が渦巻いていた。

    
   一夜明けた養老川

  宿の対岸の木々はいくぶん紅葉 しはじめていたが、まだまだという感じ。11月下旬から12月が
 見頃とのこと。養老渓谷は関東では紅葉が最も遅いところとされる。
  会員制の宿なのでその夜は貸し切り状態。遅くまでカラオケなどに興じた。
  翌日は晴れて散策にはちょうど良い陽気だった。「粟又の滝」または「養老の滝」という滑床状の
 滝が100メートルほど続く珍しい滝。昨日の雨で水量が多く、普段連絡できる散策道が水没してい
 た。

        
       粟又の滝

  滝を見た後は大多喜城の見学。NHKの大河ドラマで初代大多喜藩主であった本多忠勝を是非
 取り上げて貰らおうという運動が今繰り広げられあちこちに幟が立っている。
  石高10万石大多喜藩の城は明治4年に廃城隣白は壊されたが、昭和50年に復元された。
 月曜日は休館とて大多喜城内の見学は出来なかった。

      
      大多喜城

  次いで「豊乃鶴酒造」で銘酒「大多喜城」のいろんな銘柄を試飲しお買い上げ。「十万石饅頭」など
 を買い、「くらや」という蕎麦屋さんで昼食をして上総牛久駅まで車で送ってもらって帰柏した。

      
    伊勢幸酒店(指定文化財)  渡邉家(藩御用金扱・国重文)      上総牛久駅

  はるばると遠くの観光名所を訪ねて疲れ切って帰って来るのよりは、ここのような割合近場でゆっくり
 と楽しんで早めに帰ってくるのもよい。

                                             (以上この項終わり)

 

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カリフォルニア・ディズニー・リゾートで遊ぶ

2013年11月07日 | 海外旅行

アメリカのディズニー
  アメリカにはディズニーが二つある。一つはカリフォルニアで、ディズニー・リゾートと呼ばれていて、
 日本と同じようなディズニーランド・パークとアドベンチヤー・パークという二つのテーマ・パークがある。
  一方もう一つのフロリダにあるディズニーはディズニーワールドと呼ぶまさに世界一のエンターテイ
 メントリゾートで、中には4つのディズニー・パークと2つのウォーター・パーク、ホテル・ゴルフコース・
 レースサーキットなどがある。面積は122平方キロ。東京山手線内側2倍分とか。
  フロリダのウォルト・ディズニーワールドには出張のついでに寄っているが、今度孫(5歳と2歳)家族
 と一緒に6人で、初めてカリフォルニア・アナハイムのディズニーリゾートを訪れた。
  印象としては、日本のディズニーランドが優れている。フロリダに比べ洗練されている感じである。
 パーク内でのサービスが日本一流のきめ細やかなおもてなしで、また清潔感が際立っていて、本場
 のディズニーでもサービス手法を採り入れようと検討していると聞いたことがある。

アナハイムのディズニーランド・パーク  
  自宅からおよそ40分(LAXからもおよそ40分)。アナハイムの一角にあるディズニーランド・パーク。
 巨大な駐車場からシャトルバスでおよそ5分、料金は1パーク大人$92とやけに高い。

             
    パーク正門            パーク前のゲスト名敷き石                         早くもハローウィンモード   

  
          
   眠れる森の美女の城       アドベンチャーランド          帆船コロンビア号     


          
  蒸気船マークトウェイン号     ディズニー鉄道に乗って     イッツ・ザ・スモールワールド 

            


          
                                           ミッキーとミニーの家      マッターホーン・ボブスレー                 

                                                         
          
  アストロ オービター        ジャングル・クルーズ出発!


          


       

(スプラッシュマウンテンとガジェットのゴーコースターは動画のため掲載省略)

(以上この項終わり)

<補遺>

   
      ラグナビーチの晩夏

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