【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

少女たち

2019-08-21 07:55:12 | Weblog

 私が小学生の時に読んだ「少女が主人公」の本で今も印象に強く残っているのは……「小公女」「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」……だけど一番強烈だったのは「長くつ下のピッピ」です。子供心に、彼女は“ヒーロー"でした。

【ただいま読書中】『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン 著、 イングリッド・ヴァン・ニイマン 絵、菱木晃子 訳、 岩波書店、2018年、1650円(税別)


 9歳のピッピ・ナガクツシタは、一人でごたごた荘に住んでいました。おっと、ひとりではありません。猿と馬が一緒ですから。
 大金持ちで怪力で、ホラ話が大好きで常識に縛られず(というか常識というものが世の中に存在していることを知らず)、いじめっ子が嫌い、という人物像は、メアリー・ポピンズの少女版(ただし、持つ「力」は魔法ではなくて“実力")といった感じです。
 「子供が一人暮らしをするのはイカガナモノカ」とやって来る警察官を文字通り手玉に取り、学校には休むために出かけ、サーカス見物では飛び入りで最高の芸をして見せます。
 ピッピの痛快な活躍を単純に楽しむだけでも良いのですが、それだともったいない。たとえばごたごた荘に忍び込んだ泥棒二人組、ピッピによってひどい目に遭うのですが、最後の最後に実に真っ当な思いをすることになります。勧善懲悪とか反逆とか、出来合いの言葉ではピッピは割り切れない(必ずあまりが生じる)と私には思えます。



正々堂々と戦う

2019-08-20 07:39:18 | Weblog

 高校野球の甲子園大会などでの選手宣誓でよく「正々堂々と戦います」と言っています。ところで、きわどいプレーの時に「自分は落球していたので実は今のはセーフです」などと守備の選手が自己申告する、なんてことがどのくらいあります? 「正直に言ったら損をする」とか「ばれなきゃいい」とか言うのは、ちっとも「正々堂々」ではない、と私には思えるんですけどね。ならば、「宣誓」の意味は?
 「負けそうにない場合だけ、正々堂々と戦います」と宣言するのだったら、言動一致なのですが。

【ただいま読書中】『カブラの冬 ──第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』藤原辰史 著、 人文書院、2011年、1500円(税別)

