岩窟竜王/新居浜祭り

 言って良いことと悪いことがありますの ©鬼塚夏美

これは自慢にならんか……ならんよな。

2008-10-28 | こんなものなら持ってます
説明はしませんが、これは、例の、あれ、ですね。
自慢となるようなものではないのですが、敢えて言えば表紙からそのまま残っている状態がそう言えなくもない、かな。

しかしよく見るまでもなく変なものですよ、発行者の記載どこにもなし、誰某とか何社とかのないまったくの無銘。それと著作権法違反の画像がばしばし使われています。これ撮ったのは彼、と特定できる写真が数葉ありますが、彼にはまったく許可を求めたりとかこういうカタチで売られたのは知らないそう、当たり前か。こういう法令違反も取材して記事化してくれるとプロっぽいね、メディアさん。
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近過去-川西-EX

2008-10-27 | ちょいと昔はこうだった
今回は個別でなく船御幸全般についてです。

台船での運航が当たり前の光景になって幾星霜……、きっとあれを見た古老達は嘆いただろうことは想像できるね。誰か聞く耳を差し出してあげるべきだったんだ。
ぼくはケツの青い少年だったのでこれがモダン、これこそナウ(死語)と賞賛していたクチだった。きっとあの時に祭りはひとつ曲がり角を曲がってしまって気が付いたら後戻りができなくなってしまっていたのだろう。よくあることだけどその時はちっとも気が付かなかったんだ。フェリーはちょっとよくないよ、とも思っていた子供だったのに、残念だけどそこまでにしか及ばなかったんだね。
6台乗ってもびくともしない浮き桟橋に載せて移動する行為は何がすごいんだろうか。楽になったはずの台船なのにクレーンを使ったり('76年くらいだったかな)したのは話が逆と思えたりするよ。桟橋改修があったりして乗船下船は楽になったし海に落ちる人を助ける潜水夫が配備されたり、落ちないように網が張られたり、見物人を乗せないようにしたり……。
それぞれは安全、やら危機回避の点では正しいんだよね。でもこれら小さな改善を重ねていった姿が現在に結実しているのだけど、何か面白くもないものになってしまったなぁ、合成の誤謬っていうやつかも。なんで面白くなくなったのかなぁと考えてしまうんだ。
歌をうたわなくなって随分たつね。別に船の上でかかなくてもいいから歌を歌いたいって思うよ。

で、その頃のまったく記憶だけに基づく船御幸対応表を載せます。
      大江  東町  久保田  新田  江口  西原  中須賀  西町
 1968 だるま だるま  だるま  だるま だるま  だるま だるま だるま
 1970 フェリ  だるま  だるま  だるま だるま  だるま だるま だるま  
 1972 フェリ  フェリ   フェリ  フェリ  だるま  だるま  休み  だるま
 1974 フェリ  フェリ    台   フェリ  だるま   台    同乗    同乗 
 1976  台   同乗   同乗    台   同乗   台    同乗   同乗

1978以降、4:4の乗船(いつだったか?'84か'86かな)となるまでこの状況が続いたのです。

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近過去-川西-5/8

2008-10-26 | ちょいと昔はこうだった
新田だが……わたしにとって最も見ていないとこなのよね。あんまり見てないし憶えてもない。威張ってもしょうがないね。薄い記憶なりに頑張ろう。

とにかく服色がいい加減でした。エンジ(太鼓から降ろして並べてみたら中須賀とまったく見分け付かないかも)だったり、茶色や赤(ちょっと朱色がかっている)上下だったり、今に至る青だったり。傾向さえわからない。'80年代初頭に川西にもハッピ着用を広めん(その意気やよし)と意気軒昂、数年間孤軍奮闘したものの(帯を締めていたのが芋に見えたのかも)徒労に終わり、1985年の新調時近辺に青ジャージとなったと。


全体のイメージもよくわからない。どこでもそうだった黒くて古い幕から〆だけ特大の(大江もびっくり)真っ黄色でゲジゲジ眉の梶内〆にしたかと思えば、次代は高木のすっきり幕になったりで、どういう位置にありたいのか不明なところがあると。(次回はまた方向性の違う合田でやりそうなところでもあると)
そのくせ旗先に赤いタンポを今でも付けてたり(いいと思う)、どんな悪天候や混乱状況であっても、いざ出た限りは一宮神社にはどうしても入るというような頑固さも見えると。

