岩窟竜王/新居浜祭り

 ほんとうにそうかな? ©澁谷かのん

耳を疑う

2005-11-21 | 真面目な提言をいたします
幕、法被ジャージなどの衣装、旗の意匠などの眼で見える部分については自負がある、能書きもさんざんたれることができる、最近やや衰えたがこれらの記憶にも。
その反面(威張れないが)耳はからっきし……の部類だ。遠くから聞こえる太鼓の音で「おお、西町が来よる」だのは適当に相槌を打つことはあるがほとんど区別が付かない、ぴょんこ隊レベルかもと思うくらいだ。だから人が言う、太鼓正がいいの堀田はナニだが浅野はアレだと言うのを聞くとふーん、へえ、ほぉ~、の感覚である。大したもんだと素直に思う。偉いもんだ。
これを見透かされてか、適当に嘘を言われてるんじゃないかという気がすることが一つあって前から気になっている。○○は太鼓に鈴を入れている、という情報のことだ。
これ、一人じゃなく、複数の人から聞いたことがあるのだが、今に至るも信じがたい。太鼓に鈴?なんの意味がある?その場でも反問したさ、「音がええなるんよ」という答えだったが。しかし鈴だ、どういう効果がある? どうやって入れてるんだ? 皮張り替えると何年も使うだろうがその間鈴がずっと劣化せずに太鼓の中でその音を響かせているのか? 納得いかなぁーい。
で、ある日だ。はたと気づいた。錫を太鼓の胴の内側に塗っているのじゃあないのか?!

<2009年1月 追記>
とは言ったが某タイコでしゃんしゃんと鈴が鳴っているような音を聞いた。本当なのかも知れないなぁ。
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縁<えにし>

2005-11-19 | WEBLOG(分類面倒)
太鼓との縁というのは基本的に地縁である。
概ね、その地区で生まれ、育ち、長じてもなお住んでいて自治会費を払っているというのが必要十分であろう、何かの寄付が大口ともなれば大いばりだ。しかし現在これら条件を完全にクリアしている人は多数ではあるまい。親が住んでいる、昔住んでいた、隣の部落だった、友達がそこのやつで、校区が同じだった、母の実家があり、等の縁でその太鼓に付いている、という人もまた少なくないであろう。

かく言うわたしでも「昔7年間住んでいた」「校区が同じ」程度の縁である太鼓に付いているわけで ”よくもその程度で偉そうに言うもんだ、三代住まないと江戸っ子じゃねえんでい” てな批判は享受する(同意はしないが)。
これら要件の中で「その地区で生まれおちた」というのはまぁまぁ大きな縁ではないかと思うのである。わたしの最初の男の子が昨日無事産まれたんだ、労災病院で。
彼が”沢津に付くぞ”と言える根拠になっている、かな。

などと考えていたらわたしは久保田の産院で産まれているらしい。あらら。
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その3:西町の台車

2005-11-17 | 七不思議

七、まで行けるかどうか疑問じゃが、その三じゃ。
西町の台車についてよ。一昨年だったの、見た新調台車には「男一匹太鼓馬鹿【個人名】」てな内容の飾り文字がリアに貼り付けてあって、これにも半ば呆れながら驚かされたもんじゃが、25年くらい前まで使っていた台車は摩訶不思議なもんじゃった。
台車に太鼓を載せるとしたら中央に載せるじゃろ、重心にの。ところがこの台車は、7:3ぐらいの位置に載せておったのじゃ。後輪車軸のすぐ上に台場が乗っかっている印象があったぞ、実際はそこまで後ろ寄りではないのじゃが。このスタイル、わしの目には当時憧れのスポーツカーフェアレディZのように見えてかっこよかった。
かっこは良かったがの。まだ中学生の頃、これを見ていて後ろ向きにひっくりかえりゃあしまいか? とすごく心配しておったもんでもあるんじゃ。
どういう意図があったんかのぉ。自動車は運動性能的にミッドシップがよいとは聞くが、台車もまた然りと思いはするの。
次代の台車はごく当たり前のセンターマウントにしたところを見ると、意図していた効果は得られなかったのじゃろうがな。
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ジャージ夜話Ⅴ-功労者は西方

2005-11-11 | ジャージ夜話Ⅰ~Ⅵ
今着られているジャージが格好イイからといって好きだとか憧れていたとか言う人はシンプルというか、過去を知らなくていいなぁ、と嘆息する。
そうだな、70年代中期から80年代初期のジャージはもう酷いの酷くないのって、ねぇ。今でも体操服と揶揄されている(それとも違うと思う)けれど、当時は体操服以下。中学生の息子が着なくなったそれを着ているおっさんジャージではなかったかね。今ではよっぽどのジイさんしか着てないような。あれ、どうだった? まさかあれを見たうえでジャージは格好イイ、なぞとは言うまいな。
上下同色の薄手の綿生地だぞ、襟は折り返しだし。当時のジャージはあんなものだというのを差し引いてもちょっとハズカシイ。おまけにこの人達ったら帽子を……。