 第一次世界大戦で、ドイツは深刻な飢饉に見舞われ餓死者が数十万人出た、と言われています。これに対してドイツでは「イギリスが中立国との貿易も妨害する非人道的な経済封鎖をした」と非難し、イギリスは「非人道的というならUボートの無制限潜水艦戦はどうなんだ。そもそも戦時の食料経済システム構築をきちんとしていなかったドイツが悪い」とやり返しているそうです。たぶん、どちらの言い分も(ある程度ずつ)正しいのでしょう。ともかく戦場は世界規模に拡大され、イギリスもドイツも飢餓に襲われることになってしまいました。
 ドイツは(植民地は少なめでしたが)列強に伍する“強国"でした。しかし、穀物・肥料・飼料などは輸入に頼っていました。そこが「弱点」です。そこで「ベルギー経由で攻め込んでフランスをさっさと降伏させ、その後戦力をロシアに向ける」短期決戦のシュリーフェン作戦を発動させます。ほとんど普仏戦争の再現を狙っています。しかしベルギーは抵抗、さらにイギリスが参戦して塹壕戦となり、戦争が長期化することで「弱点」が露呈。さらにイギリスは「国民全体を痛めつける」ために食糧封鎖を実施します。これは第二次世界大戦での都市爆撃と根本発想は似ています。戦場の兵士だけではなくて国民全部に攻撃を仕掛けるわけです。
 輸入が停まっただけではなくて、馬が軍に大量動員されたため畑の生産効率が激減、人も軍と軍需工場に動員され耕す人もいなくなります。捕虜を農園での労働に従事させましたが、見張りが必要になります。
 「カブラの冬」という言葉に象徴されるドイツの飢餓は、戦争後半の時期が注目されていますが、実は開戦した1914年冬には、早くもパンにジャガイモ粉が混入されたり牛乳が水で薄められたりしていました。そこでドイツ政府がおこなったのは「食料統制」とともに「節食(あるいは断食)は健康に良い」キャンペーンでした。第二次世界大戦での日本での精神主義のスローガンは様々残っていますが、第一次世界大戦のドイツはその“先駆例"だったようです。そういえば「欲しがりません、勝つまでは」もこの時のドイツで使われていましたっけ。
 1915年交戦国の中では最も早くドイツは食料配給制を始めます。捨てられるペットの数は急増(もちろん餌不足がその原因です)。「家畜にジャガイモを食わせるより、人が食った方が効率が良い」という学者の意見が発表され、「豚はドイツの第九の敵だ」というスローガンと共に豚の大量虐殺が行われました。「豚殺し」の1915年です。しかしドイツ国民の栄養状態は改善しません。ジャガイモにはジャガイモの、豚肉には豚肉の、栄養的な意味があったのです。そして、ジャガイモの凶作。15年には5000万トンの収穫が、16年には26万トン。これはえらいことです。そこで代用食として登場したのが家畜の飼料としていた「カブラ(日本の蕪とは違って、和名はカブハボタンまたはスウェーデンカブ、英語名はルタバガ)」でした。エラい学者の計算ではカブラだけ食べてもカロリーは足りる、となっていましたが、実際にその食生活をした人々の生の声は、悲鳴です。そして悲鳴は「この飢饉の責任者は誰だ?」という非難に変容します。最初に責められたのは「食料を隠している」と疑われた農民たち。そして「きちんと戦時経済制度を作らなかったドイツ政府」。各都市で食糧暴動が起き、革命運動につながります。
 戦後(というか、きちんと終われなかった大戦後)、ドイツ国民の憎悪は、連合国よりもむしろ国内のユダヤ人と社会主義者に向けられました。ユダヤ人差別はヨーロッパの伝統ですが、簡単に勝てるはずだった戦争に負け、しかも国内が飢餓やインフルエンザで滅茶苦茶になった(弱者が大量に死亡した)ことに対する負の感情が、その伝統に上手く乗っかってしまったのでしょう。それを上手く利用したのが、ナチスです。
 飢餓に苦しんだのはドイツだけではありませんでした。どの交戦国も長期戦に耐える体制を構築できていなかった、つまりどの国も「十九世紀の戦い(戦場での決戦ですべてを決める)」を戦う気でいた、ということです。イギリスで餓死者がでなかったのは「貿易」の力でした。逆に言えば、他国との貿易ができなかったドイツはだから餓死者が数十万人も出た、ということです。
 日本が戦争をできる普通の国に、と主張する人がいます。今の日本の食糧・飼料・エネルギー自給率を見て言っているのかな?と私は首を傾げます。食糧自給率がほぼ100%だった二十世紀前半の日本でさえ、あんな食糧事情になってしまったんですよ。「戦争中の日本が飢饉だって? 万難を排してすぐ大量の食料を送ろう」と言ってくれる“味方の国"を複数作ってありますか? でないと、次の戦争では日本で餓死者が大量生産されちゃいます。



横文字の縦置き

2019-08-19 07:12:24 | Weblog

 横文字の本も本棚に並べるときには縦置きにします。背表紙のタイトルを読み取りやすくするためには横置きの方が良いと思うのですが、そんな本棚は実用的ではないのかな?

