岩窟竜王/新居浜祭り

 ほんとうにそうかな? ©澁谷かのん

従軍レポート№9(中須賀総点検編アルファ)

2017-10-29 | レヴュー2017
X:結局ずっとビニール太鼓のままだったね。
Y:二年ぶりに逢えたのにちょっと悔しい、また来年も(おそらく)見れないし。
X:四日あったのにびっしり雨仕様ではねえ、こうなったら早めにお天気になって湿気取りしてもらいたいよ。
Y:そもそももうしばらくお日様を見てない。
X:17午後に出立の際はかなりいい雰囲気だったけど見たかい。自治会館の炊事場で拵えをしてくれているご婦人方が顔を出してきてくれて拍手を贈ってくれたんだ。
Y:うん。あれでやる気と元気が出たね。予報どおりの雨でちょっと病んでたから。彼女たちのしている仕事はどこの自治会でも本当に感謝すべきものだと思うけど、義務や義理だけでやってるわけじゃないんだな。休みや負けが続いていたときは彼女たちも晴れやかな気分ではなかったんだろう。男衆が楽しそうに嬉しそうにいてくれるのが一番ではあるんだろうけど。
X:彼女たちのためにも17くらいはビニール除けて出てもよかったか。まぁあの時点からしばらく降らなかったから言ってるだけか。
Y:でもやる時も〆つけていたのはよかったね。
X:18午後にブルーシートが外されいた時に〆があったのはかなり嬉しかったよ。
Y:大江はほぼ〆を付けてやるよね、そこから余裕を感じてた。
X:こっちのは贅沢品だから……なぁんて言い訳はするけど、もしなんかあったら痛手だもんなあ。
Y:逃げの思想というか、そんな保険をかけてしまっていたところが気迫というか気概というか、欠落してたのはそのへんだろうな。
X:とにかくなにがなんでも絶対に退かぬという闘志が今回は〆に凝縮したってとこだろ。
Y:とは言っても心配したくせに。
X:まぁな。昨年の東町みたいに落としたら寒気だし、もっと酷いことまで想定できるしね。
Y:ぼくはこんなこと考えてたよ。そうはいいながら〆付きはなんかあったら怖い。〆は外してやってから勝って一宮行くときに付けてけばいいやってね。
X:勝ってから、というのがすでによくても五分五分、普通に考えて三七くらいの仮定じゃん。
Y:なのにだ。重旗さえ積まずに行ったのに、紙吹雪を用意してた重係はなかなかだよな。
X:あぁ確かに。中須賀去りし後だけど、道路に残った紙吹雪を見た地区の人はさぞや複雑だったろうなあ。
Y:一宮へ行くといえばだね、交戦前の段階で「勝って一宮へ行く、そこで差すぞ」と発破かかっていたけど。
X:あの時点では大言壮語の類いだろうけど、あれで担き夫にとって勝負に対して具体的なイメージが湧いたように思うよ。いい発破だった。
Y:DS君のだね。後ろ側では彼とOB君の指示がかなりよかったよ。はやりがちな担き夫を抑えることもできていた、ポイント高いんじゃないかな。
X:勝因はなんだろう。
Y:まぁうまく当たった偶然だといってしまえもするけど、執念じゃない? 序盤で芯棒の端管飛ばされて「えーまたかよ~」と落胆しそうなところを持ち直せたのは執念の一言だろうね。
X:右の芯棒の端管も少しめり込んでたからな。あれが飛んでしまうのと残ってるのは大違いでね、あそこで止まってくれたのは幸運そのものだ。
Y:棒が太かったから、という話はどう?
X:とはいっても大江と同じ太さに見えたけどね。大江はずっとあの太さでやってきたんだろうし、比較的細い棒なら折るのもまた比較的楽だったはずだよ。
Y:端管そのものは大江の方が短かったからね、こっちの方が少し飛びやすいはず、強度と当たった時の角度、衝撃力などの総合、つまりは結局「運」だったことか。
X:それで結構じゃないか。今まではことごとくそいつに見放されていたわけだから。それと今回、明らかに優位だったものに「勢い」を挙げていいだろ。
Y:言える。工場前でも最後は大江が退いたよね。めったにないことだ。あの勢いをそのまま次の日まで持ち越せたことはかなり大きい。
X:すこぉしだけど工場前では担いたしね、高欄幕を外さなかったのも偉い。〆の件もそうだけど、大事な幕を毀損しちゃいけない、という考えはどうしても弱気や萎縮に繋がりがちだから。
Y:なにか心機一転に近いものがあったのかもしれないな。
X:そして海岸通りでも大江がゆっくりと退いた時に終了のゴングが鳴ったわけだ、こっちにとってはそれが歓喜のファンファーレだったね……。

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変貌の'17 川西以外

2017-10-26 | レヴュー2017
喜光地
房が旧いものでした、雨仕様だろうか。他所に譲渡したりしていなかったんだね、その事実に驚きつつかなり感心。

池田
あれれ? 〆の玉龍に右腕がない、炎がまだ発火してない。去年は間に合わなかったのだろうから許そう、仕方がない。あれから一年たち、炎くらいはなんとかできるはずなのに放置とは一体どうしてですか?
この現状はわたしの「常識」を逸脱しております。もうそれで十分でしょ、そこ以上は過剰です、と思われる高祖はしつこく改良を繰り返しているのに。縫師とトラブル発生につき、なんてことはまさかないでしょうが……。

北内
山根で黄色い升が入った市松天幕をつけていたのですが、あれは三~四年前にちょっと被ってみたものでしょうか。それとはすこしパターンが違うようにも感じましたが、ビニール越しのチラ見じゃあ分かりかねる。もし着替えやコスプレならば、昼の部と夜の部で違いを出せば趣あり、だったのではないでしょうか。