それらアッチョンブリケなジャージが未だにジャージというカテゴリーでなら連綿と続いているといえるのはなぜか? それは西方の功労によるものなのですよ、お立ち会い。
当時ジャージは上下そろいだったのさ。大江は黄色上下、江口は水色上下ね、新田の茶色上下というのもあったような。もう少し昔の60年代に戻れば分かるように下は今のように白だったさ。サイケデリックな時代ってこともあったのだろうかな。ただ、西方は違った、現在に近く下は白だったわけ。結束していたのか銘々の拘りだったのかはたまた持ち色が濃いので揃えると変と感じたのか、理由はわからんけれど。
もしこの時期に西方が上が持ち色下が白という新居浜祭り特有のジャージスタイルを捨て、上下を揃えたりしていたら今、どうなっていたか。想像すると面白いね。
ジャージ推進派はリスぺクトしておいた方がいいんじゃないかな。

誉めをもう一件。黄色やら緑やらが蛍光化した時期もじっと抑えていた。やりようもなかったろうが偉いぞ。

追記:下が白というモードについて、
野球ユニフォームという仮説がある。後日考察する。

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先々々々代の……

2005-11-09 | 真面目な提言をいたします
ちょっと真面目に提言をしてみる。

例として久保田を挙げる。先代の太鼓は野村町にあり、先々代は大野原の田野々にある。辿れるのはそこまでで、先々々代は不明、のようにいわれてる。一部は確認可能で、一部は伝聞、一部は状況を現している。別に事実を争いたいわけではなく、このような語り方はごく自然に人口に膾炙している。先代であるA、先々代であるB、先々々代であるC。こう語り語られれながら、我々はAなりCなりのビジュアルを想起することができる。たいしたものだが、少なからぬ不便が起きてはいまいか。
この「先代」とのカウント方法について問題提起しているのである。当然あることだが、また近未来に久保田が新調した場合には現代は先代に、先代は先々代に(以下同様)と呼称が繰り上がっていくことになる。今年去年来年と、場での会話のように一過性の呼称なら不便はないが、資料編纂や記録として残す場合だと著しく整合性が損なわれることは間違いない、混乱や誤解も生じるだろう。

わたしがいうまでもなく、この状況の不便は認識されていると思われるが、何しろ原初が明らかでなく、各太鼓においても記録が定かでない現状では「他にいいやり方がない」となれば、しぶしぶ消極的ながら使っている、というところだろう。文政2年以来、第7代目となる○○太鼓は----とできればよいが、そう言い切るだけの根拠も記録もない状況で、言い張ったところで誇称の誹りを受けるとなれば、消極的にせよ最善の策となっているのは仕方ない。

そこで。少なくともカウントの不便を解消するために、仮の始期を設定してしまってはどうか。強引かつ乱暴であり、軽視どころか歴史無視との非難はあろうが、記録ないし古老の記憶が定かな、ある一定の年を区切りとしてみるのである。キリストが生まれたとされる年を境にBCよりADの歴がカウントされるようにだ。
一つの例だが、昭和元年であるとか、統一行動が始まった年とか、万博の年であるとか、の年に現役だった太鼓を適当に、第5代とでもして、以後新調していくと第6代第7代となり、それ以前の太鼓を第4代、第3代としておくのはどうだろう。
あるいは久保田の現行の太鼓をH2代、先代をH1代。先々代をS2代、先々々代をS1代、としてみるのもよいかもしれない。おわかりのようにこれは元号に数字をつけたもの、である。以後新調があったときH3代になるかどうかは現人神のみ知るというところともなり、何やら厳めしくなくて好みにはそぐわないかとも思われる。だが、先代やら先々代やら、用語が指すものが時期によって違ってくる、といった混乱が避けられるメリットは明らかだろう。
わたしはこのHn代カウント法に利便性と汎用性において優位にあると考え、提唱するものである。

真面目な研究に充分であるとは言えないが、必要な概念であることは間違いない。このカウントは仮のものなのでやがて研究調査が行き渡り、初代、第○代と確定していく一助となればその役目を終えればよい。
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ヴァラエティ・オブ・端管

2005-11-07 | レビュー2005(酉)
今年は端管がいろいろあって見どころたっぷりだった。

大江のダブル
西町の肥大
江口の蓋
中須賀の筋入り

例外なく前だけだったりするのが、大変に興味深い。昨年度の西町のセロハンテープってのも面白かった。人間の知恵はこんなところにも使われています。
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犯人探し

2005-11-05 | 真面目な提言をいたします
犯人はヤクザ、お前だ。
これで解決されたような気になり、問題棚上げとなっているのが新居浜祭りの恥ずべき点のひとつであります。

ヤクザ(あぁ書きたくないな、以下Yとする)を呼んでやらせた。
Y太鼓は相手にできない。
Yがだれそれを殴ったので。
Yが絵を書いた。
Yに金を渡して。
お前等が先にYを使ったから。
松山のYが。
etc