【ただいま読書中】『うるさいアパート』マーク・バーネット 文、ブライアン・ビッグズ 絵、椎名かおる 訳、 あすなろ書房、2017年、1300円(税別)

 表紙をめくったところからすでに話は始まっています。油断ができません。
 一階で寝ている男の子が上の階からの「ららら〜」という音で目が覚めます。何の音?
 ここで絵の方でもヒントがあります。はじめて絵本を見た人がそこにすぐ気がつくかな? 音と絵から上の人が何をしているのか、それを推理する絵本なのです。
 ところで、2階の人もまた上からの音に気づきます。こんどは「ぱっぷ ぷぷぷ」。いやいや、これは絵を見てもわからないでしょう。
 こうやって楽しみながら10階まで行ったら、そこで……いやいやいやいや、これは楽しい。
 強いて言うなら、これは横にめくるのではなくて、上にめくるようにしたら、もっと“臨場感"が増したかもしれません。あ、でもそれだと、同じ階を見開きのページ半分ずつで描写しているところの構成が崩れてしまいます。う〜む、私だったらどうするかなあ、なんて楽しみもありました。



旅グルメ

2019-08-18 06:57:26 | Weblog

 「ヒロシです」の自虐ネタで一時期売れっ子となったピン芸人のヒロシが、最近やってるテレビ番組(の一つ)が『迷宮グルメ 異郷の駅前食堂』です。日本ではあまりポピュラーではない国に行って、そこで列車に乗り、適当な駅で降りてそこを適当にぶらぶらして「駅前食堂」でその国の料理を食べる、という、実に行き当たりばったりの企画です。ヒロシ自身が出来の悪い中学一年生程度の英語しかしゃべれない上に、わざとでしょうね、英語が通じにくい国にぽんと放り込まれてしまうので、コミュニケーションを取るだけで悪戦苦闘。それでもなんとか地元の人の笑いを取ったり名物料理にありついてしまうのですから、私も言葉ができなくても海外旅行はできるかな、でもヒロシの場合はテレビクルーがくっついているからその分有利なんだろうな、なんてことも思いながら楽しんでいます。
 で、ヒロシはチェコに行ったことがあったかな?と思いつつ、本書を開くことにしました。

【ただいま読書中】『プラハ発チェコ鉄道旅行 ──列車に揺られプラハから先のチェコへ』〔ヨーロッパ鉄道旅行〕編集部 取材・編集、 イカロス出版、2018年、1600円(税別)

 写真を見るだけで楽しめます。列車の内部、人々、街……私が特に魅力を感じたのは、色合いです。ちょっと日本にはない色の取り合わせが楽しめます。駅でのファッションも、どちらかというとシンプルな服を着ている人が多いのですが、色の組み合わせにセンスを感じさせる人が多い。そして、これらがまた、自然光(あるいは白熱電球の光)によく似合うんですよね。半世紀前の「総天然色のフィルム映画」を見ているような気分になりました。
 しかしチェコの言葉って難しい。たとえば地名の「Cheb」は「ヘプ」と読むんですって。文字の上にヒゲやら○やらがついているのもあるし、急にチェコに放り込まれたら私は「ここはどこ?」になること必定です。あ、プラハは大丈夫です。「Praha」ですから。
 ビールが名産のようで、様々な地ビールが登場します。ビール好きは「チェコでビールを飲んで回る旅」だけで十分楽しめるかもしれません。
 「チェコ」で私が思うのは「フランツ・カフカ」「カレル・チャペック」「プラハの春」くらいですが、ヒロシ流で行ってもなんだか楽しめるのではないか、なんてことを思いました。ただ、言葉は何とかしなくては。



平日昼の図書館

2019-08-17 07:09:12 | Weblog

 普段は仕事の後に図書館に寄るのですが、たまたま平日休みだったので昼過ぎに本を返しに行きました。すると、夕方と比較して、老人の姿がずいぶん目立ちます。皆さん、1冊とか2冊とかの本を大事そうにかかえて歩いておられました。「平日昼は老人アワーなのかな」なんて思ってから「傍から見たら自分もその一員ではないか!」と気づいておかしくなりました。自分の姿って、なかなかきちんと意識できないもののようです。

