オーラスです、大江。
ここも東町と似たところがあってジャージの服色には黄色っぽければOkayなのか、レモン色からオレンジ色まで幅の広い色遣いをします。蛍光を使ったりしたこともあるし、上が黄色系で下が紺とか、紺色に黄色の切り替えなんていう今見たらどうしてたんだ一体……と言われるような衣装の年もあったものです。センスがかなりよい面とぐっと悪い面が混在している感がしますが、斯界のリーダーであることは疑いなく、ここが83年に下半身を白に戻す(敢えていってみましょう)と久保田新田江口は雪崩をうって追随してしまったものでもありました。
端管は飾り気なしで、随一の太い棒と相まって迫力満点の鉄製大型物件。材質は違えども今のそれとサイズや形状が変わってないのはここでしょう。
重旗。懐かしや「日本万国博覧会出場記念贈愛媛県」の染め抜きのあるものを江口と一緒に数年にわたって使いましたが、何年かたったあと忘れた頃にひょっこり出してきたこともあります、赤紫と言った方がよい地の色の年もありましたね。
(半紙のそれではない)名札を付けたのは最後じゃなかったかな? 名札のない状況を不憫と感じた有志による現物寄付があり、付け始めたという話を聞いてます。
一方、〆の剣に神社札を「見せる目的で」付けると言う(似合いすぎている!)のは嚆矢だったのですから面白いです。
船御幸に(ここだけは)クレーンを使ったことがない、とのもっともらしい伝説がありますが、事実ではありません。
'75年に泥団子の集中砲火を浴びたせいでしょう、飛龍の羽根がしゃきっと前向きになる改造したのは雰囲気が損なわれたのではなかったでしょうか。房もかなり傷んだと聞きましたがね。
今は三つ巴を紋としているのでしょうが、これは万博出場時に江口とお揃いで誂えたハッピの背にあったそれを、「別にコレでも良いんじゃない?」てな感じで使ってるうちに時も経ち、なんとなく定着したのではなかろうかと見ています。
ハッピは万博以前の、背に新居浜井桁マークの中に大江と縦書きしたタイプが最上品でした。腰のあたりから水色へとなるグラディエーション処理などは絶品。今のテロテロのそれとは段違いです、こういうのを復古すべきだろうと提案しときます。
良くも悪くも川西のムーヴをつくっている(グルーヴはここではない)のはここです。
市内あちこちで蛍光の華が妖しくもあざとく下品に咲き誇っていた90年初頭(時あたかもバブル絶頂期)ジャージやなんやらに蛍光イエローが隆盛となっていた時にも伊達巻きだけは蛍光にせず通してました、今でもですね。立派と感じます(久保田はともかく江口や西原がサテンのテカテカ伊達巻きってホント……)。今後もかなり振幅のある変化が見られるでしょうが、どうか道を踏み外さないように願って止みません。
ここも東町と似たところがあってジャージの服色には黄色っぽければOkayなのか、レモン色からオレンジ色まで幅の広い色遣いをします。蛍光を使ったりしたこともあるし、上が黄色系で下が紺とか、紺色に黄色の切り替えなんていう今見たらどうしてたんだ一体……と言われるような衣装の年もあったものです。センスがかなりよい面とぐっと悪い面が混在している感がしますが、斯界のリーダーであることは疑いなく、ここが83年に下半身を白に戻す(敢えていってみましょう)と久保田新田江口は雪崩をうって追随してしまったものでもありました。
端管は飾り気なしで、随一の太い棒と相まって迫力満点の鉄製大型物件。材質は違えども今のそれとサイズや形状が変わってないのはここでしょう。
重旗。懐かしや「日本万国博覧会出場記念贈愛媛県」の染め抜きのあるものを江口と一緒に数年にわたって使いましたが、何年かたったあと忘れた頃にひょっこり出してきたこともあります、赤紫と言った方がよい地の色の年もありましたね。
(半紙のそれではない)名札を付けたのは最後じゃなかったかな? 名札のない状況を不憫と感じた有志による現物寄付があり、付け始めたという話を聞いてます。
一方、〆の剣に神社札を「見せる目的で」付けると言う(似合いすぎている!)のは嚆矢だったのですから面白いです。
船御幸に(ここだけは)クレーンを使ったことがない、とのもっともらしい伝説がありますが、事実ではありません。
'75年に泥団子の集中砲火を浴びたせいでしょう、飛龍の羽根がしゃきっと前向きになる改造したのは雰囲気が損なわれたのではなかったでしょうか。房もかなり傷んだと聞きましたがね。
今は三つ巴を紋としているのでしょうが、これは万博出場時に江口とお揃いで誂えたハッピの背にあったそれを、「別にコレでも良いんじゃない?」てな感じで使ってるうちに時も経ち、なんとなく定着したのではなかろうかと見ています。
ハッピは万博以前の、背に新居浜井桁マークの中に大江と縦書きしたタイプが最上品でした。腰のあたりから水色へとなるグラディエーション処理などは絶品。今のテロテロのそれとは段違いです、こういうのを復古すべきだろうと提案しときます。
良くも悪くも川西のムーヴをつくっている(グルーヴはここではない)のはここです。
市内あちこちで蛍光の華が妖しくもあざとく下品に咲き誇っていた90年初頭(時あたかもバブル絶頂期)ジャージやなんやらに蛍光イエローが隆盛となっていた時にも伊達巻きだけは蛍光にせず通してました、今でもですね。立派と感じます(久保田はともかく江口や西原がサテンのテカテカ伊達巻きってホント……)。今後もかなり振幅のある変化が見られるでしょうが、どうか道を踏み外さないように願って止みません。