東町
一昨年の失態をも恐れずに〆をつけていたのは勇敢である。蛮勇だったかもしれないが立派だ。
(幸運にも?)実地で効力を発揮するには至らなかったが、これは妙手! と唸ったのが、担き棒の根元で芯棒と脇棒を繋いで↓メガネ型に結わえたロープ細工である。
棒を折られそうになった局面で前方にずらして防ぐ算段だったのだろう、その時が来るまでは根元に留め置ける可動式なのには驚く。予備の意味だろうか三組もあって、じつによく練られている。折れ棒対策としては2017年の中須賀のように無闇に太くするのは直接的で効果もあろうが、こちらの方がずっと洗練されていて良い、スタイリッシュだ。西町が付けていた(外したけど)黒い鉄製の横棒と比較すると、さらにその良さが際立つ。
これは今後(まずは東方の)デフォルトになるのではないか。
西原
重旗の竿が妙な具合にマイナーチェンジされている……、詳しくは稿を改めて。
ミュージ内および境内から出る際のことだが、一瞬放り投げ体勢に入ったものの叶わなかった。あと一歩半だったので惜しい。先代では出来ていた時もあったのだが、さらに重くなったH1代では難題なのか。
小競り合いが済んだのなら、房をさっさと吊るすべきだ。帰る時間になっても房がないとは……、何やってんだか。
大江
昭和の一時期、一部媒体でミスター(大江)太鼓台とされた人物が先日亡くなったようだ。わたしが若かった頃、「こちら側」から見ると棒上にはいつもその勇姿があって、彼こそがきっと(倒すべき)ラスボス、みたいに認識していたものだった。異常なほどの長い間、指揮者(団長?)をしていたな。棒から降りてからも、指揮相談役などという意味がありそうな、なさそうな肩書を経て自治会長まで務めておられたと思う。ひとつの時代のピリオッドのような気はする。
西町/狼
おそらく----だが。次に何かあるときに----だが。後ろ側の横棒も金属(棒かパイプ)によって補強されることになるだろう。それをやっておけば結束を切られても棒が落ちることはないわけだ。そうした時にほぼまちがいなく----黒く塗られることになる。身体がますます黒くなるね。
西町/羊
16の昭和通りで、スポンサーの垂れ幕を着けた昭和後期スタイルで運航していて懐かしさを憶えた。四面びっしり垂れ幕で覆われて幕がほとんど見えない姿からは、どこか祭りを取り違えているような感を受けるだろう。しかし道路に面して垂れ幕を掲げれていればよしとする心根は、よせてくれた厚意を軽く扱い過ぎている、とも言えないか。あれは終わる平成時代へ、西町ならではの惜別だったのかもしれない。
庄内
去年から重旗が替わっている(向かって右側の。紋が文字に変わっている)のだが、これが新規なのかがわからない。なんだか字の筆遣いが滑らかになったように見えるし、地の色が青すぎるような気もする。左右二枚とも替わっているのかもしれない。
この重旗の地色(アクアマリンかな、それとも花浅葱色かな)が、あまり他所で使われてなくて面白い。うまく生かすべきだろう。庄内のセカンド持ち色にしたらよいのではなかろうか。手旗とかどうかな。金栄が赤漆を塗ったみたいに、高欄をこの色に塗ったりしたら(奇矯とも思われそうだし)かなり綺麗だろう、難しそうだが……。
推定8000人
登り道~昭和通りの「鉢合わせ」での観衆が8000人と推定されている。なにもわたしがカウンターをかちかちと押して積算したわけではない。地方紙の「太鼓祭り取材班」による概算だ。なぁに、ほんの小学生程度の数式から導き出されている。
('16の船御幸観客)-('18の船御幸観客)=(昭和通に流れたと思われる人数)≒(観戦客)
15000 - 7000 = 8000 ≒ 8000 ということらしい。なんとも適当なもんですな。
わたしの目分量な見積もりだと6000~7000というところだな。根拠はたいしたものじゃないが、両国国技館は満員だと10000人強になるのでそれが目安。因みに去年の海岸通りは4000人弱かと見ている。
16万8000人
江口の御花口上の人が数えた一宮ミュージ観客数。168000人に席料3000円を掛けて5億円超。こんな売上げがあるのでは止められないはずだ。
Personal
星野仙一(ありがとう。あなたのおかげで2003はハッピーだった)と輪島大士(彼より立派な土俵入りは見たことがない。北の湖との名勝負に感謝する)にR.I.P.を。
今年見た映画は『ボヘミアン・ラプソディ』一本だけだが、傑作。
今年の漢字は「咲」。
