岩窟竜王/新居浜祭り

 ほんとうにそうかな? ©澁谷かのん

96;転調

2013-05-18 | 19XX : 回顧シリーズ
'92-'93-'94と続いた混乱は、'95に8台を全休にしてしまう荒療治でリセットとなった、平和運行をとおした太鼓にはあまりにも非情な処置であった。全休について喪に服したとか追悼の意味合いはあったのだろうが、これを建前と感じたのは私だけであろうからよいけれど。

そして全休明けリセットをスルーしてきた'96年は来る2013年の参考になったりするだろうし、比較対象としてとりあげる意義のある年だろう。

紛争当事者の中須賀と大江が復帰してきた、反省(手打ちも?)はした(*1)ようではあるものの当局および運営側は厳戒を解除するわけにはいかない。西町と東町には尋常でない遺恨が残っていたからである、とりわけ西町の側に。
朝っぱらから持ってこられて痛い目に遭わされ逆襲を目論み進撃すれば相手はすでに解体して撤収、やるかたなくなって自治会館へ突入したところ大顰蹙だったのが'93年のことである。'94年は双方お休み、汚名返上名誉挽回を期した'95年はまさかまさかの全休。そして'96年を迎えていた、三年越しの遺恨なのである。
ただ東町は休んでいる間にすっかりクールダウンしたらしく、応戦の気はまったく些少でじつに乗り気薄、と伝わってはいた。
「今年の見所は西町、いつどこで?」と衆目は一致していたが、工場前大江浜および船御幸では東4台と西4台を分離して(*3)のかきくらべで西方は東と、東方は西方と一宮で初顔となる運行の差配だったので必然的に見所は「18日午後しかない!」と推奨されたのもむべなるかな、である。
この年、一宮には東先(*4)で大江東町久保田が入っていく。西方に目を転じると期待通りにというか案の定というべきか、西町が運行コースを逸脱の気配で風情もどこか奇妙、と見たら古い房(*5)をつけているではないか。これを見て何もなかろうと思う者も少ない。衆人が西町を注目するなか、新田江口のあとは西町が続く順ではあったが、中須賀西原が先に境内へと入った。
西町が番を違えたことで予期しない火の粉が舞い上がり、久保田へとふりかかった。久保田が本殿を廻って拝殿西にきたところで、ちょうど拝殿前にいた西原とニアミスになってしまう。西原から結構な攻勢(*6)をかけられて弱り目となった。一暴れして満足した西原が本殿へ廻るために引き、いったんは落ち着きを取り戻した久保田だったが祟り目が続く。定位置に据えてからは江口に寄せてこられてまたも防戦に努めることになった。
通年このような久保田危うしの場面では大江や東町の加勢や助太刀があるものだが、それがならぬのがこの年の特殊。大江は棒を下げたままで不動(*7)、東町も西町警戒のヘルプなしで孤軍奮闘を余儀なくされていたのだった。何でウチだけこんな目にあわにゃあならんのか……。このとき久保田に怨念の炎が灯ったことだろう。
そうこうしているうちに西町が境内へと入って来た。こちらはもちろん東町狙いで、本殿を廻ると半裸(*8)で行く気は満々。しきりに前に行きたがるが、しかしどうにも動きが悪い、それどころかほとんど動けずで、格好つけだけでやらないフガワルイ状態だ。今と比べてソリが滑らず人の乗りすぎもあったようだ。仕方なく西町は境内を出てからの進撃を企図してみたが、時はすでに夕刻となっているし、東町は受ける気配まったくなしで、西町の望んだ逆襲は迫る闇にはばまれてしまった。その迷走はまだ終わりを見せる様子がない……。

となって翌'97年の江口vs久保田、西町vs東町へ繫がるのである。ちなみにこの'96年、新須賀が(翌年の本格デビューへの試し挽きとして?)16日だけ地区内で運行していたらしいが見ていない。未確認運行物体UMO:Unidentified Moving Objectなのであった。