龍鼓祭
穴子と赤ワインを愉しんで後、ほろ酔いでチャリを飛ばしたらなんとか間に合った。12台寄せ担きがまさに始まらんという時に。新田橋をわたりグラウンドにインしてまず目に飛び込んできたのは夜の観客席に積み上がった万余の大観衆で、これに圧倒された。照明があるとはいえ昼よりは暗く人々の顔まで見えるわけもないのだが、いままさに寄せていこうという12台に注がれた期待に満ちた表情がはっきり見えるようだった。あの中で太鼓を担くのは、さぞや高揚することであろう、足下がじゅくじゅくと不快なくらい何のことがあろうか!
M2で毎年やっている11台の寄せ担きに一台プラスしたくらいで大騒ぎするもんでもあるまいと思っていたが、大観衆の歓声が加味されると天晴れ見事なものだった。二部構成の企画自体はどうなんだかわからないが、夜の山根興行は成功であろう。ほんの一瞬の見で決めつけたが間違いなかろう。願わくはいつか再び、雨にたたられない機会を得んことを。
有り体にいうと、その日が川西ポイントとずれてたらいいのにな~。ちゃんとじっくり見たい。
さらに、もはや無所属のフリーランス太鼓である口屋を入れたらいい刺激になると思う。オファーさえすれば口屋は喜んで来そうな気がするけど?
アイデアや効果としては褒めるべきだろうが、担き夫が手首に嵌めていた光るリングはちょっと恥ずかしいな。それとちょっと時間が遅すぎ。19時頃に花火でよろしいのでは。

花火
家から鑑賞しようとしたが音だけで見えなかった。それは別によろしい。実のところ、花火の付加は好まない。花火は花火、太鼓は太鼓、の独立が望ましいと思う。著名な秩父夜祭りも花火なしではあれほどには集客できないんじゃかないかと勝手に考えているくらいで、花火の助けを借りないといけない祭りは観光的な「魅力の弱さ」を露呈しているみたいな気がするからだ。変なとり方だけど内政干渉みたいな気がしているのだ。我ながらひねくれてるね。

白浜×浮島
画像での後追いがせいぜいなので状況不見識ではありますが、浮島2名白浜1名が引っ張られたようですね、中須賀2の大江1から類推(こっちは見てわかっているので)しますときっと浮島に因ありと見做されたのでしょう。

河川敷
グラウンド部に入らずであっさり終えました。事実を切り取るならば車両通路まで入って出ただけ。これはいささか以上に寂しく落胆した。雨に一番堪えたのが実はここだったのかも。

最奥で澤津と山端の両新調太鼓が並んでいた光景が唯一の救いだったように思う。ビニール越しでなければどんなによかったか。

上泉
18は出なかったんだって? 天気もあれだったし、人も集まらないってことで?
そういう太鼓があってもいいんじゃないの。先発完投、中継ぎ、クローザー。いろいろ居ますよね。分業、棲み分け。昔聞いた話では多喜浜のある太鼓台(新田って聞いた記憶がある)は18は太鼓を出さずに八幡見物をするということでしたが。
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手のひら返しはほどほどに

2017-10-23 | レヴュー2017
こちらは22日の朝日新聞の記事でございます。

この記事ですがある意味では誤報です。現場責任者に限れば年齢は確かに42才から50才まですがね。画像はございませんが、愛媛新聞ではもう少し大きい扱いで逮捕者6名の住所氏名職業が記されております。このへんはあいかわらず愛媛新聞は他人をひそひそと、悪し様にあれこれ下げたがる地方の嫌らしさが染みついていて嫌なところ。愛媛には何時から何時までとか、何回衝突、みたいな内容も書かれております。

それはさておき、記事を見ていくと面白いところがあるんです。
中須賀、大江の太鼓台という表記になっている点です。参照を提示できず論拠がうすくなって恐縮なのですが、今までは概ねこの手の記事の時には、大江中須賀の両太鼓台が……とされていたものでした、大江が先になっていたのです。源平合戦、英仏海峡、米西戦争、同立戦、ランスーミキに馬場猪木、敢えてこれらを逆にして呼んでいる人はへそ曲がりと思われますが、まぁ大勢はこうです。
そしてこれまで中須賀と大江は、大江が先に呼ばれていました。これは歓迎していませんが、事実ではありました。
それが今回は中須賀が先になっておりますね。朝日、愛媛ともにそうなんです。
これを偶然と考えるよりは、警察当局が行なった発表ペーパーに書いてあった順番に依ったのだろうと思います。そしてその警察の底意としては中須賀に罪刑が大きそうと見做しているだけであり、その証拠に逮捕者の数の違いがあります、中須賀側の被逮捕者は現場責任者と正指揮者なのに大江側は現場責任者だけという事実に現れているといえましょう。
ですが何か(勝者とはいいません)その時点での格上と見えた方を「ふと」先に書いてしてしまったせいもないわけではないかと思うのです。
そう感じながらネット上を探してみましょう。おやおやユーチューブでも掲示板でもツイッターでも。少なからずが中須賀大江の順になっているじゃないですか、おぉこれはどうしたことか。試しに昨年以前のものを見てご覧なさい、例外なく、大江中須賀の順になっているのです。
ところが今年となって、誰かがそうしなさいと言ったわけではなく、不思議に中須賀が先にされています。勝った方を先に呼ぶのだ----なんて慣習があるわけはなく、無意識にしたものでありましょう。それでいながら中須賀が先に来ている、少なくともそう考える人がちらほら現れてきたということです、わたしなどは面はゆいくらいです。
去年まで無意識に大江中須賀としていた人があっさり中須賀大江としてくれるのは、なにか手のひらを返しすぎでちょっと軽薄だろうにと思い、ぶれにくいしっかりした視座がいるんじゃないかなと言いたくなります。ですが。
これくらいでいい気になって肩を並べたぁ、なんて威張ってたらそれは甚だしき誤解であるのはしっかりと承知しつつです。できればこの感じ、ゴーイングコンサーンでいけますよね? あと二年間なら。
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変貌の'17 川西編