端管。40年前にも真鍮だったとは思えないのですが、いつごろから真鍮にしたのかまったくわからないと。これが思い出すだけでもこのネタが締まるのに残念。

ちょっとシンパシーが持ちにくいとこです。
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マルヨシ前の位置づけはそうなのですか。

2008-10-25 | レビュー2008(子)
マルヨシでの太鼓寄せはよく見ているが、新田がハロウィーン仮装大会を催したり、中筋の人がかなり昔のハッピ(画像の緑色のもの。背にはぴちぴち鯛、40年は下るまいよ)を披露したりして、何か羽目を外してもいい「場」となっているように感じる。彼等が意識してそう位置づけているのならオモシロイ考えではないか。いつもいつも四角張って真面目くさった趣向では芸がないというものだ。軽薄だ、と眉をひそめたりせずにあの時間だから、ぐっと肩の力を抜いて(ちょうど売っているし)ご酒を一杯二杯とやりながら見物するのはよいものである。さぁもう一日頑張るか、との気合いを入れつつ。

十数年前、松木坂井がたった一台でダイキ(当時はディック)でやっていたことを思い出すと----隔世の感とはこのことか。
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今年の船御幸

2008-10-21 | レビュー2008(子)
あれは船御幸じゃないとか、海上パレードだから~とかの意見はありますが、御輿が出るかどうかというのが船御幸の必要条件とは思いませんので、この件についての論評はいたしません。

ですがね、ざっとカウントしたところ大漁旗を挙げていた船は(昔はだるま船を大船、漁船を小船とも言ってた)5から6隻、大目に見ても10を下る数でした。タイコの頭数よりも少ないんです! もうこうなると船御幸にはもちろん見えず、海上パレードでもないでしょう。「まさに戦国絵巻」などと称されていたのは冗談のようです。

画像は80年代の中頃、これなら戦国絵巻と言っても可?

少なくなった漁船に対して責を問うのは酷ですので、太鼓台が乗る船に転嫁してしまいましょうね、浮き桟橋に5台も6台も載せる理由は経費節減および時間短縮でしょうか。いかにも情けない心掛けですな……。4:4:3の都合3台くらいにしてみればもう少しだけ華やかになるかもしれないとも思いますが。
特効薬として。だるま船復活(やるのなら江口だろ)を!なんて言いたいところですが不可能、でしょうね。

西原が乗るべき場所を間違えて東方の船へ入ろうとしてました、おばかさん。そこで発見したのですが、森実の台船には岸との渡しの部分にステップがつけられたのです。とても便利であるように感じました。ずっとあったのかなぁ。
また、いつもは中須賀先頭で陸揚げ後、倉庫の前で二列縦隊となって大江が揚がってくるのをだらだらと待ち続けます。ちょっと遊んだり遊ばなかったり、ですが今年はみなさん揚がるとそのまま三々五々、愛想なしでご帰宅でした。なぜ?
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もうよくわかんないな(GOOD JOB!より続き)

2008-10-20 | 新物件を見てきたぞ
西町ともあろうものがだよ。上幕を新調しておきながらお披露目なしとはどういうことですか。天幕と房の新調でさえもお披露目したあの西町がですよ。

前と後ろ、上幕が変わってるんです。
正面、陽明門からくぐってきた龍が付いたどうにもとってつけた改変。

後ろ面に鎮座していた唐門は退場となったのでしょうか?実働3年とは、気に入らなかったんだね・・・・確かに少々寂しい刺繍だったと思いますけどね。今度はなんて言うんでしょう。これまた古風な立体感に乏しい竜宮城、あるいは横の寸が足りない平等院鳳凰堂のようなものができてしまっています。気に入らないからやり変えよう、は立派な志ですがねえ・・・どのみち反省したのならば従前の「塔と三仏殿」を採用すべきじゃなかったかしらん。鴻上師の得手とは題材や作風が違うので是非にお勧め、とは言い難いんですが。
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20081019

2008-10-19 | レビュー2008(子)
おしゃれ大賞2008は江口にあげます。
上幕と高覧幕は水色の貫きを通して掛けてあるのですがその四隅を手拭いで結束しておりました。小綺麗なよい処理です。