一部に事実はあるんだろうよ、よく聞くし、それら風体の人が多いのは神社の祭りとして当然だろうし。だからってね、これで解決するか?酒場での話ならよろしいが、現実はなんにも是正されてないんもんな。
この紋切り型よくないんだよ。今のこの状況が悪いのは○○のせいだ!っていう図式的に簡単でストレートな叫びは碌でもない方向になるから。○○に入るのはYだったら誰も何もできないからともかく、入るのが「移民」であったり「ユダヤ」「北朝鮮」「黒人」となって多→少への排斥運動となり、人権は抑圧蹂躙されて来たのがこれまでの歴史であり、残念ながら未来でもあるだろう。
話を戻すが、複雑な事象がYの介錯のみで説明できるわけはなく、われわれ善男(笑)は何分の一かのYに踊らされたり引っかき回されたりするほどのスカポンタンだろうか?同志よ、違うよな。過大評価はYを喜ばせ、つけあがらせるだけだよ。YはYなりに人間の屑として扱うことだ。想像して見よ、あるYが松山の酒場で「あの新居浜の祭りはわしがめちゃくちゃにしてやったんよ、あぁおもろかった」などと自慢されてはこれほどの侮辱もなかろう。まずできること、Yなしに(無視して)話をしてみないか。
それとヨソのY、って区別も止めないか。地回りYなら言うこと喜んで聞くってことなのかい?わたしにはヨソだろうと地だろうとYはY。区別なく退場希望します。
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家一軒

2005-11-04 | WEBLOG(分類面倒)
はっきり言うとみっともないとの奥床しさか、それともきっちり金額を出すと精査されてまずいのか(前者だと思いたい)、太鼓新調の際にかかった金額を「まぁだいたい家一軒ぐらいの金はかかりますなぁ」と説明して済ます場合があります。対市外メディアからの、これに一体幾らかけたんだよもの好きだな、との問いに答えるかたちで。
実に上手い表現です。家一軒それ自体の金額が建坪やら材料やら職人やらでやたら変動しますし、注文住宅なのかハウスメーカーのものなのか、プレハブやら、ひょっとせずとも中古住宅、ということもあったりでよく考えると、家一軒との答えはとにかくナカナカな金額だよ、レクサスよりは高いね、としか言ってないことになります。卑近な例でわたしの住んでいる家は1千万ちょいでできた25坪の家ですが、この金額では新調は叶わないでしょう。
例えば、マイケルジャクソンさんの家を新調する金額だとすると・・・市内太鼓台が全部新調できてしまいますか。
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KAKIKURABE

2005-11-02 | 真面目な提言をいたします
誰が言い出したのか「かきくらべ」とは名付け人、お主やるなあって感じの語である。
日程を見ると何時よりどこどこかきくらべと平仮名で書いてありますね。近年ではかきくらべをコンテストするという重複じゃないのかそれ、そもそも語感が酷すぎないか、とのつっこみが入りそうな行事名があったりします。こうしてしまってはお恥ずかしい言語感覚です。かきくらべ、との見事な単語を発案ないし発掘採用した先人の爪の垢を茶こしにつけて差し上げたいと思います。

さてかきくらべ。特に川西では実体はほぼなくなったようです。除車して移動することをかきくらべと言うんでしょうか。2台3台と並んであるいは入り乱れて差したりうねったり、盛り上がれば指揮者交換なぞおりまぜながらやるもんだと思ってはいたが、現状はホントに嘆かわしい限り。西原中須賀西町の3Mに至っては工場前大江浜で見せ場さえ与えられてないかの様でして。

金龍賞や銀龍賞はいつから止めてしまったんだろうかしら。運営委員会から協議会への頃? うーん、それよりは前だったような。あの5角形ペナント、'74年に江口が掛けていたのを覚えているが、それ以降は見てないように記憶する。
ねぇ、しんどいのはわかるけどちょっと頑張ってみませんか。それも隣同士は仲良くかきくらべしましょうよ。もっと近寄って近寄って。棒があたったくらいですぐ怒ったりしないようにしてね。

多喜浜駅前でのかきコン(全部書くの恥ずかしいや)でトロフィーとかもらって嬉しいか? ワールド大リーグ戦で力道山やG馬場が抱えていた大トロフィーなら嬉しかろうけど、あんな中学生の部活でもらえるようなモノを授与されてもちょっとうれしくないんじゃないの。
ここはひとつ、奮発して「金縄」でも作って授与したらどうだ。20年は使えると思うし、上幕か高欄のところに掛けられるようにしたら名誉っぽいし。次の年はそれを付けて入場し返還する儀式も面白かろう。

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ジャージ夜話Ⅵ-しつこいかな

2005-11-01 | ジャージ夜話Ⅰ~Ⅵ
よさこいに新居浜太鼓連として参加するとします。
よさこいは衣装で目立ってなんぼというところがありますから懲ってみましょう。
で、新居浜祭りらしく、ということでさ、ジャージにニッカ穿いて地下足袋で踊るかぁ?
ぴょんこ隊にも来てもらおう。添え物としてね。
できまいに。観光客の嘲笑が見えるようだよ。ほぉら、格好悪いの知ってるんだ。そりゃそうだろな。
他所いきゃ格好悪いこたぁできないが、内ではし放題は恥の上塗りというものじゃないかなぁ。
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