2017-10-19 | レヴュー2017
西原
18のAMは鎧を脱着してきたが(当然か?新須賀とのやりとりは無視した?)驚いたのは外しただけだったこと。文字振りがなかったのだ。川西の太鼓で文字を振らない台場を見たのは初めてだったと思う。
17AMに見た鎧は進化を感じられるものだったのでもう少し見たかったが。
工場前で、高欄幕を外すことなく中央まで進み、そこで精一杯担いでいたのはまことに結構。なるほど久保田がいなくなったからといって新須賀に行ってはならないTPOだった。

久保田
青年団長の辞任?更迭?馘首?ということらしいが、そして自粛のツープラトンはじつに厳しい責苦だったろう。
17PMに太鼓蔵の前に行ったら----シャッターが閉じられ、そぼ降る雨の中を数十人の担き夫が所在なげに佇んでいる、何とももの悲しい光景を見せられてしまった。彼らの表情は一様に暗い。そのうちに解体やらハッピを回収やらの話が伝わってきた。いったい彼らがどんな悪さをしてこの羽目なのだ? 
勘ぐりにすぎないが自粛の判断に近日の国政選挙が暗に影響していたならば、これは馬鹿げた話だ。好き勝手やって世間に恥をさらした人物にさらに悪影響があってはいかんだろう的な忖度が働いたのだとしたら、ほんとうに酷い。若さならではの恥知らずなエロス的行為を個人として満喫した人物が成り上がるために、若さらではの恥知らずな集団バイオレンス的行為を忌避したのだとしたら、人間の価値とは何なのかと思えて情けなくなる。そんなにしてまで祭り上げなきゃいけない人物なのかねえ。野田聖子氏の応援を聞くにつけても褒めるとこがなくて困ってるみたいな感じじゃないか、彼女は正直な人なんだろうな。まぁほとんど勘ぐりだけどさ……。
本人に問題がないわけでもなかろうが団長氏には同情してしまう。今まで大好きだった久保太鼓台が嫌いになってしまうかもしれないよなあ、本当に気の毒。今年は知らんが後任はアソー氏にでも指名してもらったら文句ないだろうから、その路線でやっていったらどう?
わざわざ数え上げられても嬉しくないだろうが、大江浜も一宮も二年連続無念の休場、今年に至っては工場前すら行けず……。多くの人がまだ肩が痛くなる前だったに違いないのに。
復活させた人達には残念だろうが、ここはひとつ、三色市松天幕に戻して立て直してみてはどうかな。朝日天幕はケチがついた、不運の象徴となってしまったから。

大江
後ろにまで鎧を貼っていた、四面をぐるりカバーしたのは2007以来か。
それでいながら「平和運行」との垂れ幕はどうなんだ? 以前からこの手の主張を待望していたわたしとしては賞賛するべきところであるが、わたし自身は直接見ていない(CATVで確認)のが残念。それとミュージで(フジでもやったか?)公開しただけでは効果が弱かったのではなかろうか。できれば工場前でもずっと付けていてくれたら、なにかが変わったかもしれない。なにかというのは----そう、こちら側の心持ちとかも入る。
さらに、明日は二輪で持って行くから受けてくれるだろうか、との要請が工場前でされていた。あの場面は即答でなく思慮深い検討が必要ではなかったか。平和運行の垂れ幕がそこで生きたかも、と思えなくもない。
ナイロンジャンパーではあったが裾に(紺の)白波を書いていていたのがなかなかの高得点だ。あんな感じの鯉口シャツを作ってみてはどうかな。ついでに千鳥も数羽飛ばしてみて。
出立に際してくくりんを付ける理由が知りたいものだ。邪魔じゃないのかな。

東町
みなと保育園の御花場でよい感じの光景を見た。本町の担き夫が少ないのはご覧のとおり。差し上げを試みるがなかなか上げられず苦心する本町へ、緑の衣装を纏った東町の若衆が入って助太刀したのである。西町~口屋~本町の系譜を考え、また昨年の西町東町の関係を考えると、すこしハートウォーミングになった。こんなところから新しい良好な関係が築けるのかもと。

新須賀
秘かに期待していたかもしれない新築一宮神社への一番乗りだったが、中須賀が急遽割り込んできて実現せず。境内に中須賀がいるのでは進むに進めずミュージのEXITで待ちぼうけせざるを得なかった。一宮神社祭神としても枠外の太鼓に一番乗りされるのを歓迎できなかった、のかもね。

本町
MA-Jr.のクラスメイトの名前が垂れ幕にあったので時代を感じてしまった。彼女は何年か後にプレゼンターとしてデビューするかもしれない。
その何枚か隣に池田関係者と思われる垂れ幕を見つけた。一宮神社でのお披露目の際にも池田から助っ人が来てくれていた。太鼓台の売買で、ただの商行為といってしまってはそれまでだがそこから新たな交流が生まれ、関係が築けていければ素晴らしいことだ。一過性のものでなく、細くでもいいから長く続くことを期待している。
池田幕は保存のよい、大切に使用されていたVALUEな買い物であろう。なかなか渋さのにじんでくるような姿のよい太鼓が登場したと思う。今は担き夫の数が厳しいがこれから期待出来るのではないか、来年は身体が「空き」なので入らせてもらおうかな。今年の手ぬぐいは仮の版とのこと。