【ただいま読書中】『フィヨルドの死闘(海の異端児エバラードシリーズ(4))』アレグザンダー・フラートン 著、 高岬沙世 訳、 光人社、1987年、1300円

 ユトランド沖海戦から24年、ニックはノルウェー沖で駆逐艦インテント号を指揮していました。目的は、ドイツのノルウェー侵攻の妨害です。おやおや、少壮気鋭の中尉だったニックが、今は海軍中佐サー・ニコラス・エバラード(准男爵、殊勲賞・殊勲十字章授賞)となっています。
 このシリーズは第一次世界大戦で始まりました。するとその後の英国絡みの海戦は、第二次世界大戦まで待つ必要があります。で、この20年でニックは結婚し、息子ポールが生まれ、離婚をし(息子は母親が引き取っていき再婚しました)、退役をして准男爵を継ぎ、そしてまた海軍に復帰しています。さらにアメリカで育ったポールもまた英海軍に志願して入隊していました。あだ名は「ヤンキー」ですが、父親が准男爵ということで、立場は複雑です。しかも優秀な水夫で艦長から見たら幹部候補生に取り立てたい人材ですから、ますます水夫仲間の中での立場が複雑になってしまいます。
 ニックはドイツの巡洋戦艦と交戦、大損害を受けてフィヨルドに艦を隠します。ドイツは本格的にノルウェー侵攻を開始。しかしノルウェー政府もイギリス政府もその情報を本気で受け取ろうとしません。「そんなことはあってはならない」から「そんなことはない」のだそうです。ニックの叔父ヒュー・エバラードは、退役はしていますがまだ戦略的な能力に衰えはなく、そんな政府の態度に歯がみをしています。それと同時に、消息を絶ったニックのことを非常に心配もしています。
 イギリス艦隊はノルウェーに侵攻したドイツ艦隊に奇襲をかけました。その中にポールも混じっていましたが、彼の艦も撃沈されてしまいます。多くの乗組員は生き残りましたが、氷水の中で泳がなければならなくなりました。そしてその戦闘の噂を聞いたヒューもニックも、ポールの身の安全を祈ります。
 こんな場合、ヒューの立場にはなりたくないものだと私は思います。ニックもポールも、生きるために自分がやるべきことがあります。しかしヒューは、恐怖と絶望を払いのけながら祈ることしかできないのです。
 ドイツ艦船がウヨウヨしているフィヨルドで、命がけのかくれんぼと鬼ごっこが始まります。ニックはノルウェー海軍の変わり者の援軍を得ますが、燃料油が絶対的に不足しています。だったらドイツ軍から奪えばいいじゃないか、というニックの発想は恐ろしいものがあります。しかもその精密なプラン(3方面同時攻撃)を50分でひねり出してしまうんですよ。優秀な人間の頭の中はどうなっているんだ、と思ってしまいます。
 しかしニックも人の子。ロンドンでヒューが抱いたのと同じ恐怖と絶望を、最後に感じることになってしまいます。
 ということで、次巻に続く。



ばかていねい

2019-08-16 07:43:11 | Weblog

 昭和の時代、「お紅茶」「おコーヒー」と言う有閑マダムの話題が新聞に載ったことがあります。そのうち「おみおつけ」のようにどんどんばかていねいになっていくのではないか、とか揶揄されていましたっけ。
 そういえば最近「英霊」に「ご」をつける人を見かけます。そういった人はそのうちに「御霊(みたま)」にもうっかり「ご」をつけてしまうのではないか、なんて私は危惧しています。(「英霊」は「霊」を敬っていう言葉で、それ自体ですでに「敬語」です。「英邁」「英哲」「英雄」「英傑」「英君」「英知」「英明」など「英」の字はエラいのです。「英語」はどうか知りませんが)

【ただいま読書中】『妻に捧げた1778話』眉村卓 著、 新潮社(新潮新書069)、2004年、680円(税別)