一昨年の失態をも恐れずに〆をつけていたのは勇敢である。蛮勇だったかもしれないが立派だ。
(幸運にも?)実地で効力を発揮するには至らなかったが、これは妙手! と唸ったのが、担き棒の根元で芯棒と脇棒を繋いで↓メガネ型に結わえたロープ細工である。
棒を折られそうになった局面で前方にずらして防ぐ算段だったのだろう、その時が来るまでは根元に留め置ける可動式なのには驚く。予備の意味だろうか三組もあって、じつによく練られている。折れ棒対策としては2017年の中須賀のように無闇に太くするのは直接的で効果もあろうが、こちらの方がずっと洗練されていて良い、スタイリッシュだ。西町が付けていた(外したけど)黒い鉄製の横棒と比較すると、さらにその良さが際立つ。
これは今後(まずは東方の)デフォルトになるのではないか。
西原
重旗の竿が妙な具合にマイナーチェンジされている……、詳しくは稿を改めて。
ミュージ内および境内から出る際のことだが、一瞬放り投げ体勢に入ったものの叶わなかった。あと一歩半だったので惜しい。先代では出来ていた時もあったのだが、さらに重くなったH1代では難題なのか。
小競り合いが済んだのなら、房をさっさと吊るすべきだ。帰る時間になっても房がないとは……、何やってんだか。
大江
昭和の一時期、一部媒体でミスター(大江)太鼓台とされた人物が先日亡くなったようだ。わたしが若かった頃、「こちら側」から見ると棒上にはいつもその勇姿があって、彼こそがきっと(倒すべき)ラスボス、みたいに認識していたものだった。異常なほどの長い間、指揮者(団長?)をしていたな。棒から降りてからも、指揮相談役などという意味がありそうな、なさそうな肩書を経て自治会長まで務めておられたと思う。ひとつの時代のピリオッドのような気はする。
西町/狼
おそらく----だが。次に何かあるときに----だが。後ろ側の横棒も金属(棒かパイプ)によって補強されることになるだろう。それをやっておけば結束を切られても棒が落ちることはないわけだ。そうした時にほぼまちがいなく----黒く塗られることになる。身体がますます黒くなるね。
西町/羊
16の昭和通りで、スポンサーの垂れ幕を着けた昭和後期スタイルで運航していて懐かしさを憶えた。四面びっしり垂れ幕で覆われて幕がほとんど見えない姿からは、どこか祭りを取り違えているような感を受けるだろう。しかし道路に面して垂れ幕を掲げれていればよしとする心根は、よせてくれた厚意を軽く扱い過ぎている、とも言えないか。あれは終わる平成時代へ、西町ならではの惜別だったのかもしれない。
庄内
去年から重旗が替わっている(向かって右側の。紋が文字に変わっている)のだが、これが新規なのかがわからない。なんだか字の筆遣いが滑らかになったように見えるし、地の色が青すぎるような気もする。左右二枚とも替わっているのかもしれない。
この重旗の地色(アクアマリンかな、それとも花浅葱色かな)が、あまり他所で使われてなくて面白い。うまく生かすべきだろう。庄内のセカンド持ち色にしたらよいのではなかろうか。手旗とかどうかな。金栄が赤漆を塗ったみたいに、高欄をこの色に塗ったりしたら(奇矯とも思われそうだし)かなり綺麗だろう、難しそうだが……。
推定8000人
登り道~昭和通りの「鉢合わせ」での観衆が8000人と推定されている。なにもわたしがカウンターをかちかちと押して積算したわけではない。地方紙の「太鼓祭り取材班」による概算だ。なぁに、ほんの小学生程度の数式から導き出されている。
('16の船御幸観客)-('18の船御幸観客)=(昭和通に流れたと思われる人数)≒(観戦客)
15000 - 7000 = 8000 ≒ 8000 ということらしい。なんとも適当なもんですな。
わたしの目分量な見積もりだと6000~7000というところだな。根拠はたいしたものじゃないが、両国国技館は満員だと10000人強になるのでそれが目安。因みに去年の海岸通りは4000人弱かと見ている。
16万8000人
江口の御花口上の人が数えた一宮ミュージ観客数。168000人に席料3000円を掛けて5億円超。こんな売上げがあるのでは止められないはずだ。
Personal
星野仙一(ありがとう。あなたのおかげで2003はハッピーだった)と輪島大士(彼より立派な土俵入りは見たことがない。北の湖との名勝負に感謝する)にR.I.P.を。
今年見た映画は『ボヘミアン・ラプソディ』一本だけだが、傑作。
今年の漢字は「咲」。