【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

奴隷制度や強制収容所のコスト

2020-03-24 06:32:59 | Weblog

 この「労働」は給料を払わなくて良いから「安くつく」と一瞬思えますが、熱意も元気もない人たちの労働効率は悪いし、見張りの人間が余分に必要だし、脱走防止の設備投資も必要だし、飯も食わせなきゃいけないし、実はものすごくコスパが悪い労働形態なんじゃないです? そういえば昔の北朝鮮の宣伝映画で、労働者が必死に働いているすぐそばで、若い女性たちが踊ったり歌ったりして“激励”をし、さらにその隣には武装した兵士たちが見張っている、というのを見て、私は「画面に映っている30人の内働いているのは10人だけか? これでは経済成長は悪いぞ」と思いましたっけ。北朝鮮の労働者は奴隷でも強制収容所の収容者でもないのでしょうけれどね。

【ただいま読書中】『ナチス 破壊の経済(上)』アダム・トゥーズ 著、 山形浩生・森本正史 訳、 みすず書房、2019年、4800円(税別)

 「ナチズム」を「経済」の観点からきちんと分析した研究は、この60年間なかったそうです。だから著者が何年もかけてこの本を書きました。
 第一次世界大戦を塹壕で経験し、アメリカの工業力や巨大市場についてもしっかりわかっていたヒトラーは、「ドイツの敵」はアメリカ、と想定していました。しかしドイツ単独では対抗は無理。そこでまず東方(ポーランドやチェコなど)を「生存圏(レーベンスラウム)」として確保(人は追放あるいは殺害し、そこに「ドイツ人」が移住)、イギリスと同盟を組むことでアメリカと対等に戦えるようにしよう、と構想を持ちます。しかしドイツの有権者は1928年の総選挙でヒトラーの党に2.5%の得票しか与えませんでした。しかし大恐慌が発生、通貨危機により各国は次々金本位制を放棄し、通貨の自由発行を許します。しかし、ハイパーインフレの悪夢に怯えるドイツ帝国銀行はライヒスマルクの切り下げを渋り、結果は、法令によって強行されるデフレ・行政支出削減・増税・政治デモ禁止・賃金削減でした。しかし負債への支払いはデフレ前の高水準のまま。ドイツ経済に破綻の嵐が吹き荒れます。ドイツ国民は「世界秩序」に幻滅し、ナショナリズムが力を得ます。「自国ファースト」は他国も同様だったようで、英仏は1932年にドイツの賠償支払いを(アメリカの反対を押し切って)終了させましたが、同時に自分たちのアメリカへの戦債返済取り消しもそれと連動させました。「戦勝国」の間は、経済的に分裂します。アメリカも「自国ファースト」でヨーロッパに対する影響力を減じ、ヒトラーには“絶好のチャンス”が生まれていました。
 1933年、首相になったヒトラーは、行政改革・経済復興・再軍備を目指します。「失業根絶」のために東プロイセンをモデル地区として「雇用創出資金」から大金を投入、失業者を徴用して「同志キャンプ(実際には強制収容所)」に集め、厳しい土木作業と政治教育が行われました。その結果、わずか6箇月で東プロイセンの13万人の失業者は消滅したのです。少なくともメディアの目にはそう見えました。アウトバーン建設は、雇用創出とは無関係で、国家再建と再軍備とに結びついていました。常に東部戦線と西部戦線を意識しなけらばならないドイツにとって、東西の国境を2日の強行軍で結びつけることができるアウトバーンは「軍事のライフライン」だったのです。もちろん平時にもそれなりに有用ですし。