 妻が悪性腫瘍(大腸が原発と思われる小腸腫瘍で腹膜に播種している)で余命は1年少々どんなに保っても5年は無理、と聞いた著者は、妻が毎日を少しでも明るく過ごすことができるように、“面白いショートショート"を毎日一つずつ“妻専用"に書くことにします。著者はプロの小説家ですが、これは大変な話に思えます。日記だって三日坊主が世間の趨勢なんですよ。
 しかし「六十代の病気の女性のため」という縛りがかかったショートショートですから、一般受けするものではありません。美談仕立てにしたら評判になったかもしれませんが、それは著者が拒絶。そのためか、出版芸術社がその中から抜粋した『日がわり一話』は、あまり売れなかったそうです。それでも著者は書き続け、とうとう『日課・一日3枚以上』という通しタイトルで自費出版をしてしまいます。これはもう「妻のため」というよりも「自分たちのため」といった感じです。やがて病状は悪化、最初の手術をしてから5年に15日足りない夜に永眠。その夜著者は自宅で「最終回」という作品を書きます(この余白というか空白そのものが、私の心に衝撃を与えることに、私はあらためて驚きます)。
 高校の現代国語の授業で私は「文学作品を読むときには『作品を読む』『作家を読む』『時代(世界)を読む』といった読み方がある」と習いました。するとここに紹介された作品群では、「作品」を読むよりも「作家(が置かれた状況)」を読むことに重点が置かれそうです。「作家と死病を持つ妻」がその「状況」ではありますが、同時に「老いていく作家」が自分自身に感じるもどかしさも伝わってきます。これは作家に限らず、老いる人のほとんどは直面しなければならない「話」なのでしょう。



博多と小倉

2019-08-15 06:17:30 | Weblog

 昨日のニュースで「台風のため明日の山陽新幹線は、新大阪と小倉の間は全面的に運休」と言っていました。ということは、博多と小倉の間は新幹線が走ると言うことです。40分の距離ですからそれなりに遠いと言えば遠いのですが、一体どんな人が「新幹線があって良かった」と台風の日にこの区間の新幹線を喜んで使うんでしょうねえ? 通勤客は……そもそもお盆だから休みの所が多いでしょうし、観光客は台風だから喜んで移動していることはなさそうです。もしかしてガラガラなのではないか、と思うのですが、乗っている人に「どんな御用でこんな日に?」と聞いてみたいなあ。

【ただいま読書中】『往診は馬にのって ──淡路島をかけめぐる獣医師・山崎博道』井上こみち 著、 佼成出版社、2009年

 淡路島にある親の家畜医院を継ごうと獣医学部を1967年に卒業した山崎博道さんは、修行に出かけた北海道で馬の魅力にやられてしまいます。2年後に淡路島に戻り、仕事は順調でしたが、馬のことが忘れられません。しかし1978年に最初の馬ハナコを手に入れます。馬での往診は、車での往診とは道中が全然違いました。時間はかかりますが、景色はしっかり目に入るし、途中で出会う人たちと会話を交わすことができます。以来、5頭の馬を乗り継ぎ、2004年に現在(本書出版時)の馬フランシスに山崎さんは出会います。フランシスは、マスカット・ピーチ号という名前の競走馬で、なぜか人に愛されていましたが、成績は振るいませんでした。地方競馬で1年半くらい走りましたが結局引退。ふつうならそこで食肉用になる運命ですが、馬主はそれを受け入れたくなく、次の飼い主を探していました。それを聞いた山崎さんはどんな馬かを確かめに出かけます。性格が合わなければ一緒に仕事はできませんから、“お見合い"です。結果は“一目惚れ"。
 フランシスは穏やかな性格の馬です(だから競走馬としては大成しなかったのかもしれませんが)。さらに、おしっこや糞は、自分が決めた場所でだけします(おやおや、馬はどこにでも糞を落っことすもの、と私は思っていました)。
 馬に乗って往診をする姿に見慣れると、淡路島の住民はさまざまな「動物相談」を山崎さんのところに持ち込むようになりました。専門は牛なんですけどね。それでもできる限り対応していくと、やがて診療室はドリトル先生の場面のように。特に野生の鳥が多く持ち込まれるので、治療が終わって飛べるようになるまでの“リハビリ"用に巨大なケージが庭に設置されました。
 馬に憧れる子供たちもやって来ます。そこで、第一・第三土曜日の午前中が「乗馬体験日」となりました。ここからさらに話は発展していきます。馬の回りに集う人々の心や運命が変化していくのです。これは私にとっては意外な展開でした。馬に乗っている人、特に優れた馬に乗っている人には、“普通"のことなのかもしれませんが。