わたくし本人
後ろ側にロープを編み込んでいる担き棒はとても担ぎにくい。肩と紐があたって痛いんだ。二輪戦の時以外はなるべくやめてほしいと願う。
昨日、いい気になったのかやたら満足したのか、何人かに「嬉しい、もういい。満足した。十分だ、もう引退する」などと宣言したが、わたしの中でテリー・ファンクがむくりと頭をもたげてきた。みっともないが一日で撤回だ。もうちょっとやる。
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2017 October 18;お疲れ様~

2017-10-18 | レヴュー2017
雨予報の間隙を縫うように雨が上がっていた2017の17の午後から18の午前
中須賀は必死に大江に食い下がり、一矢に過ぎないが報いることができた。
ここまで来るのに資産と時間を、たしかに、尋常でなく、浪費したことは隠しようもない。
しかして(おそらくの)ラストチャンスを生かせた快挙であった。

四日間もあるのに、実質1日しか晴れない祭りも初めてだ。
天気予報が気持ち悪いくらいに当たるもんね。

こんな明るいうちに帰宅したのも初めてだ、もうひとっ風呂浴びてしまったし。
なんもかんもこんな祭りは初めてだよ、まったく。

先に左芯棒の端管が飛んだ時点であぁ今年もそんな運命かぁ~、と凹んだものだった。
だが、よくぞよくぞあそこから持ち直して端管飛ばし返してくれたわ、若い衆よく頑張った。
ありがとう。
わたしは後ろのロープを引いたりちょっと圧すくらいしかできなかったけど、君達は本当によくやった。中須賀の将来はストロングかもしれないね~。

一宮への道中も、帰落の途中も、じつに気分よくニコニコしながら歩いていた。
あいつらはいつもこんな気分を味わっていたのか、まったく羨ましいもんだね、今日くらいはとじっくりと喜びをかみしめ、味わえた。

今は家人が拵えてくれているディナーをゆっくり待っているわたし。ワインとコロッケのマリアージュを愉しむことにするよ。

みなさん、ありがとうございました。
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2017 October 17;PM勝負

2017-10-17 | レヴュー2017
40から70の間を行きつ戻りつした降水確率は今の時点でいくらかはもう知らない。とにかく今も降っている。昨晩は「あした目覚めれば雨がきれいに上がっている」と願望を胸に眠ったものだった、しかして今朝、やっぱり降ってる。昨日一昨日からずっとこんな感じだね。
この数値はまるでどこまで行ってもいつまでたってもほとんど変わらないシベリア鉄道の風景みたいだ。

凹んでラジオの天気予報を聞くと、午後からは日が差すとか。そうか、そうなんだな。
テレビのデータも見る。うん、なんとかなりそうだ。
うまく行けば9時頃にはなんとか上がったりして。なら河川敷からOkay?(地面はちょっと悲惨かもしれないが)、アスファルトの工場前ならオーライだ。山根は意地でやってもらいたいね。
18日はないものと思って(じじつその可能性は高い)思い切りやりましょう、昨日までまったく触ってないのでちょっと溜まってるんだ。望んだわけじゃないが15、16と体力を使ってないし、昨日ジムでウォーミングアップしてきた。少なくとも「おぉ~あそこ」と声のわき上がったところへ駆けつける体力はリテインしてあります。

みなさん、カッパ無しの太鼓が見られるのはここだけかもしれません。明日はいつも以上にご安全に。明日はないものと思ってやるのもいいでしょうね。それで明日、晴れないまでも雨模様で保ってくれたら……それは猛烈に嬉しい。

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2017 October 16;降雨

2017-10-16 | レヴュー2017
しかしまぁコンスタントに止むことなくきっちり降るねえ。一瞬たりとも上がらないのは律儀さまで感じる。いったい誰の行ないが悪いのか。

天気予報の正確さには唖然とするよ。だったら明日の午後が少しましなのを信じていいんだな。曇りなんだな、ホントだな。明後日の午後は…………まぁ考えても無駄なのだけど。

きわめて私事ながらお祭り集会の中止がもう、すごく残念、至極。MA-Jr.が某太鼓台の指揮予定だったのになあ。本人よりわたし自身がきわめて悔しい。このチャンスは一回こっきりなのに……。校舎内から太鼓台を見学する、というほのぼの催しに転じてしまった。なんて雨なんだ、まったく。

WEB上で調べた限りではこんな天気なのにどこの太鼓も出ているのは敬服する。内宮も萩岡もきっちり勤め上げたみたいだ。
二昔前だと「こなな雨じゃのにやめんか、今日は16日ぞよ、明日からでええや」となったものだったよ。「昨日やったんじゃけん、今日は休もか」ともならないんだから立派だよ、体調を悪くしないでほしいが、きっと免疫力は高く上がっているんだろうから心配いらないか。午前中はとりあえず出てみるが午後からはお休み、というパターンも少なくなかった。夕方から少しくらいは上がらないもんかねぇ。

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2017 October 15;強行

2017-10-15 | レヴュー2017
さてさて、紆余曲折多事争論百家争鳴した(大袈裟すぎ)80周年統一イベントのパート1を終えてだが。

この悪天候を誰も想定していなかったようだが、これは本当に不思議だ。屋外で開催されるのだから少々の雨は降って当たり前だし、荒天さえありうること。なのになぜ、雨を考えさえしないのか。考えたら雨が降ってくる----みたいな言霊っぽい考えが根底にあるのだろうが。
上部は別口だの、西部は来ないだの、その行き帰りにやってしまうだのやらかすだの、つまらないことは心配されたりした。あるいは古墳公園の頂上をキープしてチリワインで一杯やろうとか、普段担けないあそこを担いてみようとか考えていたりした。それでいて「降る」なんてことを想定してないんだから妙な話だ。あっさり能天気な脳だったんだろうな。降るのは雪でも矢でもなくて雨のことなのに。
わたしだけじゃないと思うよ、降るわけないみたいに思っててあれこれ状況考えてたけどいざ本当に降るとなって、あれれやっぱりこれって現実なんだ……と認識させられるわけ。
ぶつくさ愚痴ってもしょうがない。明日からもこんなもんかもしれない、ちょっと覚悟はしておいてと。


房が雨に降られ放題だったが大丈夫だったのか?