25年位前は細いロープを一本、貫きに沿ってするりと一周通した上でそのロープに南京錠をかけていたことを思い出しました。あの鍵は運営委員会が持っていて幕を外してはいけませんよ、ということだったのではあったのでしょうが実際にその状況となったならば実際は無力だったでしょうねえ。

次点は画像の下泉であります。横棒の端に紋を付けてきました。今までこの場所には墨書きやら焼き印やらで番号や記号をふっていたのは見たことありますが、これは金がかかっています。が、狙いすぎのような気がいたしましての次点とします。
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20081018

2008-10-18 | レビュー2008(子)
朝から阿島-松神子期待していってみましたよ。
こういっちゃなんだけど、どちらも封鎖解かれず、を前提としての動きでそれはそれで非難するには当たりません。
ただ松神子は〆まではずしながらあの程度の動きではもの足りないでしょ。違わないかい?
鎧には余裕のようなものが感じられてなかなかの高得点でした。ですが阿島の実用には最適と見られる無骨な姿の方がよし、と感じられてしまうというのは難しいものですね。


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20081017

2008-10-17 | レビュー2008(子)
しばらくぶりに町を見て思いました、ずいぶん色ぬけてきたなぁーー
あんな色になるからソフト金はだめだとか言われますが案外好きですね、あの感じは。これまでは古い幕とは光を失って黒くなるばかりでしたが、黒いのではない(新調前の大江であるとかに典型の)実に独特な色具合になってきておりましてなかなか好いです。
採用され始めたソフト金の最初期物だからこそ出るあの風合いは、祭りの歴史上でわれわれが始めて見る輝き(?)であるのです。目の当たりに出来るのは貴重な経験であると言えましょう。
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20081016

2008-10-16 | レビュー2008(子)
県外資本の大手と仕事熱心な人を除いて殆どのお店は休みになります。
誰か(あるいは誰々)さんの期待通り観光客が大挙押し寄せたとしましょう、ですが落として行くお金を拾おうにもその手が出ない、ということになりますね。もっとテキヤを繁盛させたい、なんていうわけではまさかありますまいに。人が来ても地元の人は商売っ気なし、開いてる大きなお店をご利用してよというのでは観光推進の意義はずいぶんと小さいんじゃないですか?
さてこれらのお店ですが、今まで通りの16~18は休みます、というところと今年の新傾向17~19は休みます、と2タイプを眼にしましてなかなか面白いものでした。線路や川を越えると後者が出て来るんですよね当たり前のようですが。来年はまた16~18で揃ってくるでしょう。
中には(ご家族には困った人なのでしょう)14~19を休む、との貼り紙も見ました。西条か土居まで行くつもりなのか、ちょっとやりすぎでしょかね。
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鳥居を除けるよりは

2008-10-15 | 真面目な提言をいたします
現在にあっても問題視する声が上がり続ける一宮の杜ミュージアム。
開催の前準備として南参道にあった石製の鳥居が2008年に撤去された。
後年何倍も大きな銅板貼の鳥居が寄進されて一応の事なきを得ているが……。

一の(って言うんですってね)鳥居が撤去されてやいのやいのあるようだ。
行為の是非については他人様の持ちものなのでどうでもよいのだが、あの近くの塾に通っていた頃始まるまでの空き時間、のっけようとして石を放り投げて遊んでいたことを思い出したがこれまたどうでもいい。
さてさて撤去されたのは太鼓の運行に支障がありそうだから、という理由なのだが、それならば!と思わずにいられないことがある。

楼門を撤去してしまい、一回り大きく再建して貰いたい。楼門のサイズが川西の太鼓のサイズの上限を規定してしまっているのは言うまでもない。もう少し大きい太鼓台がいい、とお思いにならないか諸兄? 流石に川の西のカワヅだった頃のわれわれならともかく川東や上部の大きさ(そして悔しいがそれは是であり良だ)を知ってしまっては小さな太鼓は色々能書きを書こうとも少々残念なことではある。かき棒の縦を伸ばしたのはその心根のなせる技であろう。そうしてもう一丁、横棒を伸ばして四本柱を伸ばしてみようではないか。バランスが崩れる? かもしれないが、そのデメリットを補うメリットはわれわれの中に必ずや生じると信じるのだが。担きやすいだろうし。
そのために楼門をリニューアルして貰えたらと希望する。あの鳥居やら桟敷騒ぎに乗じてどう?
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近過去-川西-6/8