危ない商売

2019-08-14 07:03:53 | Weblog

 封建的だった江戸幕府でさえ賭博は禁止していました。それなのに21世紀の日本政府はリクツをこねくり回して賭博を解禁しようとしています。江戸幕府より遅れた意識で、いいのかなあ?
 そんなにどうしても「危ない商売」で金を稼ぎたいのだったら、いっそ「赤線(公設売春組織)」の復活をしたらどうです? リクツをこねくり回したら(たとえば「性病の管理は明治時代よりははるかに科学的にできるようになった」とか)復活を正当化できるんじゃないです? 江戸幕府も吉原は公認していたから、その点では“幕府並み"になることはできます。
 ……しかし、「危ない商売」には「危ない(遠ざかるべき)」理由があるはずなんですけどね。

【ただいま読書中】『青線 ──売春の記憶を刻む旅』八木澤高明 著、 集英社(集英社文庫)、2018年、840円(税別)

 かつての日本では売春は合法で、警察が管理している地域を「赤線」と呼んでいました。それに対して、警察の管理を受けない非合法の売春地帯が「青線」です。お上の目を欺くために偽装をしますから、その実態はきちんと記録されていません。売春は現在は禁止され、赤線はもちろん消滅、青線も衰退していて、著者が訪問してもすでにその痕跡しかない、ということが多いそうです。だけど、売春が消滅したわけではありませんよね?
 本巻での著者の旅は新宿で始まります。戦後の混乱期も落ちついてきて闇市も廃止され始めた頃、新宿ゴールデン街に「青線」が自然発生的に始まりました。「警視庁史昭和中編(上)」には、青線は都内に数カ所で店は三千軒くらい、とあるそうです。江戸では公認の吉原と非公認の私娼多数が併存していましたが、こういったのは「日本の伝統」なのかな? 敗戦直後の8月17日に警視庁は米軍相手の売春施設RAAを作ろうと動き、マッカーサーが厚木飛行場に降りる前日には一号店小町園(大森海岸)が三十人の女性を揃えて待ちかまえていました。最終的には東京だけではなくて全国にRAAは作られ、それを見習って売春バーや私娼も全国に出現、しかし性病蔓延が問題となって翌年RAAはGHQの命令で解散、あとには非公認の施設と人が残りました。RAA設立で警察は業者に頭を下げて協力を仰いでいたので、強力な取り締まりはできなかったようです。RAAから追い出された女性たちも青線に流れ込んでいきます。
 米軍基地周辺も売春婦の稼ぎ場ですが、相模原では「スケベハウス」と呼ばれる特飲街が1953年にできました。こういった米兵相手の日本人娼婦による売春の歴史は、やがて外国人娼婦たちに引き継がれていきます。
 本書では「地域」が紹介されるだけではなくて、「小平義雄」「福田和子」「阿部定」といった個人名も登場します。犯罪者だったよな、とぼんやり思いますが、もちろん本書でそういった個人名が扱われるには、それぞれの事情があります。というか「青線」に集まる人たちには、それぞれの名前と人生があるのです。
 本書で扱われる「関東と関西の違い」もなかなか興味深いものです。売春禁止によって東京では公然とした売春は見えなくなりました。ソープランドも「浴室での自由恋愛」という扱いとなってます。それが大阪では、飛田新地や松島など江戸時代から続く色街が今でも公然と売春を続けています。差別も禁止されていますが、西ではけっこう公然と差別は残っていて、では関東や東北ではは存在しないのかといえば(実際に「東日本にはは存在しないから差別も存在しない」と主張する人がいます)、実は非常に見えにくい形でが存在しています(本書には横浜や福島の実例が挙げられています)。
 「身分制度」「差別」「貧困」「軍隊」そして「売春」は、ついたり離れたりの関係で少なくとも室町時代からずっと日本に存在し続けていたようです。現在その「関係」は見えにくくなりましたが、「見えにくい」と「存在しない」はまた別の問題。日本社会が劇的に変化しない限り、これからも見えにくい形のままで存在し続けているのではないか、と私は予想します。すると著者の「旅」には終わりがないことになりそうです。