東浜
重旗を変えてきた、地の色が赤茶色のクラシック風で従前のものよりずっといい。ただここは70周年の時だけ青白の天幕を着けてみた前科持ちなので今後も継続していくかはわからないな。

上本郷
カッパ脱ぎはありがたい心掛けだ、偉いと思うがリペアメントをしっかりしてほしい。画像は朝日新聞から剽窃したもの。ビニール太鼓なんて載せないのは当たり前だ。愛媛新聞も上本郷が載っている、口屋でもいいのにね。


岸影
郷のハローズでお花御礼を見かけた。おそらくは最東地点到達(当社比)ではないか。

を含む大生院
それぞれの持ち色で揃いの垂れ幕を作って掛けていた。こういうのは好き。

口屋
カッパ脱ぎは偉いと思った。タイヤ外しはすごいと思った。前後が空いたせいもあって、なにか今回の果実を一気にかっさらっていったように感じる。うん、それでいいじゃないの、ここがオンリーの見せ場。降ってはいたが口屋の晴れ舞台だったんだものね。苦言を一つ、ジャージでやったのはいただけなかったな。もう川西の枠じゃないんでしょ、ハッピでお願い。

本町
今日は完全に負けていた、口屋に。相手は明日以降高みの見物となろう、ガンバッテ。

庄内
俵藤太の幕。屋根の葺き替えや兜の新調が行なわれていた。ぐるり一周見てはいないのでおそらくもう少しいじっている箇所があると思われる。明日以降再確認の所存。重旗も変わっていた、先祖返りだったか?

中須賀
担き棒がやたら太い、キイロに揶揄されたようだがそれでも同程度の太さだろうに。目的はあっち方面だろうが全体のバランスを欠いているのは残念。不細工なので今年限定にしてくれるといいな。

大江
いつでもセットアップできるようにだろう、補強横棒を後ろ側に載せていた。まさかないと思いつつ万一に備えたのだろう。となると台場をブルーシートで巻いていたのは鎧隠し?

新須賀
と思っていたらこちらは台場を透明シートで囲っていた。雨よけか?

久保田
担き棒を新調しているはずだが太くするといった改変は感じられない。今日の時点の人数では西原を圧倒している。天幕もめげずに旭日を着用している、意地の発現か、決意の表明か。

で、パート2の山根会場には行けるかしら。とにかく天気が心配だな。スケジュール的には第二部開始にすべりこみセーフでいけそうだが、そのとおり運ぶのかは都合によるので未定。多喜浜駅前行きたくなるかもしれないし。まぁ花火は家からでも見えそうだ。
夜の部はきっと今年かぎりで、史上唯一のロング興行なのだからしてその場に立ち会いたい気分は大いにあるが、絶賛劣化中の見積もり力を備えたわたし、次も(二部興行が好評につき?)あったりするかもしれないわなぁ。
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来るなら撃つぞ≒撃たないから来るんじゃない

2017-10-13 | WEBLOG(分類面倒)
もし久保田が横棒を何本も渡して延長を装着して出立してきたらどうするのだ、西原は。さすがに「やる気」がフルチャージだったとしても、禁止事項その二に抵触する延長武器の用意まではしていまい。よもやそっちの禁止を侵してくるとは想定外のはず、仮に用意していても即座に装備するであろうか。否、おそらくやる気は失せ、消極的ながらじつのところ安堵を覚えながら平和運航を選択することになろう。それはもちろんワイスダムが優位になっての選択なので正解にちがいない。

そして後日の運営協議会においてである。そこで「武装抑止力」を衝突を回避するために敢えてショウオフした、よって次年停止にはあたらず----と久保田が主張したらどうなるのだ。それでも条文どおり運航停止数年の裁定を出すのか。
負傷者死者が出かねない闘争が相手の意向により避けられにくい状況ならば、禁止事項ではあるけれど武力の優越を示すことにより攻撃を思いとどまらせる行為があったとき、それに果たして罰則を課すことは正しいのか。
諸兄、思考実験であるが、トライしてみてくれないか。武装を咎めるのかそれとも----?
違反は違反として休みを裁定するか、危機回避に効ありとして無罪とするか、またぞろ特例でも出すのか。
運行規約の法解釈みたいなことになるかもしれない。このような状況における判例等はおそらくある、個人と個人に関してならば。法学士でないわたしには困難もあるので調べはしないが、事は祭りの太鼓台の問題だ、あったらその判例をそのまま当て嵌めてよいとも思えないだろう?
なにせ変数的な因子はご存じのとおり多岐にわたる。太鼓台に法人格を与えるのか? から始まって、法的責任追求が放棄されてしまったりする暴動の類いとできる特殊な状況とすることまで可能なのである。

本稿の「久保田」と「西原」を入れ換える、はたまた禁止事項である強武装しての抑止を好戦的アウトロー風人力にる威嚇を含む抑止に入れ換えてみても、論旨が変わらないのはいうまでもない。数年前に流行ったハーヴァード白熱教室みたいにどっちがより望ましいのかとことん考えよう、というものだ。

少なからずある「核に対して核を」という強硬で勇ましいがイージーで歴史知らずな暴論も散見される昨今、よく考えてみようぜ誰も得しないのに~と頭を抱えたくなる昨今、なにかの参考にしてもらいたい。とにかく圧力を強くかけ続けろとの無体は何を呼び込むと思っているのか、必要なのは対話のための圧力、そっちの方しかないじゃないか。

