岩窟竜王/新居浜祭り

 ほんとうにそうかな? ©澁谷かのん

旅の思ひ出(越中編)

2016-01-18 | 諸国漫遊;郵便局のある処へ
なんでこんな降る時期にやるんだろう、とやや不可思議に思いつつも、新幹線到達で湧く北陸は富山県、小矢部市の「津沢夜高あんどん」祭りであります。
やっと田植えが終わったべさお疲れ様ぁ~な祭りなので、時期が入梅のころになるのは仕方ないのかもしれませんが、わたくしが訪れた日も雨がしとしと降っておりました。

石川県との県境あたり、JR(今は第三セクター鉄道)石動駅の近くで6月第1週の金土に行なわれております。

はい、それでは能登のキリコをイメージしてもらいましょう、その担き棒を無闇にかつ無骨にでかくして横棒を何本も渡します。担ぎ棒は二本なので琴平みたいな感じですね。先端部の横棒は三本を組み合わせて横から見ると正三角形になっています、そのうえに荒縄をぐるぐるに縛りつけているので洗練とは思えませんが風味があります。何かというとゴムを付けたり金属でがちがち構造にしてしまう耐震補強屋みたいなわれわれには真摯に見倣うべき参考物件と思えます。

この変形キリコの唐木に、ねぶたの行燈を集合させて一体にしたものをかぶせているとでもいえば少しだけ伝わりましょうか。素朴な長崎ランタンを載せているといってもいいかもしれません。当日は雨でしたのでビニールをかぶった姿なのが残念でしたが、背丈はわれわれのものより高いと感じるものですし、闇の中にうかぶ巨大な行燈はやはり美しいものです。かけ声はどこかで聞いたことがあるような気がする「ヨイヤサ~」でした。こんな灯りものですから昼は充電でもしているのかひっそり雌伏していて、夜が更けてから動き出しメインストリートに集まってきます。

この横棒を対向の相手にぶつけるのですが、ちょうど高欄の部分に壊れてもかまわない交換容易な行燈が載せられています。予備も何個か用意している模様で、讃岐ちょうさの掛け布団のように置きます。なにせこれは紙張りの提灯ですから、ほぼ一撃でもったいなくも木っ端微塵になりますが、これを破壊して(or させて)「ぶつかりあい」「こわしあい」と称しているようです。
ホイッスルを合図に助走し、衝突してから押し合います。横棒が上になった方が、先端をその自重とともに相手に振り下ろして衝撃を与えるという攻撃スタイルのようでした。得意技でいうなら新居浜でのケンカはストレートパンチあるいは突っ張りであるように、こちらはおおきく上段から振りかぶって放つトマホークチョップであるといえましょう。

であるならば、初手に棒端が上に位置すればとても有利になるのは道理ではあります。下になってしまえばほぼ防戦しかないようでした。かといって有利/不利だったり優勢/劣勢だったからといってとくに悲喜があるようには見えなかったので、勝敗などはなく儀礼的なものなのかもしれません。だいたい二回程度ぶつかり押し合って、つぎにホイッスルがなる音を聞いたら対戦は終了となります。そしてつぎの組み合わせに場所を譲るべく下がって選手交代という流れでした。組み合わせと時間が定められて進行しているのですね。

観客もたいしていないので、なにか物足りない気がしますが(高欄掛け的な)行燈を破壊させてよしとして納め、妙な具合に火の手が拡がるのを防いでいるのかもなと思うわたしは、やはり特殊な場所で特殊な育ち方による特殊な視座を持ってしまっているのでしょう。なにかの後にクソバカ~と唸ったり、保険代理店によらないせいで揉める素人補償問題が未解決になったり、何年何ヶ月たとうが絶対やりかえしたるんじゃ~などと昏い炎を燃やしたりする祭りはオカシイっちゃそうですよね。

新居浜よりでかい台場は見たことないぞ----なんて嘘は申しませんが、ここまで大きな台場はあまりありません。なかに発電機が据っているのは物足りなく見えますが、そんなことを感じたのは見物人のなかでわたくしだけだったでしょう。

興味深いのは前後のバランスをわざと崩している点です。台場につけているコロの位置はずいぶん後ろ寄りだし、棒もいわゆる七三の組み方です。棒を上げて前方向に走ることに特化していると見ました。当然ながらジャージを着た人はいません。そして実働しているのは若衆だけといえます、卒業が早い土地柄なのかな。わたしみたいな中高年がもしやっていたら「年寄りの冷や水」でしょう。今回素直に思ったのですが、現役を長くやってもそんなに恥ずかしくない地域に生まれてよかった。
                      <旅した日:2015年6月5日>

以上のようなお祭りを見学してきたわけですが、そのロードサイドでこのような箇所と邂逅しましたのでご紹介します。正しい名称は浅野太鼓工房とかではなく、(株)浅野太鼓楽器店なんですって。

見えた敷地だけでも2000坪をかるく超えるだろう広さを持つかなりの大店でした。画像の大木は外国産なので安物になると謙遜しておられました。
コメント (2)
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H1代の新調について妄想 Returns

2016-01-05 | 〆と幕とをピックアップしよか!
年次的にありそうなのは。そろそろやらないとやばかろうのは。

金子新田
S2代〆とS1代幕を東梶に譲渡して(というか新調して)30年が過ぎました。やる頃が来ているでしょう。その東梶はすでに新調していて、もし並べたら見劣りしてしまうのは否めない状況にあります。分家が本家より立派になっているのは悪いことでもないですが、過渡期の出来事としておきたいところではありましょう。
川西での新田の相対的プレゼンスは史上でも例をみないくらいに上がっていると思われる今、機運も高まっていることでしょう。ここでやらないと何時やりますか!でしょうね。確証ないけど金鱗でやると思うな。

岸ノ下
さすがに色の抜けが目立ってくきました、ひどく似合いません。おかしな印象で申し訳ないのですが、担ぎ太鼓で幕が色抜けしているのは喧嘩太鼓のそれよりみっともない感じを受けてしまいますね、なぜか。ともあれ近々実現すると思われます。きっと一回り大きくするんでしょう。

北内
いつかはやるでしょうが、その際に金鱗製とするかどうかはじつに大きな問題です。角野四台がオール金鱗製となると、どこか美しい一体感が醸成される気もするし、それでまた北内くらいは勘弁してくれ----とも感じるしで。
ともかくまだまだイケそうです、15年は大丈夫でしょう。さすが当時(自称? 縫師曰く?)日本一の幕ですね。

久保田
まだ20年ちょいとしかたってないのですが、いい値段だったので新調するには惜しく何か手を入れるのはありそうです。いわゆる締め直しとかかもしれず、そこは藤野師に頼むのが筋でしょうが不可能ですしねえ。

阿島
それどころじゃないのかもしれませんね。ただ、ここは色の保ちがいい。

松神子
こっちはどこ吹く風でやれそうです。製作は金鱗くさいと思いますが下松又がオール金燐では、なにか間違っているように思えます。


ペアで古びていく沢津というお仲間がいたせいで、これまでは変な意味で心強い面が少しあったことでしょう。しかしその沢津はご存じのとおり近年にH1代を登場させます。こういうとなんですが孤立の古幕太鼓となってしまうのです。流石にこのままじゃまずいよと腹を括る時が来たようで、あまり資金的に豊かではないとの噂もありますがここでやらないと厳しいです、後回しにすればするほど実現性は遠のいていくのではありませんか。
図らずも昭和製の最後の大物となりました、言わずもがなのヴァリアブルな昭和物件でもあります。ならば、開き直ってとことん行くのも有りっちゃあ有りですがね。
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