伝統の初代

2019-08-13 06:49:54 | Weblog

 歌舞伎などの伝統芸では「○代目」が主役を演じています。ではその「初代」は「伝統の継承者」だったのでしょうか、それとも「革新者」?

【ただいま読書中】『歌舞伎一年生 ──チケットの買い方から観劇心得まで』中川右介 著、 筑摩書房(ちくまプリマー新書261)、2016年、780円(税別)

 「歌舞伎を観たい人は、どこで切符を買ってどこに観に行けばよいのか」から教えてくれる「一年生」のための本です。
 歌舞伎は松竹という私企業が興行しています。かつては人形浄瑠璃も松竹が興行していたそうですが、とても採算が取れず「国に任せる」と手放しました(それで橋下徹市長が「補助金カット」を言うことになったわけです)。しかし歌舞伎は採算が取れています。でもそれは逆に言えば「お客を必要としている」ことになります。つまり、私やあなたが観に行かなければ、興行は成立しないことになります。
 歌舞伎座では、月の初日〜25日まで、原則として昼・夜の二部構成で毎日歌舞伎をやっています。だから、とりあえず歌舞伎座に行けば、何かを見ることはできます。前売りが売れ残っていたら当日券があるし「一幕見(昼・夜それぞれ3〜4演目上演されるが、その一演目だけを観劇できる天井桟敷の券。これは当日券しかない)」もあります。もちろんネット予約もできます。
 江戸時代には身分制度がありましたが、士農工商以下の扱いだった歌舞伎役者の中にも厳しい“身分"がありました。江戸町奉行所が管轄する「江戸三座」で上演される歌舞伎が「大芝居」で、それ以外の「小芝居」の間に巨大な「壁」があったのです。それは明治以降も踏襲され、大芝居の役者の家系(とその弟子)は「大歌舞伎」に出演できますが、大衆演劇(小芝居の末裔)の役者は絶対に歌舞伎には出られません(だから「下町の玉三郎」は歌舞伎座には出られないわけです)。あまりに制限が厳しいので、家系の問題で歌舞伎座に出演機会が少ない若手や有力家系でも父親が亡くなったりして後ろ盾を失った人などは自主公演に活路を見いだすことも多いようです。
 「役者の評価」について、けっこうきわどいことも書いてあります。私のような部外者からは「評論家の評」は一つの参考意見になりそうですが、著者は「大向こうの意見(というか、行動)」の方を重視しています。「素晴らしい歌舞伎(演技)かどうか」は自腹で券を購入し劇場に通い詰める人間が「面白い、また来よう」と思う(そして実際にまた来る)かどうかが重要、と。そういえば江戸時代には「歌舞伎評論家」なんていませんでしたよね。
 歌舞伎の特徴の一つが「花道」ですが、これは享保年間に定着したそうです。ミュージカルでも俳優が舞台から客席の通路に出てくることがありますが、やはり身近に役者をいると「観る」ではなくて「感じる」になります。それを普段から観客サービスとして提供しようという営業努力だったのでしょう。
 本書は本当に「一年生」のための歌舞伎入門書です。小難しいこけおどしの“論評"なんかありません。著者が「一年生」だったときのことを思いだし、その時の自分が教えて欲しかったことを書いています。その点で、非常に役立つ本です。そして興味を持った人は、自分の足で歌舞伎座に出かけ自分の目で歌舞伎を観て自分の頭で好きか嫌いかを決めれば良いのです。「自分」で動かなければならないのはちょっと不親切なようですが、実は、歌舞伎のファンになる方法としては理想的なやり方かもしれません。