頭を冷やせと天までもが言ってるのかもしれない、頭の上から水をぶっかけてくれるみたいだ。はい、イェス、わかった。
よくわかったから。どうかどうか、週間天気から傘マークが消えて安らかに眠れますように…………。
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次がオーラス

2017-10-10 | 白虎組よ!!(贔屓のひきたおし)
アニメ『銀魂』のお登勢さん↓のビジュアルと声をイメージして読んでくれるとうれしい。

なんだい、あんた達。またやるってのかい?
懲りないねえ。やめときなよ。
どうしてもかい。また来年休んでもいいってのかい。何回やってもあんまりいい目は出ないんじゃないのかねえ。ルーレットの00の方がまだ出安そうじゃないのさ。
馬鹿は休み休みってもんだけど、休んでやってまた休んでじゃあほんとうの馬鹿だよ。
ふん、勝ち負けじゃないって言うんだね、じゃあなんだってんだい。とにかく〆ないと終われないってことなのかい。はん、勝手なもの云いだね。あんた達のために区切りが要るんなら、そのためにやるんならそれは悪い了見なんだよ、独りよがりって言葉知ってんのかい?
ちょっと図星だったかい。こないだの件でもずいぶん強引な横車を押した感じだったからねえ。
でもさあ、キリを着けるつもりになってるのはいい考えだよ。あんた達にしちゃあ上出来だ。
とにかく前に向いて行くもんだからさ、あんた達そろいもそろって亥年の生まれかと思ったもんさ。
わかったわかった。わかったからさ、勝っても負けてもこれで最後におしよ。
これ以上続けると流石にあたし達だって愛想尽かすとこだよ。わかってるんだろ。
次に出られたら、それからは毎年出しておくれ。あたしも長いわけじゃないんだからさ。
だいたい相手さんにも迷惑だよ、そろそろ。あっちは飽いてるみたいじゃないか。
酷い言われ方してるみたいだよ、どうせ……なのはわかりきってるのに阿呆じゃないのか、みたいにさ。聞こえてないわけじゃないんだろ。
それであんた達、終わっての話だ。心の底から反省はできるのかい、頭でも丸めて引退してあとは若い衆に任せるくらいの心掛けあんのかい? わざわざ頭丸めなくてもいい髪の奴だっているみたいだけどさ。
誰にって----あんた達。あんた達がそれぞれ反省しなきゃいけない相手を頭に浮かべてごらん。その人に向けて反省すりゃあいいんだよ。それくらい言われなきゃわからないのかね、このカボチャ頭どもが。ケンカも弱きゃ頭も弱いじゃどうすんのさ。
…………。よしよしそれならいい。
あたしが言うまでもないんだけどさ、麻雀のオーラス、ボクシングのラストラウンド、野球の9回裏ってことだよ。いいね。
行っとくけど一気の大逆転なんてことはないんだからね。もう自己満足でいいってもんさ。ハコ寸前のオーラス、4回ダウンしてポイントが大差のラストラウンド、7点差の最終回なんだよ、もう相手じゃないよ、自分に勝てりゃあいいじゃないのさ。くれぐれも無茶するんじゃないよ。無事に怪我なしで帰って来りゃあいいからさ。
あたし達年寄りには到底無理な分厚い壁をこじ開けられんのは向こう見ずの馬鹿力ってもんだろうさ、そいつはあんた達若い衆にしかないもんだ。
よし。そんなら、悔いのないように!思い切って!やんなさい。
そうと決まったら酒は当日までお預けだよ。呑む暇あるんなら走り込むなり綱引きの練習なりしておいで、呑んで強くなる人がいりゃあ苦労はないんだよ。わかってるね、あんた達。
その日は店開けて待っててあげるよ。もしもうまくいったら、一本くらいお土産持ってくるんだよ。そんときはお祝いだ、キャサリンとたまも来させる、うまい酒呑もうじゃないか。
ただし呑み代はきっちり貰うよ。再来年分までだ、甘いこと考えてんじゃないよ。
蛇足だけどね、べつにやらなくてもいいってのもある。憶えておきな。

よし、ほんとうによくやった。たっぷり呑みな。
アンタタチ、ヨカッタネ。
オメデトウゴザイマス。
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後門の狼(10・8)沢津にもお祝いを

2017-10-08 | 新物件を見てきたぞ
2017年10月8日(日)沢津が新調、H1代のお披露目を行なった。
縫師は近年新居浜市ではほとんど新作品が見られることの出来なかった、梶内だんじりや。
内外で大きく注目されていたお披露目を八幡神社で見た。好天。

あれこれ評される(*1)だろうが、太鼓台幕の鑑賞なのだから、それらの評のすべてが正しいのだろう。他人の外見や面相を100点だの30点だのと値踏みしたがる者におまえの顔は? と問い掛けて評価を遠慮してもらうことは方便だが、太鼓台幕はそうならない。他者に見せることを想定しない幕などがあるとしたら、それは太鼓台幕ではないわな。その正体の多くの部分が人に見せてナンボ、他所と競ってナンボの物件であることは事実だ、なんのために曳き廻すのか、自己満足だけではなかろうに。
そしてH1代沢津が見参した今日。とりもなおさずお祝いを申し上げます、おめでとう。
そこでだが、先代とまったくサクセションが見当たらないのは残念、やや困惑気味となってしまった。ここまで先代と似ていない新調太鼓、近頃は珍しい(*2)。天幕こそ同じだが、〆や幕の糸色やら形、スタイルやシルエットは別人か、と疑義さえ浮かぶ。

不満はここまでにして以後は褒める。

斬鉄剣で裁断したかのような房は一見以上の価値がある、内側まで段差をつけて揃えてある。きわめて念入りな仕上げだ。図ったわけではないと思うが、玉龍の髪とぴったり揃っていて美しい。