(*1)亡くなった人は誰某の姻戚筋にあたる人らしくて誰某が交渉に同席して賠償提案をうんぬん……あぁこんな噂は書けないわ。
(*2)この時期こんなことを何度かやったせいで江口&新田という金子コンビが完全に分断されてしまったのではないだろうか。昔日は大江&東町よりも仲よさそうだったのに、台船に2台で悠々と乗っていたよなあ。
(*3)東4台が完全に退出してから西4台が入場開始というもの、ミュージ始める前の17日の一宮入りをイメージしてもらえばいいかな。互いの距離もずいぶんあった。
(*4)まただよ。
(*5)'92年に新調しているから4年ほど文字通りお蔵入りしていたものだ。
(*6)境内で下半身を脱ぐという'85年以来のパフォーマンスまで見せてくれた。
(*7)中須賀も棒を地面にまで付けて、文字通りに棒を下げて微動だにせず。「黙祷」の意味で示し合わせたのだろね。
(*8)全裸からくくりん、〆と提灯だけの状態。こうなると古い房はなんだったのか?とツッコミたくなるね。
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退役後の再就職にはネクタイを替えて行こや

2013-05-12 | 白虎組よ!!(贔屓のひきたおし)
西原は'12年10月18日を以て30有余年(あらぁ?たいしたことないわね♥)纏った梶内幕を退役させた。来る'13年からは高橋幕でその歴史を紡いでいくことになって、梶内幕を含むほぼ一式が香川県高瀬町で眉山太鼓台として再就職となることが周知となった。
これを動画等で拝聴してのことだが、ほとんど違和感なしというか、もう少しいじればいいのにと思う次第。中須賀(転じて松の木)がそうであるようになんか旗が変わってるだけ? 的な印象を与えている。まず色があまり違わないので(パープル→ネイビー?)遠目には天幕と旗だけ違うかな(*1)と思わせられた。

なんとなれば着替えをしていない。ここで云う着替えとは正面の上幕㊤高覧幕㊦での組み合わせだが、㊤竜頭に㊦重層御殿としてある。㊦はどれを配しても変わりないので論評不能だが、㊤をいじってみればよかろうに。もうあまり知られないが、'80年代の西原上幕は鷲が正面で竜頭は後ろだった。これは'90年代半ばまでそうしていて、何らかの理由(*2)で前後を入れ替え定着させた。(なぜか竜尾が竜頭から離れる奇妙までもが定着した……)眉山はこれらをそのまま継承しているようである。わたしはこれを捉まえて着替えた方がよかろうというのである。鷲は正面にするのが適格だろうといっているのである。
〇〇が好きで好きでたまらず、そのまま保持したいというであれば余計な世話焼きだが、何かの縁で入手した太鼓は自分たちのところに来たならば少しはアレンジしてちょいと変わり映えさせてみるのもいいようには思うがどうなんだろう。そのまま変わり映えなしでは「お古感」まで継承してしまいそうだ。天幕は変えたのだろう? 上幕配置を試行してみてはどうかな、あと貫きは薄い色がいい。縁取りは黒くしてみたんだろ? そぉれ、もう少しだ。御幣等のアクセもつけたよね? やってみれ。
新居浜型ちょうさという文法を生得していないから、とりあえずの継承して発進であって随時見直し予定暖かい目で見てもらって乞うご期待、なのかもしれないが、幕配置は結構「動くのもあり」だから、チャレンジしてほしい。

(中須賀→)松の木でも似た構図があって配置を継承したまま固定している。発足当初より、あんまりではと思われる状態からさらにオリジン化が進んでいるのがなんだかなあ~、である。貫きや伊達巻きで明らかだが、もう天幕しか違わないんじゃね? まで来ているのはどうした案配か。松の木の場合は、なぁんか中須賀LOVEが強いのかもしれないが尊重は尊重でいい、オマージュはオマージュでよろしいが、親離れもあるべきかと。

こちらも配置をいじればよいと思うのだ。好きなら正面顔を変えずともよい、手始めに後ろの竜頭を横にして後ろはカンケツ童子とか重層御殿とかにすればなにかイメチェンになるんじゃなかろうか。一部で知られているように高覧幕の清盛でさえ、けっこう徘徊(後ろor横or前)していたことがあるものだ。この8枚1セットで位置が変わったことがないのは鷲だけである。

庄内とか東雲とかも変えないね~、試行を面倒くさがってるんじゃなければいいのだが。


(*1)ソリに付けてる滑走面とかもそのままなのは何か可笑しい。
(*2)これは並びで次にくる中須賀との因果によるものではないか。上幕にある(同じく梶内作品)鷲の出来映えの差がどうしても同位置にあると悪目立ちしてしまう。これを避けようとしてのことではないかと邪推しているのだが。
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