テレビコマーシャル

2019-08-12 07:19:42 | Weblog

 私が子供のころには絶対やっていなくて、今は普通にテレビで流されるCMとしてすぐ思いつくのは「生理用ナプキンやタンポン」「トイレ」「ローン」。時代は見事に変わっているようです。

【ただいま読書中】『トイレ ──排泄の空間から見る日本の文化と歴史』屎尿・下水研究会 編著、 ミネルヴァ書房、2016年、1800円(税別)

 「厠」はもとは「川屋」だ、という説があります。つまり日本の古いトイレは(川の流水を活かした)水洗トイレ。ただ、それは日本だけの話ではありません。紀元前2200年ころのメソポタミア文明エシュヌンナ遺跡からは水洗式のトイレ遺構が発掘されています。自然の中に点在して居住するのなら野糞でも大丈夫でしょうが、人が集まって住むようになったらその辺に屎尿を放置はできないのです。
 空海上人が開山した高野山では、竹筒などで谷川の水を寺院や民家に配水していました。そしてその排水を便壺のない厠の下に流していました。つまりこれも「水洗トイレ」です。平安時代の寝殿造りにトイレはありません。貴族は「樋箱(ひばこ)」「清筥(しのはこ)」「大壺」「尿筒(しとづつ)」などと呼ばれる移動式便器を使用していました。ともかく屎尿は「捨てるもの」です。ところが鎌倉時代に、汲み取りトイレが登場。屎尿は下肥として使われるようになります。そして江戸時代、屎尿は「商品」に。江戸周辺の農家は金を払ってでも屎尿を欲しがるようになりました。
 かつてNHKの紅白歌合戦で歌われた中で「いちばん長い歌」はさだまさしの「関白宣言」でした。そしてそれを抜いたのが9分の「トイレの神様」(植村花菜)です。ではその「トイレの神様」とは……と著者は楽しそうに話を進めます。
 有料トイレの章もあります。私が初めて有料トイレを見たのは、新宿駅でだったかな。お金がもったいなく感じるので、いつも前をさっさと素通りしていましたっけ。日本で初めて有料トイレが登場したのは、1903年(明治三十六年)に大坂で開催された第5回内国勧業博覧会で「高等便処」と呼ばれました(「普通便処」は無料で、高等便処は洋式トイレで化粧室などの設置で差別化されました、というか、便所付きの有料休憩所と言う方が正しいのかもしれません。使用料は男性10銭女性15銭。ちなみにこの博覧会の入場料は一日5銭)。
 ぽっとんトイレが普及したのはいいのですが、問題はその後です。最初は人手で汲み取り、天秤棒で桶を両側にぶら下げて輸送していました。やがてバキュームカーが普及します。そして集められた屎尿は、肥料になるのはいいのですが、“余った"ものは海洋投棄もされました(私の子供時代に「瀬戸内海への屎尿投棄は禁止」がニュースになりましたが、ということはそれまで瀬戸内海へも投棄されていたわけです)。ただ、「海洋投棄」自体は禁止されなかったので、船は太平洋まで行ってそこでどぼどぼ…… 内陸部で処理する場合、最初は穴を掘ってそこに投げ込んでいましたが、周囲から文句が出るので、用地の確保は大変だったそうです。
 列車のトイレも重要です。かつて国鉄では「停車中はトイレを使用しないように」と掲示が出ていたことを覚えている人が、どのくらい生き残っているかなあ。そのことについては知っている人は思い出を噛みしめましょう。知らない人は、知っている人に聞くか、本書をどうぞ。
 本書の最後に「トイレ」を意味する日本語がずらりと表になっています。その数なんと16。私はそのうち9つは知っていましたが、まだこんなにあるんだ。日本語って、なかなか“豊か"な言語ですねえ。