屋根の軒に着目されたし。一層目にある垂木が二層目にはなく、模様が縫われている。この処理を縫師の遊びや新機軸ととってもいいが、あきれた手抜きととることも可能だろう。その辺は見る側に必須な愛情(*3)のリトマス試験紙なわけだ。

沢津もS1代のモチーフを採ったのか。流行りの昭和回帰(*4)なのかもしれないが、それはまぁ結構。大鷲や竜頭のない獅子太鼓に出来あがった。上から下まで牙が金糸縫いで統一感を与えてくれる、統一感は安心感につながっているので大事だ。
だがしかし。白い牙や剣が特徴的だったS2代はなんだったんだ、ずっっと気に入らないのを我慢して使ってたとでも言うのかね。まさか黒歴史とまで? 願わくは白い牙(*5)でサクセションを感じさせてほしかったな。え、山端の色違いじゃないけどその白い牙や剣が沢津にとっての「玉の瑕」だったっての? 好きじゃなかったんだぁ。そらぁ仕方ないなあ。

高欄幕の獅子頭にチャバネセセリ蝶がとまった。もう少し気を利かせて牡丹の花に居てくれればよかったのだが。うわぁ昆虫が牡丹を本物と間違えて(*6)蜜を吸いにきたとは何てすごい写実力、なんて一発吹かすところだったのにそこは残念。

指折りの人気(*7)太鼓なのにエピゴーネンやフォロワー(*8)が出ないのが何か不思議な沢津である。ここでこうなるとは----モチーフが松神子?と思い込まれたり(*9)する不安はないわけかね、心配くらいはしてみるべきではなかったかな。

サクセス度75%。サクセション度45%。わたしが持つそれとは違うけれども美意識の高い物件であることはよくわかった。

(*1)おそらく及第~不憫のあいだのニュアンスで。
(*2)西原や萩生西が思い浮かぶが。
(*3)あばたをエクボととることが可能になるような。
(*4)みんな同時期で「回帰」しても、そのコンセプト自体が同時期に劣化することはありえるのだが。
(*5)縫ったらサクセション、樹脂でもサクセスなのに。
(*6)あちこちにある眠り猫、あれにはネズミが恐れて居なくなった、てな逸話があるでしょ。
(*7)実力も兼ね備えていることが理想だが、はてさて実力とはいったい何ぞや?
(*8)今回もその路線を突き進むべく「梶内だんじりや」発注に至った、とか。
(*9)S1代への先祖返りだっていうのね、それはわかったよ。でも多くの人がそんなことは知るよしもないこともあるでしょ。沢津は松神子を真似したね、とする人は出るよ少なからず。いちいち否定してまわるのは難儀ですよ。
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特例再発動

2017-10-04 | WEBLOG(分類面倒)
Q:先生、朝夕は寒いくらいですね、じつはお知恵を拝借したいのです。
A:ふむ、伺いましょう。
Q:いつぞやは「市民的合意」をタームに、楽天優勝から起こして久保田×江口を煽っておりました。あの時はみごと空振ってしまい恥をかきましたが、今回も似たような合意が形成されているようなんですが。
A:あぁ久保田ゴーズトゥ西原ですね。久保田はあの時期よりは眼の血走り度が違う感じのようですね。相手が違うからなのか、被害の大小なのか、どちらでしょう。それで、わたしが貸せばいい知恵はその件についてなのですか。
Q:そうではありません。中須賀の件です。困っています。
A:いまさら勝ち目が薄いんだけどどうやって勝つ? みたいな戦術を指南せよとおっしゃいますか。難問なのはあなたのご存じのとおりですよ。かなり低い偶然に賭ける戦術ならばなくはないのですがオーソドックスな戦法では無理難題というものです。
Q:いやあそれはそれですが、
A:つまるところ人の質と量の積、これが結果を生じさせていることがほぼ明らかになりましたからね。好結果を期待するなら人数を要します、それが望めなければ現有人数で質を上げればいいのですね。
Q:いや、ですからそれは量も質も少々嵩上げしたところで敵を凌駕するには至らないことも渋々了解しました。ですのでそれはもういいんです、不問。
A:おやおや、先走りしてしまって失礼しました。では何をお困りで?
Q:また休み喰らうわけですよ。上手くいっても一年、下手したら二年以上を。
A:累犯なんですから当たり前でしょう。免許取り消しは何回目ですか、輝くゴールド免許証の人と何度も取り消し喰らっている人が同じ罪刑では悪平等そのものですけども。
Q:そこです、そこ。わかってはいるんですが、そこをなんとか一年、できればお休みなしの良策はあるまいかとの相談なんですよ。
A:そろそろ他人様の迷惑も考えたらどうですか。他人様というか相手先ですが、あちらには戦う理由はないでしょう。あちらになくてもそちらには理由がある、んでしょうが。
Q:いや先生、そりゃもうやらずに過ごしたいのは山々なんです。でも面子なんでしょうね。そんなことで保持されるナニカは面子じゃないと言われるでしょうが、しかしもしもです。仮にやったとしても次の年に出る方法があればそれは考慮に値すると考えまして。
A:乾坤一擲の逆転勝利とはいいませんがせめて一矢を報いたい、そうでないと腹の虫が……というのもわかりますが、その確率うすく、罰則が厳しくなりそうというのではキツいでしょうね。例年よりさらにリスクが高くなっていますね、それでもですね。方法ですと…………特例でしょうか。
Q:む? 特例ですって。(苦笑まじりに)2014年に適用された奴ですか。
A:それです。あの時は慣れ親しんだ一宮社殿の最期に際して全台揃ってお礼参りする、という主旨でした。そこでのポイントオブビューを「全台揃って」としましょう。それで今年は、今後長いつきあいになる新社殿の落慶奉納です。あなたもご存じのとおり今年は全台が揃えません。
Q:西町東町が来ませんね。今になって出ろといっても無理な時期です。
A:だから次の2018の奉納こそ真の全台揃えた落慶奉納とする、という理屈を立ててみましょうか。そのためには2017、何か仮にがあっても2018には出ると。これを「特例」とするのです。
Q:はぁ前回の特例発動以上に無理筋な感がありますが。
A:なんですか、いい手はないかと尋ねておきながら。まぁこれを発動させるのは事後でよろしいのです。なにかあったときに特例という札を切るんです。
Q:2014に前例があるではないか、とですね。
A:前回は歴史の総括としての特例、今回は未来へのアンカーボルトとしての特例、とでも言ってみましょうか。
Q:ふーん……。ひょっとしたらうまく行くかもと思えてきました。
A:細かいことを言えば、完成度100%というわけじゃないようですしね。ハウスメーカーから納品は終わって鍵を受け取ったかもしれませんが庭や玄関も整った完成じゃないわけですから、新築祝は2018とすべきなのかもしれません。そしてもう少し無茶なのもありますよ。逆学級封鎖作戦です。
Q:逆学級封鎖作戦?
A:はい、流感で休む生徒が増えると勝手に授業を進めてものちのち不都合が生じます。そうならないように授業自体を取りやめますよね、そんな感じです。西原と久保田にもやってもらうんですよ。
Q:やってもらう、って先生……。
A:久保田は見守っているだけでやってしまうかもしれませんが、積極的には制止しないわけです。17日がいいかもしれません。そうすると18日の一宮前に来るのは8台、来たはいいがそのうち恒例の2台が始めてしまうと。これで2018にお休みになるのは都合4になってしまいますね。
Q:はぁなにか話が見えてきました。
A:だめ押しをえいと押しましょう。新須賀と本町をたきつけてやらせてしまえば都合6、引くところの6台では落慶奉納もくそもありません、その6台も新須賀とか庄内はそもそも部外者でね……。はい、もう学級閉鎖レベルとなる過半数が出られなくなる実状となって、こりゃあ困った、えぇい2017の件は一切不問、リセットだ! ボタン押せぇ、としてしまうのです。
Q:2018はフルメンバー参加ということで、あらためての新築祝のために特例が出る、ということなのですね。
A:イェス、アブソリュートリー。以上です。
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前門の虎(10・1)山端に祝いを