 外国への長期債務の返済は「ドイツ帝国銀行の口座にライヒスマルクで返済をするが、外貨に替えられないからドイツの対外貿易が健全な黒字になるまで返済はストップする(金を返して欲しかったら、ドイツの製品を輸入しろ)」という手口で返済拒否をしました。33年6月ロンドンの世界経済会議で、ルーズヴェルトはドイツ帝国銀行総裁シャハトを「ろくでなし」と形容しています。同じ時期の閣僚会議で、8年間で350億ライヒスマルクの軍事費が決定され、ドイツの再軍備が本格的にスタートします。これは国内総生産の5〜10%というとてつもない軍事費で、当然他の産業を圧迫し、だから軍事産業が主要な「産業」になる必要が生じます。しかしそれは、実体経済には悪い影響を与えました。
 ドイツ帝国銀行の外貨準備高は減少し続け、34年に危険な水準に到達。イギリスとの貿易戦争も深刻化します。ドイツ政府とマスコミはドイツの輸出が振るわないのは「不公正な制限」のせいだと論じました。しかし、保護主義によって貿易制限の報復の悪循環を始めたのは、実はドイツでした。さらに、ドイツのユダヤ企業ボイコットによって、アメリカのユダヤ人組織がドイツ製品ボイコットを始めたことも(実質的にはどうだったかは不明ですが、少なくとも感情的には)ベルリンに悪い影響を与えました。ユダヤ人を追い出そうと移民を促進すると、ユダヤ人の資産も国外に流出、それを防ごうと厳しい出国税を課すとユダヤ人の移民は激減。まったく、何をやってるんだか。外貨問題の根幹はライヒスマルクの不安定なレートにあり、解決策は通貨切り下げなのですが、ヒトラーはそれを嫌がりました。インフレになる、と。35年、ドイツの輸入量は激減しますが、工業生産は100%近い上昇を示しました。原料や燃料を輸入に頼っていたのに、と思いますが、“手品の種”は「原材料の在庫をとことん使ったこと」でした。するとその成長にはいつかは終わりが来ることになります。しかし世界経済の復興とナチス党の輸出助成策によって、ドイツ経済は破綻を免れました。
 産業界を味方にするためにヒトラーが使ったのは、左派の労働運動でした。これを弾圧する代わりに、自分に献金しろ、というわけで、「産業」は「産業政治」になってしまいました。「国民自体を国有化できるなら、ドイツ企業の国有化は必要ない」とヒトラーは語り、その言葉の通り、ドイツの経済エリートたちは次々喜んで政権の“パートナー”になっていきました。
 ドイツ国民は貧乏でした。リベラルな政治体制の下で勤勉に働いていたのに、平均的なアメリカ人から20〜30年遅れた生活水準を甘受していました。統計などから具体的な数字が並んでいますが、その「貧乏ぶり」には同情を感じます。そして、ヒトラーはそこにも上手くつけ込んだのです。
 私は「ドイツ経済が好調になったから国民はヒトラーを支持した」と思っていました。しかしそれは誤解だそうです。有名な「国民ラジオ」も、たしかにそれまでの物に比較したら安価になっていましたが、貿易をきちんとしていたら同価格ではるかに高性能なアメリカ製のラジオを購入できたのです。つまり、プロパガンダの壁の内側に隔離され、ドイツ国民は国際競争力の無い製品を買わされていたのでした。国民車フォルクスワーゲンも、購入と維持ができる資力がある人はごく少数の人だけでした。税金は重く、ガソリンは国際価格の倍(しかも国内生産のアルコール添加が義務)でした。そこで「フォルクスワーゲン購入のためにドイツ労働戦線の口座に積み立てる制度」が始まりました。27万人が契約し、ドイツ労働戦線は2億7500万ライヒスマルクを得ましたが、市民が購入できたVW車はゼロ台でした。ポルシェの工場は軍需製造専門となったのです。そして積立金は戦後のインフレで消えてしまいました。
 4年間で戦時陸軍を構築するためには軍需転換をした工場でのフル生産が必要です。そして、一度それを始めたら、工場を民需に戻すことは困難となります。かくして「戦争」は「目的」であると同時に「手段」になってしまいました。本気で再軍備を始めたら、政治的にも経済的にももう開戦は不可避なのです。