2008-10-14 | ちょいと昔はこうだった
くぼた、の番です。
ここは近年、がっちり堅くてぶれがない印象を持たせていますが、その昔はどうもだるだるでね、試行錯誤で迷っていたといえば悪口だし、融通無碍といえば誉めすぎのような感がします。
服色なのですが青、オレンジ、レモン色などと節操がなく、肩口が赤い白の上半身に下半身はストライプなどというものまでありました。ピンク色をどうも使えないので(いい若い衆がちょっと恥ずかしい、との真っ当な感覚だろうが実際にやってみると杞憂するほど変でないのは昔の中筋の写真を見ると了解可能)との事情は想像できますけれど。
天幕もよく知られている旭から大江タイプの三色市松になって。また気付いたら松神子タイプの三色市松へと変遷しました。旭天幕を懐かしみ復活を望む声を少なからず聞きますが、わたしは大江タイプのそれがよく似合っていたことを広言しておきます。
幕の配置も固定してなくて、その日の気分でやってるのか? と思わせるものでした。竜頭を重ねていたりしたのは、なかなかアヴァンギャルドでインパクトが強かったです。

江口戦で一年お休みしてからはやっと服を赤色で定めて固定したし、H1代幕になってからはあちこち引っ越させることもなくなり遊びはなくなったようですが、性格は簡単には変わらないのでしょう、旗をいじるのも好きです。紋を付けたり金文字にしたりひらがなをなくしたりまた戻したりしています。
一度だけ、1972年にフェリーに乗りましたが、これがかなりのミスチョイスでした。車両甲板の横壁が高すぎたのです、なんとか天幕とくくりんが見えるかなあ~というフェリーを借りてきてしまいました、痛恨の歴史でありましょう。手配が遅れたせいで、見映えのよい船が残ってなかった、みたいな噂までありました。
これを猛省したのか、次回1974では台船を1台で独占してツインルームのシングルユースのような、悠々とした船御幸を洒落こんでいました。台船使用に先鞭を付けたのは西原中須賀西町の3Nと思い込まれているようですが、それが名誉であるとすれば久保田もまたそうなのです。


わたしの祖父母の家はここにあったのです。幼稚園年長の時にN町へ引っ越さなかったならば、長じて久保田に付いていたことでしょう。そうして中須賀や西町に来られてあたふたしたり、江口に攻め寄せていい気になっていたのかもしれません。
なにしろ、当時わたしは金栄小学校へ入るものと確信していたのです、そして南中へ通うことになったはずでしょう。あったかもしれないもう一つの人生かぁ……。いろいろ思うところありますね。
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ケンカ==>お休みの罰則がよくないんではないかな。

2008-10-06 | 真面目な提言をいたします
今年、西町が出るのがおかしいとか大江が出ないのは立派だという評価を見聞しますが、おかしいよなぁと思いつつ、よい加減と考えてもいます。

やってしまうと無判断で1年(+α)のお休みというのはコトの軽重が無視されていますし状況についての斟酌や事情の酌量がありませんよ。昨年の白浜。明らかにいやいや応戦した姿勢でしたでしょ。一発突かれるまで幕を外さないんですよ、これは「うちからは仕掛けてないぞ、来たからやるだけだぞ」の意思表示です。このガマン(みえみえの猿芝居とも言えますがそれでも!)を認めないようでは祭りの最大意義の粋ってもんが欠落しています。西町にしてもそう。重複になるので言いませんが、白浜と同趣旨のことはしたでしょう。この猿芝居おっとやせ我慢は次の年も出たいとの願いがさせた所為であるのは間違いないところです。
勝手だな、やったらだめなんだよ、などと仰られますな。仕掛けた側や持っていった側と売られた側や仕方なかった側が等しく1年休みというのがよくない量刑じゃないのでしょうか?交通事故で7-3だの6-4だのありますでしょ。ガツンと当たって警察呼んでみれば「あぁ当たったらどちらも取り消しね、これ決まり」なんてなればフザケルナヨ、と思うでしょ、貴兄。これが太鼓のケンカの量刑にあてはめられないものかと思いませんか。
案があります。”運行禁止何日間”という量刑を科すんですよ。昨年で言えば
宇高2日(18のみ可)、白浜1日半(16、17のみ可)。
大江5日、西町3日。
沢津4日、本郷3日なんていうのも悪くはないんじゃない?
以上フォアイグザンプルね。


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