2017-10-01 | 新物件を見てきたぞ
布団締め
梶内製のS2代ではなく、高木製のS1代がお手本になったのか……。
気になる点はあったけれども山端の梶内〆は逸品だと思っていた、しかし彼らには違ったんだね。此度の製作方針は「昭和回顧」なのだろうが、お手本をとるべきは先祖返りの高木より、手元の梶内でよかったんじゃないかなあ。S2代製作時の梶内はお手本の雰囲気を残しつつ自分の色を出すことのできる希有な力量があって、S2代の〆はまさしく良質な、高木の香りのするたいした結実だったと思っている。梶内風な高木〆なんてものがこの世になく、高木は良くも悪くも高木風な作品しか世に出せなかったことを考えると、ハイブリッドな梶内作品をこそ現代にサクセションするべきだったと強く思う。骨格が梶内で目鼻は高木、肌が小山という作品が見てみたかった、梶内が亡きものにされているのはもったいない。せっかくのレガシーなのに。ただ小山師の眼は梶内風であるのでその点は梶内らしいともいえる。惜しいと感じるのが羽子板だ、やはり黒がよかったんじゃないかな? 画像は題して『山の端と山端』

上幕および高欄幕
なかなかの好作品じゃないか。古風でもありながら古くさくは感じない、ちょうどいいレトロ感とでも言おうか。乳の紋からも昭和の印象を受ける、どぎつさがないのがいいのだろう。
小山師の陽明門とは驚いた、女人と獅子は退場か……。発注側の要求なのか製作側の提案かはわからない、少々らしくないが慣れの問題か。山端の(これまでの)ウィークポイントは〆および上幕と高欄幕とで色が違っていたことで、それは製作者と糸の違いによるものだった。今回はそれは起こりえないし、後に心配も無用だろう。見る度に「玉に瑕」を感じていたシンパのストレスは一気に激減されるわけだ。それはじつに結構なことだろうね。
小山師独特のコミックヒーローっぽい顔立ちが石橋の顔に嵌まっているのは不思議だが、文楽の人形の表情みたいでよい。顔立ちのよさは山下の石橋以来かもしれない、銀糸も下品にならない範囲の使い方がされていて上手い。ただ、〆龍の牙や剣が金糸縫いなのに、ここで金属牙はどうしたものか、この際はこの際しかないのに。どちらかに統一するべきだっただろう。

ガジェット
重旗はもう少しこってりしている方が好きだ。こちらも昭和回顧なのだろう、気が向いた頃にコスチュームチェンジして丸紋も見せて貰いたいと願う。
房は色を濃くしたかな。山端にしては若干太いとも感じるがよく似合っている。変に派手派手しいケレンを付けてないところは実によろしい。房は糸だけで構成されているのが映える。

画像はまだまったく傷ついていない、バージン状態の端管。これらが16日いや15日にはこつんこつん当てあって傷つけてしまうのはどうなの。つまり「完全無傷な新調太鼓台」は今日しか見られないということなのだが。新調幕、白い素木の担き棒、なのに痛んだ端管というのは……。

まとめ
サクセス度95%。サクセション度80%。
願望を二つ挙げて祝辞としたい。
その1、駅前で中須賀と並べて欲しいな~。その2、駅前で東町と並んで欲しかったな~。
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